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眠る躰を引きずって❖4


❖――視点:カムロ



 『長旅で汚れたままでは王族の御前には入れないだろう。一度休憩をとるべきです』


 部下であるザルマカシムに諭され、私は三時間(ナサ)の休息をとる。


 アキラの体調不良によって生じた遅れ。それは誰にも咎められる事は無かったが、私達を快く思っていない勢力に対して餌を与えたも同然だった。


 神族近衛隊だけが神殿に仕える戦力ではない。私の地位を失脚させる機を伺う者は決して珍しくはないのだ。近衛隊と仲の悪い隠密斥候隊は今回の件で私を糾弾するだろう。


 遅れをこれ以上広げないためにも、私は根を詰め過ぎていたのかもしれない。とはいえ、リーリウス様からの天帝令が発令されている今、どうにも気が急いて落ち着かない。


 マーロゥから部下伝てに貰った薬のお陰か、頭は痛まず、思考は冴えているのだが、薬によって誤魔化している体の怠さもまた意識の隅で明晰に感覚していた。時間が惜しい。一刻も早く身を休めたい。


 神殿地下回廊を経由して、一目を避けて隠れるように街へ移動する。長旅で汚れ、風呂にも入っていないこの姿では表を歩くのは気が進まなかったのだ。


 重厚な石造りの薄暗い地下回廊は、ひんやりと冷たい空気が流れていて、疲労が溜まっている体にはいい気付けになる。一般の神人種には使用できないため人目もない。私は重い躰を引きずるようにして街にある自室を目指した。


「随分とお疲れのようですね。神族近衛隊長様」


 私はよく知った声に返事をせず、視線だけを向けた。

 地下回廊の曲がり角、その壁に背を預けて私を待ち伏せていたらしい。


 隠密斥候隊副長。名をサハリという。

 何かにつけて私にまとわりつく、鬱陶しい奴だ。いわゆる『私達を快く思っていない勢力』に属している。


「随分と神殿を留守にしていたようだが、近衛の職務と本懐をお忘れではないでしょうか?」サハリは腕を組んだまま私の前に立ち、行く手を阻む。


 こんな事になるのなら表を行けばよかった。私は小さく舌打ちをして、努めて平静に言い返す。


「ご心配には及びません。近衛隊発足以来初の例外的行為です。

 もちろん、ユタ王が発令した天帝令の下で行動しておりますので、正式な神族近衛としての職務であり、本懐でございます」


 それだけ言って私はサハリの横を通ろうと一歩踏み出すが、予想通りサハリはそれを拒んだ。


「んなこたぁ知ってるよ」サハリは続ける。「私が言いたいのはな……その仕事は本来、我々隠密斥候隊の領分だってことだ。例外的行為ってのはなんなんだっつーんだよ」


「それにつきましては私共にも分かりかねます。貴女の隊長にでも聞いたらどうです? ……もういいでしょう。急いでいるので通して下さい」


 私はサハリの肩を掴み、強引に押し通る。

 サハリはそれ以上立ちはだかることはしなかったが、私の背中に向かって最後に言い捨てた。


「前線は私等の領分だ! 近衛隊は内地で偉そうにしているだけでいいんだよ!」


 ……私は何も言い返すことはしなかった。





 神人種の街のさらに一等地。そこに私の家がある。

 女でありながら近衛隊隊長に上り詰めた私に対し、高額な俸禄ほうろくと共に与えられた一人では持て余してしまうほどの大きな住処。


 白衣と外套を乱雑に脱ぎ捨てて、肌衣だけになると、沐浴場もくよくじょうに湯を落とす。

 湯船が満たされるまで、ラタンの椅子に身を預けて目を休める。意識の遠くに押しやっていた疲労がどっと押し寄せ、身体が重い。


 『――近衛隊は内地で偉そうにしているだけでいいんだよ!』


 サハリの言葉が未だに頭の中に残響している。あの場では振り向くこともせずに受け流したのだが、図星を突かれて何も言い返せなかったのも事実だった。


 アウロラ奪還の際に戦った禍人種や蛇堕ナーガに、私は狼狽え、慄いた。あの場にガントールがいなければ私は撤退を指示したまま逃げ帰ったかもしれない。その場合、奪還は叶わなかっただろう。


 今だってあの時の蛇堕の異形をありありと思い出せる。己を鼓舞して戦っていたものの、胸中は恐怖で満たされていた。


 ……サハリであれば、慄くこともなく、ガントールの腕を失うこともなかったかもしれない。


 命を賭して戦場に身を置く彼女であれば。


 勇名を上回る隠密斥候隊に籍を置く彼女であれば。


 一体何故、この度の奪還作戦は近衛隊が主導したのか、私自身も知らぬところ……後で明らめる必要がありそうだ。



❖――視点:アキラ



 宿の裏手にある玉砂利の庭。そこに布を敷いて薬匣を置くと、俺は椅子の代わりに腰を下ろす。庭には池があり、水面には掌程の大きさの魚影。揺蕩う水面の波が収斂しゅうれんし、紅白の鱗が陽を浴びて輝く。


 俺の背後にはマーロゥが立ち、鋏の噛み合わせを確かめるように幾度も開閉を繰り返す。まさにこれから髪を切るところだである。


「では、どのくらい切りましょうか?」マーロゥは得意げに要望を問う。まるで理髪店さながらの口調だ。


 俺は自分の頭髪を指で摘んで長さを確かめる。肩に掛かる程の長髪が気に入らない。いっそ耳が出るくらい短くしてもらいたい。


「今の半分……いや、三分の一くらいの短さで、後ろ髪も刈ってくれ」


「承知……結構切りますねえ」


「まぁな」


 俺は後ろ髪を櫛で梳かしていくマーロゥの手の動きを感じながら、池を眺める。


 薬師だからなのだろうか、指の動きは細やかで繊細。まるで調合の具合を確かめるように鋏を入れると髪を切り始めた。

 鋏が髪を切る音が心地よく繰り返される。自分の容姿には何のこだわりもないと思えたマーロゥではあるが、確かにこの手捌きは安心できる。


「動物の毛を刈ったことがあるって言ったけど、人の髪を切ることは初めてか?」俺は疑問に思い聞いてみた。


「いえいえ、人もありますよ。自分の髪はもちろん、旅の途中で日銭を稼ぐためにやったこともあります」


 池の鯉が跳ねる。その水音に俺は閉じかけていた目を開く。眠ってしまいそうだ。何か話すことはないかと考えて、マーロゥに聞いておきたかったことがあることを思い出す。


「マーロゥって、賢人種なんだよな? ……もしかしたら聞いちゃいけないのかも知れないけど聞いていいか?」


「はぁ、なんなりと」というマーロゥの声は、すでに何を聞かれるのか想像がついているようだった。


「なんで背が高いんだ? 猫背を伸ばせば、獣人種くらいはあるんじゃないか?」


「やはりそのことですか。……まぁ、素直に聞かれるとそこまで悪い気はしませんね」と言って、マーロゥは続ける。「混血なんですよ。私」


「混血?」俺は言葉を繰り返す。


「そうです、混血。父が獣人種で母は賢人種。だから形態異常を持って産まれたのですねえ。

 本来は混血自体、世間的にもあまり好ましくないとされていますから、誰も聞いてはこないのですけどね」


「そう……なのか」俺は少し気まずさを感じるが、それとは別の思いもあった。「形態異常って言ったって、俺の世界では混血は別に普通のことだったぞ。二つの種族のいいとこ取りじゃないか」


 マーロゥは一時、鋏を止め、くつくつと笑う。


「これはこれは、面白いことを言いますね」





「……この世界の人は旅人が多いけど、いつから旅をしているんだ? 目的はあるのか?」


「目的は様々ですねえ。私の場合は、やはり自己研鑽でしょうかねえ。他の旅人も同じ理由が多いと思いますよ」マーロゥは鋏を止めて、一度櫛で整える。「アキラ様は旅をしていなかったのですか?」


「……元の世界でってことか? まぁ、する必要がなかったのかなぁ」俺は目を閉じる。眠るわけではなく、記憶を探っているのだ。


 日本にいた当時の生活を思い出す。両親がいなくとも雨風を防ぐ家があり、属する環境は与えられていた。旅をする必要もなければ、むしろ環境に縛られていたとも思える。

 辛い現実にも逃げられず、後ろ指さされてもそこに属するしかない。


「旅をする人もいたんだろうけど、かなり少数だったな。帰属意識が高いわけでもないのに、遠くへ行ってもまた戻ってくるんだ。この世界の放浪とは違う」俺は素直に思ったままを伝えた。


「そうなのですね。その世界の暮らしぶりは農夫なんかに近いのでしょうかねえ」


 マーロゥは後ろ髪をある程度切ると、横髪に鋏を入れる。耳元で鋏の擦れる音がする。


「そうかもな」俺は目を閉じて会話を終える。


 池の鯉が再び跳ねた。





「……できましたよ。アキラ様」


 そう言ってマーロゥは俺の肩を揺する。眠るつもりはなかったのだが時間が飛んでいる。いつの間にか眠ってしまったようだ。


「あぁ、すまん。俺寝てたか?」


「えぇ、船を漕いでしまって大変でしたよ」マーロゥは言いながら手鏡を差し出した。


「おお! 上手いな。助かったよ」


 俺は手鏡に映る自分の姿を見る。生前の俺と遜色のない仕上がりで、前髪は眉に少しかかる程度で梳き切られている。長く垂らしていたもみあげと襟足も短く刈られ、頭が軽い。


 マーロゥは目に生気こそないが手柄顔で笑みを作ると地面に敷いている布を対角線上の端と端を合わせて折りたたみ、薬匣にしまい込む。


「後のことは私に任せて、お休みになられてください」と、マーロゥ。


 俺は眠気が取れないのでお言葉に甘えて部屋で眠ることにした。



❖――視点:カムロ



 三時間(ナサ)の休憩のうちにも慌ただしく入浴と食事と着替えを済ませ、ザルマカシムと合流する。


 昼下がりの午後、場所は奥之院。


 私は髪を綺麗に整えて束ね直すと頬を軽く叩く。前王リーリウスの御前に向かうのだ、気を引き締めねば。


「……お待たせ致しました。では、行きましょう」


 先に扉の前で待っていたザルマカシムに言い、蝶番の扉に手をかけ、ゆっくりと開き中へ入る。


 扉の中と外では雰囲気はがらりと変わる。神殿は白大理石を中心に建造されているが、奥之院からは黒大理石が建材に用いられている。


 視覚的にはもちろん。神経が鋭い者ならば肌で境界を感じ取る事もできる。列柱に象嵌されている像の瞳には水晶玉の魔導具が嵌め込まれており、実際に監視する目として機能しているのだ。


 神族近衛隊としてみれば、この威圧感は寧ろ懐かしいもので、奥へ深い黒大理石の廊下に硬い足音を響かせて堂々と歩を進める。その斜め右後ろにザルマカシムが随行している。


 長い廊下の突き当たり、開け放たれた扉の前で一度足を止め姿勢を正す。広い謁見の間にはリーリウスが大儀そうに椅子に座して、肘掛に手を置いて私を静かに見つめていた。


「神族近衛隊カムロ、只今到着致しました」


 一礼。そして謁見の間に入るとリーリウスの前に移動する。


「うむ。此度の前線での活躍。大儀であった。まずは二人、腰かけたまえ」リーリウスはそう言って、壁沿いに置かれていた椅子を浮遊させ、私とザルマカシムのそばに置く。


「お心遣い大変感謝致します。それでは失礼します」


 促されるままに私とザルマカシムは椅子に腰を下ろし、リーリウスに対面する。


「さて、……早速で悪いのだが、前線はどうであったか?」リーリウスは早くも本題に入る。しわがれた老齢な声音ではあるが、そこに弱々しい響きはない。


 私は渇いた喉に唾液を飲み込むと、報告を始めた。


「目に映るのは死体ばかりで、やはり人的被害を抑えたとしても千を超える死傷者が出たのでしょう。そこに魔獣の死体も重なるため、はっきりと申し上げますと地獄絵図のようでした。

 火葬する余裕もなかったため腐敗が進み、臭いも酷く、しばらくは奪還したアウロラも浄化処理に追われると思います」


「二つの国が陥落する程の大規模な奇襲……斥候隊からも死者は多く出てしまったな」リーリウスの表情は哀しみに翳る。


「その、隠密斥候隊についてなのですが……」私はおずおずと掌を挙げて、リーリウスに問う。「五代目国家奪還の際に、何故我々近衛隊が前線に派兵されたのでしょうか? 慣例であれば前線は隠密斥候隊が主導で動くのが道理であると考えますが」


 これは聞いておきたかったことだ。

 近衛隊の本懐は内地の守護。なにより神族の身を守ることが主な責務である。前線に派兵されるなど、当時は全くもって予想していなかった。


 私の問いに、リーリウスは首を振る。


「今の王は私の息子、ユタだ。どのような考えがあったのかは私にもわからない。あるいはまだ未熟故、策があったわけではないのかもしれない」


「そう、ですか……」私はそう言って思考を巡らせる。


 確かにユタ様は王となってまだ日が浅い。若い力は正義感に燃え、直情的な面もある。が、しかしどうなのだろう。何の考えもなく近衛隊を前線に派兵するような人ではないはず――



「それで、話を戻しましょう。アキラ・アマトラについては……」と、ザルマカシム。私は思考を止め、報告を続ける。沈思してしまうとは、やはり疲労が溜まっているのか。


「はい。アウロラ奪還作戦時より行動を共にしていましたがかなり強力な戦闘魔導具アルテマ・マギであったのは間違いありません。

 初めは、アーミラ様が人嫌いであるが故に会話する機能を付与したのだと思っておりましたが、その認識が誤っていたのだと知りました」


「では、報告にあった通りなのか……」リーリウスは肘掛に置いた手に自然と力がこもる。


「はい。アキラ・アマトラは異なる世界より現れた存在で間違いありません。今は神に肉体を与えられ、人の姿を取り戻しました」


「は……」リーリウスは私の言葉に仰け反り、まるで目眩を抑えるように背凭れに身を預けた。「異世界ヴォイニッチ……本当に存在とは……にわかには信じられぬ」


 リーリウスの顔色は少し悪くなる。あまりの事実を前に気を失ってしまうのではないかと私は椅子から立ち上がり、そばに駆け寄った。


「どうされましたか?」


 椅子から立ち上がる私に、リーリウスは手で制す。


「あぁ……ああ。問題ない。少し驚いただけだ。それよりもここからが重要なのだ。

 前線で起こった出来事が全て事実であれば、やはり私が発令した天帝令は間違いではない。どのような世界から来訪したのかはわからぬが、功績も血縁も申し分ない。その男こそラヴェルにふさわしい」


 そう言っておもむろに後ろに顔を向ける。


「セラエーナよ」と、リーリウスは自身の娘である王女の名を呼んだ。


 何時からそこにいたのか、あるいは私達が謁見の間に到着する前からずっとそこに立っていたのか、薄暗い柱の陰にそっと寄り添って、王女セラエーナは目礼を返した。


 ラヴェル・ゼレの血を継ぐ現王ユタの姉。セラエーナはまさに解語の花というに相応しく、端整な顔立ちと透けるような白い肌を持ち、見目麗しい。……が、血が濃すぎる故に病を抱え、生来声を出す事ができないのだ。


 人の言葉を解する、花のように美しい王女。事実、王女は花のように何も言わず、ただその場で微笑むばかりである。


 艶やかな絹の衣を纏い、埃一つない黒大理石の床に裾を引きずって、セラエーナはリーリウスの隣に移動した。顔以外の肌は布に隠されている上に足音も無く滑るように移動する様は、何度見ても幻のようだ。


「明日はわが娘もここに居てもらう。アキラ・アマトラの姿はここ謁見の間から見定めさせてもらうぞ」と、リーリウスは言う。


「はい。承知致しました。

 明日の円卓ではどのように話が運ぶか、私共もわかりかねます故、アキラ様についての容姿や人格などについては当日、ご随意にご判断くださいませ」


 私はそう述べて、ザルマカシムと共に椅子から立ち上がる。深々と一礼をして謁見の間を後にした。


 そうして長い廊下を歩き、奥之院から出ると、神殿で待機していたヤーハバルとオクタが明日の準備を終えたと言う。その報告を受けて私はやっと肩の力を抜いた。


 精も根も疲れ果てて、今日をやり遂げた。

 明日が来てしまう前に一刻も早く眠ろうと決めた。

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