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災禍の龍❖3


 前衛を任された俺とガントールは禍人領を侵攻し、災禍の龍の足下へ移動する。


 空に浮かぶ巨大な影を見上げると、後衛のアーミラ達が光の矢を放ち応戦しているのが見えた。


「来たぞアキラ殿! 避けろ!!」

 ガントールは叫ぶ。


 俺たちを狙う魔法陣。そこから打ち出される光弾を躱して、災禍の龍が自滅するように仕向ける。


 ――来た!!


 誘き寄せた魔法陣から放たれた光弾の一つが上空へ放たれ、災禍の龍に着弾する。

 毒々しい煙を吐きながら鱗を溶かし、音もなく肉に食い込み爆ぜる。それは黒龍の脚を穿った。


 アォォォオオオァァァッ!!


 災禍の龍が叫び、高度を落とす……違う!?

 踏み潰す気だ!!


 ――逃げろ!


 俺はガントールに向って叫ぶと翼を広げて飛翔する。


 災禍の龍は両の脚を地に下ろし、地表を穿つ。地表は大きく縦に揺れ、地鳴りを響かせた。

 ガントールは俺と離れた方向へ跳んで回避したが、災禍の龍は捕らえようと腕を伸ばす。


 ――ガントールッ!!


 空中では自由の効かないガントール。斬首剣で斬ろうとも、それでは逃げ切れない。俺は翼をはためかせてガントールの身体を弾き飛ばす。


「ッぐぅ!? ……ア、キラ……!?」ガントールは俺を見つめる。


 スークレイに槍が刺さった時と、そっくりだ。

 違うのは、手を伸ばせた事。

 ガントールを助けられた事。


「アキラ!!」


 災禍の龍に掴まれて、俺は身動きが出来ない。


 ――ぐう……っ!


 板金の体は軋みを上げて、翼や四肢はまるで粘土の様にひしゃげてしまった。


 地上からさらわれて災禍の龍の眼前に運ばれる。額から生える禍人種の女は色素の薄い眼球を見開いて、俺に手を伸ばす。


 ――なに、する気だよ……!


 アァ、アアアァァァ……


 黒龍の女は呻き声を上げて、板金に爪を立てて掻き毟る。全身を掴まれている俺はせめてもの抵抗として女の腕に噛みつく……が、黒龍の女は食い込む顎門あぎとに構わず腕を差し込み、無理矢理こじ開ける。


 ベギンッ!


 嫌な音を立てて俺の顎門が砕け、下顎はぶらりと垂れ下がる。

 あの細腕になんという力か!


 災禍の龍は俺を掴んだまま、胸の前に運ぶと、今度は両手で俺の翼を毟り始める。

 緋緋色金の板金が奇妙な方向へ折り曲げられ、俺は翼を失って地に堕ちる。


 ――うおっ……!


 捻じ曲がった四肢で辛うじて着地するが、板金龍の質量に受け身が取れず、強かに顎を打つ。

 元より痛覚のない体。戦闘続行は可能だが、飛行能力を失ったのは痛手だ。


「大丈夫か!?」ガントールは俺の元に駆け寄る。


 ――大丈夫だ。…だけど……


 あまりにも、一方的だ。


 災禍の龍に攻撃が通じているか定かではない。俺たちが束になってもこの有様、勝てる手立ては見つからない。


 強いて言えば一つ。

 額に埋め込まれた女こそが弱点ではないかという事が俺の中で閃いた。


 ――ガントール、上まで行けるか?

「上? どこまでだ?」


 ――災禍の龍の額に、禍人の女がいるのを見た。……もしかしたらそいつが核なのかもしれない。

「核……やってみるしかないな」ガントールは空を睨む。その視線の先に災禍の龍が聳える。


 ――二人で同時に行くぞ。ガントールは背後から、俺は前から駆け上がって囮になる。

「そんな、アキラ殿」死ぬつもりかとガントールは目で問いかける。


 ――大丈夫だ。俺はそうそう死なない。


 ガントールと見つめ合う。そして息を合わせて行動を開始する。


 ――うおぉぉぉおおおっ!


 俺は雄叫びを上げながら災禍の龍の鱗に爪を立てて駆け上る。その向こうでガントールが額の女まで攻め込んでいる筈だ。


 せめて囮として。

 黒龍の注意を惹き付ける。


 俺を捕らえようと迫る黒龍の腕を紙一重で躱し、その手首に飛び移る。

 肘を駆け、肩まで登ると、頭から突進して、大剣のような角を黒龍の首に突き立てる。

 分厚い鱗と皮膚を突き破り、俺は頭から鮮血を浴びた。太い動脈に届いたのか、噴き出す血の勢いは強く、その圧で俺の体は押し出されそうになる。


 ――うおおおぉぉぉ……!!


 ひしゃげた四肢で這い蹲り、より強く押し込み首を捻る。右前脚に限界がきたらしく、肘から先が砕けて吹き飛ばされた。


 どうやら俺はここまでらしい。


 災禍の龍は呻き、俺を掴み上げた。

 その最中、ガントールが額の禍人の元まで到達したのを見届けた。


 ――いけ……っ! ガントール!!


 俺は災禍の龍の両手に押し潰され、音を立てて破壊される。


 ガントールが斬首剣を構え、禍人の女の背後から渾身の一撃を叩き込む刹那……


 ……板金が砕かれる音を最後に、俺は五感全てを失った。





 考える石。


 俺は禍人領の地に散らばる板金の中に、閉じ込められてしまった。

 あれだけ激しかった戦闘さえ、この闇の中では不連続の時間の流れにある。

 ただひたすらの、無音。


 囮は成功しただろうか?


 ガントールの一撃は、きっと女の首を刎ねただろう……だから、すぐに助けが来るはずだ。


 ここは、寒い。

 ここは、暗い。

 ここは、辛い。


 助けに来るのはアーミラだろうか?


 そうだったら、嬉しいな。



 ………………。



 どれだけの時間が経ったのだろう。ここでは一秒さえ永遠に錯覚する。まだ、助けは来ないのか。


 そうだ。


 わかったぞ。


 俺の板金鎧フルプレート・メイルはラーンマクの石窟宮殿にあるから、核を移すのに時間がかかるのか。


 そうに、違いない。


 温度なんて感じないはずなのに。ここは酷く寒い。

 なんだか、意識もはっきりしないようだ。


 時間の感覚も、記憶も、意識も、全部昏い闇の中に溶けていく。


 恐怖。


 そうだ。これは恐怖だ。


 災禍の龍とは別種の。


 この身が消えてしまうような焦燥。


 アーミラ……


 助けに……


 来て。



 ………………。





「アキラ、さん……」


 俺は視覚を取り戻す。

 目の前にはアーミラがいた。すすや血で汚れた顔で、碧眼の双眸には大粒の涙。それは横に流れ鼻梁に留まる。


 身体を地面に横たわらせているらしい。

 戦いは、終わったのだ。


 ――アー、ミラ……


「アキラ。意識が戻って、良かった…です」


 アーミラは痛みに耐えるように顔を歪めた。息も荒く、薄く開かれた唇は血色が悪く乾いている。


 ――アーミラ? 怪我、してるのか?

 俺は板金鎧の上体を起こし、アーミラを見る。


 ――う……、あっ……アーミラ!?


 アーミラの周りには血が広がり、左半身を失っていた。


 なんだ、これ。

 なんだよこれ……!?


 ――アーミラ? アーミラ!? どうなってんだよ!!


「アキラ……」


 ――ああ、なんだ? 助けを呼べばいいのか?

 俺の言葉にアーミラはゆっくりと首を振る。

 そして震える唇からただ一言。


「戦って……」


 アーミラはそう言って、力を振り絞って指を差す。


 ――は?


 戦う……?


 俺は呆然とアーミラの指し示すその先に目を向ける。


 ラーンマクの石窟宮殿。

 崩壊した地下天井から夜空が覗き、地上からは火が燃え上がり、黒煙が昇る。

 黒々とした闇の中で、禍々しい輪郭が月光に浮かび上がる。


 災禍の龍だ。


 ――……あ、……あ……


 災禍の龍は下半身を失い、上半身と破れた翼で羽ばたき、両腕を振り回し、暴れていた。


「た、戦って…あ、き……ら」アーミラはその言葉を最後に力無く目を閉じた。


 天球儀の杖は無く、アーミラはここに寝かせておくしかない。

 失われた左半身は筋繊維が蠢き、少しずつ再生しようとしている。神殿の加護のおかげでまだ生きている。


 俺が核に閉じ込められている間に何があったのかはわからないが、前線での戦闘は混迷を極めたようだ。三女神も災禍の龍も互いに致命傷を負って、それでもな息の根は止まらない。


 ――……くそっ……!


 俺は災禍の龍を睨む。


 ――まだ生きてやがるのかよ……





 ――ガントール! オロル! どこにいる!!


 俺は石窟宮殿から前線へ移動し、二人の名を叫ぶ。

 災禍の龍は大量の血液を零しながらも、ずいぶんと前線に侵攻してきている。破壊の限りを尽くす魔獣。生物兵器。


 大地には巨大な穴が開いて、生存者の気配はない。爆心地と推察できるが、その時に何が起きたのかはわからない。


 二人は、生きているだろうか……

 もしこのまま返事がない場合、俺と災禍の龍の一騎討ちとなる。


 戦闘魔導具と生物兵器の虚しい争いだ。


 もはや宗教戦争ではない。代理戦争でもない。憎しみだけが形骸化した虚無の螺旋。

 そして、人は誰も居なくなった。というのだから救われない。


 ――なぁ…嘘だろ……? 返事をしてくれよ……!!


 災禍の龍は俺の声に反応して首を向ける。


 ――お前を呼んだんじゃねぇよ……


 俺は毒付いた。


 限界を知らない体……しかし、心は違う。


 こんな絶望の中で、戦わなければならないのか。


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