顕現する幼女❖2
❖――視点:カムロ
激しい雨が降り注ぐ中、アキラは神の言葉によって沈黙した。
板金龍の体は支えを失って地面に倒れる。
まさに眠りにつくように。
一体、何が起こっているのか。
アキラと神の間で交わされた幾つかの言葉。『元の世界』『記憶』『妹』……全ての点は線となり、一つの可能性にたどり着く。
アキラは戦闘魔道具ではない。
約三年前にも、私は同じような疑念を抱き、神殿の出征式典で審問を行った。そして、禁忌の成果ではないという結論に至ったはずだ。
しかし、ならばこの状況はなんだ?
アキラと呼ばれる極致の鎧。アーミラによって作り上げられたとされる人を模した戦士。その魂の正体……
「くそ……ッ」私は苦々しげに眺めることしかできない。
アキラは何者なのだ!?
「カムロ」と、ガントールは不意に私を呼ぶ。「アンタはたしか、水晶を持ってるよな。それでオロルとアーミラをここへ呼び出してくれないか。……おそらく、今ここにいる者だけではアレは対応できないだろう」
ガントールの提案に私は頷く。
アウロラ国内は奪還成功と見ていい。雑兵の討伐も落ち着いたようで、ずいぶんと静かになった。辺りには雨の音しか聞こえない。
もうすぐここに勇名達が戻ってくるだろう。
「……承知、致しました。お二人をお呼び致します」
❖
雷雲立ち込める嵐の夜。水晶球より召集した二人の継承者は未だ来ず、私達は到着を待つ。
今ここには勇名十五名とガントール。そして私が集まっている。
重苦しい奇妙な沈黙。勇名達の視線の先、板金龍は未だ沈黙し、その腹の上に童女がゆったりと座していた。
自身を神と名乗る童女を中心に結界は生成されており、雨は不可視の球体表面を滑るように流れて行く。その笠は広く、しとどに濡れてしまった私達も雨風から護られており、吹き付ける風も穏やかに感じられた。
「カムロ隊長……なんなんですか、あれは……」と、声を潜めて耳打ちをしてきたのはヤーハバル。
アウロラ奪還成功の報せを持って邸の前に戻ってきた彼等。手柄顔であった彼等の表情も曇っていた。謎の童女の姿に戸惑うのも無理はない。
私とガントールの様子から、童女が敵ではない――少なくとも攻撃の指示を待つべき――と判断したようだが、地面に寝転び、黙って椅子の扱いを受けている板金龍には目を丸くしている。
「信じ難い事だが……もし、あれがヴィオーシュヌ神だと言われたら、お前はどうする?」
私は顳顬を抑え、ヤーハバルの質問に質問で返す。自分でも嫌な性格だと辟易するが、現状では明確に説明する事は出来ない。
「あの子供がそのような事を……? まさか、信じるのですか?」ヤーハバルは私の肩を掴む。
「当然疑ったさ。しかし、力を見せつけられては信じるしかない」
私はあの童女の力を見せつけられた。
何の詠唱も行わずに、私の口を塞いだあの力。
あれは呪術に属する術の一つだろう。しかし、他人の形状を一方的に操るなどという術は今まで聞いた事もない。本来呪術とは生物の心に作用するものだ……あの力は、まるで生物を物のように……
「そう……信じるしかない」私は繰り返す。誰にでもなく、自分に言い聞かせるように。
魔呪術というものは全て代償を伴う。通常ならば魔鉱石を消費する事でその代償は支払われるが。しかしあの童女はどうだ。布一つ纏う他にはなにも身に付けていない。何を代償にしてあるのかさえ、私には見破る事は出来ないでいる。
もし、それに種や仕掛けがあるとしても、相当な手練れである事は間違いない。
敵であった場合、勝率はどれだけのものだろう。
もし鼻を塞がれたら……それだけで息は出来ない。
もし、指を丸められたら……それだけで得物を握る事さえ出来ない。
だから私は祈るしかない。
どうか神であってくれと。
「寛ぎたまえよ」神は言う。「星が見えぬ今宵、残りの姉妹継承者は暫くかかるだろう。それまでずっと気を張っているつもりか?」
「貴女が本当にヴィオーシュヌ神であると分かれば、私だって寛げるさ」そう言ってガントールは腰掛けていた瓦礫から立ちあがる。片腕を失った痛みは癒えたのか、刻然とした足取りで神の前に立つ。「ずっとそうしてアキラ殿の上に座っているが、アキラ殿はどうなったのだ?」
ガントールは武器ではなく言葉によって真っ直ぐに切り込む。誰もが疑問を抱きながら声に出せずにいた疑問。遠巻きに眺める勇名達は息を飲んで二人を見つめた。
神は板金龍に背を預けたままガントールを見上げ、答えた。
「此奴は今眠りの中にいる」
「眠り?」と、ガントール。
「長女継承者よ、君は知っていたね。アキラが異世界から迷い込んだ魂であると」
私は二人の会話に耳を疑う。
まさか、ガントールまで何か事情を知っているとは思ってもいなかったのだ。
「ああ。アーミラとアキラ本人から教えてもらった。『記憶を失くしてしまった』と。……オロルだって知っている」ガントールはちらりとこちらに視線を向けた。全て隠す事なくこの場で話すつもりか。
「そう……アキラは記憶を失っている。可哀想だと思うだろう? 実際に君もそう思っていた筈だ。オロルに至ってはアーミラを叱りもしたね」
「見ていたのか……?」ガントールは驚く。
「神だからね」と、さしてどうという事もなく応え、続ける。「そしてアキラは記憶を取り戻す事も、肉体を取り戻す事も諦めた。この世界に馴染んでしまったんだよ。人ではなく、物として」
「アキラは今だって人だ。物に成り下がってなどいない……」ガントールは強かに訂正を求め、反論した。
「いいや、物だね。一揃えの板金に魂が入っているだけさ」
ガントールは無言のまま神を睨むが、神は抗議の視線を前に涼しい顔。愉快そうに口の端を吊り上げてさえいる。
「ガントール。君がどう思っていようと人の定義は揺るがない。継承者の娘三人が人の様に扱うそれは、大勢の民からすれば傀儡だよ。話を先に進めて構わないかな?」
「……ちっ……」ガントールは不満を隠す事なく、睨む視線を逸らした。
今は状況を明らめるのが先だと理性では分かっている。受け入れがたい事があったとしても、今は飲み込むしかない。
たとえ信仰している神がこのような童女であっても。
「神に向かって舌打ちとはねえ。これでも我は君達の母なのだが……まぁよい。話を続けよう。我は優しいからね。
さて、優しい神である我は、アキラを人に戻してあげようというのが、つまるところの結論だ」
「人に戻すとは?」と、ガントール。
「……おっと、まあ待ちたまえよ」
神は手で制止する。話を先に進めたがっていた癖に、底意地の悪い神だ。ガントールは拳を固めてため息を吐く。
「まぁまぁ、遅かれ早かれ全てを話すさ」と、神は言い、人差し指を立てて前方を指す。
対面しているガントールの後ろ、私達のさらに後ろ側へ。
示された先には闇夜。未だ降り止まぬ嵐が映る。そして一つの灯り。アーミラとオロルを乗せた幌車が向かって来ていた。




