異世界より来る人❖3
果たしてどちらが裏切られたか。
物事を俯瞰してみれば、俺と神人種は互いに恨み合う図式が成り立っていることに気付く。
それを知って俺はまっすぐに二人を見つめることができないでいた。
オクタはセラエーナの為に用意した首輪を三方に供え――一糸纏わぬ王女に近付くことは控えた――床に置く。
「……これは個人的な考えだが」オクタは部屋から退室する前に声を潜めて呟く。「アキラ様がアーミラを選ぶのであれば、それでもいいと私は思う。セラエーナ王女には以前と同じように、神人種の中から相応しいものを選出すればいい」
俺は揺るがぬ決意を誇示するように頷く。リーリウスだって背に腹は変えられない。俺さえいなければ彼は必ずどこかで妥協していたはずだ。
存在するだけで盤面を乱す……神はそんなことを言っていた。その意味がよくわかる。
「私からしてみても、地下に幽閉するのはどうかとは思っているんだ。しかし、立場上反発はできない。
カムロ隊長のこと、恨まないで欲しい」
そう言ってヤーハバルは小さく笑みを作ってみせる。
敵意のないその眼差しに俺ははっとする。
――そうか、二人は俺に教えてくれているんだ。
神人種から今どのように見られているか、そしてその上で選び取るべきものは何かを、敵として振る舞うことで示してくれている。
「カムロのこと、承知した。……今頃は頭を痛めてるのかもな」俺は小さくおどけてみせる。
「苦労が続きます。私達もマーロゥ手製の薬が手放せませんよ」二人はそんな軽口を叩いて、扉を閉めた。
重い扉が閉じ合わされ、黒く硬質な最奥寝所にセラエーナと二人きり。しかし心には光明。
俺は供えられた三方を手に取って寝台に座るセラエーナに手渡す。
「これで話せるようになるのか?」と、俺。
「あー、あー、……えぇ、話せます。お手を煩わせてしまい申し訳有りません、アキラ様」セラエーナはそう言って頭を下げた。
謝罪から始められたセラエーナの言葉に俺は虚を突かれ、次に確信する。
リーリウスの手駒ではあるが、そこには自我があり、言葉があり、意志があるのだと。
「それは構わないよ。首輪がなければ話ができないんだから……それより、改めて質したい」
俺はセラエーナと向き合う。
「王女は今の現状に納得しているのか?」
「……しばし、お待ちを……」セラエーナは俺の問いには答えず、寝台に誂えられた天蓋を床に垂らす。
何故こうも頑なに寝台へ誘うのか、会話が可能となった今、なにか今までとは違う意図を感じて、俺は訝しみながらも従った。
紗の白生地で寝台を囲い、次に俺が剥ぎ取って部屋の隅に広げていた毛布を持ってくると、セラエーナは寝台の中に潜り込んだ。まるで外からの監視を遮るように。
「……これで、恐らくは大丈夫です」セラエーナは声を潜めて俺に指示をする。「アキラ様も、どうか私に合わせて服をお脱ぎになって下さい」
「え」俺は躊躇う。
まさかこのままあれよあれよと事が運ぶのではなかろうか。
しかしセラエーナの目は先ほどとは明らかに違っていた。
「訊きたいことがあるのでしょう? アキラ様、お願いです」セラエーナは声を潜めたままで俺を急かす。
「……ッ、ああもう! わかったよ畜生!!」
俺は腹を決めて身に纏う衣服を半ば自棄になって脱ぎ捨てると、寝台と毛布の中、セラエーナの隣に潜り込む。罠であれば王女を組み伏せることも厭わない覚悟だ。
セラエーナは俺の上にかぶさるようにして抱きつくと、毛布で足先から頭まですっぽりと覆った。
「……これで、俺を騙したなんてことがあったら許さないからな」俺はたじろぎながらも暗闇の中でセラエーナに告げる。
「重々承知しております」セラエーナは続ける。「監視の目を欺くためには、しばしご辛抱を……」
セラエーナは俺の首に腕を絡め、裸のままで肌と肌を密着させる。滑り込むようにして俺の股に脚を割り入れて横につくと、俺の耳元で囁いた。
「この首輪で盗み聞かれていては目隠しも意味を成しませんが、白状致します。
私もこの現状には、納得しておりません」
「……!!」俺は驚く。
「アキラ様についての事は、ここ神殿より仔細情報を得ておりました。
次女継承者を想っているのでしょう?」
「ああ、そうだ。だから俺はここから出なくちゃ行けない」
「私も人の恋路を引き裂くような無粋な事はしたくありません」セラエーナは言う。「ですが、この部屋でどれだけ喚いた所で、お父様はご決断を変えることはありません」
セラエーナは再び位置を変える。肌と肌が擦れ合い、監視を欺くために互いの身体は絡み合う。
「ならどうすればいい……?」
俺はセラエーナと触れ合う皮膚の感覚を意識から遮断するように奥歯を噛み締めて目を閉じる。
「今は堪えて頂きたいのです。先程のあの二人はアキラ様の思いを理解してくれるのでしょう?」セラエーナは問う。
「オクタとヤーハバルか、多分カムロも仲間になってくれる」
「あのカムロまでですか……神族近衛の隊長も……であれば、まずは彼らに協力を求めます。
……それまでは私と共に、神殿に従うふりをして下さい」
「わかった。ありがとう」俺はセラエーナに礼を言う。「……けど、それだと神族は――」
「構いません。それで血が途絶えるというのなら、神族は所詮その程度の種だったということ……
この国全土の信仰さえ、裏側から見届けた私からすれば、とても神聖とは……」
「信仰……?」俺はその言葉が引っかかる。
思えばこの争いは宗教戦争だと言うが、俺は未だにヴィオーシュヌの教えを知らない。
「よければ、教えてくれないか?」
ヴィオーシュヌ信仰と、神聖さに欠いた裏側とやらを。
「ええ、時間は存分にありますから、あとでお話ししましょう」
セラエーナはそれだけ言うと俺の上に跨り、毛布を剥ぎ取ると腰元を隠した。
監視されているであろうこの寝台で、交配を受け入れた演技をする。もちろんこうしてセラエーナと触れ合う今も、毛布で隠された腰元は決して繋がってなどいない。
❖――視点:カムロ
「アキラ様を見ましたか? ……ありゃ諦めていませんよ」
オクタは言う。その顔は愉しそうな笑みが口元に浮かんでいた。
場所は奥之院、地下最奥寝所……を監視するための別室。
アキラとセラエーナをつぶさに監視するために、最奥寝所の天井や壁、全ての黒大理石には魔導具が仕掛けられている。当然、王女の首輪もこちらから筒抜けである。
私はオクタの方に振り返り頷いた。
「……でしょうね。神族近衛としては由々しき問題ですが――」
「個人としては少し安心。ですか?」と、ヤーハバル。手には夕飯を乗せた盆が二つ。一つを私に差し出した。
「ありがとう」私は盆を受け取って礼を言い、続ける。「安心……と言っていいのでしょうか、これからアキラ様がどのように動くのか、予想がつきません」
ちらりと壁に目を向ける。魔導具によって投影された最奥寝所の監視映像は依然として変わらず、密やかな二人の会話が漏れ聞こえていた。
『……けど、それだと神族は――』
『構いません。それで血が途絶えるというのなら、神族は所詮その程度の種だったということ――』
蜥蜴肉の角煮を箸で解し、脂身と赤身を分けると飯と共に口に運ぶ。そうして咀嚼している間に懐から油紙を取り出して白い欠片を取り分けると、箸の尻で砕き、杯に注がれた水に溶かした。
「どちらかと言えば、私はセラエーナ王女の方が気掛かりです」オクタは腰に手を当てて投影された映像を眺める。「アキラ様が神殿を出た後、王女はどうなるのか……」
その言葉に私はふむと考え込む。
リーリウスの意に沿うように振舞っていた。時折見せる憂いを帯びた表情の意味は、こうして首輪を介して明らめられたが、従順な王女の腹の中には神族への恨みさえ伺える。
「そもそも、アキラ様がもし神族を拒絶した場合、私達は如何するのです?」ヤーハバルは手早く夕飯を腹に納めて水の入った杯を飲み干して問う。
「それは決まっています」私は迷いなく答える。「表立っては神族を裏切らず、秘密裏にアキラ様の幇助を行います」
私の言葉に部下は不敵な笑みを作る。
「二兎を追う者は一兎をも得ず。ですよ?」と、オクタ。
「無理を通せば道理は引っ込みます。我々神族近衛は二兎を追い二兎を得るための力を持っていると期待していますよ」
❖――視点:アキラ
体感的にはとうに一日を過ぎている。
飯が配膳される時を元に時分を割り出そうかと考えていたが、その策は通用しなかった。
待てども待てども飯は来ず、もしやこのまま餓死させるつもりかと疑い出した時、セラエーナは寝台から降りて天蓋を出ると指を鳴らした。
それが飯の合図だったのだ。故に俺と彼女は蜂や燕の子のように腹が空けば指を鳴らし、時間感覚を失った。
ならば風呂はどうか、望み薄だが部屋の外に出れるはず。そこで空をわずかでも望めるなら朝か夜かはわかるだろう。
一縷の望みを掛けてセラエーナに伝えると、彼女は指を二度鳴らした。
……結果としては完全に敗北であった。
地下から地下、まるで蟻の巣のような奥之院の最奥を、名も知らない神人種の侍女に案内され、見上げども空は望めず。
監視の目が肌にじっとりと張り付く不快感の中、もうもうと湯の煙る浴場にセラエーナと共に足を踏み入れる。
間歇泉からここへ別口で湯を引き、喞筒を用いて水瓶を持つ天使の石像から流し落とす。
神殿で散見される天使――それは今思えば翼人種の姿に他ならないと、今更になって気づいたのであった。
セラエーナの裸体にも今更目を逸らすことはなくなり、さして気にすることもなく体を洗うとすぐに湯船に身を沈ませ、人心地ついた。
「はぁ……」俺は声を漏らす。
心地よさからくる吐息ではなく、自己嫌悪の念から湧いた吐息である。
――俺は何故、ここにいるのか。
スークレイの薫陶に胸を打たれ、そしてアーミラの元へ戻ると誓ったはずなのに、俺はこの世界で我を通すことの難しさを思い知る。
傀儡であった過去の俺は、その点で言えば怠惰だったのだろう。
そして、思い返して整理するべき事は他にもある。ヴィオーシュヌ信仰と神話について、セラエーナは事細かに話してくれた。
――それは遥か昔、遡ろうにも起源を解明できないほどの時代から存在していた。人種の隔たりがなく、皆が一つであった時代。龍が人々を唆し、神の頂へと誘った。
人々は一丸となり、世界で一番高い山に塔を建てた。しかし、神はそれを良しとせず、人々を三つに分けた。
そして、二度と神の頂へ向かうことがないように、人々を統べる神の使いをその塔に住まわせ、また、一部の者は龍と共に彼の地へ消えた――
……神話の大筋はこのような流れである。三つに分けられた人々とはつまり獣人種、魔人種、賢人種のことだろう。
神の使いと龍と共に去った者はそれぞれ神族と禍人種で間違いない。
信仰の所以は理解できた。そして次に、神の教えは以下にまとめた。
一、人は皆善良である。しかし、舌の割れた者はその限りではない。
二、耐え難き責め苦に直面した時は頭角のある者を頼りなさい。
三、道に迷った時は耳の尖った者を頼りなさい。
四、心に猜疑の念ある時は肌の黒い者を頼りなさい。
五、舌の裂けた者を近づけてはならない。そのものは悪しき龍である。
六、神の頂を目指してはならない。それは驕りと悪しき心を生むだろう。世界はすでに広大である。
――と、このようなものだ。教えというほど有難い言葉でもない事に肩透かしではあるが、えてして神の言葉とはそんなものなのだろう。
目新しい情報はないが、六の教えはなんとなく継承される神器を想起させる。
天秤。天球儀。時計。三つの人種に三つの神器。もしかしたらヴィオーシュヌは神の頂を目指す事を諦めさせる代わりに、広大な世界に目を向けるように促したかったのだろうかとも思う。
最後に、ここまでを教えられた俺はセラエーナの独自の見解を教えられた――所謂『裏側』について。
そもそも、その時代にヴィオーシュヌは人の前に現れたのだろうか? その疑問についてはセラエーナは否定的であった。
――彼女の見解はこうである。
『元から獣人、魔人、賢人は存在しており、山の頂には私達の祖先である翼人種がいたのではないか。そして、自らを神の使いだと名乗り、神話をでっち上げたのではないだろうか』
『争いから己の身を守る為についた嘘。それは長い歴史の中で幾度も塗り重ねられ、地位を確立する為に作られた一の教えによって自縛自縄に陥ったのではないだろうか』
『混血を良しとしない信仰。人々にとっては神の頂を目指さぬ為の戒めと映るだろう。しかしそれは翼人種が恩恵に与る為の嘘によって血の破綻に喘ぐことになったのではないか』
全ては憶測の域を出ない。
一朝一夕の知識しか持たない俺ではセラエーナの言葉の全てを理解することはできなかったが、彼女の言葉からは一種、恨みに似た願望があるように見受けられた。
……信仰の中心にいるはずの神族、その王女は自身の血を憎み、囚われた最奥から覗く世界は酷く歪んで映るのだろう。




