板金鎧に宿る者❖1
❖――視点:アキラ
先刻告げられた神の言葉通り、継承者三名は神器を放棄。彼女たちの肉体から刻印が消えた頃、俺の前には裁きの剣と天球儀の杖が現れた。
一足早く神の元へ返還された柱時計と合わせて三種。神器は物言わぬ道具として灰白の空間の中に浮かぶ。
「これで三つ、揃ったね」と、神は柔和な笑みを浮かべてこちらを見る。「宝玉が失くなっている
けれど、なに、問題ないさ」
「それで俺の体を作るのか?」
精緻な飾りに魔鉱石の象嵌された神器三つ。それは、俺がこの世界で旅を共にした彼女らが片時も離さなかった――より正確にいうならば離すことができなかった――ものだ。馴染みはあるが血肉になるとは信じ難い。
そんな俺の疑問に対して、やれやれと神は肩を竦めた。
「散々繰り返しただろうにまだそんなことを聞くのかい? 今の肉体だって人じゃないのはわかっているだろう」
はっとして、目を伏せる。
「そう……だよな」
首だけになっても生きている。
俺は既に人の域を超えている。
この体に流れているのは龍血晶の鉄血だ。
神は手を後ろに組んで裸足でぺたぺたと歩み寄ると、真珠のような七色の瞳で俺を眺める。というよりも、俺の中の『理』の面影を感じ取ろうしているようだった。
吸い込まれそうな瞳を見つめ返すと、神は僅かに口角を吊り上げた。時計回りに俺の背後へ回り込み、両手を俺の頬に這わせる。
「おい、なんだよ……?」俺は戸惑う。意外にも触れた指は温かい。
「よく見たまえ」
「え――」
ぱちり。と、耳元で指を鳴らす音が弾けると、神器はさらさらと形を崩し砂の山となる。
旋風が巻き起こり、堆く積もった緋緋色金が竜巻によって立ち昇るとそこから不定形ながら質量のある影が現れた。より正確に言うならば、巻き上げられた緋緋色金が渦の中で再び形を成しているようだ。
「想像したまえよ。君の念う龍の姿を」
「龍の、姿……」
俺は言葉を繰り返し転がして、想像する。
思考を反映するように、目の前の竜巻の中にある影は形を変えていく。
意識の中にちらつくのは妹の姿。下肢が大木のようにどっしりとして、鱗は夜を集めたように冷ややかで黒い。……なんだか違うような気がした。
次に思い浮かぶのは龍血晶の板金龍。前足の発達した四足の姿に飾り立てられた羽の鎧。額から突き出した大剣の一角。……一度は俺の体となったが、果たしてそれが、思い描くままの姿かと問われるとしっくりとは来なかった。
龍。龍。
俺の胸の内に睡る龍。それが持つ印象はもっと理性的で、儚げで……
緋緋色金は幾重にも重なる旋風を巻きあげて、その中の粒は弾けては混ざり合い、形をつくる。
細く長く伸びては煙のように棚引いて、少しずつ実像を結ぶ。
「へぇ……」神は気色にほころんだ声をもらす。
風が一層強く吹き荒れて思わず目を閉じる。竜巻が霧散すると、後には龍の像だけが残った。
蛇のように長い体躯は鱗に覆われて金色に輝く。
獅子のような脚と灼かなる神木の枝のような角。鬣が揺蕩い、静かに目覚めを待っている。その姿は昔々と語られる『龍』そのものだった。
「随分と見慣れない姿をしているんだね。君の世界にはそんな龍がいるのかな?」
「俺の世界には龍も神もいないけどな……でも、こんな姿で描かれていた龍を、見たことがある」俺は続ける。「これに俺が入るのか?」
「そうなるね」
「どうやればいい?」
「簡単さ」神は俺を抱きかかえた。「龍に食べてもらうんだ」
「なっ、おいおいおい待っ――」
てくれ。と言い切るよりも先に視界は真っ暗闇に包まれる。硬質で滑らかな壁に四方を囲まれたかと思えば、数刻後には何事もなかったかのように視界が戻った。二、三度目蓋を瞬かせると緊張を解く。
――騙されたかと思った。
俺は視線を下ろして神に不満を言う。龍の体から発せられる声は懐かしい無機質な響きを持つ。板金龍の時と勝手は同じということらしい。
――いきなり食わせるかよ。
「落ち着きたまえよ。言った通り簡単だっただろう?」
確かに、神の言う通り。
龍に飲み込まれた時はてっきり質にでもされたのかと冷や汗ものだったが、奸計に嵌めるつもりはないらしい。
身を休めた状態から後脚を立ち上がらせて、龍の身体でもって神の周りを歩きながら体感覚を確かめる。板金龍とはまた違う姿ではあるが、不思議なほどに適応できた。
――でもなぁ、人の身体にはなれないのかよ。
「同化したとしても、今の君はあくまで霊素のみの精神体だよ。実体は星に散りばめられて首しか無い。似たものに慣れるとするなら、せいぜい板金鎧くらいなものかな」
そうすれば不如意のない人の姿になれるはずさ。神は俺を見上げながら答える。ほう。それは助かる。
俺は目を閉じて再び想像する。この世界で最初の姿を。
振り返れば始まりはずっと遠く、アーミラと出会った頃はこんなことになるなんて思ってもなかったな。
旋風に目を強く閉じ合わせてしばらく耐え忍ぶ。現れたばかりの龍の身体は砂上に崩壊したのちに再構成されていく。余った緋緋色金は足元に山を作った。
「君は欲のない人間だね」神は不意にそんなことを言った。
――……どう言うことだ?
俺は目を開けて、板金鎧に変化したことを確かめると、何処がおかしいのかと首を傾げる。
神は答えずに首を振り、目を細くして指を鳴らす。あっという間に天衣無縫の白衣が肩に掛けられた。
――随分と大仰だな。
衣を首に巻いて小さく独言る。
金色の板金鎧に、無縫の天衣。なんだか俺じゃないみたいだ。
「それが君だよ」神はわかったような口をきく。「さあ、付いて来たまえよ」
差し出された小さな手を取って、引かれるままに歩き出す。うねる射干玉の髪が左右に揺れて、そこから覗く少女の白い肩をふと眺める。
幼い神だ。その背中に世界を背負い、龍を失ってからは一人で生きていたのか……
五百年も、一人で。
神は灰白の空間の中を迷いなく突き進み、やがて歩みを止めると不安げに呟いた。
「荒天に空が荒れている。来るはずだった冬が遅れたんだ……星の巡りが良くないみたいだね」
その瞳はここではない何処かを見つめ、眉を下げて唇を噛む。
――俺はどうすればいい? 力になれることはないか?
神は気丈に笑みを作り、首を振った。
「本当に優しいな君は、すぐに情に流されて……
でも、誰かの為じゃあ駄目だ」
神は真剣な表情で、真正面から向き合うと、ひっしと俺の手を握った。
「やりたいようにやりたまえ。その先に真理があるものさ」
さぁ! 行けよ! 神は俺の手を思い切り引き寄せて、投げ飛ばす。
心の準備もできないまま俺は空中で転がり、体勢を整えて振り返ると、そこにもう神はいない。灰白の空間へ繋がる扉は閉ざされて、果てもない星空が広がった。
落下する速度は上がる。冷たい風を全身に受ける。身を捩り下を向くと黒々とした厚い雲が稲光を孕みながら地上を覆っていた。
息を呑んで覚悟を決めると、俺は頭から突っ込む。冷たい粒がばちばちとぶつかって、雲を抜けると大粒の霰に濡れていた。それよりも……
――これは、酷いな。
ばさりと翼を生成すると、その場に留まり呟いた。顔を顰めて濡れた髪をかきあげる。開けた景色を見下ろして、戦争の爪痕を見つめる。
弧を描く地平の果てから足下まで、焼け焦げた円が描かれる。そこに六芒星が収まって、それぞれの交点は一層荒れて黒く煤けていた。
生き物の気配は無く、雷鳴と吹雪だけが聞こえる。目下に穿たれた大穴はもしや深き塔だろうか。ちりちりと仄かに灯がともっている。
降り立って穴の淵まで移動すると、揺らめく光の正体を確かめる。
静かに燃焼を続ける穴の底、立ち昇る熱風が降り積もる霰を溶かしている。戦闘が行われてから随分と時間が経っている筈だ、一体これは何の炎だろうか……と、さらに下へと向かおうとした俺の背に吹き付ける風。続いて声がかけられる。
「あんた、誰……?」
金色の板金鎧を前に、怪訝な顔をして見つめているのは芹那だった。俺もまた、心の準備が出来ておらず、身を固めて視線を返す。
かける言葉を探して口籠っていると、芹那ははたと目を見開いた。
「もしかして……」
震える指。猛禽のように鋭い爪がこちらに向ける。黒く変質した鱗状の皮膚は上腕まで禍々しい手袋のようだ。俺はその姿にどこかもの悲しいものを感じ、密かに――鎧に表情は現れないが、それでも密かに――唇を引き結ぶ。妹は訊ねる。
「お兄……なの……?」
凍てつく夜闇の中を駆けたのだろう。頬を朱くして、怯えと望みを宿した眼差しが俺を映す。ぐるぐると絡まっていた思考が少しずつ解れて、俺はやっと返事を返した。
――ああ、……ただいま。芹那。
胸咽ぶ。
――ごめん……。はっ、ははは。……なんだろなぁ泣きそうだ。
肉体を失っても、心はなくしてない。突然の再開に胸が締め付けられて、鎧の体で俺は泣いた。
どれだけの時間がたったのか。
どれだけの命が失われたのか。
そんな様々な疑問は妹を前にして全て吹き飛んだ。
妹が生きていること。それこそが最期の願いだった。それが嬉しくて、言葉にならない。
――生きていてくれたんだな。
「っ、馬鹿!」
芹那は遠慮のない全力で胸に飛び込み、抱きついた。俺は吹き飛ばされるようにして倒れる。
上に乗る芹那は拳を固めて振り下ろす。大粒の涙を零して泣いていた。
「心配した……っ、今朝から首が動かないってアーミラが……! アーミラが……!」
――それは、……えっと、ごめん……。
「ごめんじゃない!」
芹那は何度も鎧を叩く。敵意はなく、殺意もなく、殴られているのに何故か懐かしく感じた。
――心配してくれたんだな。
「本当に……死んじゃったのかと思った……」
――ありがと、もう心配ないよ。
俺は芹那の頭を撫でて落ち着かせる。
そうか、俺の首は今アーミラの所にあるのか。今になって動かなくなったのも単純な話だ。
意識が緋緋色金の鎧に移されたから、首との接続が切れたのだろう。
――それで、何で芹那はここにいたんだ? この炎はなんだ?
俺の問いに芹那は嗚咽を抑えてぐしぐしと涙を拭い答える。
「この火は、火葬だよ。救い切れなかった仲間を燃やしてる。私がここにいるのは、何かが空を飛んでるのが見えたから」
――火葬……
そんなことより早く来て。芹那は俺の手を引いて連れ去るように空へ誘う。俺は道すがら状況を把握して、夜の底を急いだ。
深き塔の火葬には天球儀の宝玉を用いたこと。
アーミラは次代の玉座に即位して、再建に尽力していること。――それが芳しくないこと。
その最中で俺の首が活動を止めたことに、今も哭いていること。
焦眉の急、アーミラに会わなければ。