異世界より来る人❖5
❖――視点:カムロ
最奥寝所別室にて、アキラを監視し続ける。
彼は湯浴場に入り気怠げな顔をして湯船に縁に背を預けている。
掌を眺め、次に開閉。指の動きを確かめると、前へ向けた。何をするのだろうか。
腕を向けた前方には水瓶から湯を流す翼人像。アキラは目を閉じて唇を引き結ぶ。魔呪術の真似事だろうか。私はぼんやりと眺め続ける。
案の定、変化は起きない。彼に魔呪術は扱えないのは周知の事実だというのに、当の本人はしきりに首を傾げている。
呑気な事で……と、私は心の中で呟くと、懐にしまっていた水晶球が突然叫び声を上げる。
「カムロ隊長!」
オクタの声。私は慌てて応答する。
「どうしました?」
「鎧が……! 鎧が……!!」
「……鎧とは板金鎧ですか? 一体どうしたのです?」
「勝手に動いてるんですよ! 円卓を歩き回ってる……っ!?」
短い悲鳴を最後にオクタとの会話は途切れてしまった!
何が起きているというのか、私は急ぎ円卓へ向かう――その前に、一つの心当たりがあり、私は監視映像を睨む。まさか……
「アキラが、板金鎧を操っている……!」
❖
円卓へ到着すると、まず目に付いたのはオクタの怯えた姿だった。天を衝く偉丈夫の獣人、神族近衛最右翼と呼び声の高い男が、まるで兎のように震え上がっている。その目は板金鎧を捉えて離さない。
対峙している板金鎧には誰の魂が入っているのか、あるいは本当に幽霊の類いではなかろうか。オクタにはそれが分からず、辛うじて戦士の矜持を持って得物を構えているのである。
対して板金鎧の方は自身の体を確かめるように悠然と眺めていた。その足元にはオクタが落とした水晶球が転がっている……途中で会話が途切れたのはそのせいか。
「オクタ、恐らく板金鎧を操っているのはアキラです。場合によっては戦闘を行いますが、まずは出方を見ましょう」
私はため息混じりに指示を飛ばし、自らも帯刀した得物を構える。
昨晩に起こった円卓の騒動も板金鎧の仕業に間違いない。そして、アキラはまだ操れる事を自覚していない。今も湯浴場で首を傾げているのだろう。
板金鎧はこちらを見ると緩慢とした動作で拳を固め、脇を締めて腰を落とす。肉弾戦の構えをとったが、一連の動作はまるで寝惚けているか、酩酊しているような覚束ないものだ。果たして、どうする。
「……どう、しますか? カムロ隊長」と、オクタは身の丈を超える大剣を握る手に力を込める。「鎧は構えましたよ……!」
「いえ、板金鎧に戦闘の意思があるとはまだ……様子が変です……!」私は驚いて後退る。
板金鎧は拳を構えたまま、形態を変える。
地金の緋緋色金が柔らかく溶け出し、肘、膝、肩や指先に至る関節が不定形に泡立つ。
音も立てずに変化を繰り返す板金鎧の異様さに私とオクタは青ざめ、互いの目を合わせる。もう荒唐無稽な事態は勘弁してほしい。
そんな願いが通じたのか、板金鎧の変化はすぐに収まる。糸が切れたように脱力し、盛大な音を立てて円卓の床に倒れた。私は注意深く近付き、泡立っていた関節部を確かめた。
「……これは……?」
球形。
板金鎧の各関節部は形を変え、中心部で分割された球形に変化した。曲げ伸ばしはその円の中心を間接として滑るように可動するが、これでは人が身に装備することは叶わない。いよいよ鎧としての機能を失うではないか。
この一連の怪現象が何を意味しているのか、どうやらアキラに問い質す必要があるようだ。
❖――視点:アキラ
水瓶を抱える翼人像は指先一つとして動かない。
俺は失意に肩を落とし、最奥寝所に戻る。その時、前方に待つ二人の人影に気付く。一人はオクタ、ならばもう一人はヤーハバルかと思ったが、その予想は裏切られた。
細身の輪郭は女性のもので、頭部は髪を束ねた姿。ならば答えは自明の理。
「カムロ……!」俺は驚き、名を呼ぶ。
奥之院へ俺を連れ出した張の本人。しかしそれは神族近衛隊長として行ったこと。カムロ自身も心を痛めていると聞くが、まさかここで会うことになるとは……どんな顔をして俺の前に現れたのかといえば、意外にも毅然としたものであった。
「……お待ちしておりました。アキラ様」カムロは深々と頭を下げ、部屋に続く扉を開ける。「少々、お伺いしたいことがございます」
「……ああ」俺は短かく応え、促されるまま部屋に入る。
最奥寝所が無人である内に、寝台の毛布や敷布などの全てが綺麗に取り替えられている。侍女によって身の回りのことに不便はないが、翻せば全ての行動が監視下であるという意味でもあった。
俺が寝台の縁に腰をかけると、カムロとオクタは座ることもせずに本題に入る。
「取り急ぎ確認したいことがございます。
アキラ様は今、板金鎧を扱うことは――」
「待て待て待て」俺はカムロの言葉を遮る。「取り急ぐ前に清算するべきことがあるだろう」
不満を隠す事なく、睨め付ける。
はっきり言ってしまえば、謝ってほしい。
カムロもこの神殿に強いられていたとはいえ、心を痛めたというのなら俺に言うべきことがあるはずだ。
「アキラ様……」オクタは俺を止めようとするが、一瞥するとそれ以上は何も言わず押し黙った。
「わかってるよ。カムロが悪いわけじゃない。どうせ前王の命令に従わなきゃいけない立場なんだろうけどさ。それでも俺だって傷付いたし、ひどく裏切られた思いだったんだ。
怒りを手打ちにする一言くらいほしいよ」
俺は言葉にする内に、自然と手に力がこもる。
円卓で内地の国王を舌戦で蹴散らした彼女達の姿。それは俺の目には輝いていた。
前線からデレシス、そして神殿まで行動を共にして築き上げた信頼は偽りでないと信じたい。情けない話だが、落とし所を見つけなければ、俺は悔しさに囚われて先へ進めないのだ。
カムロは一歩俺の前に出ると、膝を付いて頭を垂れ、謝罪の言葉を述べる。
「……アキラ様を奥之院へお連れしたこと、そして最奥寝所へ幽閉したことについて、平にご容赦願います。
ご心痛お察し致しますとともに神族近衛隊長の立場、故に私からは申し開きの言葉もございません。
アキラ様の現状を思えば、その怒りは至極当然のことだと理解しております。
……この度は誠に申し訳御座いませんでした」
膝をつき深々と頭を下げ、縛った後ろ髪ははらりと床に落ちる。俺は一呼吸置いて用意していた言葉を告げる。
「よし、許す」俺は両手を打ち鳴らし、まさに手打ちとした。「それで何の話?」
「アキラ様……?」カムロは付いた膝を立ち上がらせることもせず、戸惑うように顔を上げる。
その後ろに立っていたオクタも目を丸くしていた。何を言おうとしているのかは顔に書いてある。神族近衛隊長がその頭を下げたというのに!
二人の愕然とした顔がおかしくて、俺は握っていた拳で口元を押さえ、笑みを隠した。気付けば固めた拳に込められた力は消えている。
面白いものも見れたことだし、これで手打ちだ。
「何だよ二人して、取り急ぐんだろ?」
くつくつと笑みをこらえる俺の言葉に二人は顔を見合わせ、そして面持ちを柔らかくして頷いた。
カムロは立ち上がり、仕切り直す。
「板金鎧についてです。……はっきりと申し上げます。アキラ様にはどうにかして奥之院を出ていただきたいのです」
真剣な表情。
そしてその言葉に今度は俺が驚いた。
「奥之院を出る? 出してくれるのか?」
「いえ、あくまで脱出という形になります。なので私達が表立って協力することはできません」
「そりゃあ、俺だって出られるなら出たいさ。……それが板金鎧とどう繋がるんだよ?」
「アキラ様は肉体を取り戻した今も板金鎧を操れるのではないかと思いまして……それを用いて最奥寝所を破壊するのです」
「いや、そんな……」俺はカムロの言葉に首を振る。「そんなことが出来るなら、もうとっくのとうにやってる。監視してるんなら見てただろ? 操れないんだよ。さっきも湯浴場で試したさ」
「お言葉ですが、どのように試したのかを詳しくお聞きしてもいいですか?」カムロは問う。その顔は何か既に答えを持っているように見えた。
「どのようにって言われてもな……湯浴場にある翼人像あるだろ? 水瓶を抱えてるやつなんだけど、あれがどうやら緋緋色金で作られているって聞いたから、操れるか試したんだよ。
結果はぴくりともしなかった。だから多分、操れなくなったんだと思う」
「成る程」カムロは頤に手を添えて腕を組む。「しかしながらアキラ様。緋緋色金を操ろうとした時、意識はどうでしょうか? ……恐らく、何か手応えのようなものはあったはずです」
「ああ、あった」俺は頷く。
緋緋色金に意識を集中させると、呼応するものがあるというのは確かに感じていた。
「扱えなくなったのであればその魔呪術の感覚さえも失うはずです。しかしアキラ様は感じている」
「……でも、翼人像は何回やっても動かなかったぜ?」
「対象が違うのでしょう。アキラ様はその時、板金鎧と繋がっていたのです。緋緋色金の手応えを翼人像と勘違いしてしまっただけで」
「……なんでそう言えるんだ……?」俺は怪訝に思い、カムロに訊ねる。
「アキラ様が緋緋色金を操ろうとしたとき、円卓に安置されていた板金鎧は動いていたのです」
俺は言葉もなく驚く。後ろに立ってオクタに視線を投げかけると、頷きを返された。
「……そう、か……」俺は膝の上に肘を置いて、屈み込む。視線は床に落ちる。
そこに希望は転がっていた。
「……もしそうなら、出られるかもしれない……!」
❖
「……あら? 天蓋の上に燈盞なんてありましたかしら?」
板金鎧を操れることを知ってから、体感では九日が過ぎたある日、セラエーナは最奥寝所の天井を見上げてそんなことを言う。
「ああ、前から緋緋色金を操る為に練習してただろう? 遂にここまでできるようになったんだ」俺は得意げに答える。
あの日……カムロがここに訪れた日から、板金鎧を意のままに操る術を獲得していた。
翼人像ではなく、板金鎧に意識を持っていく。失敗の原因さえ明らかになれば困難はなかった。
日を追うにつれて練度は高まり、術は磨かれていく。俺はこの最奥寝所を出たいという一心で板金鎧に魂を込め続けた。いつしか己の身体を操るのと同じ制度で板金鎧を操ることさえも可能とした。
……ちなみに余談ではあるが、異世界の文化について、以下のような小噺がある。
カムロはあれから三日程経ったある日、一人で俺のもとへ尋ねてきた。
「――関節が球体?」
「はい。翼人像を操ろうとした時、板金鎧は熱に浮かされたように動いていました。
そして、関節部が変化したのです」
カムロは最奥寝所の壁に立たせていた板金鎧の手を取ると指を折り曲げて関節部を露出させる。
確かに関節は変化していた。瑣末な変化故に今まで気付かなかったが、それが何であるかは一目で理解できた。
「あぁ、球体関節になってるのか」
「球体、関節……?」カムロは顔を顰めて言葉を繰り返す。馴染みがないらしい。
「もしかして、この世界にはないのか? 人形とかさ、傀儡はあるんだろう?」
「人形はありますよ。しかし、関節がそのように球体であるものは見たことがありません」
「……なら、その人形の肩とか腕はどうなってるの?」
俺の質問にカムロは考え込む。幼い頃は一人の少女だっただろうに、人形遊びはしなかったのだろうか。
しばらくの思案の後、カムロは口を開く。
「人形は賢人の呪具ですので――」
「ちょっと待って」俺はカムロの言葉を遮る。なにやら見当違いな返事が返ってきた。「玩具としての人形は?」
「……? そのようなものはありませんよ。
人形であれば、木製のものが主で、各関節は糸によって繫れているものが多いですね。そもそも関節を持たないものの方が圧倒的に主流ですが」
なるほど。
この世界は長い歴史があり、その殆どは宗教戦争で埋められている。
玩具の文化はないのだろう。
故に関節部は人が纏う鎧から技術を発達させ、関節を球体にするという発想には至らなかったのだ。
――以上のような出来事を挟みながらも、カムロと俺は密会を交わし、神族に悟られぬように脱出法を企て現在に至る。
「……ということは、五つ目の燈盞は――」セラエーナは顔を天井に見上げたまま、視線だけを俺に向ける。
「そう、形を偽装しているだけの板金鎧だよ」俺は手柄顔で口の端に笑みを作る。
「まぁ! どうりで板金鎧がこの部屋に無くなっていると思いました。
……では、そ《・》の《・》日は近いのですね」セラエーナは喜色を浮かべて燈盞を眺めた。
俺は込み上げる笑みを抑えて、演技然とした口調で答える。
「ああ、近いよ。すごく近い。
カムロ達とも打ち合わせは済んだし、準備は万端。
なんたって今日がその日だからね」




