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眠る躰を引きずって❖5


 一夜明けて朝。

 自室のベッドにたどり着いたところまでは覚えている。どうやら私は着替えることもせずに綿のように疲れ、泥のように眠っていたらしい。


 疲労により軋みを上げる筋繊維。まるで全身が錆びているみたいだ。


 私は枕元にある棚の引き出しをまさぐり、小さな魔鉱石の欠片を取り出すと、その魔力を用いて身体に治癒術式を行った。


 慣れたことだ。魔鉱石を買う金に物言わせ、こうやって疲労を誤魔化すことは幾度もある。神族近衛の隊長を務めるとはそういうことだ。


 肉体疲労を強制的に取り除き、魔力を搾り取られ炭化した魔鉱石を棚の上に放ると、私は立ち上がる。頭は内側から押されるような痛みがあった。いつもの頭痛だ。


 ちらりと部屋の中央に位置するテーブルに目をやる。そこにはマーロゥ手製の薬が油紙に包装されて置かれていた。……朧げな記憶ではあるが、確かヤーハバル達の報告を受けた後、再び貰ったのだったか……


 これから行われる円卓は非常に重要なものである。アキラの処遇を含め、背後にはリーリウスとセラエーナの目もある。頭の痛みに気を取られては敵わない。私はマーロゥの薬を水とともに服用した。





 円卓。

 雲一つない晴天が目に眩しい。私ははめ殺しの窓から目を移し、既にこの場に集まる国王の面々をちらりと見る。


 今回の円卓には内地の国王が座して並んでいた。水晶球での出席はセルレイのみ。

 奇襲に乗じて侵入したであろう間者うかみの凶刃を逃れるために、神殿まで避難していたようだ。


 円卓の上座側、出入り口の真向かいにはユタ王の椅子。予定ではザルマカシムがお連れする運びとなっていた。もう間もなく到着するだろう。

 そして私の反対の壁に背を預けて待機しているのはサハリ。赤毛を指先で弄び、円卓会議が開かれるのを待っている。どうやら出席するらしい。


「もう間もなく神族王ユタ様が円卓へ到着致します。今しばらくお待ちくださいませ」


 私はサハリから逃げるように一礼して一度円卓の外へ出ると、入り口を警備していたヤーハバルとオクタに確認を取る。


「アキラ様は裏に控えているのですか?」


 私の問いかけにオクタが返答した。


「ええ、先程私がお連れしました。問題ありません」


「そうですか。……一度話して来ます。もし私が不在の時にユタ様が来た場合。ザルマカシムに進行をさせて下さい。挨拶などを済ませている内には戻りますので」


 そう言い残し、私はアキラの所へ向かう。


 円卓の間と廊下を挟んで反対側。アキラは緊張した面持ちで椅子に座っていた。背凭れに深く身を預けているものの、とてもくつろげる空間ではないようだ。


 極致エストと呼ばれ、あれだけの戦果を上げた男。神から肉体を授かった男が、まるで小心者ではないか。


 私はそんな姿を見て、ほんの少しだけ心が休まり、自然に頬がほころぶ。努めて笑みを抑えて、アキラに声をかけた。


「アキラ様。調子は如何ですか?」


「えっ!? あ、あぁ。大丈夫だよ」アキラは驚いたように私を見る。


 声をかけるまで私に気づかなかったらしい。私はその反応があまりにもおかしくて、浮かぶ笑みをため息で誤魔化した。が、アキラは私の笑みに気付く。


「……おいおい、人が緊張してるのがそんなにおかしいか?」


「いえ、すみません。……貴方でも緊張なさるのですね」


「本当に、自分でもびっくりだよ。鎧の体なら緊張していても体が震えることはなかったし表情にもでなかった。だから緊張に慣れたって勘違いしてたんだ。……見てよこれ」


 そう言ってアキラは自分の膝を指差した。それはまるで寒さにかじかむような震えで、今まで持っていたアキラの人物像とはかけ離れた姿だった。


「……また笑ってる。カムロって結構笑うんだな」と、アキラは拗ねたように私を見る。


「人なのですからそれは当然です。元戦闘魔導具に言われたくはありませんね」


「はっ……それもそうだな」アキラは笑う。私にとってはその笑顔の方が衝撃的である。「でも、昨日も今日も化け物みたいに働き詰めでさ、俺から見てカムロは人間じゃないんじゃないかって思ってたよ」


「ふふ、化け物な上に先日まで人間じゃなかったアキラ様に言われるとは心外ですね。

 ……ですか、今回ばかりは根を詰め過ぎました」


 私は言葉の接ぎ穂として、アキラが握りしめている石について尋ねた。それはデレシスで倒れた時にも握りしめていたもので、何故だかわからないが魔力を持っていない石だった。


「その石、アーミラ様から貰ったようですが、何かの御守りですか?」


「あぁ、これ?」アキラは特別なものでもないというふうに差し出す。「俺と同じ世界の石なんだ。コンクリートっていう」


「コンクリート……?」私はそれを手にとって改めて観察する。


 指先で擦れば崩れてしまう砂岩のようなもので、造りの荒い煉瓦という言葉がしっくりくる。

 次に指先に魔力を練ってから触れてみる。

 それは確かに魔力を弾き、どのような変化も受け付けなかった。


「異世界……ですか……」と、呟く。


 私は部屋の壁にそっとよりかかり、ため息を吐く。そして何の気まぐれか自然と口を開いた。


「私は、生きることとはつまり有用性を示し続けることだと考えていました。……いや、今もその考えは変わりません」


 何故こんなことをアキラに話すのか、私にもわからなかった。心労が溜まっていたのかもしれないし、目の前のアキラが異世界からきた人間だからこそ、話しやすかったのかもしれない。


 アキラは私の言葉に否定も肯定もしない。


「似たような事を言ってた奴を、俺は知ってるよ。驚いたというか、懐かしいというか……この世界の人は皆ひたむきに生きてるんだなって感じる」


 それは誰ですか? ――と、言いかけた時に扉を叩く音。ヤーハバルが顔を出す。


「隊長、ザルマカシムさんが引き伸ばしてくれてますが、挨拶も終わっちまいますよ」





 私の後にアキラが随行し、円卓の間に繋がる扉を潜り全国王の前に姿を見せると、私は改めてこれまでの事のあらましを仔細に説明した。


 神から肉体を授かった男。異世界の人間。この世界に多大な影響を及ぼした板金鎧の正体に国王は騒然と色めき立つ。当然、禁忌の成果物ではないかという声も上がったが、

 それは一時の混乱であった。


「彼が、五代目次女継承者の傍らにいた戦闘魔導具の正体だと……?」円卓に鎮座する一人、マクリマルム王は言う。


 私は頷き、もはや疑う余地はないと答える。


「間違いございません。天球儀継承者アーミラ・ラルトカンテ・アウロラが作り上げたとされる板金鎧の戦闘魔導具は、此度の前線において、神ヴィオーシュヌの顕現と共に肉体を与えられました。当時のことは我々、神族近衛隊と派兵された勇名の者達が目撃しております」


 円卓に置かれたただ一つの水晶球――セルレイ王――は力無く呟く。


「そうは言われても、私には驚きだ。……板金鎧の姿を見ているからか、余計に事態を飲み込めないな」


 ユタ王も同意する。


「セルレイ王の言う通りだ。せめて我々にも確固たる証拠が欲しい。アキラ殿。貴方がかの極致エストと同一人物であると証明できるものはないだろうか」


「何か……ですか、イクスでもいてくれたら、セルレイ王にはもっと説明しやすいかもしれませんが……」と、アキラは頭を悩ませておとがいに手を添える。


 私はアキラの肩にそっと手を添え、次にユタ王に顔を向けた。


「ここは一つ、私の方から進言がございます」


「言ってみたまえ」


「アキラ様が板金鎧に宿っていた魂と同一であるかについては、お見せしたいものがございます」私はそこで言葉を切り、扉の前に立つヤーハバルとオクタに視線で指示を飛ばす。


 『――アレを持ってきてください』


 『――承知いたしました。カムロ隊長』


 と、部下が円卓の間から一度退室する。その間に私は別の証拠を国王の前に提示する。


「同一人物である証拠は、今から部下がお持ちいたしますので、その間にこの男が異世界からきたという証拠をご覧にいれましょう」私は今度はもう一人の部下に視線を向ける。「ザルマカシム。貴方は言葉スペルを極めし勇名ですね」


 ザルマカシムは何が始まるのかと動揺しながらも私の言葉に応える。


「間違いありません。私はザルマカシム・スペル。いかようなる魔呪術マギカも紡ぎ出してみせます」


「では、ザルマカシム。その言葉スペルより、剣を紡ぎ出して下さい」


 その言葉にアキラは微かに反応した。私が行おうとしていることを理解したのだろう、石を取り出す。


 ザルマカシムは円卓の隅に置かれた鵞ペンを手に取り、それに向かって詠唱する。


「『剣よ(ソード)』……」


 ザルマカシムの詠唱により、鵞ペンの羽は変形し、燐光を放つ鋭い両刃の剣となった。

 そしてそれをカムロに差し出す。


「な、何をするつもりだ……?」セルレイは水晶球越しでは事態を把握できず、動揺する。


 円卓に座る国王は言葉を失って身を強張らせるばかりだが、その隅に立つサハリは腰に帯刀していた細剣レイピアを抜刀せんと構えていた。

 私はサハリに目を合わせて微かに首を振る。血が流れる事態にはならないと静かに示した。


「まずはこの石をご覧下さい」と、私はアキラから渡されたコンクリートを全員の目に届くように見せた後に、切っ先を近づけていく。


 鵞ペンから生成された刃は石を避けるようにして、切断することは叶わない。


「……これは、アキラと同じ世界に存在する石でございます。特徴として、どのような魔呪術も弾く効果があります。これはこの世界では存在しない唯一の特徴です」私の言葉に各国王は興味深そうに声を漏らす。反応は上々、私は続ける。「では、アキラ様……腕を……」


「い、いいけど、やっぱ怖いな……」


「神殿の魔導回路さえ弾いているのですから問題ありません」


 私はそう答えたものの、万が一に備えて剣をそっとアキラの腕に這わせ様子を確かめる。

 魔力によって形成された刃は、アキラの皮膚に触れるところで形状を崩壊して消失している……いける!


「では、ご覧ください」私は今一度円卓を一瞥した後、勢い良く鵞ペンを振り落とし、アキラの腕に剣を滑らせる。


 その光景にどよめき、色めき立つ国王の声。中には身を強張らせるあまり椅子を倒して立ち上がる者もいた。


 私は次にアキラの胴に剣を突き入れる。当然怪我一つ無い。

 首や額にも剣を滑らせて見せるが、やはり形成された剣の方が弾かれて皮膚の表面を光の飛沫が飛ぶばかり。


「……カムロ隊長、もう充分です」ザルマカシムは両手を胸のまえに挙げて私を止める。目の前の光景に息を呑んで繰り返す。「充分理解しました」


 私はザルマカシムに鵞ペンを手渡して、円卓に向き直る。魔呪術を弾く異世界の力、その異能を前に各国王は恐れにも近い表情を張り付かせる。


「……これが異世界ヴォイニッチからきたアキラの力でございます」


 私の言葉にサハリは言葉を失ったように静かに口をひき結んだ。





 アキラが異世界の人間であることを証明してから数刻遅れて、部下の二人が板金鎧を運び出す。驚いた事に板金鎧の上下を二分して、ヤーハバルとオクタはそれを装着して来た。


「担いで来れなかったのですか?」と、私。


「申し訳御座いません。前線から幌車で運び出した時はまだなんとかなったんですが……この鎧、余りにも重すぎます」魔人種であるヤーハバルは息を切らして答える。板金鎧の鉄靴てっかはまるで足枷のように、ヤーハバルの行動を制限している。


「前から思ってはいたのですが、やはりこの鎧は実戦用のものではなさそうですね」獣人種のオクタは息こそ切れていないものの、鎧を脱いだ額には玉の汗をかいている。


「担ぐにも背負うにも突起が邪魔で、何より重い。こうして上下に分けて装着するのが一番でした」と、オクタは言う。


 なんとまあ、国王達の前で不格好な……とは思うものの、彼らが二人がかりでこれほど手こずるのなら、私ではとても運び出しすことはできないだろう。


 私は一つ咳払いをして、円卓に向かい口を開いた。


「この鎧に見覚えのある方も多い筈です。この板金鎧こそ、アキラ・アマトラの魂が宿っていた鎧なのですから」


 その言葉に円卓は騒めきは静まる。真贋を見極めるために卓に身を乗り出し、中には懐から眼鏡を取り出して観察する者もいた。


 しかし、国王達はこれらの証拠を前にしても未だ納得してはくれない。

 それに乗じてサハリはあろうことかこんな事を言い出した。


「その板金鎧が本物である証拠はありません。アキラ・アマトラと外身を似せた贋物であったとしても、この場にいる私達には見抜けぬことを知っているでしょう」


 その声を皮切りに、国王達は再び懐疑的な態度をとる。


「禁忌の成果物とは違えど、先程の魔呪術無効アンチマギカの異能は驚異、化け物と何が違うのでしょう」サハリはまくしたてる。


 その言葉にはアキラも内心穏やかではない。サハリに向かい身を乗り出した所を私が宥める。


「俺のことを『化け物』呼ばわりだぞ?」アキラは声を殺して耳打ちする。今までの功績を踏み躙られて業腹なのだろうが、ここは舌戦がものを言う。剣よりもペン。まつりごとの世界だ。


 私は静かに奥歯を噛み締めて怒りをこらえる。アキラが本物である事を証明するための証拠が本物である事を証明しろだと!

 往生際の悪いサハリに対して、私は平静を装いなんとか答える。


「……現状ではこれ以上の証明は出来ません。私達神族近衛隊が前線で目撃し、持ち帰った物はこの鎧だけですので」


「であれば、神族近衛隊は信用に値するかを改めて問いたい」と、マクリマルム王はユタ王に向き合う。


 ユタ王は各国王の視線を受け止め、まだ若いながらもたじろぐことなく答えた。


「もちろん信用はできる。ここで全てに対して疑心暗鬼になってしまっては、ここ円卓に集う者さえも疑わしくなってしまうだろう」


 その言葉に、今度はサハリが進言する。


「それはそうですが……しかし、ユタ様は軽々に信じられるのですか? 『戦闘魔導具が本当は異世界の者で、前線には神が現れて肉体を与えた』などという余りにも荒唐無稽な報告を」


「確かに信じ難い……全員が幻を見せられたとしか思えない話だ」


 ユタ王の言葉を最後に円卓は黙して沈思する。今は真贋に時間を割く時では無い。何故こうも一つ事に囚われ続けるのか……こうしている間にも前線は――いや、私がそれを言うのは筋違いである。


 過去の私もまた、神族近衛隊としてアキラの真贋に囚われ続けた一人であるのだから、むしろ双方の心理や主張は痛いほど理解できる立場のはずだ。


 国を背負う王の責務、前線で行われている信じ難い現状。私達神族近衛隊はどちらも知っている。

 だからこそ今こんなにも歯痒いのだ。

 この場でできる最善について、私は頭を悩ませる。


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