願えば叶うということ❖4
己の身に起こっている変調とは、人間性の喪失。
俺が一番分かっている。目覚めた時から漠然と感じてはいたのだ。疲労を感じない事、肌寒さに鈍くなった事、腹が減らない事。この感覚には覚えがある。板金鎧として生きていたあの時の感覚に似ている。
それを言葉にして伝えるのは憚られた。この場にいる誰もが自身のことで手一杯だろうことは明確、これ以上気苦労を背負わせては迷惑だろう。
暗い考えを振り払い、俺は目の前の義手に手を添える。元は板金龍から作られたこの腕は材質は緋緋色金であり、依然として俺の意志に従って形状を変化させることができると見えた。
錫のように容易く溶けては玉へと変わり、念を込めて再度展開。耐久性に優れた球体関節の技巧を用いて新たな義手へと生まれ変わった。
「おお……」小さく声を漏らすガントール。俺は口の端を吊り上げて笑む。
「よし、肩につけるから袖をめくってくれ」
鎧腕で義手を持ち、外気に晒したガントールの右肩と嵌め合わせる。内部に仕込まれた魔導回路を傷付けていないはずだから、そのまま動くはずだが。
「どうかな?」
俺の問いにガントールは義手を動かして応える。指先を踊らせて、肘を曲げ、肩を回す。
「ああ、問題ないみたいだ」と、ガントール。表情は随分と落ち着いて見える。腕を取り戻したことで余裕ができたようだ。
「それにしても、この球のような形状は随分と特殊な意匠だな」イクスが言う。
「うん。球体関節って言うんだ……俺の世界ではそれなりによくあるんだけど、この世界では無いらしいね」
俺は答えながらガントールの胸元の金具を取り外し、この身に流れる緋緋色金から新たな留め具を生成してみせた。そして得意げに言葉を続ける。
「球形にする事で衝撃にうんと強くなる上に、構造的に曲げ伸ばした際に隙間が出来ない。合理的だろ?」
得意げな態度をとる俺につられるようにして、イクスの声音は軽くなる。
「へぇ、なんだかよくわからねぇがきっと凄いんだろうな。戦闘魔道具も全部球体関節ってのに取っ替えりゃ今後の戦力も底上げってわけだ。
……やっぱり、お前は凄い奴だよ」
隠しきれない悲哀の響きが交じる。
「お前は本当に立派だ。鎧から人へ、そして今は人から外れた何かへと変わっている。
血の繋がりもない世界を救うために……俺からしてみれば、正直、三女神継承者よりも使命に突き動かされてるように見える……
教えてくれよ、一体何がアキラを駆り立てるんだ?」
詰め寄るようなイクスの問いに俺は言葉に窮して四本の腕を組む。
俺が戦う理由は、目の前で誰かが死ぬのが嫌だからだ。元を辿ればアーミラと初めて出逢った時、彼女にのしかかる重荷を知り、どうしようもなく放っては置けなかった。
さらに遡れば――当時記憶を失っている俺にどれだけ影響があったのかは分からないが――アーミラに妹の面影を重ねていた事が要因だとも言える。大切な人を守り通すという想いは今も確かに胸に刻まれている。
しかし、想いだけでは迫る魔の手を払うことはできない。幸いなことに俺は戦うための体が与えられていた。
板金鎧。俺はアーミラに願われ、堅牢な緋緋色金に魂を宿し戦い、限界を持たぬ体で常人離れした速度で叩き上げられた。
願いと力。その二つが俺を動かしていたのだろう。その果てに鎧腕という一つの極致に至ったのだろうから。
腑に落ちて、解を導き出した俺はイクスに答える。
「きっと、守りたいからだよ。人を助けられる力があって目の前に失われる命があるなら、守りたい。
肩書きや名前、姿を変えて来たけれど、その変化は全部、変わっちゃいけない想いを守るために変わっていたんだと信じたい」
「それがお前の――」
「ああ。これが俺の、勇名の『矜持』ってやつだ」
称えられることのなかった勝利を、辛酸を浴びた敗北を、それと地続きの足跡を意味のあるものだと信じたい。
真っ直ぐに答える俺に、イクスは深く頷いた。
「鬼神に横道無し……か。板金鎧として勇名の者へ上り詰めた想いは純粋だな。ここにきて禍人供への恨み辛みに頼ることもない。
……だからこそ、そのひたすらな想いが五十年、百年を必要とする勇名の域へ至ったということか」
「疲れ知らずの鎧だからできたことだよ。今の俺じゃあすぐに倒れちゃうだろうしね。
人には真似できない最短距離を駆け抜けたと思う。ガントールとイクスを師にしたおかげだよ」
俺の言葉に、面映い記憶を呼び覚ましたかのように二人は目を細め、白く煙る溜息を吐き出した。
「二人の方こそどうなんだよ? 何のために戦うのか」俺は問う。
「誰だって初めはアキラと同じさ、誰かを守れる人になりたい……それがいつからか焦げ付いて、争うことそのものが生き方になっちまった」
イクスは座り込んだ膝に肘をついて、仮面を少し持ち上げると指を差し入れて目を擦った。そして続ける。
「生まれる前から続く営みに、人は疑問を持たない。それが当たり前だと錯覚するからな。
もちろん俺もその一人だ。争いの中で育ち、いつかは神が勝利をもたらすと信じていた。大人になれば討伐隊へ志願して、知らぬ間に勇名へたどり着いた。……大義なんてものはなかった」
「当たり前か……」俺はその言葉が耳に残って離れなかった。
今まで続いてきた戦争を誰かが終わらせるのかもしれない。でもきっと、終わらせるのは自分以外の誰かだろうと思っている。
火中に身を置きながら生きる営み。それが間違っていると誰も疑うことができないのだ。
「しかしイクスはここへやって来た。自身が立ち上げた儀仗兵を連れ立って……となれば心情の変化はあったのだろう?」と、ガントール。
「……えぇ、ガントール様の言う通り。心の変化はありましたよ。
ギルスティケーからアキラを見送って暫く、前線では大規模な戦闘が行われ、空は閃光に焼けた。……後にそれが災禍の龍討伐戦と知り、五代目国家建国に全国が湧いた。
歓びに満ちた世界の中で、俺ははっとしたもんだ……『三女神は成し遂げた。俺はこのままでいいのか?』ってな」
イクスの言葉に熱がこもる。
「世界の平和を願いながらも、俺は結局他力本願のまま内地で燻り続けるのか……そう思った時には既に体は動いてた。……あとはわかるだろう? アウロラの屋敷に移り、やれる事を探した。
この戦争を終わらせる。誰かじゃなく、己が立ち上がるべきなんだって本気で思った。
……でも、現実は厳しい。
祝福されるはずの建国式典に、五代目国家は奇襲を受けた。
……悔しかったよ」
「心が折れなかったんだな」
俺の言葉にイクスは曖昧に頷く。
「折れた……と、思う。あの時は無力さに打ちひしがれるばかりだった。
だけど、ナルは言ってくれたんだ――」
『貴方は無力ではありません。仮面の下に隠した傷を私は知っています。その傷に引き換えて助かった命は、私の父なのです』ってな。
「驚いたよ。それと同時に合点がいった。なぜ俺を慕うのか。
ナルは俺が助けた部下の娘だったんだ。そして、こうも言った。
『諦めない者だけが明日を生きられる』……それはずっと昔、俺がナルの父に言った言葉だ。
こんな風に俺の元へ巡ってくるなんて思わなかったが、お陰で灯は消えなかった。ここで諦めたら当時の俺に顔向けできねぇからな。
……だから、何のために戦うかといえば、終わらせるためだな」
イクスは諧謔に締めくくり、笑ってみせた。
「ナルとイクスにそんな繋がりがあったとはな……」ガントールは感慨深げに声を漏らす。「人に歴史あり。ということか」
「それじゃあ、今度はガントール様の歴史を是非」イクスは恥ずかしさを誤魔化すように、ガントールに促した。「……って、継承者は生まれた時から刻印があるのか」
「いや、実はその伝承とは違うんだ」ガントールは否定する。「私とアーミラは刻印を持たずに生を受けた」
「あ――」俺は思わず声を漏らす。「オロルもそうなんだ。五代目継承者は全員、後天的に刻印を宿したんだって。……もしかしたらその伝承は間違ってるのかもしれない」
「そうなのか? ……まぁ、とにかく生まれた時から使命を背負っていたわけではないよ。
ラーンマクの辺境伯であるリナルディ家の長女として生まれた私は、継承者とは別に前線防衛の使命に生きていた。イクスと同じように、生まれる前からある世界の姿に疑問を持たなかったんだ」
俺は膝を向けてガントールの話に耳を傾ける。イクスの話もそうだが、この世界に住む彼等の話を聞くのが存外にも面白い。
アーミラが目を覚ましたら聞くことができるだろうか。白く変色した髪のこと、背中に生えた翼のこと、頑なに話そうとしない過去のことを。
「前線防衛の使命に生き、討伐隊の麒麟児とも呼ばれ成人を迎えた。当時の私には、いっそこのままでもいいとさえ思っていたんだ。前線が動かなければ、万事問題ない平和な世界であるとさえ思っていた」
「……しかし、刻印が宿った」イクスは先を促す。
「そう……あとは皆が知る通り、今に至るよ。だから何のために戦うかと言われても、私は未だに解を持たない」
ガントールはそこで物悲しい顔に変わる。
「万物の重さを量り罪を裁く天秤継承者が、そのくせ自身に確固たる正義を持たないというのは少し皮肉が過ぎるな。
アーミラに言われたんだ。『貴女が裁いて下さい』と。……死者蘇生の禁忌に対し、『許せないならば私を殺せ』と迫られ、気付かされたよ」
「……そんな事が……」俺はにわかには信じられず、驚いた。
「アーミラ様は時折、俺たちを跳ね除ける強さを垣間見せる……アキラは隣で見て来ただろう?」イクスは言う。
そうだ。アーミラは臆病なようで芯の通った女性だ。弱音を吐いたことは数あれど使命や責務から逃げ出したことは無かった。
その強さと脆さを側で見ていたからこそ、俺は守りたいと思ったのだ。
ガントールは続ける。
「私はその時、初めて自分の心で善悪を決めた。禁忌を行うアーミラを無罪と断じた。
……正直、怖かったよ。鬼気迫るものがあったし、斬首剣はアーミラを殺してでも止めろと私を駆り立てていた。
それでもアーミラを殺すことを私は良しとしなかったんだ。後悔はしてない」
ガントールが一区切りつけて立ち上がると、アーミラの側に膝をついてそっと頬を撫でた。
もしガントールがアーミラの首を刎ねていたならば、俺もここには居ないのだ。ガントールは賢明な判断を下したのだと信じるしかない。
代償として起きたアーミラの身体異常と、俺の人間性の喪失については、天秤にかけても釣り合わない軽い対価だろう。




