勇名の矜持❖1
ガントールとオロルを師として、難行苦行の日々は始まった。
肉体の限界を持たない俺は食事も必要とはしないため、まさに発憤忘食となって技を磨いた。
平和な世界から迷い込んだ魂、それを勇名の境地に押し上げるには口達よりもひたすらな実践。ガントール自身が俺の相手となって擬似的な死線を作り出した。板金鎧に相応しい叩き上げの日々。もし肉体の身体であったならば、命がいくつあっても足りない地獄のような修行だ。
アーミラの方は刻苦勉励。オロルを前に対人と向き合う恐怖と戦いながら、自身の術に磨きをかけていく。
魔呪術の修行というのは一朝一夕の死線や叩き上げの実践のような力技では上手くいかない。オロルは毒虫のような忍耐と執念で辣腕を振るい、アーミラの魔呪術を彫琢してみせた。
精神を擦り減らす繊細な術。それを丁寧に磨き上げることができるのは、やはりアーミラとオロルの才覚の賜物である。
およそ二週間の内に驚異的な成長を遂げたアーミラに遅れをとりながらも、限界を持たない身体でガントールに叩き上げられたおかげで、俺もそれなりに戦えるようになった。
「……止めっ!」
ガントールの声を合図に俺は構えを解く。
――ありがとうございました。
あくまで修行中は師弟の仲。俺は深く頭を下げて、気持ちを切り替える。
「今回も惜しかったな。アキラ殿」ガントールは先程までの鋭い目つきは何処へやら、柔かな笑顔で俺の肩を叩く。
アキラ『殿』と呼ぶのはもう似合わないのだが、愛称として定着してしまったらしく、ガントールは修行以外の時は必ずアキラ殿と呼ぶ。
――いや、惜しくなんてないよ。持久力に甘えている。本当の敵なら、俺に付き合わずに逃げていくよ。
「はっ。アキラ殿は自分に厳しいな。…でも、上達しているのは本当だ」ガントールは最早愛弟子を前にしているようで、組手の終わりはとても優しい。この優しさがなければ、地獄のような修行の日々に精神が持たないだろう。
場所は二代目三女神長女の国、ギルスティケー。
ムーンケイを南下した先にある広大な平原に築かれた国で、放牧や、山から採れる鉱石の加工を生業として成り立っている。
そのせいか流通は発達しており、炭鉱のあるムーンケイからここまで、幅のある大通りには二足歩行の蜥蜴が荷車を引いて走っている。
ムーンケイとは違って建物は高さがなく、空はひとつながりに広がり、その向こうでは、ここが前線だった時に築かれた壁が現存し、国境を囲んでいる。
俺たちはこの国を横断して前線を目指している途中であり、今はギルスティケーの中心まで来ている。
「ガントールよ、また魔獣が飛来して来たそうじゃ」オロルは俺たちのいる演習場まで来て、ガントールに言う。
「お? 多いな。まだまだ内地なのに」
「放って置いたら討伐隊に先を越されるぞ。これから宮に向かうのじゃから、手柄の一つや二つ、立てておいて損はないじゃろう」
「そうだね。……じゃあ、アキラ殿。息抜きに討伐に行きますか」ガントールは伸びをして俺に言う。
――まるで『修行の休憩がてら実践してくる』みたいな気楽さだな。
実際、魔獣がガントールよりも弱いのは確かだった。
広い面積を持つギルスティケーは、平坦な地形故に、時折魔獣が攻めて来る。……当然、それを討伐する組織はあるが、俺たちは国の中心、宮に用事があるので先に魔獣を討ち取り、手土産として手柄の一つや二つは持っておきたい。……というのはオロルの策。
「で、魔獣はどこにいるのだ?」ガントールはオロルの側に駆け寄り、演習場を出る。俺も後に続いて街を見る。
「ちょうどわしらと宮を結ぶ大通りにおる。五体の群れじゃ。
先に行って討伐したら、そこで待ち合わせじゃな。わしらは後から付いていく」と、オロル。
「了解。…行くよ、アキラ殿」ガントールは俺に視線を送ると、すぐに跳躍して、建物の上に消えた。
――俺も跳べたらいいのになぁ。
オロルにわざとおどけて見せて、ガントールの後を走る。
屋根の上を弾丸のように跳んでいくガントール。その姿はすでに遠くまで先行して、魔獣を着地がてら撃墜した。
俺を討伐に誘ったのだから、一体くらい残していて欲しいと願いながら、荷車を引く蜥蜴や、往来の人波を掻き分けて進む。
魔獣に近付くにつれて混乱の喧騒が耳に届き、野次馬によって作られた輪を破って……やっとガントールに追い付いた。
「遅いぞ、アマトラ」ガントールは言う。
既に三体の魔獣を撃墜し、その首と胴を切り分けた屍の積まれた山を踏み付けて、凄惨に笑う。
アマトラと呼ぶ時は、師弟の時。つまりこれもまた修行として臨む必要がある。
――移動速度は真似できませんよ。
「なははっ。……特別演習だ」ガントールは上を指差し、「残り二体、飛んでいる魔獣の撃墜だ」と言った。
上空で、魔獣が円を描いて飛んでいる。
翼竜のような姿で、体長は頭から尾の先、広げた翼ともに三メートルを超える。陽射しが逆光となって、黒い十字架が浮かんでいるように見える。
――わかりましたよ。
俺は構えてからそう呟き、ガントールに向かって駆け出し、跳んだ。
――お願いしますっ!
「よし……『レイズ』!」
ガントールは天秤の力を発動させる。途端、屍に乗せたガントールの両脚は肉に沈み込む。そして振り仰いだ斬首剣の腹に俺は足を乗せて、大砲のように上空へ打ち上げられる。
レイズとは、三女神の長女、天秤の継承者ガントールが用いる詠唱の言葉で、対象と重さの交換を行う。『量り』の力の一つだ。
今俺の身体はガントール程の重さしかない。板金鎧の質量は全てガントールに預けることで、この体は魔獣に肉薄する。
――魔獣相手なら、もう慣れちゃったな。
ぶつかる寸前で身を捩り、首にしがみついて魔獣の背に乗る。魔獣は俺を振り払うためにその身をくねらせ始めるが、こめかみを叩くと脳震盪を起こし、途端に地に堕ちる。
気絶した魔獣の肩を持ち上げ、無理矢理翼の角度を変える。落下地点は大通りから逸れて、建物のない開けた広場に落ちるように操る。
踏み固められた地面に全身を叩きつけて、魔獣はそのまま絶命した。
残り一匹。気が触れたように空で鳴き喚いて踊る。
――仲間が殺されて、悔しいか?
魔獣とは、禍人種が作り出し、使役する獣。
人を殺すための駒だ。いわゆる野生動物とは違い、どちらかといえば戦闘魔導具に近い。
殺したところで良心は痛まない。
――降りてこいよ。
俺は空で踊る影に向かって挑発した。すると、魔獣も激昂して急降下を始める。
ガァァァッ!
喉を絞り、鳴き声を響かせる。
鱗が硬質化した嘴と、凶悪な形状の爪を持つ三前趾足を前方に突き出して、狙いを定めている。
俺の頭上を羽ばたきながら、魔獣は首と両脚の三方向から連続で攻撃を行う!
視覚情報に集中して、回避と応戦を使い分ける。局地的な臨戦弾雨。距離をとって様子を見つめる野次馬はその光景に息を飲み、拳を固めて見つめていた。
足の運びと体捌きで全てを回避し、魔獣の攻撃は紙一重で当たらない。三前趾足は広場の土を掘り起こすばかり。そのくせ嘴で攻撃をすると反撃される。魔獣は激昂した。
ガァァァァッ!!
翼で風を起こし、俺から距離を取ると、広場に着地する。
魔獣は再び鳴き声を響かせて威嚇した。
グガァァァァ――ッギュイッ……!?
怒り心頭の鳴き声は奇妙に途切れ、その刹那に衝撃波と地鳴り。
巻き上がった土煙が風に流されると、既に魔獣は首を叩き斬られて絶命していた。
大通りからこの広場まで、ひとっ飛びで斬首を行うガントール。その身体は俺の重さを預けたはず。
「早く仕留めること。これは鉄則だぞ。……相変わらず、攻め手に欠けるのが困り物だな。アマトラ」
――な、なんで跳べるんだよ!?
「私の力は天秤でも『はかり』知れないってな!」なっはっは!とガントールは笑う。その手に持った斬首剣の血を振り払って俺に向ける。「『フォールド』」
俺の体に重さを戻して、軽やかに俺の元に跳んでくる。
「……ま、建物に被害はないし、充分な手柄だな!」ガントールは笑って俺の肩を叩く。
――……なんか、納得いかねぇ!
❖
遅れて現れた討伐隊と、アーミラ達。
市民の色めき立つ喧騒から離れて、討伐隊に身分を明かすと、すぐに討伐隊が乗っていた蜥蜴の幌車に乗せられる。
「三女神が現れたという通達は、既に神殿から届いております。……大変助かりました」
オロルの掌にある三女神の刻印を見た後、討伐隊一人が言う。その声は興奮と歓喜を内包して静かに震えていた。
「申し遅れました。私はギルスティケー国討伐一番隊、隊長のニールセンです」と男は自己紹介をして、頭を下げ、「……失礼ですが、リナルディ様は」と聞いてきた。
リナルディ……?と、俺はその名前を思い出そうとするが、記憶を探る前に隣にいるガントールが手を挙げる。
「私がリブラ・リナルディ・ガントールだ」
――おぉ、聞き覚えがあると思ったら。
他ならぬガントールの名前だった。
「忘れていただろ? アキラ殿」ガントールは半目で睨むが、口元は笑っている。
「リナルディ様。そして三女神の皆様。ようこそおいで下さいました。是非宮へお連れいたします」討伐隊のニールセンがそう言うと、オロルはにやりと笑った。
「それは願ったりかなったりじゃ」
❖
オロルが宮を目指した理由は様々な事情がある。まず主目的は、俺とアーミラの修行を効率よく、集中的に行う環境を手に入れるためである。
また、ムーンケイから卸される魔鉱石の加工を行い、武具の取り扱いも盛ん。俺の得物を選ぶにも都合がいい。そして比較的内地。
なにより、ギルスティケー国を作り出した二代目三女神の血縁に、リナルディ家がいる。……色々と都合がいい。と、後に聞かされた。
――家柄はお嬢様なのか?
俺はガントールに聞いた。前線で戦っていた経歴を持つ彼女が、そんな身分だとは信じられない。
「まさか、お嬢様なら前線で戦わないさ。その役目は妹に任せて、私は好き勝手にやってるだけ」ガントールは手を振って謙遜してはいるものの、家柄が良いのは否定しない。
立ち振る舞いや堂々とした態度はたしかに他の者とは違う気品があるが、やはり、お嬢様よりも戦闘狂のイメージが強い。
――って言うか、妹がいるのか?
「いるぞ。リナルディ・スークレイって言うんだ。可愛くない妹だな」
ガントールは笑顔で可愛くないと断言している。血の繋がった妹なら、ガントールと同じ整った顔立ちである事は明白だ。おそらくはそれがガントールなりの愛情表現、信頼の証だと思われる。
――リブラの名は付かないのか?
俺の素朴な疑問には、オロルが答えた。
「『リブラ』は三女神の天秤継承名じゃ。勇名と似たようなものじゃな……ちなみにわしは『トゥールバッハ』が継承名じゃな」
「……私は『ラルトカンテ』ですけど」アーミラも控えめに教えてくれた。
――継承名は名前の最初に付ける訳でもないのか。
「継承名なんて三女神以外には無いから、形式や規則はないよ」みんな好き勝手さ。と、ガントール。オロルとアーミラはその言葉に頷く。
旅は始まったばかり。俺は自分の記憶も無い上に、アーミラたちの事もまだまだ知らないことだらけだ。
少しだけガントールに詳しくなった所で、幌車は宮の門をくぐる。