束の間の暇❖2
その後も世間話は続く。
――セルレイの方こそ、何か連絡はあるか?
音沙汰がないと言えばギルスティケー国王のセルレイだ。相変わらず女を侍らせているのだろうか。
「セルレイか」ガントールは何かを思い出したように一人笑う。「妹を迎え入れてからはすっかり一途だって言うんだ。おかしいだろ」ガントールはけたけたと子供のように笑う。
――一途!? スークレイにか?
スークレイは三年前、前線での奇襲を受けた際、胸に槍を貫かれるという致命傷を受け、眠り続けた。
オロルによって時間を止められ、災禍の龍討伐後、改めて神殿で治癒術式が行われた。
本来一個人の命に神殿が動くことはないのだが、前線での功績や血縁、三女神の申し出によって、例外的にその命が救われたのだ。
今はセルレイの許婚としてギルスティケーとラーンマク間で忙しそうにしているとは聞いていたが。
「な? おかしいだろ」なっはっは。ガントールはついに腹を抱えて笑う。「あの毒舌がたまらないんだってさ」
――あらまぁ……
俺はそれ以外の言葉がでない。アーミラも口元を押さえて笑みをこらえる。
あの獅子のような大男……否、大女が被虐性愛者だとは誰も思うまい。口を開けば毒を吐くスークレイにすっかりご執心とは、驚きだ。
「…で、でも……ふふっ。…お似合いですね」と、アーミラ。今にも吹き出してしまいそうだ。
――確かにお似合いだよな。見た目はめっちゃ強そうだし。
「んうぅ……! ひ、ひひひ……」アーミラは俺の言葉に悶絶して笑いを堪えようと蹲る。「笑ったら…ひっ…し、失礼……ですよね……ひっひひひ……」
「いやいや、私も笑ったよ。女好きでどうしようもない国王だとは思っていたけど、ある意味全て丸く収まったもんだ!」
ガントールは呵呵と笑い飛ばした。
❖
一夜明けて、朝。
アーミラはベッドに腰掛けて水晶球を見つめる。その表情は昨夜とは一転して不安そうだ。
「…結局、オロルからは音沙汰ありませんでしたね」
――そうだな。
夜中に連絡が来るかもしれないと、夜通し気にかけてはいたが、ついぞ水晶球が語り出す事は無かった。
誰よりも聡い三女神の頭脳が、まさか予期せぬ事態に巻き込まれたとは思えないが、事実としてオロルは沈黙を続けている。
――約束通り、行ってくるよ。
「それなら、あれを使ってください」アーミラはベッドから立ち上がり、寝癖を手櫛で整えながら言う。
――あぁ。あれだな。
アーミラの差すものを理解して、俺は頷く。
三年の月日をただ建国だけに費やしたわけではない。使用するのは久しぶりだが、問題はない。
瞼を擦り欠伸をかみ殺すアーミラを置いて寝室から出ると、俺は邸の中庭へ向かう。
そこには一人静かに精神を研ぎ澄ませているイクスがいた。
俺の気配に気付いて振り返る。
「お……アキラか……。おはよう」
その顔には仮面が付けられておらず、額から顎先に走る深い傷跡が露出していた。
――……おはよう。傷を見るのは初めてだ。
「おっと! いけねぇな。見せるつもりは無かった」イクスは慌てて足元の仮面を拾い上げて顔にかけた。「アキラが魔導具で助かるよ……この顔を見たやつは皆、怖れるか、哀れむような顔をする」
――気まずくなるのが苦手なんだな。
「それもあるが、この傷は名誉の傷だ」イクスはきっぱりと言う。「この傷と引き替えに部下の命を勝ち取った……浮かない顔で見られるのは、癪にさわるもんだぜ」
イクスはそう言って顔を背ける。なんとも言えない哀愁のある戦士の背中。いや、哀愁を感じては失礼なのか……しかし、どうなのだろう。
俺は下手に言葉を返すのは憚られるような気がして、ただ黙っているしか無かった。
「アキラはこんなところに何の用だ?」と、イクスは話題を変える。そうだ。イクスに会う事が目的ではないのだ。
――この庭の龍に用があってな。
そう答えて俺は中庭の中央に眠る板金の龍を指差した。
「アレに……? ただの展示品じゃないのか?」
――あぁ。いつもはただの展示品だけどな。
俺は心の中で得意顔をし、龍の前に立つ。
そして、三年の日々の中で会得した力を披露する。
――勇名の極致……とは違うか。
俺の体は熱を帯び、溶解する緋緋色金は意志を持って形を変える。
「お、おい……!? アキラ……?」イクスは俺の板金が溶け出す姿にたまらず声を漏らす。
――平気だ。
俺はそれだけ返して、術に集中する。意識を保たなければ板金は俺に従わない。
眠りを知らぬ体。そこに宿る魂に集中し、俺は揺らぎのない精神の覚醒に至る。
そして詠唱。
――布留部 由良由良止 布留部……
少しずつ緋緋色金はとろけ、隆起して、有機的な枝となる。……それは細く伸びて龍の額に繋がった。
俺の獲得した唯一の魔呪術。それはアーミラと過ごす日々の内に手に入れた術の一つだ。
『布留部 由良由良止 布留部』
俺の核は溶け出した枝を経由して板金龍へ移動する。
抜け殻となった板金鎧が中庭の芝の上に倒れた。イクスはその側に歩み寄る。
「アキラ? 何をしたんだ?」
俺は板金鎧に話しかけているイクスの背中に声をかけた。
――そっちじゃないよ。今はこの龍になってる。
「は……はははっ」イクスは開いた口が塞がらないといったように、呆然と俺を見上げ、笑う。「すげぇや、アキラは魔法が使えるのか?」
――今の所はこれ一つだけだよ。
長くこの世界に生きている内に、もう元の世界のことは忘れ、記憶は以前よりも深く暗い所に潜り込んでしまった。
家族も友人も、誰の名前も思い出せないし、思い出したいという焦燥の念も消えた。
それでも……元の世界の記憶はなくとも、有様はまだ覚えている。建造物や、生活に根差した知識。例えば俺の詠唱だって、元の世界の言葉を使っている。
「一体何をしたんだ?」イクスは尋ねる。
――俺の核を、鎧から龍に移したんだ。
『――そもそも、魔法や呪術を使えないアキラが、何故この体を自由に動かせるのでしょうね……?』
最初はアーミラの疑問から始まった。
そして、結論としてはこうだ。
俺はこの世界の言葉や術を受け付けないが、己の体――緋緋色金の板金鎧――に限り、自身の意のままに扱える。……らしい。
少なくともこれが、現段階での結論である。
もとより魔力を持たない緋緋色金は俺の魂と親和性が高く、それ故に使用できる唯一の魔呪術だろう。
「聞きなれない言葉だったが、アーミラが紡いだのか?」
――……まぁ、そうだな。
俺は嘘をつく。
本当はアーミラも知らない特異な言葉。元の世界の知識に他ならない。
元の世界の知識で、覚えている呪文は三つある。
アブラカダブラ。
開けゴマ。
そして布瑠の言……先程使用した『布留部 由良由良止 布留部』がそれだ。
この三つならば、純粋に格好がいい言葉を選ぶだろう。詠唱は言葉の意味よりも、詠唱時の精神状態が強く反映されるのだから当然だ。
己を鼓舞し、強くイメージを反映させる言葉を選んだに過ぎない。
ともあれ、俺は翼を広げ、全身を確かめるように動かした。スァロ爺が修理しただけあって、関節は心地良く滑らかに動いた。
――よし、俺は邸をしばらく留守にするよ。アーミラの事頼んだぞ。
「それは、わかったが……この体はどうするんだ?」
――中庭に座らせて置いてくれ。
俺はそう言って跳躍し、邸を飛び越えて前庭に移動すると邸の露台からアーミラが見送りに出ていることに気付いた。遅れてイクスが玄関から現れ、ナルも前庭に出てきた。龍を前に珍しく驚いている。
「アキラさん。すぐ帰ってこれますか?」と、アーミラ。
――うぅむ。オロル次第だよな……
「出来るだけ早くお願いしたいんですけど」
――承知。オロルにあったら水晶球に連絡を入れるように伝えるよ。
「はい」
――んじゃ、行ってくる。
俺は翼をはためかせて大気を叩き、板金龍の体で東の空を駆ける。
❖
下に広がる巨大な窪地、そこは三年前にアーミラが穿った地で、現在では雨水が溜まり湖となった。
人は『二つ目の涙の盃』と呼んでいる。
前線には魔獣の姿は見当たらず、やはりオロルがやられたという線は薄いと見た。
ならば何故連絡をしないのか……
板金龍の体を用いて大陸を駆けること一時間。すでに視界の果てには五代目三女国家チクタクが見えた。
――この体じゃ警戒されるか?
俺は地上を見下ろす。
前線に貼られた巨大な防壁。その上には蟻の行列のように戦闘魔導具が設置され、その砲門は既に俺を見つめていた。
オロルの国にはすでに防衛機構が確立しており、そしてそれは正しく機能しているようだ。
しかし俺の目には、あまりにも過剰な防衛機構に見える。
――オロルー! 俺だーー!
と、高度を下げて国王の名を呼ぶ。
返事は光弾で帰ってきた。龍が飛んでいるのだ。魔獣と誤解されても責められない。
俺は飛び交う光弾を回避しながら防壁内へ侵入し王宮を探す。
――攻撃をやめてくれー! 俺はアーミラの戦闘魔導具だー!
俺の言葉に戦士は戸惑う。しかし戦闘魔導具は自動的に光弾を放ち続ける。
『攻撃を中心せよ!』
国内に響く司令。その一言で戦闘魔導具は沈黙した。
その声は間違いない。オロルのものだ。水晶球と同じような通信を行っているのか、声は全土に響いている。
『……阿呆が……正門で待て。迎えに行く』
姿は見えないが声だけは届く。俺はオロルの指示に従い、一度防壁の外へ戻り、正門に移動した。




