覚悟❖3
――……殺せるんだな。
いとも容易く。殺せるんだな。
「…なんじゃ? 魔獣討伐の時は意気揚々じゃったのに、人の命だけは特別か」それは独りよがりの価値観じゃな。と、オロルは冷たく突き放す。
いつだって冷静で、公平。正しさはオロルにある。
覚悟が足りなかったのは俺だ。オロルに八つ当たりをしようとする心を俺は叱咤した。
「静かになったのう。……どうやらこれで終わりらしい。呆気ないものじゃ」
オロルの言葉に俺は黙って頷く。
禍人種は五体全て討ち取った。
気高さもない。なんとも虚しい幕切れ。
ナルとイクス、ガントールも負傷して、宮は倒壊。結果は辛勝だ。宮仕えの侍女だって犠牲になってしまった。
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国王セルレイは、空が白み始めた頃に瓦礫の下から発見された。数人の侍女を庇うようにして、その身を犠牲に息を潜めて耐え続けていた。
腹部を貫く剣が杭のように床に突き刺さり、固定され、身動きが取れなかったのだ。滴り落ちる血は池を作り、最早気力だけで侍女達を庇っていたのだ。助けを求めるにも敵と味方の入り乱れた戦闘。今の今まで息を殺していたのだと言う。
「……いやぁ、このまま死ぬかと思ったわ」と、国王セルレイ。
気丈に振る舞ってはいるが、瞳に力はない。
「バカな事を言っていないで、止血をするよ」ガントールは国王セルレイの服を丁寧に脱がせて介抱を行う。
「ははは……ガントールに身体を触れてもらえるなんて、悪くないぃ痛たたた」国王セルレイの軽口に対して、ガントールは冷ややかな視線で返す。腹を貫く剣を指先で弾いて黙らせた。
「強がらないと生きていけないのか? これ以上は喋っては駄目だ」ガントールは至極真面目にそう告げた。
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討伐隊の救援が来たのは全てが終わった後だった。
今は宮の付近広範囲に渡って異常がないか見張っている。枯れ井戸の中に押し込められた一番隊の死体も発見されたそうだ。
夜明けの空の下、前庭演習場を避難所として、皆が集まる。
横たわるナルの意識は戻らず、アーミラの手当を受けている。この世界の医術なのだろうか、特殊な術式を地に描き、治癒を行っている。
その隣でイクスは夜風に当たり気を休ませていた。
俺は傷だらけの板金鎧を引きずって、隣に座る。
――……禍人種を殺したよ。
「あぁ、そうだな」イクスは俺の言葉に静かに頷き、目を閉じる。「立派だったぞ」
その言葉は俺を励ますための言葉だが、俺には上手く飲み込むことが出来なかった。そして、ここが俺の生きてきた世界とは違う理の上に成り立っているのだと改めて実感した。
――命乞いをしてたよ。あいつらにも生活があって、家族とかもいてさ……
「それ以上はあまり考えるな」イクスは語気を強めて俺を止める。アーミラは肩を強張らせてちらりとこちらを見た。「後ろばかり振り返ってはいけない。お前は選んだんだ。奪ったのが命なら、助けたのもまた命だ」
助けたのもまた……命。
俺はその言葉を転がして、空をぼんやりと眺める。首を切られたせいで視界は悪く、薄青い色彩を感じ取るのが精々だ。
俺は立派だったのだろうか。命を救えたのだろうか。頭の中は晴れず、縋れる言葉を探している。
「ありがとう」
――……え?
その声の方を見る。アーミラではない。その隣、ナルが目を覚ましていた。
「また、食べましょうよ。アイスクリーム……」
ナルはどこを見るでもなく空を眺め、夢現の意識で呟くと、また目を閉じた。普段の無感情な姿とは想像もできない、素直な言葉を聞いた。
「……そうだな。ありがとう」と、イクスはナルの意識が戻った安堵からか、声が柔らかくなる。
「…私も、ありがとう……」アーミラは余った包帯を巻き直して片付ける。気恥ずかしそうに俺に礼を言う。
――助けた命がある……か。
頭で考えて結論を探すよりも、その一言に救われる。
「アキラはもとより、護衛のためにいるんだろう? 助けたい命を守り続ける。それでいいじゃねぇか」イクスはそう言って、側に寝かせていた自分の得物をこちらに差し出す。
金属の光沢も、埋め込まれた魔鉱石の装飾も他の物とは一線を画す、唯一無二の重厚な戦斧だ。
「誰だってそうだ。自分の周りにいる奴を大切に思うし、それ以外の誰かが死んでも意に返さない。
敵の命にまで心を寄せてはやっていけねぇ。……餞別だ。持っていけ」
――いいのかよ? 勇名の者としての戦斧だろ、これ。
「自分の得物がなくなっても、心は失くさないさ」
――勇名の矜持か?
「そうだ。そして、お前に受け継がれる」
それは覚悟だ。と、イクスは言った。
❖
南方と宮が壊滅に追い込まれてから二日。国王セルレイは自分の負傷をいいことに、ガントールを自室に侍らせた。
オロルはギルスティケー国の宮から一番近い宿の一室で胡座をかいて今の有り様を毒付いた。
「前線に向かう使命はどうしたんじゃ……このままじゃギルスティケー国の跡継ぎが生まれてしまうわ」
――は? 跡継ぎ!?
聞き捨てならないぞ。ガントールがセルレイと結婚して、子を授かるなんて考えたくもない。
「……冗談じゃ」オロルは肘をついて拳に顎を乗せて、馬鹿にしたような視線で俺を見上げる。「アキラもそのボロい姿じゃ格好が付かんな」
――確かに、視界もよくないし、さっさと治してもらいたい。
俺は今も、間者に付けられた傷を残し、胸や額、体の合計十カ所に穴を開けられている。それに首は横一線に切断されて、今は胴の上に乗せているだけだ。
「……それより片付けを手伝って欲しいんですけど……」アーミラも一抱えの書物を運んで階段を降りてきた。
ここは宿の一室、さらに天球儀の杖の中にある驚異の部屋。
魔獣討伐の時に途中で切り上げた片付けを再開していた。
――片付けよりもガントールを呼びに行こう! あんな女好きの国王に好きにさせてたまるか!!
「え、ちょっ!? アキラさん??」
――オロル、アーミラの部屋の片付けは任せた。
「いーやーじゃ。わしは想定外の事態に備えて待機じゃ」オロルは平然と怠惰を表明して、宿から持ち込んだ酒壜に口を付けて蒸留酒を舐める。昼から飲むとはなんて奴だ。
「そんなにガントールの事が気になりますか?」アーミラは書庫の机に抱えた本の山を乱暴に乗せて、俺を睨む。「あくまで師弟だから許しているんですよ……? 忘れたんですか? アキラは私の……」
――戦闘魔道具、だろ? それは分かってるよ、俺が言いたいのは、セルレイにガントールを取られたら、使命はどうすんだって話だよ。
「うやむやになるなら私も助かりますが」アーミラはきっぱりと言い切って、俺の腕を掴む。
オロルはそんなアーミラを眺めて否定の意を込めて手を振る。
「そうはならんよ。神殿で祈祷と加護を授かった。わしらは皆、使命を全うするまでは子を授かることもないじゃろう」
――は……?
俺はオロルの言葉が理解できない。首を取られたせいか、変な言葉を聞いた気がする。
「じゃから、神殿で行われた祈祷と加護は、治癒能力の強化と、妊娠を阻む加護じゃ」
「……それって、どうやって調べたんですか……?」アーミラもまた、耳を疑ってオロルに尋ねる。
「アーミラの修行に付き合う傍ら、ここ一月解析しておったのじゃ。考えてみれば道理じゃろう? もし禍人種に捉えられたら? もし使命を果たさずに母になったら?」オロルは金色の瞳でアーミラを一瞥し、続けた。「答えは自明の理であろう」
その言葉にアーミラは狼狽える。
「確かに、私もガントールも、傷の治りは早かったですけど……」
理解は出来ても思考は鈍ってしまう。
――た、例えそうでも、ガントールを呼び出して、前線に向かうぞ。
子を授かるかどうかが問題なんじゃない。子を授かるような行為に及ばないためにも、セルレイのもとへ急がなくてはならない。
「まぁ、好きにせい」オロルは含みのある言い方をして、酒瓶を舐める。
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倒壊した宮。その端で、まだ形を保っている建造物にセルレイはいた。
侍女を外に控えさせて、ガントールに腹の包帯を返させている。
――国王と言えど、ガントールは断わったっていいんじゃないか?
俺は二人を前にして素直にそう告げる。
前庭にアーミラとオロルを待たせて、単身で乗り込んでいた。
「おいおい、アキラ・アマトラ。いくら命の恩人とはいえ、いきなり部屋に入るのは…感心しないな」セルレイは上裸の上に急いで毛布を被って身体を隠す。
落ち着いた物言いの割には肌を隠す動きは機敏。隣に座るガントールも相まって、まさにこれからという光景。
――……。
ことに及ぶ一歩手前。俺はガントールを呼び戻すために勇んで部屋まで乗り込んだのに、二人を前に言葉が出てこない。まるでアーミラのようだ。
――無理にガントールを誘うのは、やめて欲しいのだが……
俺の姿にガントールは困惑しながらしばらく唖然としていた。そしてベッドから立ち上がり、頭を掻いた。
「アキラ殿、色々勘違いしているみたいだが、さすがに部屋からは出てくれよ」ガントールは俺の肩を掴んで部屋から押し出す。そして部屋を振り返り、「セルレイ国王、後は侍女にしてもらって下さいね」と言った。
――お、お前もお前だぞガントール……いくら親戚で断り辛いからって、あんな男……
「あぁ、もう。アキラ殿。そこから勘違いしているぞ。どうせアーミラもだろう。オロルは、意地悪かもしれないが」ガントールは疲れたように笑ってそう言った。
そして俺の背中を押して宮を出る。前庭演習場の縁で腰掛けているアーミラとオロルのところまで押し出すと、俺を座らせた。
「さてと、オロル。アンタは知ってたんじゃないの?」ガントールは三人を座らせて、仁王立ちで問いかける。オロルは手に持った酒壜に口を付けて蒸留酒を舐める。
「何のことじゃ?」
「セルレイが女だって、知ってたんじゃないの?」
――え?
「……え?」
俺とアーミラは聞き返す。今日は自分の耳が信用出来ない。
「さぁ? わしはつまらん事はしない主義じゃからな」オロルは酒壜に透ける液体を揺らしてうっとりと眺めた。
酒の肴という風に、酒壜越しに俺とアーミラを眺める。
――セルレイって、お、女なのか?
俺は耐えられずにガントールの肩を掴んで問い詰める。
「はぁ……そうだよ。あいつは女好きの女。同性愛者の国王さ」
――あの身体つきは?
「筋肉質だが、別におかしくは無い。鳩胸だと思ってたのか? あれは胸だぞ。アキラ殿」
――あ、あの鬣みたいな髪の毛は!?
「女なんだ。髪が長くてもいいだろう」
――王冠みたいな大きな角は……
「威厳があるな。二代目三女神の家系なだけある」
――……そんな、そんなことって……
俺はギルスティケーでの日々を振り返る……確かに誰も、国王が男だとは言っていない。イクスも『国王は女好き』と言っただけだ。
勘違いと言われても、俺は被害者だろ!
――『はかり』知れないってか。は、ははは。
俺はもう、乾いた笑いしか出ない。
❖Ⅱ章 前線出征編 ―終―




