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板金鎧に宿る者❖4


 穏やかな波間に漂う立方体。吹き抜けの大伽藍の造りとなる箱舟の内部では、人々が一心となって中央へと視線を向ける。


 世界が作り変えられた一夜、アーミラは改めて演説の場を設け民草の前に立った。

 その背筋はすっと伸び、もはや臆することのない瞳は泰然と人々を見つめ返した。


 少し離れた場所からアキラ、ガントール、オロルと並び、言葉を待つ。息の詰まりそうな場内を察して、アキラは箱舟の天井を開放した。甲板が開いた隙間からは澄んだ空気が流れて、ほんの僅か、集まる視線が柔らかくなった。


 アーミラは引き結んだ唇を湿し、息を吸い込むと、輝く極光オーロラを背に語り始める。


「一つの時代が終わりました。

 一つの世界が終わりました。

 私達は、新たな世界に生きる者として今日を迎え、王としての私は一つ決意を持って皆様にお話させていただきたいと思います」


 聴衆は小さく頷き、王の言葉を待つ。

 一夜に起きた世界の終わり。昨日までと今日これからを明確に区切る分水嶺は記憶に焼き付けられた。


 言葉に尽くせぬほどの破壊と凄惨の極みであるからこそ美しいあの光景が、ひとえにアキラによるものであるならば、彼に寄り添い前線を共にしたアーミラが王の座についていることにもはや不満を持つ者はない。


「この星に生きる全ての人々が、平和に、豊かに、幸福に生きていけるように導かなければなりません。王とは、そういうものです――」


 アーミラは己の身に迫る天の暦数を憂うかのように目を伏せ、次に一転して凛々しい面構えとなり語調を強めた。


「――しかし、隠すことなく心根を打ち明けて仕舞えば、私はやはり王の器足り得ません」


 私は、小さな世界だけ守れたらいいのです――と、アーミラは言う。


「周りにいるかけがえの無い人……アキラに、ガントールに、オロル、……それだけを守ることができたのなら他の命がどこかで失われているとしても関係ありません」


 その言葉に誰もが声もなく動揺する。

 彼女は言外に、名も知らぬ者を守る道理はないと言ったのだ。民草が王の与り知らぬところで命の危機に瀕していようとも関係はないと切り捨てた。


 果たしてこれは、失言か? ――セリナは慌ててアーミラの背に迫る。が、アキラは視線でそれを制した。

 考え無しに言っているわけがない。これは、アーミラの手にしたこたえなのだ。


「でも、そうでしょう?

 ここにいる全ての人が、かけがえのない人を守るなら、それは()()()()()()()()()()()()ことと変わらないじゃないですか」


 その言葉に誰もが不実を自覚したように瞳に不如意な後悔を兆した。僅かでも憤りを感じていた者は、裏返って己を恥じるように息を呑んだ。


 大切な人達との日常を本当に守りたいと言うのなら、己のささやかな生活を守りたいと願うなら、一人一人、自らが立ち上がり、戦うべきなのだ。


 小さな世界を守ること、それが結果として大きな世界を救う事に繋がる。年端もいかぬ少女三人を前線に出征させ、命運を委ねるべきものではない。


「重ねて言いますが、私は決して王の器足り得ません。それは重々承知なのです。この身に流れる翼人の血も、龍人の血も、人々の願いを一身に背負えるような特別なものではありません。よって今この時より神族は廃止致します。

 人種に隔てられた壁も、築き上げてきた歴史もありません。獣人、魔人、賢人。そして翼人も龍人も異世界人も、全ての人が平等横並び」


 アーミラは言葉を区切り、改めて民草を見渡すと目を閉じた。次に碧眼の双眸が開かれたとき、王制を退く最後の言葉を切り出した。


「永きにわたる戦争に終止符が打たれ、積み上げてきた過ちの歴史は破壊されました。実に五百年ぶりの平和を、私達は手に入れる機会を与えられたのです。

 何もかもが失われた……本当にそうでしょうか? 私達は、全てを失った訳ではないはずです。

 失ったものから託された想いを携えて、一人一人が胸の内に願いを持っているはずなのです。


 今日までに失われた家族、友人、恋人……その者を助けられなかったと悔やむのは私も同じです。悔いても悔いても悔い足りない……


 きっと彼らは、守りたい者のために戦い、辞世の言葉もなく命を落としたのでしょう。

 迫りくる困難を乗り越えられず、看取るものもなく、悔しさに打ちひしがれて潰えた者もいるはずです。


 ……だからこそ忘れてはなりません。その者はあなたの為に命を落としたのです。私のために命を落としたのです。


 憎悪が形骸化した忌むべき宗教戦争において、私達は歴史の生き証人として生きていく責任があります。昨日と今日が地続きであると語り継ぐ責務があるのです。


 そして、今日という日を迎えるまでの犠牲者の中に、一人たりとも無価値な死を遂げた者はいないということを証明し続けなければなりません。


 託された想いは今日の私達に受け継がれ、終戦を成し遂げる礎となったのです。


 ……どうか、希望を託し先立った命に対し、『あなたの死は無駄ではない』と、自信を持って答える為にここにいるのだということを胸に留めておいてください。


 次代を生きる私達は、前時代の恨みや憎しみを過去に置いていこうではありませんか。

 涙を飲んで罪を赦し、全人種が一つになる時が来たのです。敵味方も無く、手を取り合って生きていこうではありませんか。


 あなたの隣にいる者を見てください。手を、繋いでください。


 祈りましょう。

 誓いましょう。


 私達は平和を築き、幾千年に維持すると――」


 王としての最期の言葉を結ぶと、アーミラは一歩退いた。その隣に寄り添うのはアキラ、そしてセリナと続き、指を絡ませて固く繋いだ。

 両隣にはオロルとガントール、さらにセラエーナにカムロにオクタ、イクスにナルにスァロにサハリ……その輪を取り囲んで大伽藍は何重にも重ねられた輪が形成されて、箱舟全体に広がっていく。


 皆が大切な人と繋ぎ合わせた両手、生きていてほしいと願う者と絡ませた指はしっかりと結ばれて、小さな世界、小さな繋がりが長い時間をかけて大きな輪になる。


 アーミラは人々の祈りの輪をぐるりと見回して、笑みをこぼす。


 ほら、見て……

 世界は、愛で満たされた。



❖――あとがき



 ……こうして、歴史は語り尽くされた。


 時代を締め括る三女神ホーライ()破壊活動サボタージュについて、これ以上に書き記すものはないのだが名残惜しいのもまた事実。


 ここからは、それぞれのその後について紙幅を費やすこととしよう。皆様にはもうしばらくお付き合い頂ければと願う。


 ……さて、その後について、何から語るべきだろうか。


 異世界人であり真理のうち理の片翼を司ることとなったあきら。それによって書き換えられた世界はどのようなものであったかというと、これ以上なく清らかであった。


 箱舟が陸に接舷すると、多くの者はそこで初めての朝日を浴びることとなる。眩しさに目が慣れると、その光景に言葉を失う。


 それ程までに戸惑ってしまうほど、息を呑んで見惚れるほど、清廉とした世界が広がっていた。


 裸の大地には草木が萌え、今までどこにいたのか、あるいはこの時より生まれたのか、生き物が現れた。それは蝶であり、鹿であり、鳥の類いである。


 肌寒く命を奪うであろうと覚悟した冬は、超然とした一人の男の吐息によって吹き飛ばされ、大陸では春の花が蕾を膨らませている。


 葉叢の蔭から飛び出したのはみみなが。きょとんと首を傾げて箱舟からそぞろ降り立つ人々をみると、また何処かへと駆けていく。

 あれだけの嵐があったことを知らないかのような穏やかな大地。地に足をつけると誰もが皆穏やかな気持ちになり、瞳を閉じて深呼吸をした。


 月日は流れ、人々は国を興した。


 最初に人々が降り立った一際大きな大陸、そこに座するは先の戦争から多くの命を救い、堅牢な国を築いた功績からオロルが選ばれた。

 人心収攬(しゅうらん)の腕を遺憾なく発揮する金人の名は今もなお健在であり、全国を統治する要として発展を続けている。


 その隣に並ぶ陸地と周辺の島嶼とうしょ部はガントールが統治を任されることになった。オロルの国とは海を隔てて分けられているが、そこに明確な国境はなく、二者は以前と変わりない親しみを持って同盟を結んでいる。


 選ばれた。あるいは任された。という言葉を用いたが、いずれも押し付けられたものではないことをここに強調しておきたい。人に託され、自ら選んだ道である。


 そしてアーミラは――箱舟から降りることは無かった。


 というのも、『王の器たり得ない』という彼女の言葉が全てであり、それに対して殊更に強いる者もいなかったからだ。オロルもガントールも、アーミラの選択を受け止め、箱舟を笑顔で見送ってくれた。


 個人的な理由も多分にある。愛する者の肉体を取り戻すため、彼女は海を渡り星に散らばった龍血晶を集める旅へ出たのだ。


 となれば海原を行くのは一人ではない。アーミラの隣にはアキラがいる。セリナもいる……いや、セリナだけは少し事情が違っていた。彼女はその龍体で人生を謳歌していた。継承者の三人が遠く離れていたとしても、その翼によって言伝はつながっている。


 オロルの国に遊びに行っては眠りから覚めた龍人種を導き。

 ガントールの国に遊びに行っては戯れに剣の腕を磨いた。

 そんな土産話を持ち帰っては箱舟に揺られながら穏やかに――


「たーっだいまー!」


 ばさり。と潮風を巻き上げて甲板に降り立つセリナ。箱舟は固い音を立てて上下に揺れた。


 穏やか、というにはややお転婆。龍体となったセリナにとって箱舟は少々退屈なようだ。

 腕に抱えた雑嚢を降ろすと、どうやらガントールからの頂き物らしい。猪肉が塊でごろごろと詰められていた。海を渡る私達にとってはご馳走だ。が、しかし。


「ただいまじゃねぇよ」慧は船内から甲板に出ると仁王立ちになってセリナに対した。「またガントールの婿選むこえらの邪魔しただろ」


「邪魔してないよぅ。

 それにガントールだって『来てくれて嬉しい』って言ってたし、あの剣技会は国起こしの祭りみたいなものだよ」


 剣技会。

 それはガントールが統治している島嶼部より選ばれた益荒男ますらおどもが一堂に会し、一番を競う催しであった。集うのは元剣士、元兵士、力自慢の杣人に、極め付けは勇名いさなを授かった者までもが参加する。


 『私よりも強い男が好みだ――』と、開会の口上でガントールが煽りたてたことから剣技会の通称は『婿選』であるが、決勝の舞台に立ちはだかるガントールに勝てた益荒男は未だいない。


 セリナはそんな剣技会に飛び入りで参加しては観客を盛り上げている、らしい。


 慧は吊り上げていた眉を落として困った顔をする。セリナはそんな兄の態度も何処吹く風で欄干に背を預けた。


「そうそう、仮面のおじさんからいい話を聴いたよ」潮風に髪をそよがせながら、セリナは言う。


「『仮面のおじさん』? イクスのことか?」とアキラ


 セリナはにやりと脂下やにさがる。


「ついに子供ができたって」


「はぁ!?」


 慧の驚く声にセリナはわざとらしく耳を塞いで意地悪く笑うと、演技然とした態度で腕を組んで声を低くした。イクスの真似をしているのだろう。


「『ナルの事はぁそれとなく娘のように思っていたが、いよいよ根負けしたぜぇ。アキラには悪いが先に身を固めようと思う……まぁ、身が硬いのは鎧のお前の方なんだがな。はっはっは』って、言ってたよ」


「マジかよ!」


「先を越されたね」悪戯っぽい笑みを浮かべて兄を冷やかす。


「ちくしょう、幸せになりやがれ」


 兄妹のいさかいもほどほどに、慧は歯を向いて笑う。確かにこれは吉報だ。あの二人は――特にナルは――互いに心を寄せていた。人種が異なるという理由から一歩踏み込めなかったであろうナルにとって、宗教的な壁が崩れたことは強い後押しとなったに違いない。


「俺もはやく身体を取り戻さないとなぁ。

 それで、龍人種のほうは順調なのか?」


 慧は波間に反射する陽光を眺めてセリナの横に並んだ。金色の鎧がきらきらと輝いて目に眩しい。


「オロルの国も問題ないよ。カムロさんが建てた孤児院はまだ慌ただしい感じだけど、子供は喧嘩しちゃえば打ち解けるのも早いし、なんとかなりそう」


 あれからカムロは孤児院を設立した。

 深き塔から救い出された者達のほとんどは年端もいかない子供も多く、記憶を無くしたとあっては親の姿を思い出すことはできない。


 次代を担う者達こそ、歴史を正しく学ぶ必要がある。その願いからオロルを中心とした多くの者達が働きかけ、今日において学舎と孤児院を併設することとなった。そこに通う子供の割合は獣魔賢種の割合と龍種の割合が半々で、人種間の敵対心はあったが、病み上がりの龍人種を前にして怒りは鎮まったと聞く。


 なにより、教壇に立つのはラソマやサハリ等、最前線を闘った生き証人たちだ。授業が始まれば語られる数々の武勇に自然と熱が入り、伝播した意志は薫陶を呼び生徒たちは真実を求めた。


 その一方で、スークレイとセルレイの二人を中心とした人々は、新しい世界体制に馴染めない態度をとった。人種の隔たりが取りさらわれたとて、全ての人間が恨み辛みを忘れることは難しい。割り切ることのできない者達に対しての受け皿を引き受けたのが二人だった。


 ランダリアンはイクスと共に改めて儀仗兵を発足し、万一の自体に備えてオロルの下についた。……といっても内情は暢気なもので、新たな酒造の建設が目下の仕事だと聞いている。逆に言えば平和であるということだろうか……。

 ランダリアンはサハリと、イクスはナルと仲睦まじく過ごしているとも聞いているので、心配はないだろう。


 一方でセラエーナとユタ、ラヴェル一族は一部の神人種と姿を消した。

 その胸中にあるのは罪悪か、それを量るのは詮無いことである。案外、箱舟の行く先でいつか再開を果たすのかもしれない。


 そう、この世界のどこかで、いつか――


「……ミラ。おい、アーミラ」


 慧が私を呼ぶ。私は熱心に走らせていた筆を止めて顔を上げた。


「慧、どうしましたか?」


 私が彼の名を呼び返す。


「随分と集中してたみたいだからさ、少し休憩にしないか」


「そうですね……丁度ひと段落ついたところなんですよ。もう少ししたら慧さんにもお見せできると思います」


 微笑みかけて、筆を懐の筒に納める。

 紙面をそっと風にさらして墨が乾いたことを確かめると、私は椅子から立ち上がる。




 空と海の果て、そこに望むは未踏の島。果たしてそこに彼の欠片はあるだろうか。私達の新たな歴史は、始まったばかりだ。



――完――

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