継承者、神殿に集う❖1
およそ半日。この世界では十二時間かけて山沿いの道を歩き、街を抜ける。
そこには、下の街と同じように門が建てられていた。魔獣が入り込まないように、石垣の壁で囲い、街を守っている。
山から入り込む魔物が多いのか、下の街で見た門よりも堅牢な印象だ。
その門を潜り、街の外へ出てしばらく、辺りは草木が茂る林となった。葉が日光を遮り、薄暗い。元はこの辺りも街だったのか、崩れた煉瓦の建物や舗装した道など、街の名残が散見される。
――なぁ、魔物って強いのか?
俺は再び不安になって、アーミラに確認する。
「まさかぁ、街の近くにいる魔物なんて、戦士でなくても三人で袋叩きですけど?」
アーミラは既に勝利を疑わない。
街の人間三人でも倒せる魔物。しかし俺には圧倒的に実践経験がない。
辺りを警戒しながら、先へ進むと、微かに嫌な気配がする。
グルルル……
低音の唸り声が響く。
「ひっ!? ……き、来ましたよ! 殺っちゃって下さいアキラさん!」
アーミラは魔物が来ているというが、この林の中、俺はまだ相手の姿を見つけられていない!
――どこ!? 待って、これ怖い!! 俺の武器は?! あっ、ヤベェ怖い! ヤダ!! 逃げる!!!
こうなるともうパニックで、俺は林を走り出す。かろうじて残っている良心でアーミラの手を掴んで、共に逃げる。
「えっ? ちょっと、アキラさん? 戦ってほしいんですけど!?」
アーミラが後ろで野次を飛ばす。しかし振り返る暇はない。すぐ後ろから迫る魔物は林を駆け抜けて距離を詰めている。
踏み鳴らす木の枝がパキパキと音を立てて、容易く回り込まれた。
――熊!?
一目見てその魔物が熊に似ていると認識できた。
黒く硬い体毛に覆われて、背丈は二メートル程。四足歩行だが、ずんぐりとしていて力強い四肢には鋭い爪が生えている。
「あれが一番初心者向けの魔物ですけど、戦えないんですか?」
――…これが初心者向け? 勝てる気がしないんだが、アーミラは倒せるのか?
「私は無理ですが」
――なら、逃げよう!!
今度はくるりと向きを変えて、来た道を戻り走る。獣の唸り声がすぐそこまで近付いてきて……間一髪。驚異の部屋の中に逃げ果せた。
「困るんですけど! アキラが戦えなきゃ困るんですけど!!」アーミラは俺に詰め寄って抗議する。言っていることは分かるが、無理だろ。
――せめて武器はないのか? この部屋に無いものはないんだろ?
俺は部屋の二階へ上がり、古物店のような有様のアーミラの部屋を見渡すが、武器らしいものはない。石と本ばかりだ。
「はぁ、武器はありませんよ」
――じゃあ盾は?
「無いですけど」
――ちくしょうめ!
「……そもそも、アキラは全身鎧なんですから、噛まれても傷一つつきませんよ」
アーミラが放ったその言葉に、俺は虚を突かれて思考が止まる。そして、冷静に自分を見つめ直す。
――……あー。
確かに。
自分が鎧であることを忘れていた。
この体には肉体は無く、故に心臓や首といった急所もない。
「一度、外に出て魔物の攻撃を食らってみて下さいよ。痛かったらここに避難すれば良いので」
アーミラの提案に従い、俺は再び杖の外に出る。魔物は興奮に充血した目で俺を睨み、今すぐにでも襲い掛かる勢いだ。
ゴロゴロゴロ……
グルルル……
雷鳴のような音を立てる魔物。冷静に対峙し続けてはいるものの、その恐ろしさたるや。
――こ、来いよ……!
俺は拳を固めて構え、闘争の意志を示す。魔物は昂り、気が触れたように襲い掛かる!
バギンッ!
左肩に強い衝撃。魔物が繰り出した鋭い爪の切り裂きは鎧に弾かれる。
――痛くない…? これなら……ッ!
戦える!
魔物の全力がその程度なら、この鎧は傷一つつかない。まして瞬きの出来ない視界は、魔物の動きを見逃さない。
もはや、魔獣をあしらうことなんて赤子の手をひねるようなものだ。
――手のひらを返すようで悪いが、負ける気がしないぜ。……熊さんよ、まだやるか?
魔物の力量を理解して、俺はもう恐れは無くなった。これ以上は児戯に等しい。
魔物は激昂し、猛々しく吠えてみせるが、俺は怯まない。そのまま突進する巨体を間近に、横に回避して、そのまま捻った上半身を予備動作にして、魔物の横腹に拳を入れる。
魔物も力量を理解したのか、恨みがましく唸ると、林の奥へ逃げて行った。
「うまくいったみたいですね」アーミラはことが終わるのを見計らい、杖から出てきた。
――最初はビビったけど、この調子ならなんとかなりそうだな。
アーミラは『ビビる』という言葉が理解できていないようだったが、ともあれ魔物撃退に成功したことを喜んだ。
「このままアキラは戦闘に慣れて頂いて、二日、遅くても三日も歩けば、神殿には着きます」
❖
そして二日の道中を歩き、神殿に辿り着いた。
道中ではそれなりに魔物との戦闘を行ったが、熊型の魔獣ばかりで、鼻面を叩けば尻尾を巻いて逃げていくばかりだ。
「ここから先は神殿となります。身分証明のご協力をお願いします」
神殿の巨大な門の前で、門番に身分証明を促される。
俺は身分証明なんてできないので、アーミラに任せることにした。
「あぅ……三女神の……その、…三女神ですけど」アーミラは露骨に人見知りしている。そういえば街でも人目を避けていたし、俺以外の人とは話そうとはしなかった。
「あの、申し訳ありません。もう一度お願いします」
「ひっ?!」
アーミラは門番に詰め寄られて、引き攣った悲鳴をあげると、俺の後ろへ隠れる。
俺がやるしかないようだ。異世界のルールを知らないから、自信がないのだが……。
――あの、申し訳ありません。この方は三女神の刻印を持つアーミラ……? アーミラです。
「あぁ、お待ちしておりました。念のため幾つか確認させて頂きます。まず、お名前を全てお答え頂けませんか?」
――だってよ、ほら。頑張れ。
俺は背中に隠れるアーミラを優しく前に押し出す。
「ア、…アーミラ・ラルト…カンテ・……アウロラです…」アーミラは人見知りと緊張の閾値を超えて、もはや涙目。顔も赤い。不安で不安でしょうがない。門番も同じ気持ちらしく、勤めて優しい笑顔を見せてくれる。
「はい。ありがとうございます。
では、申し訳ありませんが、最後に、三女神の刻印を確認させて頂きます」
「つ、杖じゃ…だめですか?」
「杖では……本人である確認が取れないので」
「うぅ、む、無理です……。帰ります……」アーミラは心が折れた。
「えっ? あ、あの、どうされました?」これには門番も狼狽える。
選ばれし三女神の一人であるアーミラが来ているのに、ここに来て帰ろうとしている。
俺はアーミラを引き止め、門番に事情を説明する。
――すみません! こ、この子、人見知りで。…それに実は、刻印が胸にあるから、見せるのが恥ずかしいみたいで……。
「な、るほど、なるほど。…えぇと、女性の方を呼んで参りますので、その方に刻印の確認を行ってもらいますね」
門番、いい人じゃないか。
しばらくして女性の方が門番に連れられて来た。
門番と俺から離れた所で、アーミラは恥ずかしがりながらも、法衣の中から刻印を露出させた。
遠くから俺と門番はそれを眺める。
「ところで、貴方はアーミラさんの護衛ですか?」
――え、えぇ。アーミラ直々に指名されて、行動を共にしています。
「……大変ですね」
――は、ははは。
❖
程なくして、女性の方から確認が取れた。
「間違いありません。この方は三女神の刻印を持つ、天球儀の次女継承者です」
「…はい。確認が取れましたので、門の先へお進み下さい。ご協力ありがとうございました」と、門番。
――ありがとうございます。…ほら、アーミラもお礼言いなさい。
「あ、ありがとうございましたっ」
巨大な門、そこに設置された勝手口を潜ると、広大な敷地の中央、神殿が聳えていた。
山の山頂に築くに相応しい神聖な意匠。石畳の床は磨き上げられて、山から歩いてきた俺たちの土汚れが恥ずかしい足跡を残している。手前で土を落としておくべきだった。
「ここからは私がご案内致します。カムロと申します」
先ほどアーミラの刻印を確認した女性が、そのまま案内を引き継いだ。
――よろしくお願いします。
カムロと名乗った女性に続いてアーミラ、その後ろに俺がついて行く。
整然と並ぶ円柱を通り過ぎて神殿の脇の道を進み、奥に回ると、少し大きな建物が静かに門を開いている。カムロは手で視線を誘導して、説明する。
「こちらがアーミラ様とお連れの方が泊まっていただく宿になります。先に到着されました三女神の長女継承者、リブラ様もおりますよ。
宿では施設内に山からの源泉を利用した温泉もございます。全て三女神継承者様の為に用意させて頂きました。ご自由にお使い下さい。…そちらの、鎧のお方も是非」
――はー、凄いな。
神殿の巨大さには劣るが、この宿も充分に大きい。今までの驚異の部屋での生活は野宿みたいなものだ。
「それでは、本日はごゆっくりお休み下さい」カムロはにこやかに告げると案内を終了して、去って行った。
俺はお礼を言って見送る。
「アキラ、早く入ろう!」と、アーミラ。
――あぁ、そうだな。
俺は一つ頷いて中へ入る。
宿に入るとロビーがあり、二階に繋がる階段は左右の廊下に伸びて、各部屋に繋がる。
一階の奥には温泉だろう。水の流れる音が縷縷と聞こえる。
アーチを描いて天井を支えている内部構造のおかげで、天窓からの午後の日差しがロビー全体を照らしている。天使の姿が描かれた壁画が出迎えて、俺がこんな所に足を踏み入れていいのかと、少し萎縮してしまう。
「アーミラ様と、お連れの方ですね。…すみません、お連れの方、お名前を」
――アキラです。
「アキラ…様ですね。よろしければフルネームでお願いします」
フルネーム、はて何だったか。
「…アマトラ」アーミラは俺の後ろで耳打ちをしてくれた。
――そう、アキラ・アマトラ。
「アマトラですか。…勇名の者ですね。承知いたしました。
では、アーミラ様は二階中央の部屋、次女の間の鍵を。アキラ様はその隣の部屋の鍵をお渡し致します。
神殿では不審な輩が入らぬよう警備しておりますが、念のため貴重品は身の回りに、部屋の鍵は必ず施錠して下さい」