我らの希望❖3
ラーンマクで一夜を過ごし、前線に朝が来た。
神殿からここまで、幾度となく繰り返されてきた『前線』という言葉に、陰惨な光景が広がる戦地という先入観を持っていたが、俺が想像していたよりも落ち着いている。
とはいえ、国内を往来する蜥蜴も鎧を着ていたり、血生臭い包帯を巻いて外套を翻す戦士の姿は其処彼処で見かけるので、油断はならないが。
「あら? お前はボロ鎧じゃないの……まだそんな格好なのね」
邸の外で朝日を望む夜明け前。話しかけてきたのはスークレイだった。
――スークレイさん、随分とお早いんですね。
「呑気な事を言うのね。ここは前線。ラーンマクよ。寝首をかかれる危険と隣り合わせだわ」
スークレイは扇で口元を隠して毒突いた。
しかしその言葉には否定できない。俺たちはギルスティケーでまさに間者と戦ったのだから。
スークレイの毒舌を避ける為、俺は話を合わせることにした。
――そのかかれる首がないから、俺は襲われないだろうよ。こうして三女神を守る為に見張ってる。
「へぇ、人間臭い会話ができるなんて、器用な戦闘魔導具ね」スークレイは目を細める。扇の奥に隠した口元は笑っているのか。「少し会話に付き合いなさい」
朝靄と鍛冶屋の炉の煙が街を覆う早朝。未だ三女神は眠りの中。通りには疎らに人の姿が見え始めるが、リナルディ邸には物音ひとつしない。
――俺以外に話相手は居ないのか?
「こんな大きな邸、従者なんて招いたらすぐに偽物が紛れ込むわ。おちおち眠ることも出来ないわよ」スークレイは言葉尻に肺を引き攣らせて咳をした。
「……煙が舞ってしょうがないわ」と言って鍛冶屋の吐き出す黒煙を睨む。
――……一人で過ごしてるのか。
「快適よ。ガントール姉様が居なくなってからは悩まずに済むもの。全て敵」
――そうか。
「でも、たまには話し相手が欲しいと思うわね」スークレイは真っ直ぐに俺を見つめる。「貴方みたいなボロ鎧が欲しかったの」
その言葉に俺は黙り込む。一人が快適だというスークレイは、その実とてもお喋りで、会話の相手を求めている。毒舌こそ酷いものだが、寂しいと思う心情は理解できるものだ。
――……俺は眠らない。いつもこの時間は一人だよ。
「本当に人みたいな受け答えね。また来るわボロ鎧さん」
スークレイはそれだけ言って踵を返し、邸の奥へ消えた。
そして俺は皆が起きるまで空を観測し続ける。
❖
「アーキーラーさぁん?」
アーミラは微笑みながらも額に青筋を浮かべて俺に詰め寄る。
どうせ鍛冶屋に修理される間は、俺はこの邸から身動きができない。なので包み隠さずアーミラに話したのだ。『板金鎧が治るまではスークレイの話し相手になる』と、そして今に至る。
場所はリナルディ邸の一室。アーミラと俺の部屋。
御立腹のアーミラは俺の話を聞き入れず、平行線のまま。ついに強行手段に出ようとする。
「アキラは驚異の部屋に入れていきます!」
――おいおい。そんなに意地悪するなよ。俺は手も足も出ないんだから、スークレイの話し相手くらいさせてくれよ。
「いーやーです! アキラは私の戦闘魔導具なんですよ?」
――その戦闘ができないただの魔導具の間だけだよ。一人きりで寂しいんだぜ? あいつも。
「昨日の今日で、何がわかるんですか!? 人が良すぎますよアキラさんっ!」
アーミラは俺の肩を掴み、ガシャンガシャンと揺する。うぅむ。どうしたものか。
「あー……アーミラ?」
恐る恐るといった風にアーミラを呼ぶのはガントール。いつの間にか部屋に入って来ていたようだ。
アーミラは反射的に声なき声を上げて俺の背中に隠れた。こんな時でも人嫌いは発動する。
「な、なんですか……?」
「いやぁ、声が聞こえたもんでな」ガントールは困り笑いを浮かべて続ける。「私から見ても可愛くない妹だが、アキラ殿の言うように寂しがり屋でな。話し相手になってくれるなら私は是非お願いしたい」と、申し訳なさそうに頭を下げる。バツが悪いのはアーミラの方だ。
「…そんな、ガントールまでそんなことを言うなんて。……アキラは私のものですけど……」
「それは分かってる。譲ってくれなんて言わない。ただ、傍に置くことを許してあげてほしい。傍にいてあげてほしい」ガントールの言葉は俺にも向けられていた。
傍に居てあげてほしい。
姉としてのガントールは可愛くないと言いながらもスークレイを大切に思っているのだろう。頭は下げたまま、再び頼み込む。
「アーミラ。お願いだ。アキラ殿が治るまではスークレイの下に置いてあげて欲しい」
アーミラは真剣に頼み込まれてたじろいでいる。
「うぅ…でも、だって……」
――アーミラ。
「はぅ」
――寂しがり屋で不器用なのはお前もスークレイも同じだよ。それに、俺はモノじゃない。一人の男だ。考えるし行動する。俺はスークレイの話し相手になりたいだけだ。
「……嫌、……ですけど……」
アーミラはそれでも頑として自分を曲げない。
――アーミラ……
「一人の男だから……アキラが男の人だから、嫌なんですけど……」
――なっ……!?
アーミラの言葉に俺は言葉を詰まらせる。
「一人の男だから、あげたくないんですよ……!」
アーミラが目に涙を溜めて俺を見つめた後、ガントールの横を駆け抜けて部屋を出て行った。予想外の展開に俺とガントールは向かい合って呆然としている。
――……惚れられるような事、してないぞ?
「それは、女誑しというものだ。命を救い、頼りになる。……唯一の話し相手ってだけで、それはもう充分だよ」
――知ってたんなら教えてくれよ!
「無粋だろ。それは」ガントールは眉を下げて申し訳なさそうにする。その表情の意味が、先程とは違う意味合いを持って俺に映る。
アーミラの心情を理解していて、それでもスークレイを心配に思う姉の姿。ここでガントールを責められない。悪いのは俺だ。
――どうしよう……どうしたらいい!?
俺は今更慌ててしまう。まさかそこまで想われているなんて自覚していなかった。アーミラは世話が焼ける妹のような……
「とにかく今は、走れッ! アマトラ!!」ガントールは俺を一喝。そして背中を押した。
――は、はいっ!
アマトラと呼ばれて俺はすぐに思考を切り替える。何かを思い出しかけていた気がするが、追いかける術もなく意識の底へ雲散霧消してしまった。
今追いかけるべきは記憶じゃない。アーミラだ!
――アーミラッ!
「わっ……何じゃい騒がしい」
リナルディ邸内を駆け回り、アーミラの名を呼ぶ。曲がり角で鉢合わせたのはオロルだった。
――おお、オロル。小さくて視界に入らなかった。
「潰すぞ阿呆」オロルは長靴で俺の脛を蹴る。「ちっちゃい言うな」
――そんな事よりアーミラを見なかったか?
「……見ておらん。敵襲か?」
――そんなんじゃない。が、似たようなもんだ。
「けっ、……どうせ下らん事じゃろう? 前線にいる事を忘れるでないぞ」
睨みつけて説教を飛ばすオロルを構わずに走り去る。そんな事は分かってるのだ。早く見つけ出さないといけない。アーミラも馬鹿じゃない。邸の外には出ないだろう。
アーミラを探してリナルディ邸を駆け回る。二階は全てスークレイの部屋。人嫌いのアーミラが、わざわざ行くとは思えない。とはいえ一階は全て隈無く探した。
――居ない。
俺は焦り始める。
「下が騒がしいと思ったら、ボロ鎧が駆け回っていましたのね」
――……スークレイ。
邸の玄関広間。二階に繋がる階段の踊り場からスークレイは俺を見下ろしていた。
「私の家の中を犬みたいに駆け回って何をしているのかしら」
――いや、アーミラを探してて……見てないか?
「青い魔女ね。見てないわ」
――そうか。
「話したの?」スークレイは言う。話の流れから見て、『アーミラに私の事を話したの?』という事らしい。
――……独占欲が強くてな。少し口論になってしまった。
「対物性愛かしら?」
スークレイの言葉に沈黙で答える。俺は物でありながら物ではない。そして、アーミラを馬鹿にする毒舌にしては度が過ぎている。
俺の心情を察してか、スークレイは手を振って、冗談よ。と言う。
「でも、その反応はわかりやすいわね。どんな口論か想像できるわ」スークレイは俺を鼻越しに眺めて欄干に肘をつく。「私に取られると思っているのかしら」
――まぁ……そうだよ。
「なら伝えなさい。奪ったりはしないってね」
そう言ってスークレイはまた二階の奥へと消えた。
しかしアーミラはどこへ消えたのか。いよいよ外へ捜索の範囲を広げる必要が出てきたか、一度ガントールと合流して、捜索を手伝って貰うために、アーミラの部屋に戻る。
❖
アーミラの部屋にガントールは居なくなっていた。天球儀の杖は部屋の隅にぽつんと立てかけられている。もしかして、驚異の部屋に居たりして……。
俺は恐る恐る宝玉に触れて、中に入ろうとするが、宝玉は中へ入れてくれない。今までそんなことは無かった。アーミラが内側から鍵をかけている!
――中に、入れてくれよ。
俺は呟くが、声が届いているのかは怪しい。そもそも鍵をかけられるなんて初めて知った。
途方に暮れてベッドに腰掛ける。そこにガントールが現れた。
「……アキラ殿」
――……あぁ、ガントール。杖の中に居たのか?
ガントールは頷く。
「アーミラと少し話したよ。……アキラ殿は相当惚れられているな」その声音は優しく、俺は少し気が休まる。
――そう、なのか。気付いてないわけじゃなかったんだ。アーミラは俺にだけ自然体で話してくれた。…けど、それは俺が肉体を持たないから、物として接していると思ってた。
「それは勘違いだよ。みんなの前ではそう言ってしまうんだって。…ふふ。不器用だよね」
――そうだったのか。
「アーミラは、最初はアキラの事を頼りになる優しい人だと思った。この世界に迷い込ませたのは自分なのに、怒りはしたけど叩いたりはしない。そして旅について来てくれた。初めての友人だったんだって」
――初めての友人……
俺はガントールの言葉を繰り返す。アーミラの人嫌いは筋金入りだなと少し可笑しく思いながら、納得する。
「私やオロルとの仲を取り持ってくれて、いつも助けられている。と、言っていた」
――うん。
「嫌われたくない。けど、我儘を言ってしまった。って、アーミラは泣いてたよ」
――嫌いになんてならないよ。
「そうだな。アキラ殿はそういう人だ」ガントールは微笑んで、何時ものように肩を叩いた。「さて、アマトラ? 驚異の部屋でアーミラが泣いている訳だが……言うべき言葉は携えているのかな?」
ガントールの演技然とした口調に俺は少し戸惑う。
言うべき言葉。
――それってつまり……
「皆まで言うな。一人の男なんだろう?」ガントールはウィンクをして俺を杖の前に立たせる。「鍵はもう開いてるよ。頑張れよアキラ殿」と言って、俺の首に板金鎧の頭を乗せた。首失騎士のままでは格好がつかないもんな。
俺は頭の位置を調節して、ガントールに答える。
――あぁ。わかった。
鍵は開いてる。部屋も、心も。
ならば俺が言うべき言葉は一つだ。




