勇名の矜持❖2
宮の敷地内部、まず出迎えるのは大きな前庭。しかし庭に緑はない。
敷地は煉瓦造の壁で囲われて、敷地は細かい砂が固められている。演習場として設えているらしく、厳かな雰囲気がある。
宮自体も華やかさはなく、城壁と言った方が正確だろう。
宮の中へ入ると、主が出迎えてくれた。
国王ギルスティケー・セルレイ。
見たところ齢は三十路も半ば。この宮の当主であり、二代目長女継承者の子孫。獣人種特有の天を衝くような長身で、板金鎧の俺と比べたら頭二つ程高い。見上げればまず目を惹くのは雄々しい頭角だ。箆鹿のような平たく枝分かれした角は、それだけで王冠のようで様になる。
体格も雄雄しく、身に纏った服は反り返った鳩胸と筋肉によって今にもはちきれそうだ。袖越しに腕の筋肉の形がわかる。
鬣のような髪も獅子を連想させるが、髭を蓄えていない細い顎は、若かりし頃の美男子の面影を残す。
「よく来てくれたな。リナルディ・ガントールよ」セルレイは後手に組んだ手を差し出して、握手を求めた。ガントールはそれを握り返す。
「前線にいるリナルディ家のことはいつも気にかけていたのだが、まさか三女神に選ばれるとは……私達の血筋は、神に愛されているらしい」
「…は、ははは」ガントールは笑顔を作るが、珍しくぎこちない。
「今までは反対の声もあったが、ガントールが三女神に選ばれた今、もはや誰も止めることはできない。結こ……痛たたた」
「結構です!」
セルレイが苦悶の表情で握手を振りほどこうとしている。ガントールに握り潰されているようだ。
それに、二人で交わす会話の内容も俺にはよく理解できなかった。
なんだ?
なんなんだ?
――ガントール? なんの話をしてるんだ?
「アキラ殿も、首を突っ込まないでくれ。……宮への挨拶は私が受け持つ」ガントールは続けた。「オロル。皆と一緒に少し席を外してくれ」セルレイから目を反らすことなく、オロルにそう告げる。
オロルはただ黙って俺とアーミラの手を引いて、部屋の扉まで引っ張る。
――オロル、あれは一体なんなんだ……?
「わしにもわからん」オロルは俺の言葉に短く答える。「ただ、この場の空気を読んだだけじゃ」
「宮の施設は自由に使ってくれ給えよ。……ナル。彼女等を部屋に案内してやれ」ガントール越しにセルレイは手を振る。握手から開放されて赤く腫れていた。
ガントールと二人きりで、何を話すのか。
「かしこまりました。……では、部屋にご案内致します」宮仕えの侍女が部屋の隅で控え、その中の一人が一歩前に出て深々と頭を下げる。
ナルと呼ばれた魔人種の女は、扉を開けて、部屋へと案内を始めた。
歳は俺たちとそう変わらないと見えるナルは、質素な服を纏い、腰には前掛けを巻いている。この宮に仕える侍女だろう。表情は変化に乏しく、笑みもなく先を歩く。
「鎧のお方は、三女神ではないようですが」ナルはちらりとこちらを見る。
――アキラ・アマトラだ。次女継承者アーミラの護衛をしている。
「そうですか」ナルは聞いてきた割に興味のなさそうな返事をする。「男性の方であれば、部屋は分けた方がいいですね」
ナルの言葉に対して、俺は断ろうかとも思ったが、黙って従うことにした。
部屋が必要ないというのはあくまで俺の事情である。それに、『勇名の者に擬装した戦闘魔導具』という立場は、純粋に勇名の者として振る舞い、戦闘魔導具であることを隠すことで成り立つ。
ナルはオロルとアーミラを部屋に案内した後、残る俺を別室まで連れて歩いた。
「アキラ様はこちらの部屋をお使い下さい。また何かあればこちらからお伺い致しますので」ナルはそう言って一礼すると、廊下を歩いて何処かへ行ってしまった。随分と淡白な人のようだ。
さて、どうしたものか。俺は部屋の前、廊下の真ん中でぽつんと立っている。
すぐにアーミラ達の元へ行くのも、金魚の糞みたいで気が引ける。ガントールのことは気になるが、俺に出来ることはないし……
「お? この宮に男が来るなんて珍しいな」
と、後ろから男の声が聞こえて、振り返る。
――……なんだ? それ。
そこには、不審な格好の男がいた。
顔のみを仮面で隠し、服装は宮仕えの質素な服。その上に黒い外套を纏っている。見るからに怪しい。ここがオペラハウスであればまさしく怪人といった風体。顔を伺えないが、セルレイと同じく三十路半ばだろうか。
「そう不審がるなよ。俺はここの宮仕え、名前はイクスだ。よろしくな」
イクスと名乗る男は手を差し出して握手求める。宮仕えにしては言葉使いは砕けた物言いで雰囲気も異質。果たして握手を交わして良いものか悩んだ後、俺は丁重に断ることにした。
また呪術をかけられては困る。
――あー、すまない。握手には応じることができないんだ。……俺の名はアキラ・アマトラ。三女神の次女継承者、アーミラの護衛をしている。
「そうかそうか、いや、気にすることはねぇよ」イクスは差し出した手をひらひらと振って、握手を断ったことを気にするなと言う。「勇名の者か、確かに三女神の護衛には適役だよな。街での騒ぎはここからも見えてたぜ」
――道すがら、手土産の一つでも持って行こうって言われてな。
俺は勇名の者としての演技をしながら、おどけてみせる。
――それより、ここにはイクス以外の男は珍しいのか?
「まぁ、国王は女好きだからな。男は皆討伐隊に配属される。女は侍女に配属される。……さっきナルって娘がいただろう。あいつも強いぞ。男じゃなくても討伐隊の方が適任だな」
――はぁ。
俺は生返事を返す。『国王は女好き』その言葉がガントールの姿と共に頭から離れない。
国王で、美男で、女好き。宮に侍らせている侍女もまさに獅子のハーレムということか。
「……なんか引き止めちまったみたいですまんな、俺はそこら辺に居るから、なんかあったら声かけてくれよ」
――あぁ、また。
イクスは俺の態度に気にすることもなく、ナルが消えた廊下へ歩いていく。
その脚は少し引きずるような動きだった。
俺はその背中に手を振ると、イクスは振り返らずに手を振り返した。不格好な見た目とは裏腹に、悪い人物でも無さそうだが、怪しさは拭えない。
結局アーミラ達のいる部屋に向かうことにした。
金魚の糞だとか言っている場合ではない。護衛なのだから常にアーミラ達の元にいるのが当たり前だ。それに、ここの国王に抱く印象はあまり良くない。アーミラにまで毒牙を伸ばしたら……
長い廊下を歩いていると、ガントールを見つける。
――おぉい、ガントール。
「む、……アキラ殿」ガントールは俺に気付くと笑顔を見せてくれたが、声をかけるまでは肩を怒らせていた。
――セルレイ国王との挨拶を任せっきりにしてごめん。
「いやいや、アキラ殿が謝ることではないよ。私が指示したことだ」気にするな。とガントールは肩を叩いた。
――……これからアーミラ達の部屋に行くところだったんだ。ガントールもそうだろ?
「まぁな」
笑顔を作っているが、明らかに元気がない。何を話していたのかすぐにでも問いただしたいが、そういう話は天球儀の杖の中、驚異の部屋がうってつけだろう。
❖
「……それで、私の部屋に来たんですか」アーミラは少し不機嫌に呟く。
驚異の部屋、その二階にあるアーミラの部屋に全員が集合している。
狭い空間に四人が入ると、人口密度が高く、部屋の主は落ち着かない。人嫌いは健在なようだ。
修行を始めてからはアーミラよりもガントールと行動を共にしていた。二人一組なのはアーミラとオロルも同じで、前線へ向かう道中、命を賭した使命の前では背に腹は変えられず、自然とアーミラの部屋に入る数は減っていた。
――しばらく見ない内に散らかったな。アーミラの部屋。
一階の書庫から持ち出してきた分厚い本が床に机に足の踏み場もない。
「…術の研鑽のために、しょうがないんですけど」アーミラは少し頬を膨らませる。そして俺を手招きで呼び、耳打ちをする。「…一階の書庫の方が広いんですけど……アキラ、そっちに移動させて欲しい」
――わかったよ。…自分で言えばいいのに。
俺はアーミラの耳打ちに返事をして、オロルとガントールに一階まで移動して貰った。
――あいつ、オロルと話すときはどうしてるんだ? 人嫌いが治ってないぞ?
「アーミラのアレはもう人格じゃ。梃子でも呪術でも治らんよ。……ワシと修行をしているときもあんな感じじゃ」オロルは匙を投げていた。
❖
「おほん。……ここに集まったのは、つまりガントールのことが気になっているからじゃ」
驚異の部屋一階、書庫に四人が集まると、オロルはそのまま本題に入った。
「わしはギルスティケーとリナルディ家が血縁にあるという事は先に聞いていたから、これ幸いと宮に来たのじゃが……ガントールよ、何やら国王といろいろあるようじゃな」
「は、ははは。……現国王セルレイは、いろいろと付き合いがあって、気に入られてはいるんだ」ガントールは困り笑いをして白状した。
――つまり、許嫁?
「いやいやいや、……それは断ってる。その役目は私の妹がやるよ。セルレイの片思いだ。……っていうか、あいつは好色で女に目がないんだよ」ガントールの顔は苦々しくなる。女好きは公然の事実のようだ。
――宮仕えの男も言ってたな。『女なら侍女。男なら討伐隊』だって。
「…うぅ、……私、ああいう人は苦手です」アーミラは堪らず自分を抱きしめて恐れ慄く。お前は誰であろうと苦手だろうが。
「だろ? ……でも、修行をするには環境が整っているのは確かなんだ。だから、ここでさっさと修行をして、セルレイから逃げるぞ」ガントールは決意と共に拳を固める。「はぁあぁ……ムシャクシャして来た! アキラ殿、いや、アマトラ!! 前庭で一戦するぞ!」
――えぇ!? おい、待てよ!!?
そう言ってガントールは驚異の部屋を出て行った。
――……はぁ、それじゃ、俺も行くわ。
俺は振り返ってアーミラとオロルに手を振る。
「…うん」アーミラは手を振り返す。
「ガントールに振り回されてばかりじゃな。体を壊すなよ」オロルはにやりと笑う。
――怖い事言うなよ、じゃあまた。
❖
そうして、宮で修行を始めてから三日の時が流れた。
そして、初めてガントールに勝利を収めた。
俺が強くなったのではなく、ガントールが疲弊しているのだ。無理はない。昼夜問わずセルレイがガントールを呼び出し、会話の相手や夕餐の相手として朝な夕な付き合わされている。
体力的な問題ではなく、精神の方からガントールは消耗していた。
――あの、ガントールさんや。
俺は模擬戦用の戦斧を構えるのをやめて、ガントールに話しかける。
「…なんだぁ、アマトラァ……私は負けてない。負けてないぞぉ……!」
ガントールは前庭に設けられた演習場に膝をついて座り込んでいたが、その身に鞭を打って立ち上がる。目には隈ができ、憔悴している。
――もう見てられねぇよ。
「私は、……絶対にぃ……、セルレイに負けたりなんかしない!」
ガントールは固い決意を叫び、奮い立つ。もはや修行どころではない。その台詞は負けるやつだ。
――それはわかったけど、やり辛ぇよ。少し息抜きをしないか? 例えば……そうだ、俺の武器を買いに行こう。
「息抜き……?」
――そう、息抜き。お前は今、セルレイ国王と、俺の修行に挟まれて、自分の時間がないんだよ。
「…自分の時間、か」ガントールは俺の言葉を繰り返し、疲れたように笑う。「はは、確かにな、……アキラ殿。今日の修行は休みにするよ」
――おう。
俺は励ますようにガントールの肩を叩いた。