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災禍の龍❖1


 前線に登るはずだった朝日は不吉な影を浮かび上がらせ、疲弊していたラーンマクの戦士は絶望する。


 それは、凶悪な黒龍の姿だった。


 板金龍の俺よりも遥かに巨大な魔獣。緩慢とした動きで翼を広げ、ついに太陽を覆い隠した。


 日蝕。

 しかしそれはあまりにも禍々しい。


 ――何…だよ……あれ……!?


 戦慄。

 俺はただ東の空に見える黒点を睨むことしかできない。

 アーミラの言っていた蛇堕ナーガとは、余りにも違う。


「来てしまったのじゃな……」


 ――オロル。


 リナルディ邸の露台バルコニー三女神ホーライはぞろぞろと現れる。まだ早朝だというのに眠れないのか、目にはくまが出来ていて、表情には疲れが見える。


「蛇堕が龍の力を宿そうとした術の失敗作だとするなら、あれが、あれこそが禍人種の禁忌……『災禍の龍』じゃ」


 ――災禍の龍……?


 俺は耳を疑う。

 というよりも、頭が理解を拒むのだ。何度も言葉を繰り返し、意味を飲み込む。


 禁忌の失敗作が蛇堕。そして災禍の龍は禁忌の成果だというのだから、途方も無い。


驚異ヴンダー部屋カンマーでアーミラと共に過去の文献を調べたのじゃ。先代の次女の手記』を覚えておるか?」


 ――あぁ。前に見たやつだろ。涙のさかずきの……


「『私は現状の戦果を良しとせず、その身を削る覚悟で災厄を払うと決めた。』……この災厄とは何なのか、オロルも、私も、蛇堕の事を指すのだと思っていました」と、アーミラが説明する。「ですが、彼女の手記を詳しく調べてみると、蛇堕ではありませんでした」


 ――まさか……


 それが本当なら、二百(イバン)前、既に禍人種は禁忌の成果を作り上げていたということになる。


 ――それが災禍の龍なんだな?


「はい」アーミラは頷く。その顔には翳りがあり、目を伏せている。「決してありえない話では、ありません。…三女神の力だって解明不可能な神の力……禍人種が長い年月をかけて蓄積した禁忌の集大成だとするなら、遅いくらいです」


「手記の中では、災厄を払う決意が書き綴られておる……そしてその地には巨大な窪地、涙の盃が生まれたのじゃが」と、オロル。


「…おそらく、強力な魔術で災禍の龍を討伐したのでしょうけれど、…も、問題なのは、その力を私は持っていないんです」


 ――継承者の力じゃないのか?


「わかりません……私の中にある三女神の力は未だ全てを解明できていないみたいです」


 アーミラは己の無力を嘆いて裾を掴む。まだ敵と戦ってさえいないのに、リナルディ邸には絶望の空気で満たされていた。否、ここだけではない。ラーンマク全土、ひいては前線の四代目国家全土。あの黒龍を見たものは心を挫かれる。


 巨大で邪悪なその姿。

 嘲笑うように太陽を隠す翼。

 そして後ろには万を超える魔獣を引き連れてゆっくりと空に浮かぶ。


 並の戦士なら一目見れば理解できる。勝てるわけが無い。


「アーミラ一人で災禍の龍と戦わせるわけないだろ。アキラ殿にオロルもいる」


 リナルディ邸の露台、アーミラとオロルの背後から遅れて現れたのはガントール。

 表情は冷たく、瞳は怒りに燃えていた。


 ――そうは言っても、蛇堕が別にいるはずだろ。


「そいつは私一人でいい」ガントールは言う。語気は冴え冴えとして誰の制止も受け付けない態度だ。「私は先に行く」


 ガントールはそう言って、前線に向かって跳躍した。スークレイの敵討ちに心を支配されているのだろう。それがわかっている俺たちは、身を案じながらも、その背中を引き止める言葉を見つけられずにいた。





 アーミラとオロルを乗せて板金龍の体は空を駆ける。


 まだ日も昇り切らない早朝の前線は、既に戦乱の様相。昨夜息絶えた死体の山に一つまた一つと新たな屍が積まれる。


 ――酷い有様だ……


「しかし、わしらはここで止まるわけにはいかぬ……禍人領で見物を決め込むあの黒龍のところまで斬りこめ」と、オロルは言い、俺の背から降りる。「アーミラは矢を放て!」


 オロルは前線上空から下降し、戦闘魔導具アルテマ・マギを召喚した。


 オロルの頭上の空間が丸く切り取られ、光が溢れる。

 そして巨大な柱時計が顕現する。


 金色に輝く装飾品には、精緻な紋様が象嵌されている。神の力を宿す柱時計が縦に分かれて八本脚に展開すると、振り子の綱はオロルの背中と繋がり、地上に降り立った。


 地鳴りを響かせて前線に立つと、オロルは禍人共を踏み潰しながら侵攻する。

 地を這う蜘蛛が通った後には、生命は一つとして残らなかった。


 一方、アーミラは俺の背に乗って光の矢を放つ。

 まるで流星群。細く鋭い光の矢は一度に千と降り注ぎ、敵の身体を貫いた。

 ギルスティケーで見た時よりも精度は上がり、また、詠唱も早い。


「災禍を払う星……『ミーティア』ッ!!」


 アーミラが叫べば地上には広範囲に魔法陣が展開され、その陣の中にいる敵は脳天から串刺しにされて絶命する。

 そうして、俺たちの前に立ち塞がる敵は消え去り、瞬く間に前線を押し上げることを可能にした。


 目指すは災禍の龍。


 近付いて、改めて実感するその巨大さ。三〇〇メートルほどの身体は蹲り、外套のように風に揺れる羽は空を掻くこともなく浮遊している。

 意思は無いのかと思えば、微睡む眼球は黙してこちらを見つめるばかり。まるで相手にしていない。

 額には小さな角があった。よく見れば女の姿をしている。それは自分の身体を抱きしめるように寂しく項垂れていた。


 ――さっきまで翼を広げていた癖に……何だよ、不気味だな。


「アキラ、少し距離を取ってください。龍の行動が予測出来ませんので、離れたところから私が矢を放ちます」


 ――わかった。


 俺はアーミラの指示に従い、災禍の龍から離れる。地上にいるオロルもそれに習って後ろへ移動した。


「最大で、いきます……。

 三女神ホーライの使命を果たすため、我、ラルトカンテがアレスを行使する。

 災禍を払う星よ、爆ぜなさい…っ!

 『ミーティア』……ッ!!」


 詠唱の言葉スペルは堅く紡がれ、魔法陣の燐光はより一層強まる。薄青い空を滑る流星が災禍の龍に降り注ぐ。その数は万を超えた。

 鱗を砕いて驚くほど容易く突き刺さる光の矢。災禍の龍は緩慢な動作で瞬きを一つして、眼球をこちらに向けた。


 ――ッ……!


 俺は咄嗟に飛翔して距離を取る。それは生物的本能に近い危機察知。

 災禍の龍は息を吸い込み、口を開く。


 オォォォオオオアァァァアアアッ……!!


 悲鳴。

 大気を震わせる女性の声。その音の発生源は災禍の龍だ。


 そして悲鳴の残響が残る内に、辺り一帯には禍々しい魔法陣が至る所に展開する!


「う、そ……!? 逃げて下さいアキラさん!!」アーミラは叫び、俺の背中を叩く。


 その直後に全ての魔法陣から光弾が打ち出された。


 ――くぅ……っ!


 紙一重で躱し、陣の外へ飛翔する。

 黒く輝く光弾は俺の尾を掠め、溶解した。


「そんな……前線が……」アーミラは上空から戦況を見つめ、声を漏らす。


 前線に展開された災禍の龍の魔法陣は、敵味方関係なく命を消し炭に変えてしまった。地上では助けを求める悲痛な叫びが飛び交い、俺は咄嗟に目を逸らす。


 ――ヤバい……だろ、これ。


「オロルは!? オロルは無事ですか?」アーミラは地上に向かい眼を凝らすが、オロルの姿は見えない。俺は高度を落とし、オロルがいた場所まで移動する。


 溶解して硝子状になった土が煙を上げ、身体を欠いた魔獣がか細い声で鳴いている。


 ――オロルー! どこだー!!


 俺は叫ぶ。いつまた光弾が打ち出されてもおかしくは無い。すぐにでも逃げる必要がある。


「アキラッ!! 無事か? 一度この場から逃げるぞ」


 ――オロル!


 土煙の中から姿を現わす巨大な蜘蛛。オロルは無事だった。狂いの無い機巧で脚を操り俺の側に駆け寄る。


「出鱈目な強さじゃな……明確な意思を持っていないのは幸いか」オロルは柱時計の下に振り子のようにぶら下がり、忌々しげに災禍の龍を睨む。


 災禍の龍は空中で蠢くと、再び眠りにつくように眼を閉じた。


 その姿はまるで白痴。


 ――このまま動かないのなら、ガントールと合流しよう。


 禍人領から逃げ出し、前線まで引き返す。とてもじゃないが、あれに敵うとは思えない。


 どこかにガントールがいるはずだ。そして蛇堕も。


「『テレグノス』を使用します……」アーミラは俺の背にしがみついて杖に詠唱する。「リブラ・リナルディ・ガントールを……『テレグノス』!」


「どうだ? ガントールは無事か……!?」オロルは叫ぶ。


 しかし、アーミラは答えない。俺はもう一度尋ねる。


 ――……アーミラ? ガントールは勝ったのか?


「首を、斬り落とした……」アーミラは杖を覗きながらぽつりと言う。


 蛇堕を斬首したのだろう。ガントールの怒りに燃えていた顔を思い出す。もう決着がついているならありがたい。


 ――よし……ガントールが勝ったんだな。


「違…います……!」アーミラの声は震える。「ガントールの、首が……切り落とされてます……!」


「な…!?」オロルは驚愕に声を漏らし、唇を噛む。


 ――ガントールが、死んだのか……!?

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