願えば叶うということ❖6
俺達を乗せた柱時計が八本脚を駆動させて戦地へ向かう。揺るぎのない律動に揺られて禍人領を睨む各々は、外套の襟を立てて風から身を守る。
寒風に凍える仲間の姿をちらと見て、やはり俺だけが感覚を喪失していることを知る。皮膚の熱を奪うこの風さえも俺には鈍く遠く感じられた。
死への恐怖も今はない。無感動に行先を見つめる。
地平線を遮るように立ち上がった山脈は切り立った岩肌の陰影を晒し、所々に身を寄せ合った木々は黄変した葉を落として寂しく禿げ上がり来たる冬に備えていた。
その手前、どこからともなく湧き出る黒点の群れ。
渡り鳥の類ならばどれだけ良いか、この全てが魔獣であることを思うと心は暗い。
「内地は大丈夫だろうか」俺は振り返り、既に姿の見えなくなったランダリアン達の身を案じる。
「勇名であれ討伐隊であれ、各国に少なからず生存者は居るはずだ……」イクスは言う。「俺達が終止符を打たない限り、終わらないんだ」
ガントールは言葉を継いだ。
「本当なら、三年前に脚を止めなければ良かったんだ……次の継承者に使命を託さず、この手で終わらせて仕舞えば、こんな事にはならなかった」
「そんなこと……災禍の龍討伐の時点で限界だった」と、俺は言う。「刻印だって消えてたじゃないか」
「向こうだって災禍の龍を失っていた。そこで建国せずに攻め続ければもっと早く終わらせられたんだ」
ガントールは斬首剣を掲げて前方を指して続ける。
「見ろ、あの荒れた山を……手付かずでとても人の住めるものではない。それが壁のように禍人領を囲んでいる。察するに山向こうには海があるのだろうな。いずれにしろ拓く価値のない土地なのだろう……敵は限られた国土しか残されていないのだ」
ガントールの言う通り、目の前に広がる禍人領は想像していたよりもずっと狭い。壁のように囲む山脈と前線までの距離は、およそ一世代分の国土程度である。では何故禍人領の果て、その牙城本城が見えないのか。その答えはすぐに明らかとなった。
近付くに連れて地続きに見えた地面に亀裂が見え始め、目の前には巨大な崖が姿を現した。
ぽっかりと開かれた大地の口からは魔獣が空へ飛翔する。
「なんだ……これ……!?」俺達はその異様な景色に息を呑む。
オロルは一人、なるほどと呟いた。
「禍人領の果てが一向に姿を現さない絡繰はそう言うことか。なんとまあ、間抜けな手に騙され続けたものじゃ……」
つまり、どういうことか。
山に聳える神殿とは対象的に、禍人領の拠点は深い穴の中に存在していたのだ。
歴代の三女神継承者が前線を押し上げ、ついぞ禍人領の果てが見えなかったがために攻めあぐねた。
地平に禍人の本城は認められず、土地を奪い建国しては次代に決着を託してきた。
その種が明かされたのだ。遠くから睨む限りはいつまでも見つけられない。本城は地平の果てで聳え立つ城ではなく、地下にあったと。
巨大な円を描く崖。その壁面は建物がびっしりと貼り付き、中央には塔が刺さり、それぞれを繋ぐ桟橋はまるで出鱈目に張り巡らせた蜘蛛の糸のようである。
日中であるにもかかわらず、底の方は闇が濃い――まさに深淵と言うべきか。
オロルは柱時計の歩みを緩めて、一向は暫し崖の下を覗く。
延々と湧き出ては空へ飛翔する魔獣の群れ。その影は長蛇の列を作り、俺達へは目もくれずに一心不乱に内地へと渡る。
すぐにでも止めなければ……しかし、ここを降りる勇気が湧いてこない。
そんな中、アーミラはぽつりと呟いた。
「……でも、これなら簡単に終わらせることが出来ますね」
禍人の本城を見下ろして、天球儀の杖を握り直す。それが意味することは単純で、アーミラはこの穴に原子爆弾を投下して皆殺しにして仕舞えばよいと暗に示しているのだ。
疲労に落ち窪んだ双眸は隈をつくり、思考を停止しているように見えた。
「ああ……確かにこれならば……」儀仗兵も眉を開いて首肯する。
「ありがたいことじゃないか。戦わずして根絶やしに出来る」
大口を開けて待ち受ける禍人領、俺たちはその本城に乗り込む必要はない。ことは天球儀の杖一つで終わるのだ――だか、俺は頷けない。
それはあまりにも惨い選択だ。
「待ってくれ、アーミラ」
「アキラさん……止めないで下さい。これは千載一遇の機会なんですよ?」
「俺だって戦争は終わらせたいよ。早く楽になりたい。
……でも、それを使うのは本当の解決にはならないと思うんだ」
「本当も嘘もないですよ。この争いはどちらかが全滅するまで終わりません。そして、それを成し得るのは継承者の使命です」
「使命」俺は語調を強めその単語を繰り返す。「そんなの、誰かに押し付けられただけの役目だろ。馬鹿真面目に果たす義理なんてない」
「ば――」アーミラは言葉を失って困惑する。
アーミラだけではない。皆が一様に俺を見た。この期に及んでなにを言い出すのかと鋭い視線が刺さる。
俺は構わずに訴えかける。
「記憶を取り戻して、体を取り戻して、この世界では後悔しないように生きるって心に決めた」
アーミラは困惑した表情で俺を窺う。伝えたいことが何か、推し量っているようだ。
「ずっと考えてたんだ……この世界の人達は皆、科せられた使命に対して真面目すぎる。アーミラだって本当はやりたくないのに押し付けられた使命を果たそうとする」
「それはアキラさんだって――」
「違うよ。俺は押し付けられたわけじゃない。アーミラを守りたいと、自分で選んだ」
抱き寄せて杖を抑え込む俺の強硬にアーミラは驚いて、オロルとガントールに視線を投げた。
「らしくない程に頑なだな」ガントールは宥めるように言い、オロルが続きを促す。「申してみよ」
「根絶やしにすることには反対だ」
怪訝な顔で皆が顔を見合わせる。この期に及んで何故そんなことを言い出すのかと、困惑していた。
「敵に情でもあるのか?」イクスは問う。
「そんなものはないよ」
「なら――」
「情も恩義もない。でも恨みだってないんだ。
手を取り合って生きていける道もあるはずだ」
ざわ。
怖気が走るとでも言いたいのか、皆色めき立って苦い顔をする。
「ふざけているのならやめい。付き合うつもりはないぞ」オロルは煩わしそうに語調を強める。
「まったくだ。まさかアキラ殿が敵の肩を持つとは思わなかった」ガントールは冷ややかに言う。「継承者の力は世を正すためにある。この力で禍人を一人で残らず葬ることこそが悲願なんだよ」
「わかってないんだよ……」
劣勢を極めた俺は勢いを失う。
それでも、言葉は止まらない。
「分かり合えない奴を根絶やしにして、戦争は終わる。安息の日々は手に入るだろうさ。
でもいつか気付く時がくる。『こんな平和は間違いだ』って……それがわかってないんだよ」
怪訝に眉をひそめるのはアーミラだ。
「アキラさんには、その先の未来が間違いだとわかるのですか?」
「わかる」俺は断言する。「顔を見れば分かる。『皆殺しにしてはいお仕舞い』なんて、本当は誰も望んでないだろ」
アーミラの顔を見れば分かる。
オロルの顔を、ガントールの顔を、イクスや儀仗兵達皆の顔を見れば、答えは分かる。
「戦争終わらせたい……その願いは俺も同じだ。
でも、誰かに押し付けられた使命なんて呪いと一緒じゃんか」
殺せと言えば殺すのか。
死ねと言えば死ぬのか。
「根絶やしにする以外の道がある。皆もそれに気付いているのに、動き出せないでいる。
……なぁ、イクス。お前は『終わらせる』って言ったよな。禍人種を一人残らず殺せば終わるって言うのか?」
「それは……」イクスは気圧されたように言葉を詰まらせる。「終わるんじゃ、ないのか……?」
「その平和は一時的でしかない。
またいつか、分かり合えない人が現れた時に戦争が繰り返されることになる。力でねじ伏せる以外の解決を図ることができなくなる。
……なぁ、ガントール。『生まれる前からある世界の姿に疑問を持てなかった』って、言ってたよな」
「あ、あぁ」不意にあてられたガントールはこくこくと頷く。
「なら考えてみて欲しい。今のお前達は生まれる前からある悪意や敵意の上に生きてるんだ。
天球儀の杖で根絶やしにしてお仕舞いにするなんて、俺にはどう考えても納得できない」
「ならばどうしたいのじゃ」オロルは苛立ちを露わに続ける。「この争いを終わらせることができるのは、使命を押し付けられたわしらの他にはおらんのじゃぞ」
俺は真っ直ぐに視線を受け止めて、皆を一瞥する。
「本当にやりたいこと。心の底に隠してる願いが……あるんじゃないのか?」
「そんなの……」アーミラはたじろいで言葉に窮する。「継承者が使命を蹴ってしまっては、この争いはどうなるんですか。私達が使命を放棄することは、神殿にとっては大打撃です……そんなの破滅ですよ……」
諦観。しかし、アーミラの言葉の裏には叶うならばという願いがくすぶっていた。
使命を科せられたことで、継承者の人生は大きく狂わされた……否、この場にいる誰もが戦争によって歪められた日々を過ごしてきただろう。
人と人――始まりに敵も味方もなかったはずだ。
だからこそ、本当の解決を俺は提示したい。
「……確かに三女神が使命を放棄したら大打撃だ。いよいよ均衡は失われて、世界は壊れる。言ってしまえばこれは謀反、破壊活動だろう。
だけど、外からから来た俺はこうも思うんだ。『こんな世界なら壊れてしまえ』って」
「恐ろしいな……」俺の言葉にオロルは呟く。
「恐いかもね。……でもさ、全部壊して一からやり直す。白紙から世界を築くことができると思うんだ。仲間を募って、争いのない世界を……俺達にはそれが出来る」
白紙から世界を築く。
その言葉を耳にしたオロル達は微かに――しかし確かに――瞳に灯を宿した。
❖
この世界の宗教戦争は長い年月を経て憎しみが先行している。『相容れないから争う』ではなく、宗教を大義名分として殺し合うことがに正当化されてしまったのだ。
故に使命を果たす義理は無く。
異世界へ迷い込んだ俺は破滅を望む。
禍人領本城を前にしてオロルは再び時を止めた。俺の立案する策に価値を見出してくれたのだ。
その策とは、アーミラの掲げた杖を俺が下げるところから以下に語る――
「とにかく、アーミラの杖は使いたくない。全部を壊すって言ったけど、禍人を根絶やしにする事態は避けたいんだ」と、俺は言う。脳裏には初めて禍人種と交戦した一夜の記憶を思い出していた。
三年と少し前、ギルスティケーに起きた南方の魔獣による奇襲。そしてそれを陽動として王宮に間者が入り込んだ。
龍のような頭角、先の割れた舌、蛇のように縦長の瞳孔。しかしそれ以外は人なのだ。言葉を介し、二足の脚で立ち、武器を持って戦う。
奴らは狡猾で穢れた魂を持つ――
舌の裂けた者を信じるな――
……しかし、どうだろう。どの人種にも属さない俺からしてみれば、獣人も魔人も賢人も、さらには翼人も大して変わらないのではないだろうか。十把一絡げに、彼らと分かり合えた俺が、禍人とは分かり合えないなどということがあるのか。
「オロル。お前がカムロにやった早回しは、最大でどれくらいの威力になる?」俺は問う。
ガントールは片方の眉を跳ね上げ、「威力?」と首を傾げる。見当違いな物言いか、しかしオロルは嘆息して俺に返す。
「……使え、というのじゃな」
「うん。有効だと思う。
……ただ、これから俺が言う条件を満たしているならの話しだよ。
一つは百年単位での早回しを制御できるか。二つ目は早回しを禍人の精神のみに絞ることができるか。
三つ目、この禍人領全域に可能か」
オロルは頤に手を当てて暫く考えて、口を開く。
「ふむ、可能じゃ。……しかしアキラよ、よくぞ見抜いたな」
険しい面持ちから一転、相好を崩したオロルに対して、アーミラは躊躇いがちに割って入る。
「あの、アキラさん。……一体何の話をしているのですか?」
「これからの事だよ。一つ目の破壊活動ってところだな」と、俺はわざと核心には触れずに答えた後、オロルが言葉を継いだ。
「柱時計の最終奥義を使って、この争いを終わらせるということじゃ。
それも、禍人共の命を奪わずにのう」
三女継承の力――その使命とは時を刻み、歴史の歩みを正確に計ること。
その中で唯一の例外をオロルは見せた。それが早回し、あるいは時間加速だ。
そもそも、三女神の神器にはそれぞれ例外が存在する。
ガントールの斬首剣が一番分かりやすいだろう。長女継承は天秤だ。重さを量るそれが、剣の形をしている……なるほど『罪の重さ』という意味か。ヴィオーシュヌ神が言葉遊びを用いるとは。
次にアーミラの天球儀の杖。星の形を象った宝玉が嵌め込まれ、正しく地球儀であるが、例外の力とは『地図を書き変える』力……種を明かせば原子爆弾そのものであり、過去に災禍の龍を屠るため使用された。
そしてオロルの柱時計だ。
「この力をうまく使えば、禍人共は無効化できる」俺は迷い無く断言する。
「具体的に言えば、『記憶の風化』じゃ。時間が解決するという決まり文句を体現する、この柱時計の最終奥義じゃ」オロルは言う。
その言葉に、アーミラは得心がいったようで、なるほどと呟いた。
「なら、戦わなくてもいいのですか?」
「いや、遠からず戦闘は避けられぬ。わしの力を禍人領全域に行うには、あの穴の中心へ潜らなくてはならぬ故、奴らとまた交戦するじゃろう」
オロルの言葉に俺達は頷く。
奴ら……つまりはマーロゥとザルマカシムだ。二人は必ずあの穴の中にいる。
「だが、全員を相手にしなくていい訳だろ? 俺達からしてみれば、かなり展望が開けたぜ」イクスは戯けてそんなことを言う。ガントールが後に続いた。
「そうだな……アーミラの天球儀よりもずっと夢見がいい。アキラの策に賭ける価値はあるみたいだ」
「俺の策……とはいえ、要はオロル達だ。
だからこれは、三女神の破壊活動ってところだな」
「破壊活動か……随分と捻くれた名称じゃな」オロルは口の端を吊り上げる。「じゃが、皆の腹は決まったようじゃ」
一人一人の顔を見る。イクス、儀仗兵、アーミラ達……彼等の目には一点の曇り無く、俺に終戦の願いを託してくれていた。




