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天秤は量らない❖2


「我らは神族と名乗るにはあまりに穢れていることを知った。どうか皆の者達よ、我らの隠してきた一つの真実を聞いて欲しい」


 ユタは静かに、そして厳かに切り出した。聴衆はその言葉に眉を顰めるが、神族を前に野次を飛ばす者は現れない。


 そこから、ユタは隠してきた全てを話す。


 攫われたユグドのこと。

 歪められた神話のこと。

 継承者嬰児暗殺のこと。


「……我らの掲げて来た正義はいつしか命よりも重く肥大してしまった……人のためにあるべき正義が、命を二の次にしてしまったのだ。

 ならば、そこに新たな正義が生まれる……それが、今なんだ」


 ユタは言葉を切り、舞台袖でことを見守る私に一つ頷く。

 その瞳がたたえた覚悟の光。

 引き結んだ口が飲み込んだ言葉。


 その心の熱を確かに感じ、私は頷きを返す。

 彼は嘘偽りなく、民のために玉座を降りるつもりだ。


 ユタは拝殿に向き直り、続ける。


「清き瞳で世界を見つめ直し、決断する時が来たのだ。罪深き我らが築き上げてしまった偽りの恩寵を、自らの意志で手放さなければ歴史を繰り返してしまう」


 声の下からどよもす悲嘆。聴衆は信ずるものを失って酷く落胆した。


 セラエーナは音も無く私の横を通り抜けて、講壇に登った。細首に取り付けた首輪から無機質な声が届けられた。


「真なる和平に向かい、世界が変わろうとしています。

 その世界で神族が不要だというのなら、その玉座に縋り付くことは何よりも恥ずべきこと。

 我らは父上である前王リーリウスより、先に話したこの世界の歴史を知り、そして決断をしました。

 ……どうか、皆様も決断をお願い致します」


 セラエーナの言葉は沙汰することを促すという態度こそ崩さないが、その実、神族の崩御を認めてもらうことについて一歩も引いていない。


 悄々とした目に虚しさを兆した民を見て、ガントールは握りしめた裁きの剣に視線を落とす。


「全員罪人……故に裁く者なし――」


 長女継承の神器、天秤の放棄。


 拝殿舞台袖でそれはひっそりと行われた。居合わせたのはガントールと私、そして数人の神人種のみという極少数人だけである。


「いいのですか?」私は問う。


「ああ」ガントールは複雑な表情で拝殿を見つめる。講壇を後にする神族の姉弟が見えた。


 ガントールは続ける。


「アーミラだって充分わかっただろう? 世界の隅にいることはできなかった……どうしたって戦争に加担していたはずなんだ。

 生き残った者はその犠牲の上に立っているし、多かれ少なかれ罪を背負っている……それを裁く天秤もまた、裁く資格なんてないと気付いたよ」


 ガントールは皮肉めいた笑みを浮かべて、両手を緩く広げる。きっさきを床に突き立てた剣は見る間に錆びて、ぼろぼろと崩壊する。


 呆気なく、花弁のように散り散りに消えてしまった。


「『天秤』だなんて、騙されてた。

 ……いや、本質を理解できていなかったんだ。あの剣にふさわしいかどうかは重要じゃない。あの天秤は――裁きの剣は――本当なら誰も相応しくないんだ」


 ガントールの表情には迷いはなく、とても晴れやかだった。断罪の衝動はなく、穏やかな理性を目に宿して、剣の消え去った後の床を見る。


 戦火とともに生きた長女。強大な力を手に入れ、それに伴う代償を知った。真理にたどり着いたわけではないが、その時彼女は己の信念を確立していた。





 後日、私はセリナとともに深き塔へ訪れた。

 即位式を乗り越えた昨夜より雪がちらつき、靄に霞む朝焼けは本格的な冬の到来を知らせていた。

 幸いにも風は無く、冷たい粒は二人の外套を湿して白く肩に積もる。


 セリナは凍てつく翼の霜を払って、はぁ、と煙る息を吐いた。


「冷えるね」


 憂いを帯びた瞳に口元は緩やかな笑みに結んで応える。そして底の見えない穴を覗く。


「静かだ」


 私は何も言わず、ただ隣に立って見守る。


 ぐるりと弧を描く外縁は対角線上の果てが霞んで見えないほどに大きい。見下ろせば黒々とした深淵の闇。ぽっかりと口を開けた大穴の中央に浮かび上がるのは塔の先端部、声なき叫びを上げる舌先のようだ。私は少し、目を閉じる。


 セリナが言った通り、ここはとても静かだった。


 それは命の気配がないということ。そして、腐敗した死者達の腐臭がここまで立ち昇って来ていないということ。それは雪や冷気によるものだ。いつかこの冬が終わり春が訪れた時、それらは変わらずそこにあり続ける。誰にも看取られることなく、祈られることなく、腐っていく。


「行きましょうか」私は言う。


 セリナは背を向けて密かに目を拭う。彼女の歩んで来たこれまでは既に知っている。言葉を介さずとも万感胸に迫る想いだった。


 ここへ来た理由は一つ――とむらいである。


 私達二人龍人の血を持つ者として、せめてもの手向けに彼等を看取ろうと決めた。祈ろうと決めた。澱となるまえに灰にしようと決めたのだ。


 砂岩質の地面を踏みしめて、崖沿いに螺旋を描く階段を降りていく。地下一階層の簡素な造りの踊り場に着くと、携えた天球儀の杖を掲げた。


 この杖の完全な放棄……深き塔と共に全てを葬る。まつりごとの建前としては龍人種への致命的報復。地図を書き換える絶大な力を行使して本拠地全てを焼き尽くし、それを持って戦勝の証とする。しかし、本懐は一貫している。長きに渡る宗教戦争の犠牲となった者たちのために行われる葬儀なのだ。


「中の本とか、取り出さなくていいの?」と、セリナ。


「ええ」私は頷いて、ゆっくりと杖に向き直る。「あれは元々私のものではありませんから」


 私が念を込めると、杖は展開を始める。

 支柱部に付けられた天球儀が前に倒れ、宝玉を貫く地軸が上下から抜けて浮遊する。次に弓部が回転すると、それぞれが噛み合わせを外れて展開は完了した。

 宝玉を手に取って、杖から離れる。


 いつかのアキラは、この宝玉に宿る星喰の力を『原爆』と呼んだ。『それは危険なものだ』と。


 国一つなら跡形もなく消し去ってしまう暴力的な光。三年前、災禍討伐戦でも私はこの力を行使した。今はこの宝玉を、祈りのために放棄する。それを浄化の光だとは言わない。魂の救いだとは言わない。今捧げられる祈り、鎮魂の手向けとする。


「マナ……――」


 宝玉を抱えて、目を閉じる。想うのは不変の恩義について。

 驚異ヴンダー部屋カンマーに眠る師の脳漿……共に過ごした記憶、思い出、そして愛情。日々の記憶を全てを取り戻すことは叶わなかったが、今の私がいるのはマナのおかげだ。それは揺るがない。


 人生をかけて私に尽くしてくれた師匠に祈る。数え切れないほどの感謝の念を込めて、龍人の同胞の魂と安らかに眠ることを願って……


「――……ありがとう……お母さん……」


 言葉にすれば、涙が零れる。

 歪んだ世界で、彼女の愛だけは不変だった。

 私を私たらしめる絆。育ての母と言っていいはずだ。きっと私は彼女にとって、できた娘ではなかっただろう。体も強くはなかった。その度に世話を焼いてくれたのだろうと思う。どうか、せめて安らかに……


 祈りを込めて、宝玉を頭の高さまで持ち上げる。崖側まで歩を進めて、セリナと視線を交わす。


「じゃあ……お願い」セリナは言う。


 私はそっと手を離し、宝玉は深き塔の底へと落ちていった。煌々と照らす輝きが深淵を照らしながら小さく遠くなっていくと、そこから次第に火勢を増して炎が広がった。ゆっくりと杖は燃焼する。最期には深き塔そのものも跡形も無く消えてしまうだろう。


「では、行きましょう」名残惜しい想いを抑えて、私はセリナと共に故郷を後にした。

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