板金鎧に宿るもの❖4
ゆっくりと歩き回って、街の散策を終える。
すっかり陽は沈んで夜になる。月明かりが眩しくて、空を見上げると、月がとても近くにあった。
今までの世界との違いを感じ取ると、なんとも言い難い不安感に襲われて、俺は息を呑む。
誰も月との距離に不信感を抱かない。この世界ではこの景色こそが正常なのだ。
静かに空に浮かぶ月、恐ろしくもあり、なんとも美しいこと!
空の景色を切り取るビルも無い。
月光を霞ませる電気もない。この世界は未発達なのではない。きっと、無垢なのだ。
俺はそう思い至ると心が弾んだ。今度は人の少ない方へ向かう。露店からは逆方向に伸びる大通りの果て、街の出入り口まで歩く。
蝋燭の火のような柔らかい光を放つ鉱石が嵌め込まれた街灯が、規則正しく並ぶ灯の先に、門がある。
その門の外は夜闇に覆われている。
――ここから先は街の外か。
魔獣がいるかも知れないので、これ以上の散策は控える。明日からも退屈はしないだろう。
驚異の部屋へ戻る。とっくに飯を食べ終えたアーミラが、書見台に向き合って本を読んでいた。
「あ、おかえり」鎧の音に気付いてアーミラが迎えてくれた。
――おう。ただいま。
「丁度良かった。アキラが出かけている間、私なりに失敗の原因を調べてみたんですけど」
――失敗、とは?
「魂の生成についてですが」
――へぇ、原因はわかったか?
「おそらく、わかりました。アキラさん。これを」アーミラは書見台の本の隣に置いていた物を俺に手渡してきた。
「詳しいことはわかりませんが、驚異の部屋に保管されていた石の一つです。先代の三女神、天球儀の継承者が書き記した情報と照らし合わせると、その昔、異世界の門を通してこちらにきた石のようです」
――異世界からの石、ねぇ……。つまり、俺がいた世界にあった石の可能性があるのか。
アーミラから渡されたその石を見つめる。灰色の粒子が凝固した一つの塊。俺から見れば馴染みのあるもの。
――コンクリートだ、これ。
「コンクリィト? その石の名前ですか? この世界では存在しない石なのですけど、その様子だと、アキラの世界のもので間違いはないのですか?」
――多分、コンクリートで間違いないけど、こんなの、この世界でもありそうな感じだが、何が違うんだよ?
「それは、唯一の特徴があるんです。」アーミラはコンクリートを手にとって、床に置く。「いいですか? ……浮かべ!」
アーミラはコンクリートに命令する。当然、浮かぶわけはない。
「……と、いうわけなんですが」
――はぁ?
「ひっ!?」
おっと、いけない。高圧的な態度は苦手なのだ、アーミラには優しくしなければ。
――すまんすまん、でも普通ならコンクリートは飛ばないもんだろ。
「それが違うんですよ! いいですか……」アーミラは驚異の部屋の二階へ上がり、すぐに数々の鉱石を抱えて戻ってきた。「これは、この世界に存在する鉱石のコレクションです」
それらをごとりと床に置くと、それだけに留まらず、外に出て街から小石を一つ持ってきた。玉石混淆、その前でアーミラは俺に視線を送る。
なるほど、やりたいことがわかってきたぞ。
「いきますよ。……汝ら、浮かべ!」
アーミラの命令に、石は一つを残して全て宙に浮遊する。そして、アーミラの手のひらの動きに合わせて横に移動し、床にゆっくりと着地する。
元の場所に取り残された石が一つ。
「これなら、分かりますね?」
――あぁ、わかった。…異世界の石は『魔法が効かない』んだな。
アーミラは頷く。
「この世界の物質は全て魔法に対して影響を受けます。生き物であれば呪術の影響を受けます。
だからこそ、このコンクリィトは驚異の部屋に保管されていました。現存する唯一の魔呪術無効の石です」
俺のいた世界では当たり前だったその能力が、この世界では唯一無二。コンクリートの欠片が驚異の部屋のコレクションになるのか。
――それで? 俺がこの世界に、鎧になった理由は?
「はい…。実は、魂の生成は禁忌の魔法なので、一人で試行錯誤を繰り返すしかなくて、…その、つい、この石の事をよく知らずに、魂の生成の材料として使ってしまったのですけど…」
――へぇー。
「……それが、原因かなって、思うんですけど………」
うん。それだな。
――この……アホがぁぁぁっ!!
「ひぃぃぃいいい!? ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
異世界の物を材料にして禁忌の魔法!
俺は、怒っていいと思うんですけど!!
❖
一夜明けて、朝が来た。
俺は予測されていた通り、睡魔とは無縁で、ずっと朝を待っていた。
アーミラはといえば、昨夜の一件からずっと落ち込んで、愚図りながら毛布に潜っていた。よく眠れた…わけがなく、泣き腫らした瞼が赤く、隈ができている。酷い顔だ。旅立ちの日なのに。
――なぁ、もう怒ってないから、機嫌なおしてくれよ?
「う、ぐじゅ…。お、怒ってないですかぁ…? 本当に、う、ん…、ごべ、なざいぃ……」
――あーもー、そんな泣くなよ。顔洗ってさ、これから一緒に旅に出るんだから、な?
「うん、う、ずびっ…わがったぁ……」
アーミラはそのまま一階の奥……おそらく顔を洗いに行った。
寝てないな。あれは。
号泣じゃねぇか。
俺は痛まないはずの頭を抑える。
数分後、アーミラは顔を洗い終わって戻ってくる。
とりあえず、泣き止んではくれたらしい。
――よし、次は着替えてきなさい。それ寝巻きだろ?
「うん。…もう怒ってない?」アーミラはもう一度確認する。鎧になった俺の方が背が高いため、自然、上目使いだ。
――怒ってない怒ってない。俺は引きずらないタイプだからな。
「よかったです。一時はどうなるかと思ったんですが、なんとかなるかも」
えへへ。と、アーミラは笑う。ころころと表情が変わるのが可愛い。
着替えのために今度は二階に上がって行った。
とりあえず旅に出るのだが、俺にはまだまだわからないことだらけだ。
例えば、アーミラの親は居ないのか?とか。神殿はどこだろう?とか。他の三女神はどんな奴だろう?とか。
自分の事で手一杯なはずなのに、流されるまま旅に同行する。未だに現実味がない。
「さて、行きますよ」
――ん? おぉ、行こう。
アーミラの声に思考を中断して、顔を上げる。旅の正装なのか、纏う服は魔女というよりは高僧の法衣のようだ。全体の色調は青系で統一されている。
頭部は大仰な頭巾で覆われ、藍鉄色の髪も前に流して両肩に垂らし、胸元で一つに束ねている。
アーミラは息を整え、扉の前で俺に告げる。
「…では、神殿に向かいます」
驚異の部屋の扉を開けて、外へ出る。光に目を焼かれないように手のひらで庇う。慣れたものだ。
天球儀の杖を軽々と持ち上げて、アーミラはそれを宝物のように両手で抱いて歩く。人目に触れたくないようで、俺の陰に隠れるようにして街を歩く。
――ここでアーミラが育ったのか?
「まぁ、そうですね。滅多に関わりはありませんが、……捨て子だったんですよ。私」
――拾われたのか。
「えぇ、魔術を教えてくれた師匠に。もう二年も前に亡くなりました。」
昨夜の歩いた大通りを、山に向かう方へ歩き始めるアーミラ。俺は後ろから付いて行く。
「師匠に拾われた時は一緒に旅をしていたんですけど、老衰で動けなくなり、最期はこの街でひっそりと過ごしました。
……別に、街の人たちは良い人だと思いますよ。ただ、旅人が根をおろすこと自体、警戒するのは当然ですし、私も、人と話すのは苦手なので」
――じゃあ、たまたまここで暮らしていたのか。
「そうですね。橋の下とか、空き家で逞しく暮らしたものです」
――そんなことが? アーミラが逞しく生きる姿が想像できないな。
「えへへ」
その後も歩きながら、『あの露店で働いたことがある』とか、『あそこの橋の下で過ごしました』とか、思い出を辿るように街を歩く。
時折、街の人たちに話しかけられては激励の言葉を貰い、アーミラはおどおどとしながらも手を振って応えた。
皆口々に言うのは『希望』という言葉だ。それは、三女神の刻印を指しているのだろう。
――刻印って、産まれた時からあったんだろ? そんな大切な使命を持って産まれたお前が、なんで捨てられたんだろうな。
「あぁ、いえ。私は産まれた時には三女神の刻印は無かったんです。もちろん杖もありません」
――どういうことだ?
「私にも、わかりません。師匠が亡くなって、その年の誕生日に胸が……火傷のように熱く痛んで、三女神の刻印が現れたんです。その後、神族の使いの者が浮遊する天球儀の杖と共に私の前に現れて、神殿に来なさいと…」
――ふむ。
生まれた時からあるはずの刻印が、今更になって現れた……故にアーミラは戦う術を知らず、頼る人もおらず、禁忌である魂の生成を行ったわけか。
――よくわかんないけど、アーミラもいろいろと大変だったんだな。
俺はアーミラの半生を聞いて、それ以外に言える言葉は無かった。大変な思いをして生きてきて、これからは使命のために生きることになる。
異世界に来た俺が、アーミラの助けになれたら良いのだが。
「……でも、アキラにはご迷惑をかけてしまいました。……あ、そう言えば、伝え忘れていました。
魂の生成は禁忌だと、昨日伝えましたが、アキラの正体もまた、他の人たちには秘密でお願いします。異世界の話しなんて信じて貰えないですし、禁忌を破った事を知られてしまうので」
――もしそうなったらどうなるんだ? 禁忌への罰って何がある?
「……禁忌を行ったものは厳しく処罰されますね。首を刎ねられる事もあるみたいですよ。……まず生成された命は神殿が処理するでしょう? 私はきっと、三女神の使命を果たすまでは生かされますが……」
――使命を果たしたその後は讃えられることもなく死ぬ。か、……怖い怖い。
俺は強がっておどけてみせるが、内心は穏やかではない。
「では、このまま山沿いの街を抜けて、少し魔獣と戦ってみましょう」
――もし俺が、魔獣を倒せない時は?
「私は戦えないので、その時は逃げますけど?」