それは、圧倒的な力❖1
壷に収められてから数日。三女神は順調に前線を押し上げ続ける。
俺はと言えば、その勇姿を直接見届けることが出来ないまま、壷の中でただひたすらにアーミラ達の無事を願う日々。
スークレイは俺を抱えて、露台に備えられた籐の椅子に腰掛けて、遥か前方の景色を見つめていた。
――ここから戦場が見えるのか?
俺は遠くを見つめ続けるスークレイに問う。
「煙たくてよく見えませんわ。でも、向こうで皆が戦っている。ガントール姉様もよ。……ほら、爆発してる。聴こえませんの?」
――俺には聞こえないや……三女神は活躍してるかな?
「役に立たないどこかの戦闘魔導具より遥かにね」
――手厳しいが、おっしゃる通りで。
「戦うための魔導具のくせに、青の魔女は壷に入れて邸に置いていくなんて……不思議よね。魔導具は壊れるまで使役するためにあるのに」
――戦闘魔導具の本懐はそうかもしれないけど、アーミラは優しいやつだからな。
「会話しているうちに、情が湧いたのかしらね」
そして、スークレイは咳込む。鍛冶屋の炉から吐き出される煙に噎せて、扇で口元を隠した。
「そういえば、ガントール姉様が言っていたわよ。貴方の体が戻ってくるそうね」
――そうなのか?
「スァロ爺がここへ届けてくれるそうだから、貴方、玄関で待っていなさいよ」
――いや、体を受け取るための体がないんだが……
スークレイの物言いに困惑するが、以上の意地悪されることはなく、露台から玄関広間へと俺を運んだ。
❖
「噂をすればなんとやらね」
スークレイが呟くと、リナルディ邸の玄関扉を叩く音が聞こえた。
「お待ちしておりましたわよ。スァロ爺」スークレイが扉を開けてスァロ爺を邸の中に招き入れた。
「おお、スークレイお嬢。ガントール様から依頼されていた鎧の件で参ったぞ」その声はかなり老齢。姿を見ることは出来ない俺はただ黙って会話を聴いている。
「その背の包みが頼んだ品かしら?」
「うむ。何やら訳ありらしくてな、胴を先に修復して欲しいと頼まれた」
「存じております。ガントール姉様から預かっております戦闘魔導具に、その鎧を使用しますのよ」
「戦闘魔導具とな?」スァロ爺は興味深そうに聞いてきた。
「ガントール姉様から聞いておりませんでしたか?」
「ああ、初耳じゃわい。しかしおかしいのう」スァロ爺は続ける。「この鎧はかなり貴重な緋緋色金を地金に用いておる。他の凡百の鎧とは一線を画すものじゃが……魔導回路はなかったぞ」
「それは……きっとこれからですわ……」スークレイは何かを察したらしく、言葉を濁す。
「それでは、スァロ爺。鎧の修復を引き続きよろしくお願い致します。ごきげんよう」スークレイは追い出すようにスァロ爺を帰らせると、俺と胴鎧を抱える。「魔術回路のない魔導具なんて、青い魔女はどんな術を用いているのかしら」と、呟いた。
――何か考えてるな?
「当然。人は常に何かを考えているものよ。貴方もそうなのかしらね?」
――……。
スークレイの頭にある事は俺にも察しがついた。
『俺が戦闘魔導具ではない』と、悟ったのだろう。
スークレイは愉快そうな声で俺を脅しにかかる。
「ここに、貴方の体があるわ。青い魔女からは『石を移すのはこちらでやるので』なんて言われているけれど、壷から出すなとは言われていないわね」
――おい、それは勘弁してくれ……!
「わかりやすく狼狽えるわね。やめて欲しいなら、貴方の正体を話してくれないかしら?」スークレイは壷をゆっくりと傾ける。
――それを知ってどうするつもりだ。
「さぁ? 私が思う通り禁忌なのならどうしようかしら」
――いや、禁忌じゃないよ。それだけは誓う。
「それなら、貴方はなんなのよ?」
話すべきか、俺はしばらく考え込む。しかしスークレイは待ってくれない。
「愚図は嫌いよ」
天井を映す視界はくるりと回り、床に向けられる。
そして俺は引き止める間もなく声を、耳を、目を失って床に転がった。
くそ……スークレイの奴が俺を壷から出したんだな。
ここは暗く、意識だけが延々と独り言を繰り返すだけの虚無だ。
温度なんて感じないはずなのに、この闇は酷く寒い。
俺という存在そのものが刻一刻と失われ始める感覚。焦燥。
強烈な孤独感に包まれて、恐怖という原初的感情に俺の人格は容易く剥ぎ取られる。
なんでも言うから……
死んでしまう……
体が欲しい……
助けて……!
怖い!
怖い!!
怖い!!!
「話す気になったかしら?」
スークレイは言う。
俺は壷の中にいる。
――わかった、言う! 全部、言うから…!!
「ほんの少し壷から出しただけじゃない。そんなに必死になるなんて面白いわね」スークレイは愉快そうにクスクスと笑うと、またも壷を傾ける。「もう少しで壷が逆さまになるわよ? 早く言いなさい」
――お、俺は、異世界から来たんだ……! アーミラに魂だけを鎧に入れられてる!! 戦闘魔導具なんかじゃないんだよ!!!
「……異世界? どんなところなのかしら」スークレイは壷を元に戻して聞いてきた。
――それは、こことは違う世界だ……詳しい事は俺も……き、記憶がないんだ。
「……本当かしら?」
俺は再び床に転がる。
ああああああああああ ああああああああああ
ああああああああああ ああああああああああ
ああああああああああ ああああああああああ
ああああああああああ ああああああああああ
ああああああああああ ああああああああああ。
「記憶は思い出せた?」
――本当に記憶がないんだよ!! ……もう、嫌だ。やめてくれ……心が壊れそうだ……
スークレイは黙り込む。俺の言動に偽りがないかを思案しているようだ。
「本当に知らないみたいね。このくらいで許してあげるわ」スークレイは壷を揺らす。「本当の事を言えば、禁忌なんて私にはどうだっていいのよ。よくわからないもの。
ただの暇つぶし。青い魔女が壷から出さないでというから、出したくなっただけよ」
――お前……
放心して言葉も出ない。
心にあるのはひたすらな恐怖。
俺の所有者がスークレイではなく、アーミラで良かったと心底思った。
❖
「スークレイさんに酷い事されませんでしたか?」
アーミラは前線から帰ってくると、自分の事よりも先に俺の身を案じてくれるのが心に沁みる。
壷を覗き込むその頬に煤が付いて、衣服にも血の染みが付いていた。俺よりも酷い姿だ。
生きて帰ってきた。
俺はそれが嬉しい。
時間は夜。場所は驚異の部屋。
前線から帰還したアーミラに運び込まれて、二人きりの時を過ごす。
――何もないよ。問題ない。
俺は心配させたくないあまり、スークレイにされた事を隠して平静を装う。
――それより、胴が治ったらしいから、早く俺を移してくれ。
首鎧と胸当、そして背中の板金で構成された胴の鎧。黒鉄色だった板金は、スァロ爺によって磨きあげられ、白金の輝きを放つ。
アーミラは可能な限り手早く首鎧に俺を嵌め込んだ。
「…怖くありませんでしたか?」と、アーミラ。
四回も体験すれば、数秒間石にされたところでどうということはなくなった。
何より、身を預ける相手がアーミラだ。信頼は厚い。
――うん。平気だ。
胴だけでは体は動かせない。しかし、壷の中よりも視界は広く、声もはっきりとする。それに、意識の怠さは無くなって明瞭だ。元の体に収まり、俺も人心地ついた。
「元からあった傷も綺麗に治されていますね。まるで新品みたいです」アーミラは俺の体を見て回り、修復の技に満足気だ。
――地金には緋緋色金ってのを使っている鎧だって聞いた。すごいのか?
「緋緋色金!?」アーミラは驚愕する。「そんなに貴重な素材だったなんて……この部屋の蒐集品はやはり価値が高そうです。売り払えば暮らしに困りませんね」
――そんな事していいのか?
「駄目ですけど……それくらいの価値があるわけです。アキラの鎧も」アーミラは興奮して目を輝かせる。そして書庫から本を引っ張り出して頁を開き、説明を始める。
「緋緋色金というのは、鍛冶屋で加工できるような鉄とは性質が違います。
特徴としては水のように粘度の低い液体金属。そして、それ自体に魔力はないことです」
――魔力がない? コンクリートみたいに?
「いえ、コンクリイトは魔力を受け付けないので、性質としてむしろ対照的です。魔法をかけられたら素直に従います……従いすぎるくらいです。
炉で熱しても叩いても、緋緋色金は液体のままですが、魔呪術によって生成する事で加工が可能になります。この『魔力が無い』という性質によって奇跡的にもアキラの魂を受け入れる事が出来たのですね」
――魔力を持たないからこそ、俺の魂を受け入れた……。なるほどな、俺がこの世界に迷い込んだ原因は様々な要因があったんだな。
「はい。多分まだ明らかになっていない要因が他にもあるんだと思いますけど」
少しずつ、少しずつ解きほぐされていく謎を解明する。そして、昼間に言われた事はもう一つ。
――なぁ、アーミラ。戦闘魔導具ってどういうものなんだ? 魔導回路ってのが必要なんだろ?
魔導回路。
緋緋色金の板金鎧さえも修復してみせる賢人種の鍛冶屋、スァロ爺が発した言葉だ。戦闘魔導具には必要なものであり、そのせいでスークレイには酷くいじめられた。
「戦闘魔導具というものを見たのは、実は私も今日が初めてでした。知識としては知っていましたが……とても巨大な兵器ですよ」
――巨大なのか?
「はい。物によって差はありますけど。主に巨大な魔獣に対抗するために、槍を打ち出したり、槌を振り下ろす機巧を備えています。アキラのように会話をする事もありませんし、比較的単純なものです。それゆえに修理に手間もかからないようですね」
――魔導回路は?
「魔導具にあらかじめ刻んでおく言葉の事です。術者がいなくても稼働してもらわなければ意味がないので」
――なるほど……
俺は一通りの説明を受けて納得する。俺のような戦闘魔導具はそもそも存在しないのか。
「あっ、……戦闘魔導具と言えば、オロルのはかなり複雑な機巧を備えていましたよ。おそらくあれが柱時計継承者の本当の力でしょうね」
――オロルが!? ……戦闘魔導具を?
にわかには信じられない。オロルは今まで時間を止めたり、相手の行動を止める程度の能力で戦ってきた。ギルスティケーの魔獣の大群も、間者との戦闘でさえも、戦闘魔導具を使用してはいない。
そもそもそんなものをどこに隠しているのか。
「召喚したんですよ。私、見たんですから。……巨大な柱時計が現れて、その柱が八本脚に分かれると蜘蛛のように戦場を駆け回って……格好良かったですよ」
柱時計が蜘蛛のように?
移動要塞?
アーミラの語る戦場でのオロルの姿が気になるが、俺はまだ邸からは動けない。




