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眠る躰を引きずって❖2


「確認です。治癒術式を試してもらっていいですか?」と、私はヤーハバルに指示する。


「はい……あまり期待は出来ませんが……」


 ヤーハバルは困惑した顔で短杖に魔力を送ると、杖の先に嵌められた魔鉱石が燐光を放つ。

 その光をアキラに浴びせるが、光子は肉体に染み込まず、皮膚の上を滑ると弾けて消える。


「拒絶……していますね」私は注視して呟く。


「やはり、魔呪術は効果がないみたいです」


「……であれば薬でしょうか」私はそう言いながら内心では舌打ちをする。しくじった。その思いと共に幌から後ろを眺める。「確か前線に集めた勇名の中に薬師が居ましたね」


 名前を失念して言葉に詰まらせていると、馭者を務めていたもう一人の部下がこちらに振り向いて口を挟む。


「マーロゥ・()()()()ですか?」


 その言葉にヤーハバルは惜しいと言う。


「マーロゥ・メイディ。危機メーデーなのは私達ですよ」そう言って二人は笑みを作って見せた。こんな軽口を叩くのを見るのも久しい。


 天帝令を遂行しなければならないこの現状、笑い飛ばしてないとやってられないのは彼らも同じだ。


「それで、如何致しますか? 今からマーロゥを呼び出しましょうか?」と、ヤーハバル。


「えぇ、アキラの容態も芳しくないですし、デレシスで合流しましょう」





 マーロゥと合流できたのはデレシスの宮に到着してから実に二()も後のことであった。


「……隣国とはいえ流石に一人では疲れますねえ」マーロゥは蜥蜴から降りて曲がりくねった猫背を伸ばす。


 姿勢の悪い背骨から小気味好い音が聞こえると、心持ち背が伸びたように見えた。彼は賢人種にしては背が高く、獣人種の青年に肩を並べる程はあるだろう。


 まれにそのような形態異常を持つ者がいるのだ。三種族の中で混血の子が持つ特徴であり、むやみに尋ねるのも憚られる。……もしかしたらアキラであればいつものように尋ねるのかもしれないな。


 形態異常を抜きにしても容姿は独特で、長い髪は毛先にかけて脱色しておりひどく傷んでいる。後ろに背負う薬(はこ)もまた年季の入った物らしく角が丸く削れ、木目にまだらに染みができている。かなり使い古された物のようだ。


 彼の雰囲気は、よく言えば薬師らしい怪しさがあり、その道を突き進む人としての説得力を持っている。が、悪く言えば浮浪者のようにも見えてしまう。おそらく一処ひとところに留まらない流浪るろうの民なのだろう。


「こちらの抜き差しならぬ状況に際して甚大なる御配慮、恐悦至極にございます。悪路をおしてデレシスまで来ていただき平にご容赦願いたい」私はマーロゥに頭を下ると、とんでもないと首を振った。


「神族近衛隊の隊長様が私にそのようなお言葉、大変恐縮に御座いますよ。……それよりも、今はアキラ様のご容態を確認させていただきたい」


「えぇ、こちらに。現在は安静にして、容態も落ち着いてはいますが、一人で立ち上がる事も出来ないほどです」


 私は説明をしながら、宮の扉を開けアキラの元へ案内する。





「ほう。このような病躯びょうく初めて診ましたよ」マーロゥは呟く。己が薬師であるというのに隈を溜めているその眼は、アキラを前に微かに見開かれていた。おそらくは好奇の目だと私は悟る。


「どのような病かわかりますか?」


「前例がないので、病の名はないでしょうねえ」マーロゥはこちらに振り返らずに言う。


 腰に巻いた薬匣から金属製の筒を取り出すと栓を抜く。そして中の薬品を手に一滴垂らすとアキラの胸に塗り広げた。揮発性が高いのか薬剤の匂いが鼻に届く。とても清涼感があるが、同時に青臭さもある……薬草の汁だろうか。


 次にアキラの手を布団から出すと、汗疹のように小さな水膨れが出来ている手首を撫でた。同時にもう片方の手で白衣の下から小さな匣を取り出すと丁寧に開き、精巧な部品を取り出しては組み立てる。注射器だ。


 私はマーロゥが何をするのかを理解して、静かに見守った。

 注射器の針は細く、抵抗もなくアキラの手首に入り込むと赤い血液が注射器の中に満たされる。


「病名はなくとも、原因に心当たりはありますよ」マーロゥは注射器を丁寧にしまいこむと、やっとこちらに振り向いて人差し指を立てた。


「原因が分かるのですか?」


「ええ。アキラの胸を見てください」


 マーロゥに促され、私はベッドに眠るアキラに歩み寄ると胸を観察する。

 先程塗り込められた薬の匂いは薄まり、塗布された皮膚は一層赤く爛れている。炎症だ。


「この薬はどうという事もない風邪薬みたいなものです。効果としては熱を和らげ、呼吸を楽にしてくれるもの。成分も薬草から煮出したものですねえ」


 マーロゥは横髪を払うように撫でる。先程使用した風邪薬が指先を介して髪に付着するのを黙って見つめた。なるほど、だから毛先が不自然に脱色してしまっているのかと私は一人納得する。


 マーロゥは続ける。


「しかし、自然に由来する成分にこれ程に皮膚が赤く反応してしまう……とても難病ですねえこれは」


「難病?」私は顔を顰める。


「難病ですよ。彼はこの世界の物質や成分に耐性がないのですから。食べ物から空気……今使用している寝台ベッドだって、アキラ様には毒となります。ほら、針を刺した手首も、少し炎症を起こしていますねえ」


「なんですって……!?」


「まあ、あくまで仮説ですし、二()の間の衰弱の経過を見るに、この世界はアキラにとって非常に弱い毒……体力があれば自然に免疫が備わるでしょうけれど、今のアキラは体力も無ければ栄養失調で衰弱状態。かなり辛いでしょうねえ。

 問題なのはこの病を抑える薬などないということです」


 お手上げですねえ。と、マーロゥは言う。

 そんな能天気に言えることではない。私は痛み出す頭に舌打ちをして、解決策を見出そうとアキラを見つめる。


 痛みを訴えてはいないが、その寝顔はやつれていて、呼吸も浅く弱々しい。


 縋り付くように握り締めた一欠片の石。それは内地に向かう際にアーミラから手渡されたなんの変哲もない砂岩のようなものだったが、不思議なことに掌には湿疹はなかった。……何故だ?


 この世界の全てがアキラの肉体を蝕んでいるとは思えない。何か決定的な原因があるのではないだろうか。


「……いや、そうか……!」


 そこで私は閃いた。

 思えば最初から原因は明確だったのだ。

 アキラの世界に存在しないもの。この世界に存在するもの。

 それは魔呪術マギカ


 アキラの肉体は常にこの世界に満たされている魔呪術に当てられている。本来ならば耐えられる筈が、衰弱している今の体では耐えられなくなっているのではないか。


 それならば内地に来てから体調を崩すのにも説明がつく。なぜなら内地には巨大な防壁を展開する魔導回路が存在しているからだ。

 建国記念式典に起きた禍人種の奇襲から今日、その魔導回路は常時発動状態にある。


 それに、アキラに着せている白衣だってそうだ。強力な治癒術式が練りこまれているではないか!


「マーロゥさん。おかげで解決できそうです」


「おや、興味がありますねえ。具体的にはどのように?」そう答えるマーロゥの表情は、既に答えを知っているような笑みが浮かんでいる。


「毒に対して解毒を行う。それは当然であり間違いはありません。しかし、アキラ様を蝕む毒は何でしょう? ……それは世界であり、魔呪術です」


「……ふぅむ、なるほど。つまり原因を消すというのですか」


「今から宮の防壁を停止します。私達は交代で警備を行いますので、マーロゥさんはアキラ様の看病をお願いします」



❖――視点:アキラ



 いつの間に眠っていたのだろう。

 目を覚ますと俺はベッドの上にいた。


 記憶が前後不覚に陥っているが、幌車に乗ったのは夢か? と、焦点の定まらない目をしばたかせると、天井に見覚えがないことに気付く。あれ、驚異ヴンダー部屋カンマーではないのか。


 ならばやはり、幌車には乗ったのだろう。神殿に向かう途中で俺は眠ったのか。


 そうか。眠ったに違いない。


 肉体を手に入れて、人としての三大欲求を取り戻せたのだ。


 俺はゆっくりと毛布の中で寝返りを打とうとする。体力は依然衰えていて、軋む体を動かすにはひどく努力を要したが、なんとか横向きになると、肌の感触が伝わる。


「……なんで、裸……?」


 俺は呟く。腰履きは履いているが、白衣は脱がされて上裸だ。それに、腕には管が繋がっている。


 ぼんやりと腕から伸びる管を目で追うと、上に垂らされている金属の杯に行き着いた。それは床に設置された支柱にぶら下がり、形状的に中は液体が満たされているようだ。どうやらそれがこの世界の点滴だと理解する。


「俺、倒れたのか……」


 そしてその支柱の隣、椅子に座り静かに眠る一人の女性。カムロがいた。


 俺は声をかけてよいのか逡巡し、結局伸ばしかけたその手をベッドに置いた。果たして何日眠っていたのか、ここが何処なのかさえ分からなかったが、カムロが眠っているということは、少なくともここは安全なのだろう。


 次に俺は、強い空腹感に襲われる。

 長い時間点滴だけで身体を維持していたのだろう、胃はぽっかりと穴が開いたように暗く冷えている。分泌された胃液に内臓が重たくふやけているような、鈍痛にも似た空腹感だ。


 カムロの手には小さな木彫りの皿が膝上に乗せられていた。そして皿にはパンが二つ。

 俺は起こしてしまわぬように、恐る恐る手を伸ばし静かにパンに触れかけた。


「っは……!?」ガタン。と、不意に起き上がるカムロ。椅子から倒れそうになる。


「……びっくりした、起こしちゃったか」俺はパンを手に入れること叶わず、虚空に伸ばした手を引っ込める。


「あ、きら……様。目を覚ましたのですね」カムロは椅子を置き直すと改めて腰を下ろし、続ける。「気配を感じたもので、敵襲かと」


「ごめんごめん。その、お腹が減ってて」俺は視線でパンを指し示す。


「パンだけでは消化に悪いでしょう。それに胃が驚いてしまいますよ。スープを取ってきます」


 カムロはそう言って椅子の上に皿を置いて部屋を出る。扉が閉まるとその向こうで声が聞こえた。


 『マーロゥさん。アキラ様が目を覚ましました』





 ほどなくしてカムロがスープを持って部屋に入ってきた。その後ろにはマーロゥも一緒である。


「お初ではないはずですよ。その様に身構えてもらっては困りますねえ」


 マーロゥは隈の濃い目を垂れた髪の隙間から覗かせて小さく会釈をすると、点滴を取り外しにかかった。


 長身ではあるが賢人種特有の黒い肌。そして傷んだ髪は毒々しく脱色されている。勇名を持つ以上性別は男の筈だが身体は細く中性的。一目見ただけでは女性と見間違えてしまいそうだ。そして極め付けには、背筋が悪いせいで年齢さえも不明瞭である。性別も年齢も判然としない姿。


「て、点滴……ありがとうな」俺は言う。


「おや、知っているのですか?」マーロゥは目だけをこちらに向けて点滴を外している。


 ぎょろりと彫りの深い目玉に射抜かれて、俺はたじろぐ。知っているとは、点滴のことを指して言っているのだろう。


「ああ、知っているよ。向こうの世界でも存在する治療法だ。血管に少量ずつ薬を送るんだろ?」


「詳しいですねえ。……というより、アキラ様のいた世界ではより発展した術があるかもしれませんねえ」マーロゥは浮きたつような声で言うが、瞳は感情が無い。人形のガラス玉がそのまま嵌め込まれているみたいだ。


「その目はどうにかならないのですか?」


 カムロは言葉を挟む。俺がマーロゥに身構えていることが気になるのだろう。


「おや、失礼。こればかりは私にも治せません。幼い頃から前線で暮らしていたせいか、この目はどうにもならないのですねえ」


感情の喪失(アパシー)……ですか」


 カムロの言葉にマーロゥはくつくつと笑う。なんだか不気味だが、幼少の頃からというから、ひどい経験をして来たのだろうか。そう思うと強く言えない。俺は話を戻す。


「元居た世界は確かに発展していたよ。でも、俺はあまり詳しくない。それに治癒術式が無い分、回復力は弱いかな」


「……そうですか、では、生き死には個人の生命力に依ると?」と、マーロゥ。


「そうだね。そこが魔呪術の有無の違いかな」


「いいから早くその点滴とやらを外して下さい」カムロは語気を強めてマーロゥを急かした。スープを置く場所が無い為、カムロはずっと皿を持ち続けていたのだ。





 ベッドの上で上体を起こし、カムロから様々な説明を受けた。


 俺が倒れた事。そしてこの内に起こった出来事。驚く事に、俺は三日間もここデレシスで眠っていたというのだ。


「……原因は魔呪術の力? 俺には効かないんじゃないのか」俺は疑問を口にする。返答はカムロではなくマーロゥから来た。


「精神は鎧と共に三(イバン)を過ごしたのでしょうけれど、切り離された肉体は死にかけですからねえ。……アキラ様の言う『生命力』を操作するのが治癒術式なら、それを跳ね返すのがあなたの肉体。

 面倒な事ですが、常に魔力に当てられているから、体力を消耗してしまうのでしょう」


「はあ」俺は曖昧な生返事を返す。「本当に面倒だな」


 つまり、全ての魔呪術を拒絶する体は、それ故に体力を消耗する。治癒術式さえも俺の体を苛む毒となってしまう。

 そして、この世界に満たされている微弱な魔呪術の気に当てられて、俺はこの世界に酩酊してしまうというのか。


 マーロゥの説明は全て憶測であると言うが、恐らく正鵠せいこくを射るものだろう。俺の身体は上手く力が入らないどころか、視界も揺らいでさえいる。


「前線では平気だったのにな……」俺は呟く。


「それについては、内地に張り巡らされた魔導回路が原因でしょう」カムロが姿勢を正して説明する。「禍人の奇襲を跳ね返した巨大な防壁。それを展開する魔導回路が地下に存在しています。……実際、アウロラとデレシスの国境を越えた辺りから、アキラ様の容態は急変しましたから」


「なるほどなあ」俺は続ける「そういえば、俺の白衣が脱がされているのって」


「治癒術式の効果が、かえって体に障ると判断しました」と、マーロゥ。


「替わりの服は後日揃えます」と、カムロ。


 俺は二人の話を一通り聞いて、手持ち無沙汰に皿のスープを混ぜる。俺に関する重要な話をしている手前、口に運ぶのはためらってしまう……


 胃の形状が手に取るようにわかる。食べ物を求めてきりきりと捻れ、腹の音が鳴る。


「……すみません、食べながらで結構ですので」カムロは言う。


「うわぁ……」俺は顔から火が出る程恥ずかしくなって、項垂れながらもありがたく頂戴する事にした。「ごめん、助かるよ」


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