願えば叶うということ❖2
「アーミラ……もう何も言わない方がいい」
ガントールは言う。
「アキラを生き返らせることが罪ではないと、私に言わせた。……だが後からそのように語られては、私には立つ瀬が無いよ」
悲しみと、怒り。
唇を噛み小さく震えるガントール。それは裁きの剣による衝動ではなく、不甲斐ない忸怩による憤りだった。
「……なるほど、浅学で未熟者だったお主が板金鎧にアキラを宿すに至るまでのことは理解した」と、オロル。「こと禁忌に関しては、誰にも見つからずに没頭する環境があったというわけじゃな……。皆はもう身体を休めよ。見世物ではないと知ったであろう」
そうして、アーミラは黙々と円の中で術式を構築することに努め、俺達儀仗兵は精魂尽きた体を篝火に温めながら、無理矢理にでも眠ることにした。
❖――視点:アーミラ
疲れ果て、泥のように眠る彼らの姿を視界の端に見る。
彼らが最後に残した視線は形容しがたい拒絶の色……覚悟していたとはいえ、私の半生は人に語るにはあまりに歪んでいる。
だからこそ人と関わらずに生きてきたのだ。国王として生きる中、幸福な日々に私は忘れていたように思う。
残るオロルとガントールに対し私は頭巾を目深に被り視界に入らないようにした。どのような言葉を投げかけられても、きっと荒んだ心では受け止めることはできないと知っている。今は友の目さえも合わせられそうにない。
服に付いた血を一口舐める。アキラの血液……緋緋色金を操るためには血液情報を取り込み親和性を高める必要がある。でなければ私の言葉に緋緋色金は従わないだろう。
失血した分の血液の補填と魂の再定着。そのはじめとして、私は暗唱する。
――爾、主君の血潮と成りなさい。
アキラの身体を覆う蓋碗――緋緋色金は私の呼びかけに応えるように、そろそろと溶け出し、地面に染み込んだアキラの血と、精錬血を吸収し始めた。
辺り一面に液体金属が膜を張り、篝火の光を反射してきらきらと輝く。私の法衣にも枝を伸ばし、張り付いた血糊を取り去る。次第に赤く染まる緋緋色金はアキラの身体を這い始める。
「大丈夫なんじゃろうな……」オロルは問う。
「はい。順調です。失った血は全てアキラの体内に戻りますよ」
「そうではない。血に緋緋色金が混ざることで、アキラは存在の連続性を維持できるのかということじゃ」
その問いに私はすぐに答えられない。確定要素のない大きな賭けだ。
「どう言うことだ?」と、ガントールは首を傾げる。
私の沈黙を代弁するように、返答は別の所から来た。
「連続性……つまりは以前のアキラと同一と呼べるか。ということです。
精錬血を輸血に用いる時点でも危ういのに、その上緋緋色金まで体内に取り込んだアキラ様は、記憶や人格に変調が起こるかもしれませんし、連続性以前に、人と呼べるかさえも怪しいのです」
熱に浮かされたように饒舌に語るラソマは、ふと我に帰りぎこちない笑顔を浮かべて続ける。
「すみません。見世物ではないと知りつつも、三女神の禁忌を前に、とても眠りにつくことができませんでした」
そう言って頭を下げるラソマに、オロルは鼻を鳴らして言う。
「であれば、五代目の守護を引き継げ。わしと交代じゃ。やり方はわかるな?」
「『一人で足りる拍手喝采』……ですね。承知致しました」
ラソマは笑みを作り、オロルから差し出された人工毛を受け取る。
毛の房の中に隠されていた一際太い綱。ラソマはその根元を自身の髪の中に潜らせては頭皮に差し込むように取り付けた。
「それはなんだ?」ガントールは説明を求めながらも項垂れる。どうせ聞いても理解に苦しむだけだと予感しているようだ。
「オロル様の魔道具にございます。頭部に接続することで自国の戦闘魔道具と感覚を共有することが可能なのです。
現在も五代目のチクタクとアウロラの二国は敵の侵入を許してはいません」と、ラソマは我が事のように手柄顔で言う。
「魔道具に人格を複写する――嘘から出た実じゃな」と、オロル。
「それもまた、魔呪術か……二人がいつのまにか遠くに感じるよ」
「まさか、むしろわしはやっと追いついた気持ちじゃ。迫る凶刃を捩じ伏せ斬り払うその背に、何度も助けられたのじゃから」
私は二人の会話を黙って聞いていた。
遠くに感じているのも、やっと追いついた気持ちでいるのも私だと言いたいのに、今は何も話す気にはなれない。一人密かに魔力を練り上げて、アキラの傷口から体内へと潜り込んだ緋緋色金に循環を促す。
「……オロルさん。アキラの時を動かして下さい」と、私。
「む、では死者蘇生を始めるのじゃな」
オロルの言葉に頷く。
ラソマは居住まいを正して全てを見届ける姿勢を示した。
「では……アキラを頼んだぞ」オロルはそう言って手を前に掲げ、そして空を払うように横へ滑らせた。時が動きだす。
アキラの体は再び死の淵へと進み始める。その腐敗を上回る速さで命を救い上げなければならない。私は詠唱する。
「『ふるべ ゆらゆらと ふるべ』……」
アキラが用いていた唯一の言葉。奇しくもそれが死者蘇生の言であると彼は語っていた。果たしてこれは偶然の出来事なのだろうか。あるいはなにか、それこそ神の見えざる手が紡いだ運命なのか――
ひゅう。と、呼吸の音が一つ。アキラの体内に満たされた緋緋色金が肺を膨らませているのだ。
「これは……」ラソマが呟き、指をさす。
とろりとした合金の血が覆う首の裂傷。そこに金属の瘡蓋が形成され、見る間に塞がってゆく。
少しずつ、少しずつ変化していくアキラの身体。
内部に満たされた血潮によって不随意に全身が痙攣を始める。
「あ、ふ……」アキラの喉から漏れる声。
意識が戻ったわけではない。これもまた不随意の反応だ。そして、アキラの体は雷に打たれたかのように大きく仰け反った。
息を呑んで四人が見守る中、微かに耳に届く心音に私達は顔を見合わせる。
「これって……!」
空耳ではない。ましてや己の心音でもない。
緋緋色金によって循環する血液の音。鼓を叩くような力強い脈動。それに伴い全身へ行き渡る人ならざる血液。
アキラの心臓を緋緋色金が揉んでいる――蘇生だ。
一度切りとガントールに与えられた機会。私はいっそう魔力を練り上げ、不壊水晶を確認する。一生かけても尽きることのない魔力を内包すると謳われる魔鉱石であるはずの不壊水晶が、見る間に輝きを曇らせている!
――まさか、これでは足りない……!?
大量の緋緋色金を操るには、これですら足りないのか、滲む汗をそのままに私は天球儀の杖に嵌め込まれた宝玉に手を伸ばす。神器の宝玉ならば内包する魔力は無尽蔵。しかし、禁術素材との親和性は低く不安定だ。
循環と蘇生。複雑な処理を身一つで制御するには、意識を高い領域で維持し続ける必要がある。その中で私は自身の制御にまで手が回らなくなっていることに自覚した。
――いけない……!
頭巾の中で頭を擡げ主張するもの。
背に隠したものが法衣の拘束を解かんばかりに暴れ始める……!
「アーミラ……なんだ、それは……?」ガントールの声に緊張が走る。
纏う法衣の背面が大きく膨らみ、衣服を突き破り外気にさらされた翼。
隠さなければならないのに、今はアキラの事だけで手一杯だ。
「み、見ないで下さい!」私は必死に叫ぶ。
動揺に集中力を欠いた魔力は著しく弱まり揺らぐ。アキラの蘇生は制御を失って肢体が暴れまわる。内部に満たされている緋緋色金が制御を失っているのだ!
「駄目っ、お願い! 生き返って……!!」
「アーミラ! 今すぐ止めるのじゃ!! お主の体にまで異変が起きておる!!」オロルの制止に私は首を振る。
「違う! 違うの、禁忌のせいじゃありません!」
再び意識を集中させてアキラの蘇生を継続する。緋緋色金は精錬血とアキラの血に親和性を高め一体化するところまで来ているのだ。私の手元が狂わぬ限り生き返る。生き返せる! あと少しなのに!!
盛り上がる頭巾から今にも頭角が露わになりそうだ。私は咄嗟に頭巾を抑えてしまう。
――あ……
練り上げた魔力はそこで大きく揺らいで霧散する。アキラの体は糸が切れたように地に倒れた。
――まだ……諦めたくない!
蘇生の希望は潰えるか、八方塞がりの中で私はなりふり構わず円の中へと駆け出してアキラを抱いた。
発動する術式の稲光が容赦なく身を焦がす。禁術の陣の中は術者の私さえ不可侵の領域だ。激しい痛みに背中の翼はいよいよ抑えを失い、オロル達の前でのたうちまわるように羽ばたき、もう見間違いだと言い逃れることは出来そうにない。
ならばもういっそ、アキラだけに集中してしまえ。
「ふ、るべ……ゆらゆら、と……! ふるべ……!!」
稲光に裂ける皮膚から血が噴き出し、全身が激痛に苛まれる。私は目を開けることもできず、遮二無二抱き締めたアキラにしがみついて詠唱の言葉を叫ぶ。
「アーミラ! か、髪の色が……!!」
ガントールが尋常ではない剣幕で叫ぶのが耳に届く。
薄く開いた瞳で見ると、私の髪は毛先から色を失い、白く侵食を始めていた。
「もうよせ! お主まで死ぬかも知れぬ!」
「私は大丈夫ですから! お願い……見ないで下さい!!」
「なら何が起こってるか説明しろ! それは禁忌の反動か!?」オロルが怒声混じりに私に叫ぶ。
陣の内部では絶えず術式が稲光を走らせ、誰も迂闊に近寄れはしない。
説明しろと詰められても、答えられない。言葉にしてはいけないのだ。この秘密だけは……
もはや痛覚は遠く失われた。
私は自身の体と翼で覆いかぶさるようにアキラを抱き締める。
祈りを込めて胸に顔を寄せ、最後に祈る。
「アキラ……生き返って――」
❖――視点:アキラ
ここはどこだ?
不連続の記憶。
首を切られて意識を失ったのがおそらくは最後の記憶だろう。
ここは驚異の部屋でも神殿でも、最奥寝所でもない。
四方に壁らしい継目は見当たらず、どこまでも薄ぼんやりとした霧に包まれている。
果てのないような夢幻の空間。多少の事には慣れてきたと思うが、目が覚めて見知らぬ場所にいるというのはとてつもない不安感に襲われる。
体を確かめる。鎧腕こそないものの、腰巻に生成を纏った変わらぬ姿だ。
掻き斬られたはずの首に指を這わせそっと撫でてみる。痛みはない。皮膚は最初から何もなかったかのように繋がっている。
「精神、世界……か」
この状況には心当たりがある。ヴィオーシュヌ神に眠らされた時と似ているのだ。呼び出されているのならば、納得できる。
「おーい」
俺は神を探す。
声はどこか現実味のない響きを持って、辺りに広がる。
「いるんだろう?」
呼びかけは残響を残すこともなく溶けて消える。この孤独感には別の場所を想起させた。
核。
板金鎧に魂を宿していた時、そこに閉じ込められたことがある。ここはそこに似ているが、雰囲気は同一のものとは思えない。
とても似ていて、少し違う。
まずは俺がどうなっているのか、冷静に調べるべきだ。この靄に包まれた空間にも、出口があるのかもしれない。そう思い至り、方角も分からないまま前に進む。
歩けば歩くほど、この空間の広さを思い知る。足元も覚束ない。もしかしたら一歩たりとも進むことは叶わないのではないかとさえ……いや、よそう。そんな風に恐怖を増長させて何になる。俺は俺を信じると決めたんだ。
歩き続けてどれほどの時が経っただろうか、ふと前方に人影を見る。靄に輪郭が融けて不明瞭ではあるが、それはこちらに向かって歩いていた。
声をかけることもなく、息を潜めて身構える。この世界で果たして敵というものがいるかどうかはわからない。しかし、俺が首を切られたのはまさに歩いてくる者に心を許したからではないか。
靄を払い、それは俺の目の前に現れた。
「板金鎧……!」
向かい合うそれは疑いようもない。もう一つの俺の体。
双眸に開かれた穴を見つめる。そこに意思は伺えず、俺と向かい合ってからは魂が抜けたように動きがない。
不安が募る中で見守ること数刻、金属の擦れる音と共に板金鎧は右手を持ち上げた。
人差し指を静かに立てて靄の先を一点に指し示す。
「そこに向かって歩けばいいのか?」
俺が問うと、板金鎧は首を横に降る。そして、おもむろに向きを変えると、示した方向へと駆け出した。
「待っ……!」
突然のとこに驚き、追いかけようとした俺に異変が起きる。
体が重い。全身の血が全て鉛に変わってしまったのではないかと思うほどに手足が怠くなる。
しかし、痛む訳ではない。呼び止めようと顔をあげると板金鎧は俺が走り出す事を待っていた。
「なんなんだよ……試しているのか……?」
俺は何もわからぬまま重い体に力を込めて、一歩、また一歩と足を動かした。




