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勇名の矜持❖4


「甘いのじゃ!」


 オロルは一口頬張ったアイスクリームに舌鼓を打って子供のようにはしゃぐ。黄金の瞳は爛々と輝き、満足そうだ。

 俺は得意げに仁王立ちしてオロルを見下ろす。


 ――だろ? 喜んでもらえてよかった。


 場所は驚異の部屋。

 宮の皿を借り、アイスクリームを運んで、修行で疲れが溜まった三女神達に振る舞う。


「本当だ、冷たくて甘い。アキラ殿のいた世界は不思議な食べ物を知っているな」ガントールが言う。その隣でアーミラもこくこくと頷く。


 本当は俺も食べたいが、それを言っては場の空気が悪くなる。今は三人が楽しんでくれるだけで嬉しい。


「ナル達の分はあるのか?」と、ガントール。


 ――鍋に作り置きしてあるから、大丈夫だ。それに、作り方も教えたからな。


「それなら安心だな。……はぁ、甘い物がありがたい。疲れが吹っ飛ぶな」


 ガントールはアイスクリームを一口、また一口と口に運び、疲れを癒す。国王セルレイに付き合わされる接待によほど参っているのだろう。


 ――ははは、……ここしばらく修行漬けだったからな。ところで、アーミラの方はどんなことをしてるんだ?


 聞き手側に回りながら静かにアイスクリームを味わっているアーミラにも会話を振る。


「……えっと、今は術の黙唱……声に出さずに魔呪術を扱う練習ですけど」


 ――へぇ、まだ戦うための術はないのか?


 アーミラは俺の言葉に含みのある笑顔を返す。返答はオロルから来た。


「戦うための術なら、もう教えた。今はいかに隙を与えずに発動させるかの段階まできておる」


 ――なんだと……めちゃくちゃ先に進んでるじゃんか。


「そうでもないよ」ガントールはアイスクリームの皿を舐めて、続ける。「アキラ殿も充分戦える。比べる相手が私だから、自分の強さが実感できないんだよ」


 ――そうなのかな……。


 イクスにも呆気なく負けてしまったが、確かにあの男も元は勇名の者。

 その二人を前に、この体を叩き上げているが、果たして自分はどのくらい強くなれたのだろう。


 束の間の休憩。アイスクリームの口溶けと夕暮れを同期して、また明日から修行の日々に戻る。





 俺の師にはイクスが加わり、ガントールの実践と、イクスの技を叩き込まれる。

 時に挟まれるイクスの軽口や、修行の後のガントールの労いの言葉に救われながらも、板金鎧の体は時に尋常ではない地獄の洗礼を受ける。


 肉体では決して耐えられない痛みを千、凡百の鎧では砕けてしまう衝撃を万と乗り越え、一週間が過ぎた。


 この世界に来てからついに一月を超えた。

 未だ記憶は取り戻せていない。新しく手に入れた生活はひたすらに己を研ぎ澄ますための修行の日々。


 俺は模擬戦用の戦斧を両手で構えて腰を落とし、目の前のイクスと睨み合う。相変わらずイクスは構えずに佇んでいる。


 まるで『警戒すべき間合いではない』とでも言いたげだな……


 しかし実際は違う。


 イクスのあの立ち姿こそ、構えなのだ。

 足は肩幅に開き、脱力したように見えて膝を折りつつ重心を安定させている。

 ありとあらゆる初手に対応するための予備動作が、まさにあの構え。元勇名の者、イクス・ハルバドの極致。


 ……そう。常にイクスは後手に回り、反撃に特化しているのだ。

 それは策もなく襲いかかる魔獣と相対してきた中で磨かれた、戦うための術に他ならない。


 ガントールは両者を一瞥すると手を挙げた。演習場の空気は張り詰める。


「初めッ!!」


 ガントールの声を皮切りに俺は一足で間合いを詰め、戦斧を前に突き出す。もちろん初手は必ず俺からだ。

 イクスはどれだけ睨み合っても、まんじりとも動かない。それこそ、我慢比べをするのであれば肉体面で負ける気はしないが、そんな屁理屈や搦め手は修行の手解きをして貰う相手に失礼だ。


 ――……っ!


 俺の突きはたやすく弾かれる。通るなんて思っていないが、何度挑んでも二撃目に繋がらない。

 ついに考えられる手段全てを尽くし、攻め手を失ってしまった。


「攻めあぐねてるな。……意地悪はやめてやろう」


 イクスは呟く。俺はその言葉を全て聞き取れたかは怪しいが、反撃をすると見て、戦斧を咄嗟に前に構える。


 止めどない連撃と、応戦。

 俺とイクスの戦斧は受け流しと反撃を一連の流れとし、そのうちに行動の繋ぎ目は消える。

 互いに噛み合う歯車のように作用し合い、舞踏のようにめまぐるしく攻防が繰り広げられた。

 しかし、俺はその舞踏の中で一瞬の判断の遅れが生じた。


 ――……しまった……ッ!


 イクスは得物を乱舞させて、俺の足を絡め取る。そのまま得物を背中に回して次は首を叩く!


 ――っねぇ……!


 イクスの戦斧が首に触れる前に、腕で掴んで回避、俺はイクスの得物を離さずにもう一方の手に持った戦斧で腰を叩……


「迷うな!!」イクスは叫び、俺の戦斧を掴み、俺を蹴り飛ばす。


 俺は演習場の地面に倒れ、すぐに起き上がる。気付いた時には得物は奪われていた。


「……伸び悩んでんだな。いや、躊躇ってるか」イクスは俺から奪った戦斧を持ち直して、二本の戦斧を悠然と構える。


「ガントール様、これ以上は伸びないぜ」イクスは演習場の端から見ていたガントールに向かって断言する。


 聞き捨てならない言葉だ。俺は食い下がる。


 ――……どういう意味だよ?


「俺に攻撃するのを躊躇った。…いや、俺だけじゃないし、今だけでもない。アキラ様は最後の最後で、人を傷付ける事が出来ねーんだな。

 いくら身のこなしや戦法を習っても、攻め手に欠けるのは心の問題だ」イクスはここまで言って、慌てて付け加える。「才能がないってわけじゃないぜ。ここでの修行で教えられる物はもうないってことだ。あとは実践」


 ――あとは、実践……


 確かに、俺はイクスの腰に一撃を加えるのを躊躇った。それは無意識の内に行動が鈍るようなものではない。はっきりと手を止めた。


「んー……魔獣相手の時はアキラ殿は動けるんだけどなぁ」ガントールは首の後ろを掻いて、困り笑いをする。


 『アキラ殿』と言ったということは、修行を止めるつもりらしい。


「ここにいる分には活躍できるだろうけど、前線では心配だな」イクスもまた腕を組んで思案する。「内地では禍人種と戦うことはないだろうしな」


 ――禍人種って、やっぱり人の形してるのか?


「そりゃあ、してるさ」ガントールは当然だろうという顔で言う。


「でもまぁ、アーミラの護衛が一番の目標だから、いいんじゃない? もとより三女神の旅には護衛なんていないものだから、これで充分だよ」


 ――……。


 ガントールの言葉は慰めとも妥協とも取れるから、俺は返答に困る。


 ……この甘さこそが結末を左右したのは言うまでもない。





 ある日の昼下がり。

 俺はアーミラと共に驚異の部屋の中にいた。


「……二人きりになるのは、久しぶりですね」と、アーミラ。


 伸ばした腕から顎まで積まれている本を慎重に運び、棚に収める。


 ――そうだな。もう一(エシル)もここで生きてるのか……


 感慨深いというか、未だ実感がないというか。この体になる前の記憶がほとんど欠落しているせいで、違和感もなく馴染んでしまっている。


「……ほとんどガントールとの修行でしたね。…どうですか?」


 ――それはバッチリだ。……魔獣相手ならだけどな。アーミラはどうだ?


「私も、問題ないですけど、実践はまだなので……」アーミラは抱えた本を持って、少し不安そうな顔をした。


 ――そうか、だいたい同じだな。


 俺も床に積み上げられた本を書棚に収めて部屋を片付ける。アーミラの魔呪術研鑽のために散らかった部屋を掃除しているのだ。

 さっさと片付けてしまおうと、本の山に手を掛けたその時、オロルが中に入ってきた。


「お主ら、直ぐに出るぞ」


「ひゃうっ!?」アーミラはいきなり現れたオロルの声に驚き、抱えていた本を床にばら撒く。相変わらずだなと、俺は心の中で気の抜けた笑みを浮かべるが、オロルに視線を向けると、表情に笑顔はない。


 ――どうしたんだよ。珍しく慌てて。


「ギルスティケー南方の街が、魔獣の大群に攻め込まれているのじゃ……!」


 ――は……?


 魔獣の、大群?


「とにかく来い。あとは移動しながら話す」オロルに手を掴まれ、驚異の部屋から引っ張りだされる。アーミラも後ろに続いた。





 討伐隊の伝令として宮に来た者が、南方からこちらまで駆けてきた。

 その者が言うには、『ギルスティケー上空より、三〇〇〇を超える魔獣が飛来。内数体が大型の魔獣で、現在南方は壊滅的被害を受けている』『随時討伐隊が向かい、対応に当たっているが、状況は芳しくない』という。


「ガントールは先に向かっている……わしらがこの国におったのは不幸中の幸いじゃな」オロルは足に肘を乗せて頬杖をつく。


 蜥蜴の幌車に乗って宮の討伐隊と合流し、俺たちは南方へと移動する。





「ふむ……見えて来たな」宮から幌車を走らせて四十五(ムサ)。オロルは幌から前方を睨み、呟く。「ガントールももう戦っておるじゃろう」


 アーミラは頷いて、天球儀の杖に詠唱する。


「祝福されし命の名、リブラ・リナルディ・ガントール。…その者の座標を示せ。『テレグノス』……!」


 その言葉に反応して、天球儀の宝玉はガントールを映す。既に魔獣の群れと戦闘状況にあるようだ。


「む、次女の継承した力か」オロルはそれを覗き込み、「ここから実践が始まる。行けるな?」とアーミラに言う。


「……い、いけます、けど」と、アーミラ。


「けどじゃない。さっさとやらんか!」


「ひゃい!」


 オロルの一喝でアーミラは背筋をびくつかせて、直ぐに宝玉に手を添えて目を閉じた。


 ――何をするつもりなんだ?


「黙って見ておれ、修行の成果じゃ」


 オロルは俺の肩に手を乗せて、黙ってアーミラを見つめる。俺もそれに習って見守ることにした。

 アーミラは天球儀の杖を前に、朗々と詠唱を始める。


「……我、ラルトカンテの名を継承する者なり。

 三女神ホーライの使命を果たすため、アレスを行使する。

 災禍を払う星よ、煌け……

 『ミーティア』……ッ!!」


 その言葉をもって、魔法陣は展開される。

 アーミラを囲む魔法陣は三重に展開。

 そしてはるか前方が光に包まれた。


 ――なん…だよ…あれ……!?


 成層圏から滑り落ちる流れ星。否、流星群がギルスティケー南方に降り注いだ。


 遠くから望むこの距離からでも視認できる巨大な光の針は地面に突き刺さり、まるで剣山のようだ。


「……今ので、およそ二〇〇の魔獣を仕留めました」


 ――はぁ……?


 アーミラの言葉が信じられない。あの光の矢が修行の成果だと?


 絨毯爆撃じゃないか!


「これが、初陣じゃ」オロルは自慢の弟子を前に得意げな表情で言う。「わしらはこの場所から援護を行う。……アキラよ、お主も修行の成果を見せてみよ」


 発破をかけられた。と、一拍の間を置いて理解する。


 ――はっ、……生き残ってるデカ物を仕留めてくるよ。


 俺は目の前で見せられた強力な援護射撃に心を震わせて、昂ぶる。


 幌車に載せられていた武器の山から戦斧を携えて飛び降りると、およそ二キロ先の距離を駆ける。

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