魔呪術無効❖2
思いもよらぬところから解決の緒を手に入れた俺達は、その後一晩、様々な議論を交わし合った。
発案者であるオクタ本人は特に深い考えがあった訳ではなかったが、名案だと褒められると手柄顔ではにかんだのだった。
『四本腕』という新しい試みに俺は心が躍り寝付けない。
板金龍の翼を元に、必要最低限の防具を纏う。機動性に重きを置いた一撃離脱の戦法はよりガントール流に近い戦闘を可能とするだろう。
板金鎧を全身に纏うよりも体に負担がなく、手数の利を活かすことも可能だと、カムロも納得した。
希望がある。また戦える。
アーミラに会える。
そう思うと俺はなかなか寝付けない。
皆が寝静まった後も見張り番相手に延々と話し続け、終いには宿の露台で毛布にくるまって眠っていた。その様はまるで子供のようだったと、幌車の中では散々笑い草にされることとなった。
兎も角、一行はマグダリアから南下。
午前を移動に費やして幌車は三代目次女国家アレテーの地を踏んだ。
「起きて下さいアキラ・アマトラ。楽しみにしていた稽古の時間ですよ」
ザルマカシムに揺すり起こされる。昨夜は遅くまで起きていたせいか、どうやら幌に揺られているうちに眠ってしまったらしい。
「昨日あれだけ楽しみしていたでしょうに。さぁ、起きて下さい」
その言葉を耳にして、意識は急速に覚醒する。
渋い目も気にせず見開いて、横たえた身を飛び起こすとすぐに安置されていた板金鎧を操って見せた。
鎧はごとりと重い音を立てて両腕肩部から下を溶かし落とす。
床に転がる腕はぐにゃりと形を変え、俺の第三、第四の腕として機能するように最適化された。
「……おはよう。ザルマカシム」俺は寝癖をわしわしと掻き乱して大雑把に整える。
「すっかり目が覚めましたね」
「もちろん。早速取り掛かろう」
❖
魂の複写を低負荷で実現することを趣旨として考案されたこの鎧腕。板金鎧を利用して俺の身体を覆うそれは、肩部に追加された腕だけではなく、肘や膝など各部関節にも補助としての鎧が配され、この世界では見慣れない、かなり近代的な造形となった。
意匠は板金鎧とは異なり、有機的な形状をしている。恐らくは緋緋色金を扱う俺の想像力が反映されたせいだろう。
「見慣れない形状ですね。本当に全身覆わなくてよいのですか?」と、カムロは言う。
「胴も首も、急所は最低限守られてるよ」俺は全身を確かめるように曲げ伸ばしを繰り返しながら答える。「それに、これ以上は重すぎる」
鎧腕の取る戦法は言葉通りの手数と機動力による一対多を想定している。
俺がガントールから教わったのは臨戦弾雨を駆け回り敵の首を刎ねる一撃離脱の超接近戦だ。
肉体の限界に関係なく、気力が底をつく限りは関節に配された鎧が俺を動かし続ける。……どの程度の負荷がかかるかはこれから試す。
「よし、それでは稽古を始めよう」ザルマカシムは模擬戦用の武器を差し出す。が、俺は受け取らない。
勝気に笑みを作り、腰元にぶら下げた緋緋色金の鉄塊を握る……ぐっと握りこむと指の隙間から溶け出し、鉄塊は形を変えて武器となる。今は刃を立てていない剣となった。
「ふむ……」と、片眉を吊り上げて目の色を変えるザルマカシムを前に、負ける気がしない。
「今日こそは勝つ!」
❖――視点:マーロゥ
植物の根も届かない地下深く。そこには土を被った古い机と椅子が一揃い置かれている。
長い年月によって押し固められた土壁に囲われた洞穴に一人、湿った地面を音も立てずに踏みしめて歩き、深々と椅子に腰掛けた。
吐息は白く、指先はかじかむ。荒い息を抑えると鼻腔は広がり、笛のような音を鳴らす。
私は過敏に逆立った神経を鎮めるために細く息を吐き出すと、瞼を閉じて充分に暗闇に目を慣らした。
そして薬匣から取り出すのは針のない注射器――既に外筒の中には赤い液体が満たされている――押し子に指をかけて慎重に押し出すと手の甲に一雫の血液を乗せた。
とろりとした朱い玉。それは世界で無二の血。鼻先にそっと近づけると、まずはその香りを愉しむ。
始めに広がるのは癖のある硬質な芳香。例えるならば鉄の臭いに近い。そしてその奥に隠れている彼特有の成分。
憎き蕃神ヴィオーシュヌによって与えられた肉体がどんな構成であるかを確かめるように血の匂いに潜む陰影を脳に焼き付ける。それに満足したら次は舌でそっと舐め取る。
唸るような声が自然と漏れる。いつの間にか鼻から自身の血が滴っていることに気付くが、構うものか。
……唾液に混ざらぬように口内で舌を擡げ、口蓋に擦り付けるようにして味わう。
若く新鮮な血は美味い。しかしこの血は独特の硬質な風味が強い。彼が言う『元の世界』で摂取していた食物が影響しているのだろうか。他の動物や人の血とも別の風味があるのはとても興味深い。
気を良くした私は薬匣の引き出しから包みを取り出すとそのまま鼻に押し付けて匂いを楽しむ。包みの中に詰まっている彼の髪が中で優しく押し返す弾力が心地よく頬を擽る。
「……いい……とてもいいですねえ。アキラ・アマトラ……」
おっといけない。
興奮のせいか震えは弱まる。だがそれが一時のものであることは何より私がよく理解していた。手に入れた報酬を愛でるのを止め、懐から油紙を取り出すと中の薬を指で砕き、喉に溜まる鼻血と共に飲み下す。
「こんな所にいたか。ハラヴァン」
背後からの声に私は振り返る。
「……なんだ。ブーツクトゥスではありませんか」
とはいえ、私をハラヴァンと呼ぶ者は限られている。その時点で敵ではないと悟っていた。
「鼻血が垂れているぞ」ブーツクトゥスは割れた舌先を出して舐める動作をする。
「知っていますよ」私は動作を真似るように舌で血を舐め取る。「……む、苦い」
折角残していた彼の血の余韻を消し去る強烈な苦味と痺れに顔を顰める。指で拭えばよかったか。
「薬漬けだからだろ? そればかりに頼るからだ」
「私以外の何を頼れと言うのですか。……それより、首尾はどうです?」
「こっちは問題ない。市場に出回っているのは確認した。今頃は広く人の手に渡ってるだろうよ」ブーツクトゥスは続ける。「むしろそっちはどうなんだ? 四人もやられたんだ、それに見合うだけの成果を期待してる。……でなければ仲間に顔向けできない」
「成果は私が保証しますよ。勇名とかいう厄介者は既に私の術中……生き残る術もありません」
「ならば次に移ろう。……約束通り頼むぞ」
ブーツクトゥスは疲労を誤魔化すように眉間を指で揉んでいる。間者として捧げた年月は長く、叶うなら直ぐにでも祖国へ帰りたいのだろう。
「酷い顔ですねえ。あなたもどうです? 幾分か楽になりますよ」私は冗談めかして油紙から欠片を摘まみ上げる。
「へっ、そりゃ楽になるだろうさ、なんたって麻薬なんだからな」ブーツクトゥスは凄惨な笑みを浮かべて続けた。「もう少しだ。もう少しすれば連中皆廃人さ」
「ええ、その時が楽しみですねえ……」
❖――視点:アキラ
「……アキラ……さん?」
アーミラは動きを止めて茫然と呟く。
ついに辿り着いたデレシス。
俺はアーミラと念願の再会を果たした。
鎧腕を纏い、髪を切り、自身の足でしっかりと立つ俺の姿にアーミラは驚きを隠せない。
口を手で覆い、見る間に目に涙を滲ませるアーミラに近寄り、抱き締めた。
「ただいま」
「……っ」言葉にならず震える喉、アーミラは俺の背に腕を回すと抱き返す。「おかえりなさい……神殿から、そのまま帰ってこないかと思いました……」
なるほど。カムロのやつ、俺が帰ってくることをアーミラに秘密にしていたのか。
ちらりと横目で神族近衛達を見る。脂下がるようなカムロの笑み。その後ろ、彼らの表情はどこか誇らしげに俺たちの再会を見守っていた。
「いやぁ、なかなか外に出られなくてさ。
……けど、必ず戻るって約束しただろう」
ふわりと香る甘い香り。花の蜜のようなその匂いが懐かしい。……そうか、これが彼女の匂いなのか。
前線を離れた時間は濃密で、たった二月の間に様々なことが起きた。円卓での事、最奥寝所での事……
いくつもの夜を一人で過ごしていたが、心はずっとアーミラを思っていた。心に従って選び取ったこの選択が正しかったと証明したい。
「……それより、どうだこの格好! 魔呪術無効の体に接近戦では向かうところ敵なしの鎧腕! カムロにだって負けないぜ」
デレシスまでの道中、ザルマカシムとオクタをまとめて相手にしてみせる程の力を手に入れた。そのかわり精神的負荷は重く疲労は溜まりやすい。
そのせいか幌での移動や宿では眠ってばかりだったが、逆に言えばそれ以外に問題はない。とても良好な成果だった。
俺は腕を組み、鎧腕を腰に添えて雄々しく仁王立ちをしてみせる。
アーミラは涙を指で拭い、微笑んだ。
「……はい。とても格好いいです」
再会を喜び、カムロ達は集まる。
「それでは、改めて再会を果たしたところですが、本題に入らせていただきます」
「本題?」俺は首を傾げる。アーミラと再会する以外の目的とはなんだったか?
そんな俺の思考を見透かしたかの様にカムロは口の端を吊り上げため息を吐く。
「デレシスでアーミラ様と合流した理由はザルマカシムと合わせる事……より正確に言うなら、天球儀の杖に刻まれた文字を解明するためです」
「ほう」と、頷いてみせたものの理解はしていない。解明する事で何か意味があるのだろうか。
「アーミラ様。杖はどこにありますか?」と、カムロ。
「あの杖なら、『涙の盃』付近の宿に置いています」
「承知致しました……では私達もその宿へ参りましょう」
❖
二百年前、四代目次女継承者がこの地で戦い、災禍の龍を滅し国を起こした。それがこの地、デレシスである。
涙の盃とはデレシスの国土の内四割を占める広大な湖のことであり、四代目次女継承者が放った強力な魔術により穿たれた戦禍の跡であることは俺もよく知っている。
名の由来は、その地で命を落としたもの達と関わりがあるようだが、こうして宿の露台から一望する景色は晴れ晴れとして美しい。
「水平線なんて見るの、随分久しぶりだ」
「久しぶり、と言えばアキラさん。預かり物がありますよ」と、アーミラが呼ぶ。
「物見遊山では無いのですよ。部屋の中へ来てくださいアキラさん」と、続いてカムロが俺を呼んだ。
二人に呼ばれて露台から中へ戻ると、天球儀の杖を囲んでザルマカシム達男衆が真剣な表情で車座になっていた。
「……すみません、失礼しますね」と、アーミラは彼らの隙間に足を割り入れて天球儀の内部、驚異の部屋へ潜って行った……と、思えば、すぐに出てきた。
その手に持った得物に気付く。
「部屋で大事に保管していました。イクスから貰った大切なものですよ」
それは俺の戦斧だった。身の丈を超える長物で、イクスから矜恃と共に託され、幾多の戦を共にした得物である。
「ありがとう。やっとこれで全部揃った」俺は礼を言い、戦斧を握りこむ。
この身体で触れるのは初めてだが、不思議なほどに手に馴染む。とはいえ俺の腕力で携えるには些か重たい。これは鎧腕の得物として使おうと決め、第三の腕に渡す。
「それで、皆は解読できそうなのか?」
俺の問いにはヤーハバルが答えた。
「ザルマカシムが少しずつ進めてくれてますよ。私にはさっぱりですがね」
「へえ……」
俺は覗き込むようにして天球儀の支柱部に刻まれた文字を見る。この世界に同期した視覚を持ってしても、やはり俺には読めそうにない。
「……俺にもさっぱりだな。そもそもアーミラはどうだ?」
「読めるならこんな事にはなりませんよ。
……本を正せば、この杖は異質だと思いませんか?」
「異質……?」俺は首を傾げる。「俺からすれば全て異質だぞ」
冗談交じりに答えるとアーミラは頬を膨らませて眉を跳ねあげた。
「そんな冗談じゃなくて、共通点があるんですよ。
歴代の次女継承者が蒐集した品の数々、その中でアキラと同じ世界から来たであろう書と石が収められていましたよね。それに板金鎧もそうですし、アキラだって――」
そこまで言ってアーミラは言い淀む。視線は一瞬、カムロに向けられた後に泳ぎ始めた。
「……もう隠す必要もありませんよ。アーミラ様がアキラの魂を召喚したのも、この杖の中でございましょう」と、カムロはため息交じりに言う。
「……う、……はい。
と、とにかく、共通して言えるのは、アキラの世界とこの世界はこの杖を介して繋がっていると思うのです」
「なんだと……!?」
俺はアーミラの掲げる仮説に驚く。
しかし、思い返せばコンクリートの欠片も、あの漫画も、この杖の中にあった蒐集品だ。
板金鎧や、様々な魔鉱石もそうだ。恐らく、先代の次女継承者によって集められた物だろう。
どうやって俺の世界の品を入手したのかは判らないが、それについてはまさに今ザルマカシムによって手掛かりが掴めそうなところに来ている。
「もしそれが解明できるなら、魔呪術無効の石をより多く手に入れたいのです」と、カムロは言う。
なるほど、今更ながらに目的が見えてきた。
カムロ達は俺の監視兼護衛。内、ザルマカシムはコンクリートを入手する方法を模索。
アーミラは神族近衛隊に協力しながら、自身が持つ天球儀の杖に刻まれた文字が解明されるなら本望。
そして俺はアーミラの元へ戻る。
そこでザルマカシムはふむと鼻を鳴らして控えめに手を挙げる。
「……すみません、解明、できたとは思うのですが……」
奥歯に物が挟まったような口ぶり、解明出来たと言いながらその顔は晴れやかではない。
「この支柱部に刻まれた旧字体の文字を、直訳してみたんですがね」ザルマカシムは難しい顔をして蓄えた髭を撫でる。「それなりに節の繋がりは違和感が無いんですけど、単語自体が特有の名称を多用していて、意味が解りませんね……」
「とりあえずここに、訳を書いて頂けますか?」カムロは宿の文机から鵞ペンと墨瓶、そして一枚の白紙を手渡した。
「承知――」ザルマカシムは胡座のまま手を伸ばして紙とペンを受け取ると、床を机にしてペンを走らせる。俺はその光景に一人言葉を失った。
ペン先から生み出される文字。最初は俺の目には意味を成さない線の集合体にしか映らない。
一語が完成してザルマカシムが点を打つ度に、目の前の黒い線が静かに紙面上で絡まり解れて形を変える。
紙面に起こる変化に気付いているのは俺だけだ。神から与えられた肉体……その視覚によって天球儀の文字は二重に訳されることになる。その決定的瞬間を捉えたのだ。
その訳語をアーミラが代表して声に出して読み上げた。
『此処トハ異ル地球、神ヲ信仰セヌ文明アリ
其ハ繰返サレル繁栄ノ果テ、星喰光ヲ産ム
名ヲ、原爆ト云フ』




