柱時計は計らない❖6
上空から内地を見下ろせば、そこには壊滅した世界が広がる。
山に聳える神殿は火を噴き黒煙を昇らせる。まさに噴火しているかのようだ。そこから山筋を下って一代目国家ムーンケイ、ナルトリポカは麻薬の紫煙が包み沈黙。山陰にあるアーゲイも決して無事ではないだろう。
二代目、三代目と俺は視線を流す。そこには蛇の尾のように破壊の足跡が一筆に続いていた。
――あれだ……!
内地を駆け回る影。小さいが、間違いはない。
「ランダリアンは女型だと言っていた。……行こう、アキラ殿」ガントールは斬首剣を構えて言う。
――ああ、しっかり掴まっててくれ。
女型の龍。それが向かう先はチクタク。そこにいる何千何万の人命を守るため、俺はぐっと身を縮めると後ろ足で空気の壁を蹴るように一直線に飛び込んだ。
――そこまでだ!
立ち塞がるように目の前に降りるとそこで初めて敵の全貌を知る。
戦場を蹂躙する龍。翼膜で構成された黒いドレスを翻し、破壊の舞踊を踊る女型。その顔は……
――……芹奈……?
その顔は、妹のものだった。
❖――視点:オロル
柱時計は時を刻む事を放棄した。
長きに渡る戦争の歴史、刻々と刻まれた人々の営みに三女継承は狂う事を望む。
わしが行った詠唱は、記憶の風化――『時間が解決する』という抗い難い忘却の力である。五百年を超えて積み上げられ、骨身心血に刻まれた怨みの念を漂白する。
禍人領全土を白痴へと陥れるこの行いはまさに人類浄化。或いは血も涙もない略奪。
内地を包んだ麻薬の霧に対する意趣返しとなったことだろう。
その禍人領の底。至聖所で、わしは忸怩たる思いであった。
戦争がもうすぐ終わる。そこでやっと、この歴史がいかに虚しいものか痛感した。
光の届かぬ湿った塔の外郭。そこにぼたぼたと落ちて転がる魔獣の身体。
まるで、積雪――否。あまりに生々しく、意識を失って倒れる白い体は一層熱を失って累々と積み重なっていく。
ただ一人、空から落ちてくる白痴の魔獣を見つめ続け、やがてそれが落ち着くと、どうしたものかとそれらを眺めた。生かすも殺すも己にかかっている。そして、可能ならば彼らを生かすことが、アキラとの約束だ。
「どうしたものか……」一人呟く。
記憶を失い、人の形を失った魔獣の山。気を失っている彼らを放っておくわけにはいかないが、とはいえ助け出すには策がない。
指を鳴らし、柱時計を召喚する。最後の力を行使したばかりのそれは全体に亀裂が走り、魔獣を踏まぬように脚を進めては欠片が剥離してしまう。これを用いて運び出すのは難しいか。
いや――
「まだ、万策は尽きておらぬな」
やりたくないと、心のどこかでは意固地になっているやり方だ。魔鉱石を使い果たした今、確かに危険が伴うが己の命を魔力に変換すれば幾らでもやりようはある。
あまつさえ憎しみあった者同士、それなのに、万策を尽くそうとするこの想いは何か。
そう考えた時、頭に浮かぶのはアキラだった。
私は静かに肩を落とし、気の抜けた笑みを作る。
人と人が分かり合えること。それを示してくれたのはあの男しかいない。
それに感化されたというなら仕方がない。
本当の平和を願うのなら、わしが取るべき行動はまず、忘れることだ。
憎悪を、忘れる。
確執を、忘れる。
怒りを、忘れる。
そしてしがらみを取り去ったその瞳に映るものが何であるか。
敵意を持つ魔獣ではない。
人、人なのだ。
「殺し合う使命を放棄して、仇敵の命を救うことが、破壊活動とは……」
形を歪められ、理性を奪われ、そして助けを求める人の山。
わしはその側まで近付くと胡座をかいて掌をそっと魔獣の皮膚に這わせた。
「ラプラスよ、神に背くわしを軽蔑するか? じゃが頼む。もう少しだけ持ってくれぬか」
私は上を見上げて語りかける。柱時計《アトラクト=ラプラス》は何も言わず、八本の足でわしを囲んで静止した。まるで言葉に答えるように。
時折小さく耳に届く、割れる音。
砂埃のように柱時計の欠片が髪に降りかかる。
それはきらきらとした光を放ち、内包する魔力を示す。
「……使え、と、言うのか?」
柱時計は答えない。――もちろんそれに口なんてものはないのだが――しかし、その沈黙の中に確かな意思を感じた。
わしはその欠片を握り締めると魔力を抽出し、ゆっくりと目を閉じる。
魔獣にひたりと触れたもう片方の掌に意識を集中させて、幽かな揺らぎを感じ取っては、深くへと潜り込む。
解析。
人が魔獣へ変わる。
そこには幾重にも重ねられた魔呪術がある。
一つ一つを手繰り寄せ、絡まりを解し、術を反転させることは出来ないか……と言うのが、彼らを救う万策の残された一つだった。
歴史を知る三女継承。
人の心を知る賢人種。
わしにならば、それができる。
命を守る為の力が、この体には備わっている。
「繙け……」
呪いを。
「暴け……」
魔いを。
「翻れ……!」わしは知らずのうちに叫んでいた。
己の精神を加速させ、幾重にも重なる術式を書き換え、絡まり合った忌まわしき言葉の鎖を手繰り寄せる。
そうして、僅かにほつれた穴からめくりあげるように、魔獣から人の体へと戻す、逆転の術を注ぐ。
脳内を巡る言葉から正しく理解し、順序を誤ることなく分解。そして逆さまに再構成。
閉じた目には皺が寄り、にじりと痛む。
鼻からは血が滴るのも気にする余裕はない。
呪いが祈りであるように、毒が薬となるように。そして、不可逆の時が巻き戻されるように術式が裏返る!
「ぬぅぅぅおおおぁぁぁ――ッ!!」
狂気から正気へ、死から生へ。
最後の言葉を塗り替えて、掌は弾かれる。
荒く息をついて目を開き、立ち上がる。どうなった……?
魔獣は塗り重ねられた泥が落ちるようにして表層の皮膚を溶かし落とした。随分と体躯が小さくなり、その中から人の姿が露出する。
「お主、無事か……!」
泥濘む魔獣の体内からずるりと体を引っ張り出して呼びかける。
返事はないが、怪我もない。わしは胸に耳を当てると心音を確かめた。
一つ……二つ……確かな鼓動と血の流れる音。
自発呼吸に髪が揺れる。生きている!
「ふ、はは……」
安堵と共に笑みが溢れる。ふと、頬を伝う雫に気付いた。
喜び。或いは高揚と言ってもいい。
「時間を巻き戻すことこそ叶わなかったが、やればできるもんじゃのう……ええ?」
不可逆にも思えた遡行術式。
失った時間こそ取り戻せないが、確かに成し遂げた!
魔獣となった人間を再び人へと戻したのだ!
眠り続ける禍人の男。そっと地面に横たえると、顔を上げて見回した。
数えるにはあまりに多い魔獣の山。その全てを人に戻すなら、いよいよもって、死力を尽くすこととなる。
痛む掌を眺めれば、その意味がわかる。
術式を裏返した時、魔獣から弾かれるようにして離れた掌。そのに刻まれていた三女継承の刻印は血を滲ませて痛みを生み出す。
「誰が、予想できたじゃろうな……」
わしは誰にでもなく呟いた。
「歴史を学び、そこから未来を予測しようとしたわしでさえ、禍人を救うなどと考えはせんかった」
二人目に掌をひたりと合わせて、遡行術式を行う。
真の平和とは、敵を消し去った先にあるものだと信じていた。その答えを前提として成り立っていたのだ。
憎しみ合う世界の中で生まれ育ったわしらにとって、その土台に疑問を持つことはできなかった。
そう……アキラが来るまでは。
分かり合うこと。許し合うこと。あの男は言葉ではなく、行動で示していた。
この世界を何も知らない故に、誰にでも分け隔てなく、常に葛藤し、足掻き続けていた。
始めは愚か者だと思っていたが、次第に心を通わせるようになれば、信頼を寄せるまでになったのだ。
わかり合うための手。
手を取り合う為の心。
異世界人のあの男はそれを持っている。そしてその心は波及して、今、世界を変えようとしている。
それならば、わしらに出来ることはなんだ。
継承者として積み上げた来た勲しは、等しくその武勲の下に死屍累々の功績がある。
平和を願う祈りの果てが行き止まり。神に背く破壊活動は始まっている。
ここで全てを終わらせる。それが出来るのはわしらしかおらぬ。
「全てが終わった世界で禍人とも手を取り合うと、言うのじゃろうな」
馬鹿馬鹿しいと思う。
腹立たしいとも思う。
そしていかにも、アキラらしい考えだとも。
皆が手を取り合う世界というのを夢想すれば、胸は暖かな光を感じるのだ。
その衝動に突き動かされるように、三人、四人と遡行術式を行い、ついには掌は無視できない激痛が走る。
「ぬぐぅ……ッ」
掌は焼き爛れたかのように皮膚ごと刻印を失っていく。柱時計の方を振り返れば、随分とひび割れ、今にも崩れてしまいそうな姿だ。
「神の力を持って神に背くのじゃ。
この程度の痛みは可愛いものじゃのう……」
垂らした指先から滴る血液、それが剥き出しの筋繊維の上を滑るだけでも焼けるように痛む。
それでも、歩みを止めることはなかった。
「せっかく放棄したというのに、結局わしは次の使命を背負っておる……」
五人目。水音をたてて皮膚に掌を這わせる。べったりと赤い手形を残して、人の姿へと術式を裏返す。
禍人を救う度に、掌は戒めるように刻印が爆ぜて血を流す。
残り百体を超えるであろう魔獣の山。全てを救い出すという使命に開眼する。
しかしその使命は科せられたものではない。自ら背負い、選び取ったものなのだ。
❖――視点:アーミラ
焼けた土が焦げ臭く煙るアウロラ。やけに鋭利な西陽が山の稜線に砕けて熱を失うと、夜の帳に吐く息は白く、体温は奪われる。
遥か前方、デレシスの方では災禍の龍が地に堕ちて戦闘が収まったのを悟る。アキラ達はザルマカシムを止め遂せたのだろう。こちらも魔獣の生き残りの勢力は衰え、終局に向かい始めた。
崩壊した防壁の瓦礫。それが作る高台の上に陣取って儀仗兵は四方から登ってくる魔獣の首に鋒を突き立てて一思いに殺す。それらが元々禍人であるという事実を充分に理解しているからこその手心だ。
ここにいた魔獣の大半は翼を失って地に堕ちた時、既に致命傷を負っており気も触れてしまっている。
そして、助ける術を持たない私達ではどうにもできない。せめて苦しむことなく、一思いに首を刎ねる決断に至ったのだ。
しばらくは呻き声と断末魔が続き、痛ましい掃討が行われたが、夜になり、熱を奪われた魔獣はついに生き絶えた。




