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柱時計は計らない❖2



❖――視点:カムロ



 酷く混濁した意識から目を覚ますと、世界は崩壊していた。


 絶えず衝撃の揺れが地べたから伝わり、耳鳴りがする。


 私はなにがなんだか分からぬまま重い身体を苦労して起き上がらせ、辺りを窺う。


 まず目につくのは瓦礫だった。

 倒壊した建物からは火柱が上がっている。もうもうと立ち上る煙からは炭と木醋もくさくの焦げくさい臭いが鼻を突く。それどころか自身からもえた臭いがした。


 纏う白衣は血にじっとりと濡れて、見る影もなく朱に染まっている。己の血かと腹をまさぐり確かめるが何処にも出血はない。とすると何者かの返り血か。


「一体、なにが……」


 これは悪い夢ではないだろうか。


 記憶が酷く白飛かすれている。己の与り知らぬところで全てがひっくり返されているこの状況。目の前に広がる終焉を受け止められない。


 じりじりと痛む頭。ただ漠然と身の危険が迫っていることだけをどこか他人事のように感じ取っている。

 首の後ろが熱い。

 耳鳴りがして、何も考えられない。


「みんなは……」弱々しく口から溢れた言葉は、誰に届くこともなく破壊の音にかき消された。炭化した柱が傾いで、大仰な音を立てて埃と火の粉が舞い上がる。なにがどうなっているの――?


 思い出せ。私は何をしていた。

 名前はカムロ。神族近衛隊の隊長……大丈夫だ。欠落した記憶の穴は小さい。

 意識を失う前は……


 細く頼りない記憶を手繰り寄せながら、瓦礫の陰に身を隠す。空には魔獣が飛び回り、防壁に並ぶ戦闘魔道具アルテマ・マギはあらん限りの光弾を吐き出し迎撃している。戦闘が行われているということはここは前線五代目国家のはずだ。とするなら、誰かにここまで運ばれた?


 ……脳裏に浮かぶのは神殿で過ごした日々ばかり、もっと近々の記憶が欲しいのに! ……だめだ、思い出せない。


 突き刺すような顳顬こめかみの痛みに堪らず私は倒れるように座り込む。

 今までにない激痛に喘ぎ、歯を食いしばってやり過ごす。体温は風に奪われて霜焼けた指先がしくしくと痛む。


 その時、駆け回る討伐隊の中に一人、他とは格好の違う者がいた。

 私と同じく全身を血でしとどに濡らしている男。その者がこちらに気付き駆け寄る。


「カムロ! 目を覚ましたのか!?」


 肩を掴まれ、揺すられる。三半規管が弱っているのか、その声と揺れに堪らず腑が引きつって、胃の中のものを吐き出した。


 何も口にしていないのだから吐瀉物は胃液ばかり。しかし、その中に混じった緑色の萎びたものを見つける……藻だ。


 水中に漂う藻が、何故か私の胃の中にある。それも一つや二つじゃない。


 男の姿と声。そして腹のなかにあった藻の類い。


 ……失っていた記憶が実像を結び、 明晰に思い出した。


 涙の盃を包んだ白い霧。

 湖面に波紋を残して消えてゆく仲間。

 そして私も意識を霧の中に溶かしたのだ。


「デレシスで……そうです……白い霧が……!」


「思い出したんだな、とにかく移動しよう。ここもまずい」


 その男――ランダリアンに手を引かれ、燃え盛る建物の並ぶ街を早足に移動する。


 煙りの中から現れては後ろへ流れ消えていく瓦礫や血の跡は、その度に視界に飛び込んでは移ろう。まるで終わりのない悪夢を見せられているようだった。依然として何も理解が追いついていない。


 防壁の上に着くと、この国が五代目国家アウロラであると理解する。壁内は押し寄せる魔獣と討伐隊による戦闘によって阿鼻叫喚としていた。

 振り返って南方。前線側からは列をなす魔獣の影が一つの塊のようになっていた。空を飛ぶ巨大な蛇だ。


 私はその光景を見て、膝を折りその場にへたり込む。ランダリアンは躊躇いがちに口を開いた。


「あの中に一体だけ、異質な奴がいたんだ――」



❖――視点:ランダリアン



 刻を少し遡り、一行がチクタクへ向かうところから始まる。


 オロルに防衛を頼まれ、リナルディから引き返した俺たちは、魔獣の列を追いかけるようにしてチクタクへ向かった。


 途中アウロラに寄り、手負いの儀仗兵とカムロを預ける運びとなる。

 二つの国はラソマの操る戦闘魔道具によって鼠一匹通さない鉄壁の守備を固め、手前には撃ち落とした魔獣の亡骸。それが山となって門を塞いでいる。そこを通らなければアウロラには入れない。


 俺達は残る力を振り絞って魔獣の肉壁に手を差し込み、血でぬめる隙間に肩を入れて潜り込むと、重たく凭れる肉を掻き分けてなんとか防壁の中に入った。


 アウロラの地を踏む時には全身魔獣の血で重く濡れていた。


 その後、ラソマと俺はすぐに地続きのチクタクへ移動し、本腰を入れて迎撃に身を乗り出した。


 異変はまさにその直後であった。


 防壁に立ち、黒い塊と化している魔獣の群れにありったけの弾をぶつけるラソマは、群がる黒点の一つを指差して叫ぶ。


「あの魔獣……おかしいです……!」


「何がどうおかしいんだ?」俺は応えて目を細める。ラソマの指す個体がどれを指すのかわからない「数が多すぎる」


 絶えず弾に打たれ、翼膜を焦がすと飛翔能力を失って地に堕ちる魔獣。飛び散る光弾の火花に血の霧が舞い、防壁の外は赤黒い亡骸の山が築かれていた。


「一体だけ動きが違う、弾を避けて近付いています! ほら! あれです……ッ!」


 ラソマはいよいよ金切り声にも近い叫びになって指先は黒い影に遅れて後ろへ滑る。チクタクへ侵入を許したのだ。


「ここは俺に任せてラソマは迎撃に集中しろ!」


 俺は指示を飛ばすと返事を待たず防壁から跳躍、黒い影を追う。


 恐ろしく素早いそれは未だ影としか言いようがなく、姿を捉えることが出来ない。背後に付いたと思えば瓦礫の陰に隠れ、残像を追うのがせいぜい。


 奴が残す残り香を頼りに執念深く追い続けると死体の山にたどり着く――そこはチクタクの民が身を寄せていた教会堂だった。


 並べられていた椅子は蹴散らされ、血に濡れて隅に飛ばされている。中央に開かれた空間には身を寄せ合って避難していた者達数十人が一人残らず切り刻まれ、息絶えていた。


 悲壮、絶叫、苦悶に歪められたまま凍りついた彼らの死に様に俺は口を引き結んで影の正体を睨む。


 纏う臭いも、佇まいも、おかしい。

 明らかに他の魔獣とは一線を画すものだ。


 黒く艶のある翼膜を風に遊ばせて、尾は槍のように男の腹を串刺しにして列柱の一つに突き立てられている。

 上半身は腰元から括れをつくり、驚くべきことに人の形をしていた。


 首の上に乗せられた頭部は龍の身体とは対照に白い小作りな引き締まった顎と鼻梁。涼やかな瞳には長い睫毛が飾る。


 女だ――。


 黒いドレスを纏った女。魔獣の群れの中に一人、年端もいかないような少女の禍人がいるとは。


 刹那、その女は尾を振り抜いて俺に迫る。

 目を奪われて反応が遅れた俺は、槍を構えて受け止めるが圧倒的な衝撃に為す術なく身を吹き飛ばされ、教会堂の壁に背を強く打ち、崩れた壁の中で気を失った。


 気絶したのが幸いしたのかもしれない。下手に意識を保っていたら、恐らくはとどめを刺されていた。


 ともかく、次に目を覚ました時には女は居らず、今に至る……



❖――視点:カムロ。



「それは、今何処へ」私は問う。


「分からない。恐らく『女型』は神殿に向かった。それでなくとも出鱈目に飛び回って国を壊してるだろう。

 こんなこと、口にするのも恐ろしいが……災禍の龍じゃあないことを祈るしかない」


「……は」


 話を聞く限りでは体躯は前例と違って随分と小さいが、内地を望めば一目でわかる。

 黒煙をあげる内地諸国、その向こう地平の彼方に聳える神殿は見る影もなく壊滅しているではないか。


 恐らく……ではない。

 紛れもなく、災禍だ。


 そしてもうひとつ。

 南の空、禍人領の方角より、黒い凶星が半人半龍の輪郭を描いて禍々しく輝く。比喩ではなく言葉通りの天を衝く大男の姿。私は全身が総毛立つ。


「ランダリアン……三女神ホーライ継承者は今何処にいるのですか……?」


 ランダリアンは得物を地面に突き刺して両手をこすり合わせる。表情は険しく、二体目の災禍の龍を見つめていた。


「禍人領、なんだがな……」


「アキラもそこに?」


「いる。が、この有様では生きているのか怪しい……どうする?」


 神族近衛隊長である私ならばどうするか。と、ランダリアンは問う。未曾有の危機だ。諦めて己の身可愛さに逃げ出すのもいいだろう。


 しかし、私にはやるべきことがある。


「叶うなら……一矢報います。

 災禍の龍とは戦闘を避け、可能な限り魔獣を討伐。民間人を誘導してチクタクへ集めましょう」


「アウロラは捨てるのか?」


「捨てます。この国は禍人領と神殿を結ぶ直線上にあるのですから、災禍の龍が来た場合とても持ちこたえられません」


 言いながら、その声が震えてどうしようもない。

 遅かれ早かれ世界は崩れる。もう取り返しのつかないところまで追い詰められているのだから、恐ろしくてどうしようもない。


 ランダリアンは了解と頷く。


「……てっきり逃げるだけだと思ってたよ。以前のお前なら、そう言うだろう」


「かも、しれません。ですが今は違います。

 逃げ続けるにも限界はありそうですし、何より部下達の仇を打たなければ……この先を生きていく意味はありません」


 神族近衛隊として生きてきた私は、きっとこんな考え方はできなかった筈だ。それを変えたのは、やはりあの板金鎧――アキラだろう。


 神殿から前線を俯瞰し、日々国家全体の計に殉ずる犠牲者の名が連なる紙面を冷めた目で他人事のように眺めて生きていた。

 平和とは、戦の火の粉を遠く維持し続ける事だと思っていたのだ。その身に危険が及ばぬように、上に昇ることこそがこの世で生きる賢いやり方だと信じていた。


 安寧とは勝ち取るもの。名誉とは上位者の勲章。しかしアキラは違った。


 自ら勇んで前線に立ち、名誉を蹴り、守るべき者のために生きる――


 目が覚めた思いだった。


 計上される殉職者の名簿に、過去私が突き落としてきた神人種の名を見つけ、生き長らえる己を恥じた。


 積み重ねてきた武勲が仲間の血に濡れていることに気付き、命の価値を見失った。


 誰もが平和を願い、神に祈る。

 それは、自ら立ち上がり行動するのは難しいからだ。逃げ続ける己の免罪符として、人は日々神に祈り、赦しを乞う。

 なのに、この世界に迷い込んだだけの異世界人は立ち上がった。神に祈らず、赦しを乞わず。

 私達が後に続かなくてどうする。


 今、アキラがどうしているかはわからないが、あの愚直な男が禍人領で死んでしまったなんて思えない。


「まずは人命優先。継承者も災禍の龍に気付いているはずです。戻るのを待ちましょう」


 話によれば三年前に現れた災禍の龍にはおよそ理性や知能は無かったと聞く。隠れてやり過ごせば執拗に追ってはこないかもしれない。


「継承者達と合流できたら、一気に叩く……そうだな?」


「はい。ここが天命を分かつ正念場です。

 必ずチクタクで会いましょう」


「ああ。お互い死ぬんじゃねぇぞ」


 互いの拳を合わせて約束を契ると、散り散りに駆け出す。私はランダリアンの姿が見えなくなってから、ひた隠していた不安の種と向き合った。


「……懸念があるのは女型のほうです……

 前例がない上に知性を持っている可能性が高い……一体、何が起きようとしている……?」


 不穏な胸の騒めきは拭うことができず。再開を約束したばかりだというのに、果たせるかどうか私には自信がない。


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