板金鎧に宿るもの❖3
俺は驚異の部屋の中をウロウロと徘徊していた。手足を手にいてた今。興味は尽きない。
「すみません、もう一度お名前を聞いてもいいですか?」アーミラが言う。
あの時はパニック状態で、覚えていられる状況じゃなかったようだ。
――じゃあ、改めて、俺は慧。井上慧。
「…独特の響きですね。その、アキラというのが、個人名ですか」
――そうだな。
「…ふむ。では、これからはアキラ・アマトラですね。イノウエというのは、……ちょっと不恰好ですから」
――おい、全国の井上に謝れ。というか、アマトラってのは何処から来たんだよ。
「鎧、甲冑という意味です。単純ですが、シンプルな名前ほど魂の結びつきがいいので」
――ふぅん。それはよくわからんけど。
この世界で名乗るには、その方がいいのだろう。郷に入っては郷に従え。アキラ・アマトラ。これからはそう名乗ろう。
――それより、これからはどうするんだ? 俺もついていくことになるんだろ?
「えぇ、本当は私専用の戦闘魔導具を造るつもりだったので、代わりにアキラさんには戦闘をお願いしたいのですが」アーミラは曇りのない瞳で俺に戦闘を任せるとお願いしてきた。
またも嫌な予感。不安なので俺は確認する。
――あのさ、今更なんだけど、俺がいた世界はすごく平和でな? 今まで戦ったことなんてないんだが……。
「えっ?」アーミラは驚く。「争いのない世界……すごいですね。その世界の神は優れた創世の力を持っているのでしょうね」と、俺の世界の神を褒め讃えるが、それは誤解というものだ。
――あー、いや、神は居ないんだ。
「……か、神が、居ない……!?」冗談でしょう?と、アーミラは前のめりに聞いてくる。
――本当だ。もしかしたらいるかもしれないけど、見た人はいないな。
俺の言葉にアーミラは驚愕した。
「あ、ありえないんですけど…! それなら、なんで、争いが起きないんですか?」
――そんなことを言われてもなぁ、そもそも、俺のいた世界とここは、だいぶ勝手が違っていて、魔法もないし、神もいない。争いもない世界だよ。そもそも人の種類も少ない。肌の色が違うくらいだ。
「すごいです。なんだか草花のような世界ですね。そんな世界で、楽しいんでしょうか?」
アーミラは不思議なことを言う。しかし、草花のような世界か。魔法も神も争いもない。つまらないという感想には、共感できる気がした。
――記憶がないからぼんやりとしか言えないけど、命の価値とか、生きる意味とかは、よく考えてた気がする。
――なんていうか、生まれてから死ぬまでの道のりが決定されてた。システムって言ってもわからないか。……えー、そうだな。例えるなら、みんな大きな河の流れに身をまかせるような生き方しかできない。
アーミラは俺の言葉に顔を曇らせて、頭を抱えていた。
「全員が使命を果たす刻印を持っているようなものですね。私では生きていけないです」
あぁ、俺も無理かもな。と心の中で返事をした。
――で、戦闘はどうする?
話題が逸れてしまったので、改めて聞いてみる。
アーミラと同行する上で、恐らく数えきれないほどの戦闘が行われる。そして俺は戦った経験が無い。
「明日からおよそ二ソ――『ソ』とは日の単位だと教えてもらった――かかる道を歩いて、神殿にいくつもりでしたが、少し遠回りして、街の外の魔獣で戦闘に慣れておきましょう」
――それだと神殿に着くのが遅れるかもしれないけど、大丈夫なのか?
「えぇ、この国は神殿と隣合わせなので問題ありません。それに元々、戦闘魔導具の制作のために、日程には余裕があるので、アキラが戦闘を受け持ってくれるなら、好都合です」
――じゃあ、とりあえず決まりだな。
アーミラはこの先の予定が決定すると、部屋の奥にある食糧庫から、乾いたパンとチーズを手に持って二階へ上がる。
「アキラさん。その体ではお腹減りませんね」
――…そう、みたいだな。
「もしかして、眠ることもできないですか?」
――…あぁ、眠気どころか、瞼もない。
「あらあら、…お暇であれば、自由にこの部屋の外に出ても大丈夫ですからね。
いろいろと知りたいものもあるでしょうから」
それでは私はお昼ご飯を頂きますので。と、アーミラは階段を上って部屋の中に消えた。
❖
この体で街に出ていいものなのか?
俺は些か躊躇うが、アーミラは部屋に戻ってしまったし、金魚の糞みたいにずっとアーミラと一緒にいるのも気持ち悪がられそうなので、外に出ることにした。
空は赤く燃えて、薄く広がる雲がその向こうの夜の闇と溶け合う。
時間の概念が地球と同じなら、今は夕方のようだ。
山岳に築かれた街なのか、遠くの方の街並みは岩肌が露出して、煉瓦造りの建物が並ぶ。申し合わせたように屋根は赤で統一されている。
治安は悪くはなさそうだが、昼と比べると子供の姿はなく、街を歩き回るのは――旅人だろうか?――外套を纏って肌を隠している大人の姿ばかり。背中には得物を背負い、おそらくは今日の宿を探して街に来ているのだろう。
――ふむ、…ならば、俺も旅人として紛れるか。
街を歩く前に、改めて振り返る。地面に突き刺さり、静かに佇む天球儀の杖。
黒い石板の杖と金属の天球儀で構成されていて、背丈は俺の身の丈程もある。
石板の部分は幅もあり、大剣のようだ。そこに彫られた模様は規則性があり、文字だろうと推察できるが、読み取ることはできない。
上に取り付けられた天球儀の模型は一塊の赤紫の宝玉から削り出されている。この中にアーミラの住む驚異の部屋があるというのだから、さすが剣と魔法の世界といったところか。
試しに持ち手を掴んでみるが、重厚な見た目を裏切らない質量があり、とても持ち運びには適していない。巨大な石板と宝玉で出来ているのだから、寧ろ持ち上げられるわけがないのだ。
大儀そうに佇む天球儀の杖から手を離す。
次の目的、街の散策をする。
露店には酒と肉料理。露店から立ち上る煙と、見て楽しい鉄鍋の中でも弾ける油。
嗅覚の無いこの体でも見ればわかる。美味そうな肉が皿に盛られている。
大通りは気炎に包まれる。
今日の労働を終えた男が疲れを癒し、酩酊に笑う。俺はそれをぼんやりと眺めながら、街をぐるりと見て回る。
――祭りみたいだな。
と、呟くと、頭の中に浮かぶ記憶の情景が景色と重なる。
夏の夜の祭りのようだ。大通りに木製の椅子を並べて、酒を呷る大人たち。街に住む人たちみんなが知り合いで、暖かい繋がりの中にいる。
――これが、異世界か。
今まで生きてきた世界よりも、文明は確かに劣っている。しかし、幸福そうで羨ましい。
もし俺が人の体のままだったら……なんて考えてしまう。