あかずきんのおおかみ2
あれからどれだけの時間が経ったのでしょうか。
目を閉じていたら、いつの間にか本当に眠ってしまっていたようです。
振り続けていた雪は止んで、森に西日が差し込んでいます。
夕日がまぶしくて、目を開けたおおかみの視界に飛び込んできたのは、一面飾り立てられた室内でした。
「うわあ……」
まるで夢のような世界でした。
暖炉に吊るされたカラフルな靴下に、窓辺を飾るガーランド。
行儀良く室内に並べられたポインセチアに、銀のリボンで束ねられた常緑樹の枝に赤い木の実と松笠の飾りのクリスマススワッグ。
広くない屋内ですが、天井に届くくらいの飾りたてられたもみの木。ふわふわとした雪のような綿と木彫りの飾りが可愛らしく。その頂上にはきらきら光る星がかがやきます。
そのどれもこれも、窓の外からガラス越しに、住民にばれないようにと一瞬で盗み見るばかりだった憧れの物です。
そういえば今夜は聖夜だと、まだ霞がかった思考でぼんやり考えます。
「あら、おばあさん。目が覚めた? ぐっすり眠っている間に、飾りつけ頑張っちゃった」
腰に手を当てて可愛らしく胸をはるあかずきん。
これは、おおかみの現実でしょうか。それとも、まだ夢の中でしょうか。
「どうしたの、呆けた顔をして」
にこにこと親しみのこもった笑みを浮かべるあかずきんに、おおかみは現実を思い出してしまって、自分の正体を明かしたら態度が一変するのだろうと悲しい気持ちになります。
(ああ、やっぱり目を開けたら全部消えてしまった)
(一体、おばあさんはいつ帰ってくるのだろう)
そう、この素晴らしい景色はすべておおかみのものではなく、おばあさんの物です。
あかずきんのこの親愛は、おばあさんに向けられるものです。嫌われ者の、狼ではなく。
それを自分は少しの間借りていただけです。
果てしなくうらやましくてどこまでも寂しいですが、借り物は返さなくてはなりません。
ベッドから体を起こさなければばれないとおばあさんは言っていました。
ではきっと体をおこしたらばれてしまうのでしょう。
でもおばあさんが帰ってきて騙されたことにあかずきんが怒り出すよりは、気付かれてびっくりされた間に逃げ出すほうがいくらかましかもしれません。
あかずきんがなるべく怖がらないでくれるといいのですが。
仕方ないとおおかみは諦めてベッドに半身を起こしました。
小柄なおばあさんに比べて、おおかみは腐っても狼です。
ぬうっと高くなった視界に、あかずきんの驚いた顔が目に入りました。
「……ああ、驚いた。おばあさん、いつのまにかそんなに背が高くなるなんて。それじゃ成長痛も無理ないわね」
「……は?」
「ああ、大きくなって身長抜かしたと思ったのに。まさかもう一度おばあさんに身長を抜き返されるなんて
思わなかったわ。悔しい。やっぱり好き嫌いせずにもう少しミルクを飲むべきかしら。でももう私も成長期は終わってしまったはずだし。うーん……」
どうやらあかずきんの驚いた理由は、そこだったようです。
歯噛みしながら自分の頭を押さえて背伸びするあかずきんをおおかみは信じられない思いで見つめます。
(え、何、さっき言った嘘、信じてる……?)
「さて、それでは私はお料理の続きに入るわ。おばあさんは、これでも飲んで待ってて。今日は私が全部やるんだから、おばあさんは手を出しちゃ駄目よ」
「え、ええ。わかったよ、ありがとう。あかずきん」
どうやらおばあさん役はもう少し続行のようです。
手渡されたブルゴーニュ色の温もりを口元に持ってくれば、スパイシーなナツメグとシナモンの香がします。鼻を擽る香りに自然と口内によだれが溜まってきました。
おおかみがそのホットワインを一口含むと、その豊かなまろやかさが広がって、すぐに酔っ払ってしまいそうです。ほんのり甘ずっぱさも感じられて、カップの中には見当たりませんでしたが、レモンとオレンジ、林檎も一緒にいれてあたためたのかもしれません。
「あかずきん、おいしいよ」
「よかったわ、おばあさん」
延ばされた返却までの猶予期間が、おおかみはほっとしたような、怖いような複雑な気持ちです。
こんな幸せを知ってしまえば、もう知らなかった頃には戻れません。
なにもない部屋ですきま風に凍えながら寝るのは、本当に寂しいのです。温かさに浸ってしまえば、それに耐えられそうにありません。
この時間が続けばいいと思いながらも、早く終わって欲しいとさえ思います。
おばあさんが帰ってきたら、どうやってあかずきんを誤魔化そうかと考えながらカップを傾けていれば、大きな七面鳥を重そうに抱えるあかずきんが目に入りました。
おおかみはベッドから降りて、あかずきんからそれを取り上げて、オーブンに入れました。
赤ずきんにとっては重くても、日頃から狩りをするおおかみには大したことのない重さでした。
「あかずきん、手伝うよ」
「もう、おばあさんたら。今日は座っててって言ったのに!」
「いいや、かわいい孫娘のその気持ちが嬉しいから、手伝うんだよ」
「それにしても、おばあさん随分力持ちになったのね」
おおかみの背をつめたい汗が伝います。
「あ、ああ、知らなかったかい? 最近、筋トレをはじめたんだよ」
「まあ、そうなの? 一層健康になるし、それはいいことね」
あかずきんは核心をつきつつも、おおかみの嘘に簡単に納得します。
また、信じられてしまいました。
どこまでも疑わない様子のあかずきんに、おおかみは逆に心配になってきました。
(この子、騙されやすすぎる)
「さあ、あかずきん。次は何をすればいいんだい?」
「えーとね、ちょっと待ってね」
おおかみはおばあさんではありませんが、あかずきんが騙されてくれている以上、おばあさんとして行動して問題ないはずです。
おおかみはおばあさんとしてですが、この小さな家でたくさんの嬉しい体験をしました。初めての体験を。
それはすべておばあさんや、このあかずきんによって齎された物です。
幸せな気分のおおかみが、どうせ居なくなるのなら今のうちに二人に少しだけ恩返しをしたいと考えるのは自然なことでした。
おおかみにとっては簡単な力仕事で、あかずきんの助けになれて、その感謝がおばあさんへ向かうのであればそれはとても喜ばしいことでしょう。
そのあと、おおかみはあかずきんにお願いされるがままに幾種類ものナッツを砕いたり、ドライフルーツを刻んだり、粉を運んできたり、オーブン用の薪を運んだりと精力的に働きました。
それは力が必要で、普通のおばあさんがやるような仕事ではありませんでしたし、それをこなすおおかみの動きも還暦を過ぎたおばあさんの動きには到底見えませんでしたが、夢中なおおかみは全く気がつきませんでした。
「はい、砕いて欲しいの。これとこれとこれとこれと……」
「まだあるのかい?」
「あたりまえじゃない。いろんな種類が入っていたほうが楽しいでしょう?」
「わかったよ」
「あ、全部大きさは違くしてほしいから、都度指示だすわ。確認してね」
「え、ええーこの種類全部まとめて砕けばいいんじゃないのかい?」
「…………おばあさん?」
「わ、わかったよ。個別にやるよ」
「あらおばあさん、これじゃ駄目よ。大きすぎるわ。もっと細かくね」
「む、こうかい?」
「そうそう、そのぐらいがちょうどいいわ」
「あー、もう薪がなくなりそうね。裏にあるけど外は寒いのよねー。私はか弱いしあんまり本数持てないから何度も往復しなきゃいけないなー。誰か行ってくれないかなー。あーきっと寒くて凍えてしまうなー。一度に沢山持てる筋肉のある人とかがいってくれないかなー」
「わかったよ行ってくるよ! だからちらちらこっち見ながら棒読みで言うのをやめておくれ!」
「あら、おばあさんが自主的に行ってくれるなんて! とても助かるわー」
「まったくお前にはかなわないねえ」
「うふふ」
万事このような調子です。
始めは恩返しのようなつもりでいたおおかみですが、作業はどれもはじめてでとても楽しい物でした。
おなかの満たされたおおかみにはどれも大した負担ではありませんでした。
なにより……。
「はい、おばあさん。このドライフルーツはこのままつまんでいいわ」
「はい、このナッツはこのまま食べてもおいしいわよ。とっても素朴な味がするの」
「ありがとう。寒かったでしょう。特別にホットチョコレートを入れたの。マシュマロもサービスするわ」
作業が終わるたびにおおかみにはご褒美が待っていました。
おおかみはなんだか餌付けされているような気分になりながらも、手渡されるそれらを素直に口に入れていきます。もちろん、あかずきんとしては対人間のつもりなので、そんな意図は一切ないのでしょうが。
あかずきんに手渡される物はどれも美味しくて、あかずきんとの何気ない会話は心地よくて。
気付けばそれを心待ちに、作業をこなすようになっていました。いつもまわりは敵ばかりだったおおかみが、いつからか身につけてしまっていた頑なな警戒心は、あかずきんの前では本人さえも気がつかないうちに、きれいさっぱりどこかへ消え去っていました。
あかずきんの屈託ない笑顔を見ていると、おおかみはなぜか幸せな気持ちになることにふと気がつきました。
(これって、もしかしてそういうことなんだろうか)
知らず知らずのうちに、おおかみはあかずきんがとても大切に思えてしまっていたようです。
(本当のこと、言わなきゃな)
言おう言おうと思いつつ、心地よい時間を壊すのが怖くて、どうしてもおおかみは自分がおばあさんではなく狼だと言い出せませんでした。