禍霊諷経❖3
円卓で黙り込むアーミラ。俯いて全てを諦めているような背中に、俺は掌を乗せた。
――大丈夫か?
「どう、でしょうね」アーミラは諦観の念で円卓に目を向けて続ける。「気付けば私達が前線に向かうこと前提に会議が進んでいます……」
その言葉に俺ははっとする。
そうだ。今後の対応を話し合う筈が、あれよあれよと話が躍り、槍玉に挙げられた俺たちは既に前線行きが決定しているではないか。
――おい、オロル! このままでいいのかよ!?
「どうしようもなかろう。継承者の血を持つとはいえ、国王は温室育ちの腑抜けばかりじゃ。今は可能な限りの協力とやらを仰ぐしかあるまい」
――そんな……
俺は力なく円卓を眺めた。
薄膜越しに眺めるような奇妙な視界。気が遠くなりそうな目眩さえ覚える。
卓の上に並べられた水晶球ばかりが言葉を発し、椅子に座る者は皆項垂れて閉口している有り様。
間者という見えない敵から身を守りたいばかりで、目の前の脅威からは目を背けている腑抜けどもほど声は大きく、もはや会話が成立しないのだ。
ガントールは拳を握りしめ、アーミラは俯き、オロルは表情を殺した。
そしてユタ王は怒り心頭にぴしゃりと言い捨てる。
「恥を知れ!」
一喝。
「継承者の血を継ぐ国王諸君らがそのようでは、前線は後退して当然だ」
ユタ王はそう言って椅子から立ち上がると、おもむろに纏っていた上着を脱ぎ捨てる。何をしているのか俺にはわからなかったが、その行為はまるで拘束を外しているように見えた。
そして、ユタ王は上裸になる。
――な……!?
俺はその姿に言葉を失う。
ユタ王のはだけた背中から、純白の翼が出現する。身の丈を超えるしなやかな羽は円卓を覆う。
俺は神族が王たる所以を理解した。その翼が、神族の本当の姿か……!
「これより私の発言は天帝としての効力を持つ」ユタ王は翼を一度はためかせる。王族としての力を示したのだろうか、この言葉を前に全ての国王は口を噤んだ。「各国王には勇名の者を一人付かせる。己の命が心配であれば自国の兵や近衛を使え。それでは足りぬと言うのなら神殿に招いてやるさ……護衛以外の勇名は前線に派兵する」
「ユタ王様……!? それはあまりにも……」と、カムロは今までの静観の態度を崩して口を挟む。
「国の危機には一丸とならねばならない。そうだろう」
「ですが、勇名の者本人の意思はどうするのです」
「勇名とは地位と名誉の名か? 戦うための術を持つ者の名だろう。
力を必要とされ、磨き上げた技を発揮する場を与えられるのなら本望のはず。……違うか?」
それでもなお意義を申し立てるものは言ってみろ。……水晶球はユタ王の言葉に目を丸くしていたが、己の保身ばかりに舌鋒鋭くまくしたてていたことを省みて、赤面しながらぽつりぽつりと了承の旨を述べる。
ユタ王による天帝令は各国王を平伏させた。
俺達にとっては心強い後押しであり、溜飲の下がる思いだったが、王の行いに対してカムロは頭を痛めたような難しい顔をしていた。
❖
円卓での会議は打ち切られ、急遽出征式典が執り行われた。
結果としては内地側と五代目国家の痛み分け、望ましい解答を手に入れたのだが、円卓で本当に望んでいたものは理性的な解決への議論と、友好的な連帯感だ。
オロルは言っていた。
『あの円卓で本当に重要だったものは結果ではなく過程じゃ。おそらくあの白衣の女も、若き王の行動に頭を痛めたのじゃろう』
建国記念日となるはずだった今日。祈祷を受けるアーミラ達の顔には翳りがある。驚異的な再生能力を付与された所で、三女神の力を持たぬままでは打つ手は無い。
その絶望たるや、筆舌に尽くしがたい。
神人種の祈祷のみを速やかに行うと、幌車に乗せられて俺たちは前線に運ばれる。
まるで生贄だ……俺は心の中で呟く。アーミラ達も同じ思いのようだ。
「前線まで同行致します。改めて、カムロでございます」一礼して名乗るのは既に見知った顔。
脂っ気のない金髪をきつく後ろに束ねた女と、同じ白衣を纏う男が二人。
――それは、知ってるけど……なんでカムロが付いてくるんだ?
「……神族近衛隊の本懐は神族の身の安全を確保することですが、例外的事態ですので私達も戦力として扱って下さい。そこの馭者と、後ろの一人は私の部下であり勇名の者です」
カムロの言葉を聞いて、俺は二人の男に目を向ける。馭者はどうやら魔人種で、幌車の最後尾に座る男は獣人種のようだ。
「馭者の方は私から紹介させていただきます。彼はヤーハバル・ワンド。短杖を極めた者です」カムロは魔人種の男を俺たちに紹介した。
「同じく、私はオクタ・クレイモアと申し上げます」低い声。顔には皺が刻まれた寡黙そうな獣人種の男は、傍に立てかけていた両手持ちの大剣を引き寄せて前に掲げた。
「神殿からは二人か」オロルは呟く。可能な限りの支援として贈られた戦力である。
――カムロは勇名ではないのか?
俺は深く考えずに疑問を言葉にした。
勇名の者を部下としているカムロ本人はただの女という訳ではないと思ったからだ。
しかし、それは失言であった。
「……勇名は、男にしか与えられんのじゃ」オロルは頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せた。
戦闘魔導具を演じる上で、俺の言葉はあまりにも目に余る。アーミラは口を固く結んで押し黙っていた。
俺は慌てて取り繕う。
――それは、失礼した。しかしカムロの実力はその名を持ってもおかしくはないのだろう?
「……えぇ。これでも神族近衛隊隊長の立場です。彼等を部下にする程度には、術を磨いております」カムロは顔色一つ変えずに答える。視線は俺にではなく所有者に向けられていた。
「おほん。……では、今の内に作戦を考えるとしよう」オロルは咳払いをして話題を変える。
「前線の状況は変わらず。しかし、禍人共は攻撃を止めているようです」と、カムロ。
「神殿が展開した防壁のおかげで、侵攻は食い止められたか」オロルは水晶球を懐から取り出し、ラソマに繋いだ。「ラソマよ、状況はどうじゃ?」
「オロル様! ……こちらは問題ありません。現在は怪我をしたアウロラの避難民を手当てしております」
「うむ。わし等は今から王宮に向かう。お主はわしの国を守り続けてくれ」
ラソマが頷きを返すのを見届けると、オロルは水晶球を懐に仕舞い込む。
奇襲攻撃が行われてから半日、日は傾いて夜の空が広がる。
「防壁を突破出来ないと見たか、禍人共も落ち着いておるようじゃ」と、オロル。
「それで、作戦は立てられるのか?」ガントールは尋ねた。
「うむ。取り敢えずは我が国に帰り、詳しく当時の奇襲について状況を把握する。
……どちらにせよ大筋は変わらんな。隣のアウロラを奪還。板金龍を手に入れるのが目標となるじゃろう」
――なるほど。
三女神の力を失った今、俺が単騎最大戦力となる。アーミラの邸に眠る板金龍を取り戻せたなら、今後の状況にも対応できるだろう。
「だけど、そのアーミラの国を奪還するのが厳しいだろ?」ガントールは頤に手を添えて指摘する。
「あぁ。今のわし等は凡百の賢人と、魔女と、戦士に過ぎないのう……情け無い話ではあるが、勇名の者共に頼るしかあるまい」とはいえ出来ることはある。オロルはそう言って人差し指を立てた。「わしの出来る支援は戦闘魔導具の増援じゃ」
「なら、私は一戦士として支援するぞ」ガントールは言う。
「…わ、私は……」アーミラは訥々と続けた。「支援魔術を……それにアキラなら、あの時と変わらない戦力となりますので……」
――俺が、奪還作戦の要か……
狭い幌車の中。視線が俺に集まる。
その真剣な眼差しに、応えなくては。
――必ず成功させよう。将は俺が務める。
覚悟は決まった。
後はその時を待つだけである。
夜空に輝く満月を眺め、俺は静かに拳を固めた。
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蜥蜴の幌車を走らせて、一週間《七ソ》の道程。
ラーンマクに広がる巨大な湖『涙の盃』を迂回して、ついに俺たちは五代目国家チクタクまで辿り着く。
――酷い有様だ。
俺は呟く。広大な地平に横たわる死体。日に照らされて干からびた魔獣共の亡骸には蝿が集る。
時折人の形をしたものが視界に映る。黒く爛れた皮膚は崩れ、敵味方の判別が付かない。
「酷い臭いですね……」カムロは眉をしかめる。
「わしらには少し懐かしいわ」オロルが皮肉交じりに言葉を返した。
どうやらこの一帯は腐臭がするようだ。幌車の中の面々は臭気に苛まれながら外の景色を睨んでいる。
――着いたみたいだな。
俺は前方を指差す。
防壁を突破しようと試みた魔獣共の亡骸の山に遮られているが、その向こうに門が映る。
「うむ。侵攻に耐え抜いたようじゃな」と、オロル。
その言葉の通り、防壁に目立った傷は無い。
魔獣全てを迎撃した戦闘魔導具の砲台が防壁の上で厳かに列を成している。初めて見たときは過剰とも思えたが、今にして思えばそれが正しい選択だったのだと痛感する。
――この国はどれくらいの侵攻を想定しているんだ?
俺はオロルに尋ねる。禍人種の行った奇襲の規模は少なくとも二つの国を壊滅させたというのに、この頑丈さはなんなのだろう。
「ガントールとアーミラを前に自慢するようで気が進まんが……しかし、秘匿する意味もない。
この国は、災禍の龍撃退を想定しておる」
――なっ……!?
俺は絶句する。一つの国そのものが災禍の龍と渡り合うなんて、そんなことが可能なのか。




