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記憶/追憶❖4


❖――視点:アキラ



 何をするでもなく、俺はベッドに横たわって呆然と天井を見つめ続ける。酷い風邪のような体の倦怠感と熱に苛まれているが、気分は悪くない。


 まだ、触れ合った唇が感触を覚えていて、数時間前の出来事だというのに、まるで実感がない。

 未だ早鐘を打つ心臓が、夢じゃないと訴える。


 ――確かに、触れ合った。


 儚げな白い肌が持つ体温。

 赤く腫れる彼女の唇。

 握れば折れてしまいそうなたおやかな指。

 濡れた碧眼の瞳に灯した熱量。


 生きているという実感が全身から沸き上り、俺の肌は粟立ち震えた。


 この世界で今度こそ人として生きてみせる。決意を新たに俺は拳を握ると、驚異の部屋にアーミラが戻ってきた足音が聴こえた。それともう一人、誰か連れてきていることに気付く。


 先程カムロに呼ばれたというのだから、二人目の足音はカムロのものだろう。


 アーミラの足音だけが階段を上って部屋に入って来た。


「アキラさん。ただいま戻りました」と、アーミラ。


「おかえり……もう一人はカムロか?」


「はい。カムロさんは下で待たせています。とりあえずこれを」


 そう言ってアーミラが差し出したのは神殿から送られた白衣と外套。念願の服を手に入れた。


「ありがとう。いつまでも裸でいるのは流石に恥ずかしかったんだ……って、これ丈が大きくないか?」俺は手に入れた服を広げる。明らかに獣人種用のものだ。


「余っていたものがこれしかなかったんですから、しょうがありません。……そうだ、着替えるの手伝いましょうか?」アーミラは冗談めかして笑う。その可憐さに不覚にもどきりとしてしまう。


「い……や、一人で出来るよ……」


「ふふ、照れてるんですか?」


 アーミラはとても上機嫌だ。栄養失調で動けないのをいいことにまる一晩アーミラに弄ばれていたので、少しだけ悔しい。

 俺はささやかながら反撃に出る事にした。


「照れてるわけじゃないよ。アーミラの笑顔が綺麗だったから、見惚れたんだ」


 至極真面目な顔をして、真っ直ぐにアーミラを見つめてやる。


「……は、ぅあ……!?」


「やっぱり肉眼で見ると違うな。すごく視界が鮮明で、よく見える。……アーミラ、もっと近くに来てよ」


「あぅ、あ……」透き通るような白い肌は紅潮して、アーミラはわなわなと震える。その姿はとても初々しく、いかにも彼女らしい反応だった。


「はは、照れてるな」


「うぅ……もう! からかわないで欲しいんですけどっ!!」


 アーミラは顔を真っ赤にして手に持った外套を俺に投げつけ、逃げるように階段を降りて行った。

 調子に乗ってやりすぎた。本当は着替えるのを手伝って欲しいのだが……


 人に見られても大丈夫なように、一人で下だけでも履いてみせる。

 ベッドに腰掛け、苦労して白衣のズボンに両足を通すと、早くも体力の限界が来た。

 腕は痺れ、頭は平衡感覚が狂っているような酔いに似た症状。視界も真白くなる。眩暈だ。


 ともかくズボンは履けたのだから、見られても恥ずかしくはない。俺はアーミラを呼んで服を着るのを手伝ってもらう事にした。





 アーミラの手を借りて、俺はやっと白衣に身を包むことが出来た。今は長く伸びた髪を梳かして貰っている。


「時間がかかるなら、この部屋にカムロを入れてもいいんじゃないか? いろいろ話すんだろう?」と、床に座らされた俺が言うと、背後で俺の髪に櫛を滑らせているアーミラは駄目ですと言う。


「ここは私とアキラしか入れるつもりはありませんので」


「なら、もう行こうよ」


「あ、待って下さい。後ろ髪は縛りますか?」


「縛らなくていいから、あ、鏡見せて」


 俺の言葉にアーミラは指を鳴らす。『驚異ヴンダー部屋カンマーに無いものは無い』……初めて板金鎧になった時も、こうして自分の身体を確かめたものだ。


 一人でに階段を上り、俺の前に現れた大鏡。そこに映る俺の顔を確かめる。


「どうですか?」と、アーミラ。


「どうって、何が?」


「三(イバン)ぶりの自分の顔ですから、いろいろと思う事もあるのかと」


 アーミラの言葉に俺は暫く考え込む。目の前に映る俺の顔はすこし頬が痩けていて、髪が長い。雰囲気もすこし老けて見えた。

 この身体も俺に合わせて三年の月日を経過しているのか? それならば白骨化しているものだが……これもきっと神の仕業だろう。


「はっきり言って酷い顔だな」俺はきっぱりと言い捨てる。「身嗜みがまるでなっていない。この状態の俺をよくもまあアーミラは受け入れたな」


 板金鎧と比べたら、死に損ないのこの身体は月とすっぽんである。我ながら恥ずかしい。


「私はどんなアキラも好きですよ」


「……ぁ、う、嬉しい言葉だな。……でも、これで人様の前には出られない」


 俺は言う事を聞かない身体に鞭を打って身嗜みを整える。本来の俺は、もう少し格好いいという事をアーミラに示したいのだ。


 元から髭は薄い体質だが、顎からはぽつりぽつりと無情髭が伸びていてあまりいいものではない。アーミラから剃刀を借りて丁寧に髭を剃り落した。ついでに眉も整え、頬の産毛も剃り落とす。これだけでも印象は大きく変わる。


「……見違えましたね」アーミラが言う。


「だろ? そのうち髪も切ってちゃんと身体が万全になれば、アーミラの隣にいても恥ずかしくない男になれるはずだ」


「私はどんなアキラも好きですよ」


「う……二回目だぞ、それ」





「待たせてスマン。それで、話ってなんだ?」


 身嗜みを整えて、俺は驚異の部屋の一階、書庫に降りた。

 そこで待つカムロは俺を見るなり身体を強張らせる。


「……なんだよ?」


「は、いえ。そうですね。アキラ様は私の事を見慣れているのでしょうけれど、私はアキラ様の本来の姿にまだ慣れていませんので」


 なるほど。

 確かにカムロの言う通りだ。ほぼ初対面の人間に馴れ馴れしく話されていると錯覚してしまうのだろう。


「……まあ、物から人に変わったんだから当然か」


「失礼致しました。それで、話というのは既にアーミラ様に伝えております。アキラ様の保護についてです」


「俺の保護?」


 俺は言葉を繰り返すと、カムロは静かに頷いた。


「この場にヴィオーシュヌ神が顕現しただけでも異常事態です。そこからさらにアキラの正体が異世界人であるという事実は、もはや前線だけでは片付けられません。『三女神の刻印』以来の歴史的事象と言ってよいでしょう。

 禁忌の成果か、神の子か。この世界に生きる全国民に説明する必要があるのです」


「……」


 そんな事をしなくても、とは言えない。

 前線にいる勇名十五名が目撃している異常事態。この事実は隠せるものではない。それは水晶球を通して、隣国のチクタクやデレシスへ、人から人へ伝えられる。

 その渦中にいる俺は、全国民に『極致エストの魔導具』と広く知られているのだ。それが未知の世界から来た人間だと知れば、混乱に陥るだろう。


 禁忌の成果か、神の子か。


「そもそも禁忌って、なんなんだ?」と、俺が質問すると、カムロは一拍の間を空けて、腑に落ちた顔をする。


「女である私に勇名かどうか尋ねたり、知っていて当たり前の常識を尋ねることはこれまでにも何度かありましたが……なるほど。アキラ様が異世界人であることが原因だったのですね」と、カムロは言う。


 ……そして、禁忌の歴史は語られる。

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