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顕現する幼女❖3


 未だ雨脚は弱まらず、到着したアーミラ一行。服はじっとりと重く濡れていた。


「何故アウロラのみがこのように嵐なのじゃ……」と、悪態を吐くのはオロル。


 その口ぶりから察するに、チクタクでは嵐は来ていないらしい。

 局地的……いや、これもまたあの童女の力ではないかと穿ってしまう。


 雨を吸ってじっとりと重くなった肩掛けの端を絞り、額に張り付いた髪を申し訳程度に整えると、空を睨んだ。雨を弾く空気の壁、オロルとアーミラは眼を細める。


「この結界は誰のものじゃ? 妙に揺らぎのない結果じゃ、勇名か?」


「いえ……」私は首を振る。「ヴィオーシュヌ神です」


「は?」


 オロルは口を開けたままこちらを睨む。三白眼の冷たい視線が刺さる。――先刻、ガントールに指示され、二人を水晶球で呼びかけた際、私はあの童女が神であるとは信じていなかった。なので、ただアウロラ奪還成功とアキラ行動不能である旨を伝えるに留めていた――なのでその反応は当然のことである。


 私は趣味の悪い冗談などでは無いと、視線を返す。


「報告では伝えられていない部分があるじゃろうとは予測しておったが……あまりに現実離れしておるな」オロルは腰に手を当てて状況を見渡す。


「申し訳ありません。しかし私達だけでは決めかねる異常自体なのは確かです」


 私がそう言うと、オロルはふんと鼻を鳴らした。


「やあ、我が娘たちよ」

 私の後ろから神が声を掛ける。


「娘……?」と、アーミラは身を強張らせて警戒する。


 神はにこやかに迎え、手を振っていた。

 一方的にこちらを把握しているその態度、友好的であればあるほど不気味に映る。


「カムロよ、まさかとは思うが……」オロルは眉を顰めて言う。


 戸惑う私に変わり、応えたのはガントールである。


「ヴィオーシュヌ神だ。私も信じられないが、どうやら間違いないらしい」


「……! ガントールさん……!?」アーミラは戦慄に眼を剥いて、震える指をガントールに向けた。「腕……腕が……」


「あぁ、少ししくじってしまってな、問題ないよ」ガントールは瑣末ごとのように言うが、二人の表情は晴れず、一人前線に立たせてしまった事を心苦しく後悔しているように見えた。





 警戒心は高まるまま、アーミラとオロルは神の前に立つ。そこで眠る板金龍に気付くと、アーミラは短く悲鳴を上げた。


「ひっ……!? ア、キラ……さん……?」


 人嫌いであることは、極致エストの魔導具と共に今では広く知られている青の魔女。

 そのアーミラが、呆然とした面持ちで板金龍に向かい歩み出す。そこに座する神は頬杖を付きながらアーミラを見つめ、待ち受ける。


 ガントールは何も言わずに事を見つめる。オロルはそれに倣おうとするものの、内心穏やかではないようで、表情に余裕はない。


 アーミラは虚ろに呟く。


「アキラは……? 何処ですか……」


 神は脚を組んで流し目にアーミラを見つめ、面倒臭そうに息を吐いた。何度も同じ事を説明するのが嫌なのか、そのまま無視をするかに思えたが、ゆっくりと口を開いた。


「そんな顔をするなよ。アキラは眠っているだけさ。この世界に来て、初めての眠りだね」


「眠り……」アーミラは呟き、泣き出しそうな顔を両手で覆い隠した。「返して、返して下さい……」


「おいおい。取り上げたのは君だろう。我が娘よ」


 神は腹の底からしんと冷たい声を響かせる。決して大きな声では無かったが、離れて耳をそばだてる私達にもはっきりと届いた。


 『取り上げたのは(アーミラ)だろう――』


 その言葉の真意とは何か。

 神は続けた。


「禁忌」人差し指を立てて、神は言う。「魔鉱石から魔力を抽出し、様々な魔呪術マギカへ変換する上での不可侵領域。命の生成」


 アーミラは身を屈めて地面に座り込む。まるで言葉そのものがその身に突き刺さったかのように苦悶の表情で。


「私の与えた天球儀の杖には歴代の次女が繋いだ文献と、蒐集された書が収められている。それに、魔鉱石だって潤沢だったろう。何より緋緋色金の板金鎧があった。環境は整っていたね」


 アーミラは微かに首を振る。神の言葉を拒絶したいがための、力ないものだった。


「誰の目も届かない驚異ヴンダー部屋カンマー。そこで君は禁――


「やめて!!」


 絶叫。

 アーミラは今まで見た事もない表情で神を睨む。気圧されたのは私だけかと、辺りを窺うと、ガントールとオロルさえも身を強張らせていた。


「やめて、下さい……」


 神は脚を組み直し、頬杖をつくのを止め、前のめりにアーミラを眺めた。


「……わかったよ。かわいい娘がやめてというなら、この話は省こうじゃないか。

 元の世界から、元の肉体からアキラの魂を取り上げた事実さえ理解しているのならそれで充分だ」


 アーミラは何も言わずに蹲る。その背中が震えていた。

 泣いているのか……?


「……アーミラ、平気か?」ガントールは歩み寄る。アーミラは嗚咽を漏らしながら、ガントールの手に引かれる。


 ガントールは神に視線を向けて抗議する。


「もういいだろう? いい加減に話してくれ」


「……やれやれ。我は最初から話すつもりだったさ。話の腰を折るのは君達だろう」


 オロルは神の方へ耳を傾けながら、アーミラの手を取って、隣に座らせた。


「わしらは黙る。進めてくれ」


 神は頷くとこの場の一人一人を見回した。


「……では改めて……」と言って、一つ手を叩く。「アーミラにとって、そして何より井上(アキラ)にとって、良い報せだ」


 神は打ち鳴らした両手を広げ、前に掲げた。


 パリッ……


 神の広げた手、その空間に火花が散り始める。

 そこからは一瞬だった。


 空間そのものが幕を開き、その裂け目から裸の人間が産み落とされる。神は両手で受け止めた。


 成人男性の肉体。一見して魔人種のように思えるが、耳は丸い。賢人種にしては背が高く、皮膚の色は獣人種に似ている。だが、頭角は無い。


 賢人種、魔人種、獣人種のどのような特徴も持たず、その長く伸びた黒髪や筋肉の無い細い体はまるで女のようで中性的である。


「これが、アキラの肉体だ……」神は歯を覗かせて笑う。


 皆が目を奪われ、動揺した。


 どの人種にも適合しない肉体。

 この身体がアキラの本来の肉体だとするなら、それは神ヴィオーシュヌととても似ている。





 私は、未だアキラの存在が何であるのか、確信できずにいた。

 不敵な笑みを浮かべている童女がヴィオーシュヌ神であるということさえ、にわかには信じ難い。


 まるで、私を置いて世界は進もうとしているようではないか。


「今更話を蒸し返すようで悪いのですが、神ヴィオーシュヌ様。貴女が本物である確信が私には無い」


 私は一歩前に出て進言する。再び口を消されるか、今度は鼻も消すと言っていた。

 それでも、知らなければならない。

 このまま流されてなるものか。


 覚悟を決めた私に対し、神は意外にも穏やかに見つめ返す。


「ふむ……継承者の娘も揃っているし、丁度いい」神は一人呟くと頷き、男の身体から手を離す。


 アキラの肉体とされるそれは、地面に落下することなく宙に静止した。そして地面に対して平行に滑るようにして神の横へ移動させられる。


「望み通り、この世界をはかる力を我が娘達に今一度託そう」


「ぅぐ……あああぁぁぁッ!!」


 神がそう告げると、ガントールが突如呻き出した。

 ガントールだけでは無い。後に続くようにアーミラも胸を押さえて蹲る。


「い、た……ぃ痛い! 嫌……!!」


 最後にオロル。継承者は長女から順に痛みを与えられる。


「かは……っ、ぬぅぅぅ……」


 苦悶の表情。それぞれが背中、胸、掌の痛みに悶え、膝をついた。


 オロルは傷を確かめるために掌を見ると表情が凍る。それは近くに居た私からもはっきりと確認できた。


三女神ホーライの刻印……!」


 私は驚愕して声を漏らす。アーミラはその言葉に一瞬、オロルを見つめると、すぐに自分の胸元を確かめた。


「う、そ……嘘ですよ……」


 アーミラは信じられないと首を振る。


 禍人種の奇襲からずっと、欲していた力。

 二度と背負いたくは無い使命と共に、その身に宿る。


「おお、刻印だけでは足りないな」神はそう言って指を鳴らす。


 小気味良い音は、同時に現れた稲妻の轟きにかき消された。


 強烈な閃光が視界を真白に焼くと、そこには神器が顕現していた。まず目に入るのは巨大な柱時計。上面に配された文字盤は見上げなければ確認できない。塔と形容した方が正確に思える程巨大だ。


 その足元に天球儀の杖と、斬首剣が地面に突き立てられている。


「これが三種の神器」神は言う。


 力の獣人種。ガントールには天秤の長女。

 技の魔人種。アーミラには天球儀の次女。

 心の賢人種。オロルには柱時計の三女。


 知識として、私は確かに知っていた。

 それでも、目の前の光景にただただ目を奪われる。

 もう疑うことは出来ない。





「はっ、ははは……神に、違いない……」ガントールは背中の痛みをこらえ、よろめきながら立ち上がる。「でも、神だっていうのなら、私の腕を治してくれたっていいんじゃないか?」


 ガントールは残る左腕で斬首剣を引き抜くと、地面に突き立て杖のように扱い、苦労して立ち上がる。


「我が娘の頼みとは言え、それは叶えられぬ。我は今、アキラの肉体で手一杯でな。ガントール君、これからは義手を付けるなりして頑張ってくれたまえ」


 そう言うと、神はアキラの肉体を地面に安置させた。


「彼はもうすぐ目を覚ます。私はまた見守らせてもらうよ」神はふわりと空に浮かび、鼻越しに私達を見下ろす。微かに口の端を吊り上げて続けた。「では、これからの活躍を期待しているよ」


 パチン。


 虚空に指を鳴らす音が響くと、空にはもう神はいない。

 降り止まないと見えた雨も、アウロラを覆う雷雲も晴れて、嘘のように綺麗な星空が広がる。


 まるで夢でも見ていたようだ。

 濡れた土の上、アキラの肉体は眠り続けていた。微かに上下する胸、ぴくりと動く指先。戦闘魔導具アルテマ・マギと思われていたそれは、一人の男として肉体を手に入れた。


「どうしたものか……」


 私は呟いて星空を眺める。

 どうやら今夜は眠れそうにない。


 千切れた雲間から覗く月は、神の笑みに似た下弦の月であった。

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