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板金鎧に宿る者❖3


 アキラは飛んだ。

 夜の底、立ち込める暗雲を切り裂き、千切れた雲間から差す光明を反射してきらきらと輝く。


 アキラは駆けた。

 いくさの爪痕をかき消すように荒々しく大地を砕き、晦冥かいめいの海を割った。


 箱舟は人々を乗せてこの天変地異を耐え忍ぶ。しとどに降り注ぐ霰は稲光を伴い、肌を叩いては雫となって滴り落ちる。それを受け止める大地は既に膝丈程の高さまで海水に浸かっている。

 チクタク王宮は暗い波間に揺らめいて、地下に溜め込んでいた空気をしわぶくように吐きだしていた。見る間にかさを増していく。


「みんな、乗せましたよね……?」


 アーミラは欄干にしがみつき、水面に透けた前庭の石畳を見つめる。


「ああ、龍人も数に間違いない。全員乗せた」ガントールは荒く息をついて額を拭う。「この馬鹿でかい奴が乗せてくれたからな」


「なんなんだよこれは」と、ガントールは降りかかる霰を気にすることをやめた態度で甲板に座り込む。「鎧腕が生えていたぞ」


 アーミラは頷く。


 動けない者、傷を負う者、彼等に手を差し伸べたのは箱舟自身だ。

 万を超える民を船内に受け入れられる巨大さもさることながら、それそのものが意思を持っていることに驚く。


 自然物ではあり得ない有機的立方体。その内部は中央が吹き抜けとなった大伽藍の階層構造であり、建築様式はこの世界では他に類を見ない直線的なものだった。無機質なその趣はおそらくアキラの世界文明のものだろう。


 ともかく、戸惑いこそすれど誰も不自由なく嵐を逃れた。


「慧曰く『箱舟』だそうです。お陰で溺れずに済みました」


「済みましたって、そもそもこんなことになってるのはアキラ殿の仕業だろう? 再開は何よりだが、喜ぶ暇もなくこれじゃあ理解が追い付かないぞ」


 困惑に顔を顰めるガントール。それにオロルが続いた。


「全くじゃ。一体何が起きておる」


 不安そうにチクタク王宮を眺めるオロルとガントール。着の身着のまま逃げ延びたが、明日からの食料はどうするか。備蓄も何もかも海水に浸かって今頃は駄目になっているだろう。


 しかし、アーミラは胸に希望を抱いていた。彼ならば、世界を変えてくれる。その言葉を信じて揺るがない。


「心配ないと、慧は言っていました」


 ガントールとオロルは互い真意を推し量ろうと目配せをするが、不安は拭えない。





 荒波に揉まれ、彼女達は世界が崩壊していく様を見届けている。響き渡るアキラの咆哮と地鳴り、海面を叩く稲光に人々は恐怖を呼び覚ます。誰だって慄く。戦争の記憶もまだ鮮明な今、これに胸を高鳴らせることはできない。


 世界が終わる。


 誰が言うでもなく人々は理解した。そして彼等が次にとった行動は、隣にいる者が誰であれ互いに身を寄せて、寒風の吹き荒れる世界の終わりに己が体温を分け合うというものだった。


 箱舟の中には互いを思いやる人々の姿。暗雲垂れ込める闇の中、人種の垣根を超えて抱き合う者達に溢れていた。互いの心を励まして頷きかける暖かな繋がり。その中には病床にす龍人さえも輪の中にある。アーミラは胸に寄せた手を握りしめて、その全てを目に焼き付ける。


 こたえを垣間見た気がした。


「世界が……変わっていく……」


 感じるのは、可能性。

 思うのは、暖かな夢。


 恨み合い、憎しみ合っていた世界で、慧だけは違った。

 初めての出会いだってそうだ。カムロだって、イクスだって、スークレイだって、彼との出会いは恵まれたものではなかったはず。


 それなのに慧は、常に相手を理解しようと努力を惜しまなかった。

 それこそが彼の強さで、本質だ。

 願いを叶えるのは、手を伸ばす意志であり――心だ。


「おい! アーミラ、あれを見ろ!!」ガントールは箱舟の甲板の上、欄干に身を乗り出して指をさす。


 打ち寄せては舟を揉む大波、視界は天地に揺れてたたらを踏む。波間に傾いだとき、視界には海原が、次の瞬間には天上が代わる代わる眼前に迫る。


 陸地は海に飲まれ、チクタク王宮はすっぽりと沈んでしまっている。

 遠く水平線の彼方では大地の裂け目から湧き立つ溶岩が煙を噴いて爆ぜた。ガントールが示していたのはそれだった。


 衝撃波は砂塵を巻き上げて迫り、箱舟の腹を強かに叩く。ごおん……と、鐘楼しょうろうのような音を響かせて大きく撓んだ。音の波が足を伝って臓腑が揺れる。


「本当に大丈夫なのか……? アキラ殿! おいアキラ殿!!」


 呼びかけに応じるように、アキラは咆哮する。


 おぉぉぉおおおぉぉぉ――


「声は届いているんですね、……きっと心配ないって答えてくれているんですよ」


「んな呑気な――」と、言いかけて、ガントールはその横顔に目を奪われた。


 曇りのない碧眼は遠く身を踊らせる龍を見つめていた。アーミラは確信しているのだ。世界が崩壊しているこの光景を前にしてむしろ晴れやかな横顔であった。


 そこへ飛んで来たのはセリナである。彼女は先刻()()()()にチクタクを飛び出して深き塔へ向かっていた。火葬の篝火が海に呑まれてしまわないかを確かめに飛んだのだ。


「アーミラ! ガントール!」


「わわっ」


「おっと」


 甲板に着地するやいなや二人に飛び付いて、凍えて赤くなった頬を埋める。


「塔は、どうなっていましたか?」アーミラは問う。


「凄かったよ……! 雲に隠れるくらい高くなってて、あれだけ高かったら海に沈むはずないよ! ちゃんと、ちゃんと護られてたんだ――」


 はなをすすり、目を輝かせて続ける。


「――それにほら、あれを見て!」


 セリナは東の空を指差した。そこには七色に揺らめく光の帯。あるいは世界そのものに生じた亀裂のようにも見える。壮大にして悠然。その光を前にして、皆が感じたものは畏敬の念だった。

 大気そのものが色を持ち、絶えず形を変化させていく幻想的な光景に眼を奪われ、しばらくの間言葉を忘れた。


「綺麗……」アーミラは呟く。「これが世界の終わりなの……?」


 セリナはその極光を眺め、そして得心がいったように「わかった!」と言った。


「オーロラだ!」


「アウロラ?」アーミラは首をかしげる。それは私の名前ですが、という顔だ。


「うんアーミラの名前。そしてあの光の名前……きっと兄貴がアーミラのことを呼んでるんだ」


 アーミラは面食らったように呆けたかと思えば嬉しそうに光の帯を見つめる。刻々と色を変えて揺らめく天幕。それはまさしくオーロラである。


 『俺の名前を呼んでくれ』と、あの時慧は囁いた。

 彼が私の名を呼ぶならば――アーミラは箱舟の縁に立ち欄干を掴む。


 胸を反らせて息を吸い込み、アーミラは言葉スペルを叫ぶ。他でもない、彼の名を。


 瞬間空に彗星が滑る。

 青白く輝く光は尾を引いて、水平線の彼方に消えた。入れ替わるようにして現れた朝日が曙光を幾筋もつくり、新しい始まりを予感させる。


 彗星はきらりと閃くと軌道を変えて、今度は彼方からこちらへ、音よりも速く突き抜ける。一拍の間を置いて衝撃が駆け抜け飛沫を上げて箱舟の横を通過した。大きく揺れて、轟音がどよもす。


 芹那とアーミラはしとどに浴びせられる飛沫に髪が張り付くのも構わずにきょとんと顔を見合わせ、どちらともなく噴出して、ころころと笑った。


「見た?」


「速すぎて全然」


「でも兄貴だった」


「ええ、慧ですね」


 二人を見ていたガントールは困惑したように頬を膨らませてみたものの、なんだか自分ばかり心配しているのが馬鹿みたいだ。と、観念したように笑みを浮かべた。


 ガントールは本当は分かっていた。アキラが世界を壊すことがあっても、終わらせるわけがないことを。


 ――そして、ことの全てを静観していた我もまた、わかっていたことである。


「あぁあ、……我の世界がめちゃくちゃだ」


 そう独りごちて、箱舟に降り立つ。潮に濡れた甲板に裸足を浸して、一つの時代が終わる様を見届ける。


「ヴィオーシュヌ……」オロルはこちらに振り向き、特段驚くでもなく我に対した。


「ヴィシュヌでいい。これからはオルソを彼に与える」


「ふん」オロルは鼻を鳴らして空を見上げる。


 争う理由はない。なにより今は目に焼き付けていたい。そんなオロルに並び立ち、空を駆け巡る龍を目で追いかける。


「……結局、ヴィシュヌ神の筋書き通りか」オロルはこちらを見ずに言う。


「幾度かの修正は行われたものの、当初予定していたよりも良い結末と言えよう」我は答える。


「当初の予定では、わしらは今日を迎えとらんじゃろうな」


「……そうだね。我が娘達三人、それどころか人類全種族が消えていただろうね。

 ……アキラには、感謝しているよ」


「そうか……」オロルは言葉を切ると不安げに尋ねた。「アキラは、龍となったのか?」


 我はつい意地悪な笑みを作り、意地悪に応える。


「ただの人にあれができるかな?」


 こればかりは我の難義なさがなのだ。目つきを厳しくするオロルに自嘲し、言葉を続ける。


まことことわり、その二つが必要なのだ。

 彼は理の龍となる道を選んでくれた。

 人が人の域を超える……荒ぶるのは当然さ。


 それによってもたらされる破壊と福音……見たまえよ。美しいものだな……」


 世界は終わらない。

 アキラという存在によって、悲しみの連鎖は断ち切られた。


「理の龍としての役目を果たしてくれるなら、我もまた怒りを捨てよう」


「赦せるのか? 神話によればわしらの祖先は――」


「赦せるさ」


 我は思わず言葉を遮る。迷いなくその言葉を発した己自身に静かに驚いて、次にそれが誰の影響か悟る。


 胸の奥から温かく、顔がほころぶことを我は受け入れた。


「腹を痛めて生み出した子供達を、愛していない母なぞおるまい」


 オロルは返す言葉も失くし、三度みたび空を見上げて微笑んだ。金色の瞳からは一筋の涙が溢れ、我は静かに彼女の手に触れた。傷痍をそっといたわるようにして、癒しを与える。


 朝焼けに輝く世界。

 気付けば荒天は晴れ、飛沫は陽の光に乱反射して虹を掛ける。


 チクタク王宮のみならず、一夜にして陸地は海原となり、また海洋では新たな大地が生み出された。


 来るはずだった夜が明けた。

 来るはずだった冬が明けた。


 新しい朝日が昇る頃、大地には草木が芽吹き、海は清らかに箱舟を揺らした。


 アキラは箱舟に降り立ち、人の姿になると穏やかに微笑んだ。


「おまたせ。世界の終わりが終わったよ」


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