束の間の暇❖5
闘技場でガントールの組手の相手をしながら、近況を尋ねる。
――スークレイは相変わらずか?
「あぁ。セルレイの愚痴ばかり話してるよ」
――ははっ、棘があるんだろうな。
「でも、毎日話すことが尽きないから、きっと嫌ってはいないんだ」
ガントールの拳を掌で弾きながら、ちらりと顔を見ると、微笑んでいたのが見えた。
――ガントールはどうなんだ? 言い寄ってくる奴の一人や二人いるんじゃないか?
「私?」ガントールは微かに動揺した。俺はすかさずに脚を刈る。
横に回した蹴りがガントールの足を狩り、すとんと尻餅をついた。
「あらら」
――勝ち。…で? 動揺したってことはなんかあるのか。
「いやいや、具体的にどうって話はないよ。内地のお坊ちゃんが話を持ちかけてくるくらいさ」ガントールは立ち上がり、砂埃を払う。
――充分具体的な話じゃねーか!?
「そうは言っても、全部断っているからな」どうということはないような顔でガントールは再び構え直す。
――断ってるって……
俺も構え直して組手を再開する。
「単純な話だ。私自身興味がないんだよ」
――色恋に? それとも坊ちゃんに?
「どっちもだな。でも限定的だ」ガントールの動きが攻勢に変わる。「坊ちゃんとの色恋に興味がない!」
――う、お……!?
世界は反転。俺はガントールに投げ飛ばされていた。
――鬱憤晴らしの道具じゃないぞ……全く。ガントールはどんな相手が好きなんだ?
俺は起き上がって、構えるのをやめた。組手よりもガントールの色恋の方が興味がある。
「それは、まぁ、いろいろ…?」奥歯にものが詰まったような物言い。この手の話題は苦手なようで、頬が赤い。
――じゃあ、お坊ちゃんのどこが受け付けないんだ?
「それは簡単だ。私より弱い男に興味がない」
――はっ、ガントールより強い男がこの世界にいるもんかね。
「……いるさ。でもそいつは間違いなく『坊ちゃん』ではないな。『勇名の者』と呼ばれているのが最低条件」
ガントールは人差し指を立ててにやりと笑う。
――ガントールらしいや。次は? 顔立ちとか性格とか。
「むむむ……そのあたりは全然、考えたこともないな」
――えぇ……
好みの異性の条件といえば、まず最初は顔と性格だろうに。
「いいだろもう! それよりもアキラ殿だ」
――ん? 俺が何だ?
「アキラ殿は、アーミラのどこが好きなんだ?」ガントールは目を輝かせて俺に詰め寄る。組手よりもあしらい辛い一撃に俺は後退った。
――それは、その、あれだ。
言おうと思えばいくらでも。
しかし言葉にするには恥ずかしい。
「顔はどうだ? アーミラは知性的で整った顔をしている。好きか?」
――うぐっ……す、好きに決まってるだろ。長い睫毛とか、考え事をしてる時の横顔とか。……見惚れるさ。
「ほおぉぉぉ」ガントールは目を見開いて声を漏らす。「なら、性格はどうだ? 自他共に認める人嫌いで有名だが」
――俺は、全然問題ない。世話をするのも好きだし、人嫌いではあるけど無礼とは違う、性格はいいぞ。
「くはぁぁぁっ! ……いいなっ! 甘酸っぱいぞアマトラ!!」ガントールは色恋話にはしゃぎ、身悶えしている。「アキラ殿からはそういった素振りを見せないから、少し以外だな!」
――素振り?
「あぁ。アーミラの好意は見ていてわかるが、アキラ殿からはあまり好意が伝わらないから、もっと淡白だと思っていた。いや安心したよ」ガントールは俺の肩を叩く。そして声を潜めて続ける。「それで、抱き締めたりとかはするのか?」
――抱き締めたり……し、してない……な。
「何!? 一度もか!?」
ガントールは俺の言葉に驚愕する。俺自身も今更ながら驚いた。欲を失ったこの体、確かに愛情はあれど、とても淡白であることは否めない。腕を組んで記憶を遡るが、この三年間思い返せば抱きしめたことはない。
――一度も、してないと思う……
「な、な……!?」
それは駄目だろう。ガントールはわなわなと震え、目で訴えると、俺の手を掴んで走り出した。
――おい!? どうした急に!?
「アーミラは宿だろう? 抱き締めてやるべきだアキラ殿」
❖
「なっ!? ちょっ、着替え中なんですけど!?」
湯上がりで火照る身体を乾布で隠し、アーミラは突然の客人に慌てふためいた。手元にあった枕を投げる。
「おわぁ!? ごめんアーミラ!!」
ガントールは俺の背に隠れて回避したが、俺だって裸を見るのは許されてはいない。
投げられた枕を受け止めて、そのままガントールと部屋を出る。
――スマン! す、すぐに服を着てくれ!!
「い…、い…、意味がわかりませんけど!!」
扉を閉じた向こうで、二つ目の枕が壁にぶつかる音が聞こえた。
「もしかして、裸を見るのも初めてだったのか?」ガントールは少年の様な笑みを浮かべてそんなことを言う。
――そうだよ! ……まったく、人騒がせな。
「でも、綺麗な肌だったな」
――まぁ。眼福。
ガントールは手柄顔で笑い、肘で俺を小突いた。
「それで、二人は何の様ですか?」扉から顔を覗かせて、三白眼で睨むアーミラ。かなり警戒しているらしい。
――いや、大した用じゃないんだけどさ……
「む、何を言うアキラ殿!」ガントールは俺の言葉を遮る。「大事なことだ。アーミラ。中へ入れてくれないか?」
❖
大儀そうな顔でアーミラを説得するガントール。あれよあれよと次女の間に入ると、経緯を説明した。
アーミラは顔を引きつらせて疲れた顔をする。
「つまり、私を抱き締めてくれるということですか?」と、アーミラ。
「うむ。アキラ殿は一度も抱き締めたことがないと言うのでな」
ガントールの言葉にアーミラはため息を一つ。
「抱き締められたことならありますよ。たくさん」
「……え?」
――え?
ガントールと俺は顔を見合わせる。抱き締めたことがあるだって?
――えっと? いつだ……?
「…認識の、違いです。アキラという鎧を着る……それは私にとって、抱き締められてるのと同じですけど」少し恥じらいながら、アーミラは言う。
板金鎧の中に入ること。それはつまり俺の中に入るということ。
アーミラはそれで、抱擁されている気持ちになるというのだ。
――なるほど。だったら俺はそれなりにアーミラのことを抱き締めていたんだな。
「そう、なりますね」
――なら、別に改まって抱き締める必要はないか。
「そうはなりませんけど……」アーミラは控えめに否定して、俺の手を掴む。
「うん。それは違うな。アキラ殿」ガントールもアーミラに賛同する。「……お邪魔なら、外に出るが?」
――うぅむ……
俺は面倒な事態になったと声を漏らす。
アーミラと視線を合わせる。その碧眼はどきりとする程切なく輝いていた。
――ガントール。少しだけ外に行っててくれるとありがたい。
それだけ伝えると、ガントールは黙って部屋を出て行った。扉越しに長靴の音が響き、遠くに消える。
「……は、恥ずかしい、ですね」アーミラは初々しいはにかみ顔。
――頬が赤いな。
「それは、湯上りだからですけど……ひゃうっ!」
俺は黙ってアーミラを抱き締めた。
「…やっぱり、硬くて冷たいです」
――はは、こればっかりはどうしようもないな。止めるか?
「いえ、もう少しこのままで……火照った体には、気持ち良いです」
アーミラはそのまま頬を板金に当てて、俺の体を抱き締めた。
俺の中にある微かな感覚は、人肌の温もりを感じ取る。
もし匂いがわかるなら、好きな人の香りはどんなものだろうか?
俺に肉体があれば、この抱擁がより鮮明に感じ取れるのだろう。
❖
日は沈んで、夜になる。
抱擁を思う存分に味わった俺とアーミラは、なぜか気恥ずかしくなって宿を出た。
「が、ガントールが、居ませんね。どこに行ったんでしょう」アーミラは手で首元を仰ぎながら、俺とは別の方ばかりを見ている。
――オロルも、まだ来てないのかな……さ、探して回るか?
かくいう俺も、アーミラを直視できない。
「探さんでよい。ここにおるわ」
と、背後から声が聞こえ、振り返る。
そこにはオロルがいた。そしてガントールも。
「…宿には行くなとガントールに止められた」オロルは不満そうに言う。「もういいのか?」
――ははは。……どうぞ。
「……えへへ。……どうぞ」
俺とアーミラは照れながらもオロルを宿へ促した。
ガントールに悪意はなく、ただただいい笑顔をして頷いていた。




