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顕現する幼女❖1


 五代目次女国家アウロラの奪還を目前にして稲妻が轟き、地を焼いた。その火中から突然、幼女おさなごが現れる。


 それは年端もいかない可憐な姿で射干玉ぬばたまのように綺麗な黒色のうねりのある髪を風に踊らせていた。


 纏うものは絹のように滑らかな光沢のある白布のみ。素肌は微かに燐光を放って見えた。


 この前線に生きる者としては明らかに異質な雰囲気。俺達は警戒して身構えるが。果たしてこれは敵の奇襲か……


「肉体を失くして、次は心を失くしたか? かかっ」


 幼女は一人呟いて、笑う。

 吸い込まれそうな七色の虹彩。幼女の瞳は俺に向けられていた。


 ――お前は……お前は誰だ?


 俺の問い掛けに対して、幼女は腕を組んで唇に手を添えた。勿体振るような素振りをして微かに笑みを作る。


「我は、人の定義するところの神である。名前があるとするならば『ヴィオーシュヌ』と呼ばれているよ」


「そんな……!?」カムロは驚きを隠せない。「誰が信じられる……ッ! 我らが神、ヴィオーシュヌが……貴女だと」


 神殿を中心に、賢人種、魔人種、獣人種が厚く信仰している一つの宗教。それがヴィオーシュヌ信仰だ。禍人種と永きに渡り繰り広げてきた争いも、発端は宗教戦争。


 唯一神であり、この世界を作ったと信じられているそれが、今目の前にいると言われて、そう易々と信じられるわけはない。


 しかし幼女は笑みを絶やさない。


「我の真贋は嫌でもわかる時がくる。君に構っている暇はないよ」


 そう言ってカムロをあしらうと、俺に向かって歩き出した。カムロはぐっと憤りを堪え、通り過ぎるその背中を睨んでいた。

 荒れた土の上をひたひたと裸足で歩き、俺を指差す。


「井上(あきら)。この世界の外来種にはいよいよ目を瞑ることが出来なくなった」


 ――イノウエ……アキラ……?


 俺は幼女の言葉を繰り返す。時間をかけてその言葉の意味を理解する。とても懐かしい響き、他ならぬ俺の名前だ。


 確かに俺は三年前にこの世界に迷い込んだが、『外来種』とは、酷い言い草だ。


「我の生み出した世界に現れ、ことわりを無視して好き勝手に暴れ回る不死の魂よ。……しかし、可哀想な魂よ」


 幼女の口振りは間違いなく俺の正体を知っている。

 あるいは神ヴィオーシュヌで間違いはないのかもしれない。


 幼い見た目に相応な、悪戯っぽい笑み。

 板金龍の俺を見上げ、口の端を吊り上げ呵呵かかと笑う。


 ――可哀想とは、何が言いたい……?


「そのままの意味よ。肉体を失い、記憶を失くし、今は心も既に人でなくなろうとしている。哀れとしか言いようがない」


 ――心?


「君は今、元の世界へ帰るどころか、この世界で肉体を欲する事さえ諦めておる……否、鎧に収まり、人殺しも厭わない傀儡に成り下がった」


 ――だから、何が言いたい。


 俺は微かに語気を強める。


 この神とやらは全てを理解した上で飄々と俺の精神を逆撫でている。

 挑発しているのか、その真意はわからないが、いい気分ではない。


 俺の視線を跳ね返し、何も言わずに微笑む幼女。

 雷鳴が辺りに轟き、盆をひっくり返したような豪雨が降り出した。


 俺は言葉を続ける。


 ――お前がなんであれ、俺は傀儡と呼ばれようと構わない。この世界の平和を勝ち取るには、禍人種は殲滅すべき敵であることに変わりはない。


「かかっ! これは傑作だな!」俺の言葉に幼女は笑う。そしてゆったりと俺を見上げて尋ねる。「『善意で人を殺した』と言い張るつもりか?」


 冷ややかな視線。見た目に不釣り合いな言葉使いも相まって、物々しい雰囲気を纏う。


 ――俺は……


「ちょっと待って下さい!!」カムロは俺と幼女の間に立ち、話に割って入った。「アキラ、この童女の事を知っているのですか? それに、肉体を失ったとはどういう――」


 パチン。


 幼女は指を鋭く打ち鳴らす。

 本格的に降り出した嵐の中でその身はからりとしていて、雨は見えない壁に弾かれていた。


「ふん。静かにしたまえ。今、我が話している」


「――む……!? ぐ、んぅ……」


 カムロはくぐもった声を漏らし、水溜りに膝を折る。


 ――どうした……っ!?


 俺はカムロを見つめると、直ぐに変化に気付いた。

 カムロの口は綺麗に塞がれていて、まるで口など元から無かったように皮膚で覆われているのだ。

 カムロはその身に起きた異変を理解できず、鼻を鳴らして必死に叫ぶ。


「ん、むぅん……!? んんぅ……!!」


 ――おい、お前がやったのか……!?


「当然」と、幼女は唇に指を当ててなぞってみせた。この程度の魔呪術は造作もないと、挑発的な瞳が語る。


 ――元に戻してくれ。


「別に構わないが、次にまた我の邪魔をするのであれば今度は鼻も消してあげよう」と、幼女は指を鳴らす。


 パチン。


「かはっ……」


 カムロは開かれた口から咳き込むように息を吐いた。自分の顔を撫で回して唇を確かめる。塞がれていた口は元通りだ。


「そこの長女継承者とともに大人しくしていたまえよ」と、幼女は払うように手を振る。長女継承者とはガントールのことか。


 先程から一言も発しないガントールの方へ俺は目を向けると、鋭い眼光で見つめていた。片腕を失った今、冷静に事態を見極めようとしているようだ。


 カムロもまた敵う相手ではないと理解したのか、これ以上は何も言わずに従った。異常事態ではあるが、この幼女との無闇な戦闘は避けたほうがいい。正体も手の内も不明な以上、賢明な判断だろう。


 カムロの背中を眺めて幼女は短く笑う。


「かかっ。……話を戻すが、つまり我がここへ現れたのは、『調整』のためよ」


 ――調整……?


 俺は再び言葉を繰り返す。目の前の幼女が神か否かは問題ではない。この異質な存在が只者ではない事は既に理解しているし、それで充分だ。

 問題は俺に対しての要件。その調整というものが何を意味するかに絞られた。


「我の作り出した世界。その盤面には理があり、法則がある。その上で人の()()には行われて然るべきだ。……しかし、井上慧。君は理の外、法則の外から現れて私の盤面をかき乱す」


 幼女は腹立たしげに言うが、表情は言葉に反して愉快そうだ。幼女は続ける。


「……だが、大いに楽しませてくれたのも事実。よって我が、君を調整する」


 幼女は手を伸ばして、次にゆっくりと下へ落とす。ある種の魔呪術を行ったのか、俺の首はその手の動きに追従して強制的に首を垂れる。


 ――何をするつもりだ……?


「井上慧にはただ一人、妹がいた。覚えているかな?」


 ――妹? ……そんなものは知らない……


 俺は答える。噓偽りなく、俺はそんな記憶を持ち合わせてはいない。

 ただ、かすかに胸は騒ついた。


「元の世界、『日本』という国なら覚えているだろう? 失った記憶、忘れ去った記憶、全て取り戻させてやろう」


 ――や、やめろ……


 俺は身の危険を感じ、迫る幼女から後退あとずさろうとした。しかし、体は固められ、自由が利かない!


「何故。大切な記憶であろう? やめろとは、何に怯えている?」


 俺はその質問に答えられなかった。

 自分でもなぜそんな事を言ったのかわからない。無意識のうちに口をついて出てきた言葉だ。

 そして、幼女の言う通り、何かに怯えるような仄暗い恐怖の感情が胸の内に湧いている。


 ――お前は……本当に神なのか……?


「これからその答えが分かるだろう。さあ……」


 幼女は穏やかな笑みを浮かべて俺を見つめると一言命令した。


 『眠りたまえよ』


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