我らの希望❖1
国王セルレイに抱いていた認識を改めてから数日、前線へ向かう三女神一向をイクスとナルが蜥蜴の幌車で見送りを行う。
俺はギルスティケーの南方を幌の中から眺める。
討伐隊やそこに住んでいた人達が倒壊した建造物の瓦礫を運び出し、少しずつ復興へ動き出している。道のりは長い。
俺はぼやけた視界でただ流れていく景色を見つめ続けた。時折目に飛び込む赤黒い街角は、魔獣の血か、人の血か。
「このままラーンマクとの国境までお送りいたします」馭者を務めるナルが後ろに振り返り、伝える。
「あぁ、助かるよ」ガントールは手短に答えて脚を組み直した。「……今度は妹か」
――ラーンマクって国に、妹がいるのか?
「あぁ、いるよ。可愛くない妹さ」ガントールは苦笑して幌の木組みに肘をついて頬を乗せる。「アキラ殿はその姿を治してもらわないとな。まるで首失騎士だ」
ガントールの言葉にオロルとアーミラは口角を吊り上げて笑ったが、イクスは未だ戸惑っていた。俺の首は、アーミラの膝の上に乗せられている。
「なあアキラ、一体その体は何なんだ? 勇名の形の一つだって、あの時は言ってたが、信じられねぇよ」イクスは俺の首に開いた穴を覗き込んで隅々まで観察する。ナルも馭者台から静かに耳をそばだてていた。
この姿を晒してしまってから今日まで、説明を避けてきたし、イクスも深くは聞くまいとしていたようだが、別れの刻が近づいて、ついに我慢が出来なかったようだ。
俺は答える。
――実は俺は、アーミラの戦闘魔導具なんだ。普段は人に紛れるために勇名を名乗る。
「そんな……俺は今まで人形と会話してたってのか?」
イクスの言葉に胸が痛む。
修行の師として今まで散々世話になり、戦斧まで託されたのだ。
「信じられねぇよ。お前は成長するし、心を持ってる……」
「戦闘魔導具とはいえ、人格も自我もあるぞ」オロルはイクスに言う。「肉体は無いが、一人の人として存在しておる」
――……あぁ、修行の相手をしてくれて、すごく助かった。ありがとう。
イクスはオロルの言葉を頭の中で転がして、そうだな。と呟いた。
「戦闘魔導具って言われても、俺はアキラを人として、弟子として接してきた。それは変わらない。……俺の戦斧、託したぞ」イクスは俺の前に手を差し出して、握手を求める。
――任せてくれ。
俺はイクスの手を握り返し、固く握手を交わした。
❖
「重々お気をつけ下さい。……私たちの希望」
ナルの見送りの言葉は無感情ながらも敬意を表する態度だった。
これから前線の国ラーンマクへと赴く三女神を『私たちの希望』と呼び、深々と頭を下げた。
その昔ギルスティケーが前線だった頃に建てられた国境の防壁。堅牢な石造りの囲いに門が取り付けられ、そこがラーンマクとの検問所となる。見送りはここまでだ。
ナルがセルレイより預かった親書と、肉体に刻まれた三女神の刻印を提示して、俺たち四人はラーンマクの地を踏む。
未だ見送りを続けるナルとイクスが遠くに見える頃、俺は振り返って手を振った。
四代目国家ラーンマク。
二代目国家ギルスティケーと地続きに繋がり、三代目国家を経由せずに前線に到着した。
俺たちの思惑とは別に、神殿から南下して、まっすぐに前線出征をしていることになる。
――随分と優等生な足取りだな。
俺はアーミラの天球儀の杖を眺めて、描かれた地図上で足跡を辿る。
「……先代の三女神も同じ様な足跡を辿ったのでしょうから、その歴史の中で前線への道は自然と最適化されたのでしょう」アーミラは神妙な面持ちで俺の指を見つめる。二人きりでの会話だと、アーミラはとても饒舌だ。
「さて、どうする?」ガントールは振り返って俺たちに聞いてきた。「……って言っても、私の故郷だ、わざわざ宿を借りるより家に案内したほうがいいか」
――ガントールの家系ばかりお世話になる。前線までの道のりがリナルディ家を現してるみたいだな。
「なはは」ガントールは照れたように笑う。俺としては褒めたつもりはないのだが。
「わしとしては楽ができて助かる」オロルはガントールの家に向かうことに賛成した。アーミラも頷き、どうやらラーンマクでの活動拠点は決まった。
❖
『三女神様だ!』
『我らの希望が、ついに前線に来てくれた!』
ガントールの実家、リナルディ邸まで歩く道のりで、人々からの歓声に包まれる。
やはり前線というのもあり、歓迎の声は大きい。俺はぐらつく頭を首に乗せて、目立たない様に三女神一行に随行する。
ラーンマクはおよそ二百年、三女神の出現を渇望しながらも前線を維持し続けた堅牢な国。
国内で戦うための術を確立し、盤石な基礎を築いている。
ここでなら俺の板金鎧の修復も可能だろう。
赤熱する炉を前に槌を握る者。鍛冶屋。
そこかしこで煙を吐く煙突を見るに、同じ様な鍛冶屋が腕を競い合っていると見える。いくらあっても足りない防具や武具を国内で生産、修復するために、需要は高まっている。
首失騎士じみた見た目に成り下がった俺は、ぼやけた視界から幾筋も立ち昇る炉の黒煙と、それに切り取られた向こう側に広がる空をいつまでも眺めていた。
❖
リナルディ邸は一見して要塞のようだった。
巨大な岩盤を削り出した重厚な室内。滑らかに磨き抜かれ、絨毯の上を歩かなければ足はたちまち滑って転んでしまいそうだ。
柔らかな燐光を放つ発光石の灯りの他に、暖炉の炎が揺らめいて、穏やかに邸内を暖めている。光が壁や天井に反射するお陰で、光源が少なくとも充分に明るい。
「アキラ、スークレイさんが来ましたよ」
――それはいいけど、頭が外れたままだぞ? いいのかよ。
「戦闘魔導具だと伝えますので、そのままで問題ありません」
――ん、わかった。
❖
リナルディ・スークレイ。
三女神の長女、天秤の継承者リブラ・リナルディ・ガントールの妹。
容姿はとても似ていて、負けず劣らず美しい長身痩躯。
纏う衣服は戦士の鎧ではなく、コルセットを巻いたドレス。髪は後ろに一まとめに束ねられている。全体の色調は赤紫に染められていて、ガントールよりも妖しい雰囲気がある。
「ただいま」と、ガントール。久しぶりの帰郷である。
「まだ生きていましたのね。なによりですわ」スークレイは玄関広場に設けられた籐の椅子にゆったりと腰掛け、大きな扇子で口元を隠している。
「ははは……本当にそう思ってる?」
「あら? 私の言葉をお疑いになるなんて、成長しましたのね」
「おう! 成長したと思うぞ」
「前言撤回……お変わりありませんわ」スークレイは冷やかな視線を飛ばす。皮肉が通用しないことが気にくわないらしい。
この姉妹の会話に入るのはなかなか勇気がいる。
オロルも面倒くさそうに社交的な笑顔を張り付かせて黙り続け、アーミラは視線が合わない様にただ絨毯を見つめていた。
「……さて、ガントール姉様。後ろの三人は?」スークレイは三白眼を横に滑らせて俺たちを一瞥する。
「私と同じ三女神の継承者だ」ガントールは右手を胸の高さに上げて、オロルに視線を促す。
「チクタク・オロル・トゥールバッハじゃ。ガントールから噂は予々《かねがね》……お美しい姉妹で」
「あら、よくご存知で。小さくて可愛らしいわね。お幾つかしら?」
「……齢は十九じゃ」オロルは苦々しい声で答える。今まで聞き損ねていたが、俺と同い年であることに少なからず驚く。以外と若いんだな。
――……てっきり百歳くらいだと思ってた。
「うるさいわい」オロルは俺の呟きを一蹴した。
「十九。ということは賢人種ね。この国では珍しいわ。私好きよ、小さくて可愛らしいものね」スークレイは籐の椅子の上で優雅に脚を組み直した。「次、そこの青い魔女」
「…は、はひ……!」アーミラはスークレイに呼ばれて突沸してしまった。「あぅ、アーミラ・ラルトカンテ・アウロラで……ですっ!」
「急に声を荒げては、耳に障りますわ。緊張しているのかしら、後でお茶でも用意しましょうね」
「……あ、ありがとう…ございます……」アーミラは指先を忙しなく動かしてなんとか言葉を振り絞る。
「次……あら? ガントール姉様、この骨董品のような鎧は何ですの? 鉄屑か武器の材料かしら」スークレイは俺の姿にも容赦なく毒舌を吐く。
「いやいや、こちらはアキラ殿だ」ガントールは慌ててスークレイの言葉を遮る。
――……アキラ・アマトラだ。三女神では無いが行動を共にしている。
「そ。三女神どころか人ですら無いわね。てっきり新しい武器を作るための鉄屑だと思いましたわ」スークレイは眉間に皺を作り、少し咳込むと、扇でゆっくりと胸元を仰いだ。
確かにガントールが前に言っていた通り、『可愛く無い妹』だ!
――それは、俺が戦闘魔導具だからだ。
「戦闘魔導具? 見た目のボロさに似合わず随分と精巧ね。ガントール姉様、この鎧は強いのかしら?」
「強いぞ。いや、強くなる。アキラ殿は成長する。ギルスティケーでは禍人種を返り討ちにするまで戦果を上げてる」ガントールは手柄顔で言う。俺は態度には出さなかったが師に褒められて密かに喜びに震えていた。
「成長する戦闘魔導具……禍人種を返り討ち……」スークレイは籐の椅子の手摺に肘をついて扇子を畳む。「欲しいわ」
――は……っ?
俺は間の抜けた声が漏れる。スークレイは天啓を得たかのように椅子から立ち上がり、俺に近付いた。
「欲しいわ。アキラ・アマトラ。戦闘魔導具。骨董品として私の部屋に飾るのもいいわね」スークレイは俺の首を手にとって中を覗き込む。
「…あげ、あげませんけど……!」アーミラは震える声で言い、スークレイから俺の体を遠ざけた。
「あら? 貴女の所有物なのかしら?」
「……私の所有物です……っ」
両者しばし睨み合い。とはいえ猫と鼠、獅子と兎。目力では圧倒的にスークレイが強く、アーミラは瞳に溜めた涙が光る。
――悪いが俺はアーミラによって制作された。簡単に受け渡しされるものでは無い。
俺は二人の睨み合いに割り込んで止める。
「あら、そ。……挨拶はこれぐらいでいいでしょう。あとはガントール姉様が好きにしてちょうだい」スークレイはそのまま籐の椅子に戻ることはなく、階段を登り部屋に消える。
「分かった」ガントールは慣れた態度でその背中を見送った。
オロルとアーミラも珍しく同じ心境のようで、口を開けて目を丸くして見つめ合っていた。
ガントールは腰に手を当てて、俺たちの前に立つと、爽やかに言う。
「な? 可愛く無い妹だろ」
❖
たとえどこに旅をしても、どんな宿を借りても、アーミラは代わり映えのしない自室に引き篭もる。
俺は今、驚異の部屋で傷心のアーミラを慰めていた。
「……お茶、貰えませんでした……」
――間に受けてたのかよ。あれは皮肉だぞ。
「うぅ、ガントールと似ても似つかないじゃないですか。すごい毒舌でした。ただでさえ大っきくて怖いのに、性格まであんな……」
――まあまあ、確かにアーミラには合わないタイプだな。
「これが前線……死んでします……」
――スークレイは味方味方。
ベッドで倒れこんで枕に顔お埋めるアーミラの肩に手を置く。
「ひゃうっ!?」アーミラは素早く身を起こして俺を見る。
――おお、すまん。
俺としたことが失態だ。これはガントールとの接し方である。
長く修行の日々を過ごす内に、行動が師に似てきたのだろうか。
「いえ、驚いただけです。触ってください」アーミラは俺が引いた掌を掴んで頬に当てた。「……アキラの体は冷たいですね」
――鎧だからな。
「その体もすっかり傷だらけです。明日にも治してもらいましょう」
――そうだな。
アーミラは俺の体を眺めながら、禍人種に貫かれた板金の穴を一つ一つ観察して、首の穴を覗いた。
「痛くなかったですか?」
――痛くはなかったな。ただ、頭がないと視界が悪い。
「そうですか。……あの時、守ってくれてありがとう……」アーミラは俺の背中に回り、そっと俺を包んだ。「殺されるって思って、とても怖かったです」
――……そうだな。
俺はアーミラの真剣な言葉を素直に受け止める。助けた命がここにあるのだ。
「えいっ」
ガコンッ。
アーミラの声と共に俺の体はぐったりと前に倒れる。
前にもあったな。こんなこと。
――また中に入るのか?
「スークレイさんに取られないように、アキラの中に私の匂いを……」
――だんだん思考が危なくなってないか?
俺の体内で蠢くのが微かに感じ取れる。アーミラが前回と同じように俺を纏うと、背中の金具を留めて一息ついた。
「頭が無い分視界が開けていいですね」アーミラは満足気だ。
――少し懐かしいな。あの時に強くなりたいって思ったからこそ、今がある。……変な感じだ。
ムーンケイで賊に襲われた日を思い出す。
たった一月。長いようで短い月日。
俺たちは戦うための術を手に入れた。
そうだ。初めから俺の心は決まっていたんだ。この力は助けたい命のためにある。
和やかな二人きりの時間。俺は静かに拳を固めた。




