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願えば叶うということ❖5


 軍備は万事整った。これ以上の猶予を敵に与えるわけにはいかない。


 流れの速い雲間から差し込む朝日が薄明の筋を作り、荘厳に照らされた禍人領は吹き荒ぶ北風に砂を巻き上げ全貌を隠している。

 凝らした目には延々と続く地平と、屏風のように立ち上がる山脈の影が不吉に待ち構える。


 一方、オロルは横たわるアーミラの前で膝をつき、俺を隣に侍らせると人工毛エクステンションを握らせ、不連続時間へと招いた。


「わしは今、気が立っていてな……乱暴には目を瞑れ」オロルは苛立った様子でアーミラの頬を叩き、呼び掛ける。「アーミラよ。起きぬか、お主には問い質したい事がある」


 停止した星辰に身を拘束され、強かに頬を叩かれるアーミラは痛みに苦悶の表情を浮かべて意識を取り戻す。


「……ぅぐ、……あ、きら、さん……」


 細く開いた瞳は俺を見つめ、微かに気色を浮かべる。


「アーミラ……体は平気か? 痛むところは――」


「後にしろ」オロルは短く俺を制す。「アーミラよ、説明するのじゃ。アキラを蘇生した時、その身に何が起きた?」


 不機嫌そうに窺うオロルに、アーミラは口をぎゅっと引き結び、戸惑うように視線を彷徨わせた。俺は視線を飛ばして言葉を継ぐ。


「その髪が白く変わったことについて分かることはあるのか、……なんでもいい。教えてくれ」


 アーミラははっと顔を強張らせて自身の胸元に視線を落とす。ひと結びに束ねられた髪は絹のように真っ白で、頭巾に隠れた旋毛つむじから全ての髪が白く染まっているだろう。


「……時を止めているとはいえ、わしの気は長くはないぞ。お主の次にはカムロが控えておる。それが終われば次は禍人領へ向かう。分からぬのなら分からぬと言え」


「わ、分かりません……」アーミラは訥々と答える。「アキラは、何も問題ありませんか?」


「俺は……無事だ。ちゃんと生き返った」


「阿呆。人で無くなっとるだろうが」


 オロルは苛立たしげに指摘する。アーミラはその事実を知り下唇を噛んだ。


「禁忌の代償……ですね。術式を展開している時に、揺らいでしまったのが原因です」


 アーミラは泣き出しそうな瞳で俺を見つめ、「ごめんなさい」と呟く。


「お主の髪も、あの時背中に生えた翼も、代償ということか?」


「はい……おそらく……死者蘇生に用いた不壊水晶アダマンタイトを覚えていますか?」と、アーミラ。オロルは頷く。「高純度の魔素を内包しているそれが、術式の途中に底が付きたのです。急遽天球儀の宝玉を代用したのですが、均衡を維持することができず、私自身に跳ね返った……」


「異常が起きたのはわしも見ていた。しかし、止めに入るわしに対してお主は言った。『違う』とな。

 翼を広げ、自ら術式の中へ入りアキラを抱いて続行した……一体何が『違う』のじゃ?」


 オロルの問いにアーミラはまたも返答を詰まらせる。

 あの時あの場で何が起きていたのかを、俺は知らない。


「あれは、ここままでは術式を中断させられると思い、咄嗟に叫んだだけです。

 本当はちゃんと蘇生が出来る。だから止めないで欲しいという意味で、そう叫んだのです」


「わしにはあれが、何かを誤魔化すために咄嗟に叫んだように見えた。何か別の……例えばお主が白髪になることも、翼を生やすことも知っていて、それを誤魔化したいばかりに叫んでいたようにな」


「違います」アーミラは否定する。「私は何も知りません」


 沈黙。互いに視線を外すことはなく、真剣な表情で見つめ合う。

 側から見ていた俺には……正直に言うなら、アーミラが嘘をついているように感じていた。


 確証はないが、何か隠しているような微かな違和を感じていた。


 長く睨み合う二人、オロルも何かを感じ取っているのだろうが、それ以上追求するのは諦めた。


「……まぁ、よい。繰り返すようにわしらは時間がない。お主がわからぬと言うのならこの話は切り上げる。次はカムロじゃ」





 オロルは時を進めると、アーミラは息つく暇もなく儀仗兵達の視線を跳ね返して天球儀の杖の中へと潜って行った。側から見ればアーミラが一瞬の間に意識を取り戻し、立ち上がり、杖の中に消えたことになる。


 ラソマは突然の行動の意味を知るために、オロルに物言いだけな視線を投げかけるが、当のオロルは無視を決めた。


 やがて天球儀の杖からアーミラは戻ってきた。背におぶっているのは意識の朦朧としているカムロの変わり果てた姿……俺は、目を疑う。


 あれが、麻薬オピウムの霧に正気を失ったカムロの姿か!


 落ち窪んだ眼窩は血色の悪いくまをつくり、視点は虚で定まっていない。半端に開かれた口の端からはとろとろと涎が滴り、白く乾いていた。


 魔術でも、呪術でもない。術者の恨みや祈りを起因としない。心を介在せぬが故に心を壊す異質の術。それは俺の元いた世界にも存在する。麻薬だ。


 マーロゥ・メイディ――裏切り者の名を思い浮かべて、俺は拳を固める。すると、オロルは俺の腰を叩き再び人工毛を差し出した。


「カムロの時を早回しして毒を抜くぞ」オロルが言う。


 そうして、カムロの毒抜きにはオロルの独断によって選ばれた俺とオクタとガントールが見届けることとなった。


 星辰は今一度流れを止めて、オロルとその髪を握る三人がこの世界を観測する。

 オクタ曰く、今こうして朦朧としているカムロは、これでも随分回復した方だと言う。


「治癒術式では治らないのか? 怪我も病気も治せるんだろ?」俺は縋るようにオクタに問う。


「麻薬というのは厄介でな、人体を著しく犯しながらも、それを常態としてしまう」


 俺は意味を理解できずに戸惑うと、オロルは詳しく説明を続けてくれた。


「病気や怪我というのは一時的な『負』であり、取り払えば『平』へ……つまり元の健常な状態へ回復する。じゃが魔呪術を用いずに天然の鴉片アヘンから精製した麻薬オピウムとなれば、『負』は一時的なものではなくなる」


 一言で言えば、壊れた状態が『平』となる。オロルの言うことはそういうことだった。


「そんな……カムロ隊長は、二度と戻らないのですか……!?」オクタは嘆く。


「マーロゥという間者うかみは敵ながら相当に用意周到な男。手強い奴じゃがこれ程の鴉片を調達できるとは思えぬ。少なからず魔呪術でかさ増しをしているじゃろう……それを期待して毒を抜き、治癒するほかない。

 どれだけ平へ戻り、どれだけ負を残すかはわからぬ」


「そんな……」オクタは絶望に肩を落とし、俺とガントールに視線を投げた。


 彼の、藁をも掴むような悲観の瞳に俺とガントールは居心地の悪い気持ちだった。俺は望み薄ながら提案する。


「お、オロル……例えばなんだが、時間を巻き戻すことは――」


「できぬ」


 一蹴。

 オロルだって辛い役回りだろうに、淡々と事実を並べて俺達を諭す。


「柱時計の神器を継承したわしであっても、時を遡ることはできなかった。

 ……わしにできることは、正しく時を刻むことと、明晰に思考することだけじゃ」


 オロルの言葉尻は、微かに揺れていた。

 やり直したい出来事はいくらでもある。できるならとっくにそうしている。俺はそれをわかっていたじゃないか。


「……では、よいな」オロルは俺達の同意を求める。「ここから先は時を進める。カムロに至っては早回し……禁断症状によって発狂するじゃろうから、アキラはカムロを抑えてくれ。オクタとガントールは、皆が混乱せぬように近付けさせるな」


 俺達は視線を交わし合い、覚悟を決めると頷いた。

 圧縮された時の流れによって代謝を高め、毒を抜く。もちろんカムロの精神は色濃い狂気と苦痛に責められるだろう。生命力に賭けた強引な方法だ。しかし、禍人領へ向かうとなれば今のカムロを天球儀の杖の中で匿い続けるわけにはいかないのだ。


 オロルが時を進めると間髪いれずに俺は蓋碗を伸ばしのしかかるようにして手脚を拘束した。こうも好き勝手にされているのにカムロは抵抗一つせず、呆けた視線もゆらゆらとこちらを見ることも無かった。


 地べたに仰向けに拘束されているカムロは、譫言のように言葉にならない声を吐き出す。開ききった瞳孔の奥に僅かでも理性が残ってはいないかと覗き込むが、そこには果てのない虚が口を開けていた。


 背後では俄かに色めき立ち騒然とする儀仗兵の声と、それを宥めるガントールとオクタの声。事情説明に努め、何人たりとも近付くことはなかった。


 オロルはカムロの頭側に移動すると、膝を折って両手を開いた。掌に刻まれた三女継承の刻印がちりちりと光り、カムロの頭部付近は蜃気楼のような揺らぎが発生する。


「あがッ――」


 断末魔にも似た短い叫び。顎が外れるのではないかと思うほど開かれた口から舌を突き出して可聴音域から外れた声ならぬ声が耳鳴りのように届く。


 カムロの時間は加速し始め、首から上が目にも留まらぬ速さで痙攣する。

 少し遅れて、四肢は暴れ出す。時間がずれているのだ。


 指先の動き一つとってもおぞましく、人とは別の生き物のようにひたすらに踠き、暴れ回る身体に込められた力はたがが外れている。

 このままでは骨が折れてしまうのではないかと案じて俺は手元を弛める――次の刹那には鳩尾に蹴りをくらい、悶絶する。


「馬鹿!」ガントールが声を飛ばして駆け寄った。「しっかり押さえないと危険だ」


「折れるんじゃないかって……」俺はこみ上げる胃液を飲み込み、言い訳をする。


「むしろ手を離したら余計に危ないだろ」ガントールは俺に代わってカムロの脚に組み付いた。「腹の上にしっかり乗れ。首を抑えて口を塞げ。暴れさせるな」


 俺は躊躇いながらもカムロの上に乗る。しかし、口を塞ぐものは手元にない。今も首だけを振り回して気の触れた叫びを上げるカムロに、俺は腕を差し出した。


「何してる!? 布を噛ませればいいだろ」ガントールはまたも声を荒げる。


「ごめん、慌てた……」


「謝らなくていい。それより痛むだろう」


 ガントールの言う通り、痛かった。

 カムロは獣のように目を剥いて深々と歯を腕に沈ませる。

 荒く息を吐く度に笛のような音が鳴り、喉の奥から唸りを上げる。時折獣がそうするように首を振り回すと、腕の肉が噛み千切られそうになる……だが、痛みを感じられることに、俺は少し安心していた。


「痛いよ。それだけ人間性が残ってるってことでしょ……?」


 俺の言葉にガントールは困惑し閉口した。カムロが三度みたび首を振り、俺の腕はぱきぱきと硬質な音を立てて肉が裂けた。


 痛みに眉を寄せ、カムロの口元を見る。俺の肉は緋緋色金を多量に含んだ特異なもので、流れる血は下へ垂れずに裂け目に繋がる。

 滴るのはカムロの口元から流れる血と涎。そして額に滲む脂汗と失禁。俺は毒を抜くという事がどういう結果に繋がるかを今更に理解して、カムロの顔を窺う。


 カムロは血の昇った顔に青筋を浮かべて大きく仰け反ると、僅か一時ひととき――カムロにしてみればどれだけ長い時間だろうか――双眸に知性の火を宿して俺を見つめ、涙を溜める――毒が抜けた!


「おい、オロル!」俺は早回しを止めるよう呼びかける。


 正気を取り戻したかに見えたカムロは、圧縮された時から解放されると、ふっと気を失った。

 四肢の力が抜けて、荒れた土の上に伸びる。


 深く刺さっていたカムロの口が腕から離れ、ゆっくりと抜けていく。憑き物が取れたように眠るその顔は安らかに見えるが、生気も感じられない。オロルの練り上げる術式は早回しから治癒の光へ切り替わった。俺は立ち上がるとオロルに詰め寄る。


「……どう、なった……?」


「毒は確かに抜けた。汗や尿として体外へ排出されたが、治癒でどれだけ元に戻るか……」オロルは呟き、空を睨む。


 視線の先、遥か南方禍人領より飛来する魔獣の影。


 既に体躯の小さい烏のようなものは俺達を無視して内地へと向かっている。敵の攻撃が始まろうとしているのだ。


「もう猶予はないな……ラソマ! ランダリアン!」オロルは二人を呼ぶ。「カムロを連れてアウロラまで戻れ、内地の生き残りが集まっているかもしれぬ」


「戻れだと!? オロル様、お言葉ですが私は勇名を持つ者です。禍人種と充分に渡り合えます」ランダリアンは食い下がる。


「そんな事は知っておる。じゃがお主に儀仗兵を仕切る事は出来ぬ。戦力とは数じゃ、イクスを中心とした儀仗兵を残し、お主は戻れ」


「なら――」カムロを正気に戻し、全員で向かえばいい。


「カムロは連れて行けぬ。禍人領はわしらが引き受ける。手薄となった内地へはこれから魔獣が押し寄せるじゃろう。見ろ! あの鳥を!! その脅威から推して国を護れ。

 ランダリアン、お主じゃから頼んでおる」


 オロルの殺し文句にランダリアンはぐっと言葉を飲み込み、承諾した。隠密近衛隊隊長としての身分を隠している彼の素性を知ってか知らずかはわからないが、実力を見抜いているからこそ、手薄の内地を任せると決めたのだ。


「ラソマよ、わかっておると思うが改めて頼む。チクタクに眠らせている戦闘魔道具アルテマ・マギを使いこなせるのはお主しかおらぬ。カムロの事も頼んだぞ」


 その言葉にラソマは諾々と従う。国王と従者の間柄であり、既に信頼は厚い。

 リナルディの地で手負いの儀仗兵数人も内地側へと付かせて、限りある戦力を二分する。


 限られた時間の中で最善は尽くした。南方の空を魑魅魍魎ちみもうりょうが覆う中、俺達は進軍を始める。


 未だ見ぬ禍人領の果て、牙城へ攻める者の内訳は、一騎当千の三女神ホーライ継承者の三人と俺、そしてイクスの率いる儀仗兵十三名。


 その兵力差を具体的な数字で計上することは難しいが、オロルの言う通り『戦力とは数』である。いさおしく胸を張るには敵の余力は未知数……心許無く、皆の心の中には確かに『死』という一字が浮かび、消える事はなかった。

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