出征の日❖1
アーミラが床に座ったまま眠りそうなので、俺は抱き上げてベッドに運ぶ。
――ほら、眠るならベッドに行けよ……っと。
ベッドの上にアーミラを横たわらせて、上から毛布を掛ける。
「…アキラ」
――お、なんだ?
「……なんでもない」アーミラはしばらく何か言いたそうな顔をしたが、寝返りを打って、俺に背を向ける形になる。
――明日は式典当日だろ。なんか緊張してくるけど、アーミラはしっかり寝とけよ。
俺は眠らないけど。
「…うん。おやすみ」
――うぃ、おやすみ。
俺は驚異の部屋の階段を降りる。
「…ありがと…」
アーミラが何か呟いた気がして振り返るが、空耳だったようだ。
驚異の部屋を出て、次女の間を後にする。
宿のロビーまで行くと、ガントールとオロルが椅子に座って寛いでいた。
柱に取り付けられた時計を見ると二十一時。
「来たか」ガントールが俺に気付いて手を振る。
――アーミラは眠ったよ。
「ほう。であれば挨拶は明日になりそうじゃな」オロルはそう言って、椅子の上で胡座を組む。「アキラ・アマトラ……じゃな。先刻は見苦しい姿を見せてしまった」
――気分はもういいのですか?
「わしだけにそんな態度をするのも苦しかろう。アーミラやガントールと同じようにしてくれて良い」オロルは金色の瞳で俺を見つめる。
――わかった。……三女神だなんて知らないでガントールに話しかけたら、ボコボコに殴られてな、畏まってたんだ。
「おいおいアキラ殿!? ただの組手だろ?」ガントールは抗議する。もちろん冗談だと理解しているらしく、顔は笑っていた。
「おほん。…今更だが、改めて名乗らせてもらう。わしはチクタク・オロル・トゥールバッハ。三女神の三女。柱時計の継承者じゃ」オロルと呼んでくれていい。と締めくくる。
――よろしく。
俺は手を差し出し、握手をする。
キィン……
オロルが俺の手を掴むと、俺の内部で硬質な音が反響した。
何か違和感を覚えて、オロルを見ると、口の端を吊り上げて笑っている。
「『アマトラ』か……勇名とは、よく言ったものじゃ」
オロルは含みのある言い方でそう呟いた。賢人種とは、子供のような見た目に反して相当なやり手らしい。おそらく鎧の中身が空であることを悟られた。
ロビーは緊張感に包まれる。
――ガントールから聞いたのか?
俺はオロルに言う。
「ガントールからは何も。わしは呪術を得意とする。生き物に対して行う術じゃ」
オロルは詳しく説明してはくれないが、おそらく、握手した時に呪術を行った。それが弾かれて、俺に生き物としての器――肉体――が無い事を知ったのだろう。
――ガントールにも話したし、理解してくれている。
俺はオロルの手を離して、椅子に座る。横で聞いているガントールは鋭い視線で事態を傍観している。
「なら、何も言うまい。つまらんことはしない主義じゃ」
――助かるよ。
微かに漂う張り詰めた空気は、静かに流れて行った。
❖
三人でテーブルを囲んで椅子に座る。
「結局全員にばれたな」ガントールは背凭れに身を預けてぼんやりと壁画を眺める。
「隠す努力をしておらんのじゃから、当然じゃろう。声も生き物のそれでは無い」
オロルの指摘はもっともだ。俺の声は鎧の中で反響してしまい、金属的な響きがある。
――なら、どうすれば……?
この世界に来てまだ一週間も経っていない。他力本願で情けないが、ここはオロルに頼らせてもらう。
「…ここで話す事でもあるまい。わしの部屋に集まるのじゃ」オロルはそう言って立ち上がり、三女の間に案内する。
❖
「アキラ・アマトラは、勇名の者…に擬装した戦闘魔導具じゃ」
オロルは唐突にそんな事を言う。
「…むむむ? つまり、人じゃないってこと?」ガントールは首を傾げる。
――いや、俺は人間だぞ?
「わしにはまだ、アキラがなぜ肉体を持っておらんのか、事情がわからんが……大方、禁忌に手を出したのであろう?
これから旅を共にするのであれば、禁忌の存在である事は悟られてはならん」オロルは至極真面目な顔をして、ベッドに腰掛ける。「二人も楽にしてくれ」と椅子を勧められて、ガントールと俺も椅子に腰掛けた。
オロルは説明を続ける。
「…わしには、何故アキラがここまで来れたのかわからん。
禁忌に手を出して、肉体を失っている。そして纏う鎧は骨董品。知識のある者がアキラを見ればすぐに目に付く。
存在そのものがデタラメなのじゃ」
――そうだったのか……。
「その態度も、じゃ。
歴戦を潜り抜けた者の反応ではない。
勇名の者ならば、まず若過ぎる。
不安を煽る言い方をさせて貰うが、今頃は神殿の者が調べまわっているじゃろう。『アキラ・アマトラとは何者か?』とな」
――そんな!?
「…じゃから、こう名乗れ。『私は勇名の者に擬装した戦闘魔導具である』と。製作者は、アーミラで問題なかろう」
オロルが入っていることは、つまり、『人間として振る舞うな』ということだ。
――わ、わかった。
「ならよろしい。…あまり長居すると、わしらも怪しまれる。明日に備えてもう寝る。二人も部屋に戻るのじゃ。よいな?」
俺とガントールは頷く。オロルが居なかったら、俺はどうなっていた事か。
もっと異世界に対して警戒しなければいけない。
面倒な体だ。
焦眉の急、アーミラが起き次第、口裏を合わせるために話し合おう。
……しかし、異変は夜明け前の闇夜に発生した。
❖
俺はアーミラの部屋で朝が来るのをじっと待っていたのだが、その時に廊下から足跡が聞こえてきた。
コツ、コツ、コツ。
ヒールのある靴。女性だ。その足音はここまで近付くと歩みを止める。
コンコンコン。
今度は扉を叩く音。この部屋ではない。
向かいの部屋、俺に用意された部屋だ。
誰だろうか?呼びかける声が無い。ガントールやオロルなら、何かしら声をかける筈なのだ。何故なら俺が眠らない事を知っているから。
怪しい。
そう思い、俺はじっとして耳を澄ませる。
ガチリ。…キィ……。
部屋の扉を開けた……!?
確実に怪しい。そして何より、その足音の主は俺を探している。
オロルが言っていた事を思い出す。…神殿の者が調べまわっている。と。
そして、オロルはこうも言っていた。自身のことは『勇名の者に擬装した戦闘魔導具』と名乗れ。と。
カチャン。
扉が閉まる音。そして。
コンコンコン。
次女の間――つまりこの部屋――に来た!
そして、鍵が開けられる。マスターキーを持っているのか。
俺は静止したまま、視界に広がる光景を見つめる。
「アキラ様。ここに居られるとは」
足音の犯人はカムロだった。
カムロは俺を見つけると真っ直ぐに近付いて来た。平然と話しかけてきたが、俺は返答に困る。
カムロが何をするつもりかわからない。
俺はただ、静止を保つ。戦闘魔導具のふりをしたいのだが、正解を知らない。
――様子を伺っていたのだ。こんな時間にくるなんて、警戒して当然だろう。
「それは、失礼致しました。ところで、アーミラ様がいらっしゃらないようですが、どちらに?」
杖の中に驚異の部屋があることは知らないらしい。俺は嘘をつく。
――アーミラは宿の外に出た。
「……そうですか、ですが、用があるのはあなたです」カムロの気配が変わる。「…アキラ様。…あなたは何者なのですか?」次の刹那、カムロの掌は俺の鎧に触れていた。
その動きは静かで、驚いたことにガントールよりも速い。
キィィィン……
鎧内部で術が反響する。
オロルが行ったのと同じ、呪術が弾かれるか試したのだ!
まずい状況になった。俺に肉体がないことを、カムロに悟られた。
後手に回ってしまったが、動くしかない…!
――呪術か……。カムロさん。俺に何をしたんだ?
俺は逃げられないようにカムロの腕を掴み、引き止める。
「アキラ様。貴方の存在を、神殿の者で調べました。しかし、経歴も種族もわからないどころか、挙句の果てには板金鎧の価値は国宝級……。
貴方はなんですか……?」
カムロが問う。名乗るなら今だ。
――…俺は、アキラ・アマトラ。勇名の者…に擬装した、戦闘魔導具だ。
「擬装した、…戦闘、魔導具……」カムロは俺の言葉を繰り返して、顔を顰める。
そして睨み合いが続いていたが、結論は出ないと見て、カムロは構えを解く。
「…今日の式典で、改めて審問の場を設けさせていただきます。くれぐれもお逃げにならぬよう、どうかよろしくお願いしますね」カムロは苦い顔をして、俺の手を振りほどくと、一歩下がって一礼すると、部屋を出て行った。
――ふぅ……。
俺はため息を吐いて、緊張を解く。
とりあえずは凌いだが、数時間後には審問が待っている。大変なのはここからだ。






