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天秤は量らない❖1


 決意の夜から早三()が過ぎた。

 チクタク王宮は今日、押し寄せる人でごった返していた。


 神人に囲まれて衣装の袖を通す私をセリナが心配そうに見つめる。


「そろそろだよ。大丈夫?」


 私は曖昧に頷く。自分でも笑顔がぎこちないことを自覚して、取り繕うのを諦めた。


 ……この三日のうちに何が起きたのか、以下に語ろう。



 神族はあの日の謁見をユタの――あるいはゼレ一族の――譲位と認め践祚せんそが行われたと民にふれた。


 苛烈を極めた戦争を生き残った我々は、目下これからを生きる必要に迫られていた。痩せた土地、握りしめた巾着に詰められた金貨の価値も今となっては無に等しく、ちらつき始めた雪や朝霜に心まで凍えている。焦眉の急、人々は主導者を渇望していた。


 それにより今日、私を新たな帝とする即位式の場を設けたのである。


「……すごく、怖いです……」


 私はセリナに呟く。

 式のためにと着飾った純白の絹の羽衣も、私の身体には不釣り合いに思えて気が落ち着かない。

 何より、民草がそう簡単に私を受け入れてくれるとは思えないのだ。まず間違いなく、非難は避けられない。



 ――そう、非難は避けられなかった。この日のことは、後に思い出すのも嫌なほど苦い経験となった。





 場所は拝殿。扇状の大広間を講壇脇から覗きこむと、人の数に圧倒される。

 先の戦争により多くの者が命を落としたとて、こうして一堂に全国民が集まればその数は万を超え、拝殿に収まりきらぬ者達は王宮の前庭や廓の内外に寄り集まり、式典の開始を待ち望んでいた。


 先ず講壇に登ったのはオクタとサハリ。

 カムロのくび如何いかんはともかくとしても体力面で本調子ではないこともあり、式の進行役は二人に白羽の矢が立った次第である。


 緊張した面持ちでサハリは講壇に立ち一礼すると、即位式の開会を宣言した。


「お集まり頂きました皆様、大変長らくお待たせいたしました。

 只今より、即位式の開会とさせて頂きます。僭越ながら異例の事態であるため、開会の挨拶は割愛させていただきます」


 聴衆は各々居住まいを正してサハリの方へ体を向ける。舞台袖から盗み見ている私からも、その逃げ場のない視線の圧を味わうこととなった。


 左右一揃いの眼球が、手前から奥に行くほど数を増してずらりとひしめき講壇を見下ろしている。真剣な表情に刻まれた眉間の皺は、悲観、渇望、苦悩、困惑……誰一人として笑みは無く息が詰まりそうだ。


 講壇に隠れたサハリの姿。その膝が震えていることに私は気付く。そして、自分もまた震えていたことを知る。


「先だっては、異教禍人種との軋轢から端を発した長きに渡る宗教戦争の終結。大局的にも我々神殿が勝利を収めたのですが……皆様も感じている通り、それを祝い喜ぶにはあまりにも多くの犠牲を払う結果となりました。

 神族側はこの事態を重く受け止め、次代を導く王の座を自ら降りることを決断しました」


 その言葉に嘆きの声が漏れ響く。聴衆は両の手指を祈りに組み合わせて耳を傾ける。果たして何に祈るのか。


践祚せんそから日を跨ぎ、次代の玉座に座るのは、世界を終戦へと導いた偉大なる五代目継承者の次女アーミラ様でございます。

 アーミラ様。登壇をお願い致します」


 サハリは一礼して舞台脇へ移ると、オクタが手で示して私に出番が来たことを伝える。


 唾を飲み込み、私は聴衆の視線の中をそろそろと進む。聞こえるのは衣摺れの音のみ。講壇に辿り着くまでの僅か六歩の静寂は、これまでに味わったどの恐怖とも異なるものだった。


 対するは幾千の視線。私は全身を釘で打ち付けられたように身動きができなくなる。

 私は期待されている。そして、失望させてしまっている。


 『翼……?』

 『羽があるぞ』

 『神族の翼だ……』


 色めき立つ民の呟きが拝殿に反響して、耳に届く。気色を含んだその騒めきはすぐに裏返った。


 『なんだその角は――』と、聴衆の中で誰かが言った。


 恐らくは最前列にいる者のうちの誰かだ。こんなに近くにいるというのにそれが誰かはわからない。この間私はずっと俯いていたからだ。


 翼も角も晒け出していた。私の身に起きていた出来事と、神族が隠してきた歴史の全てを明らかにするために、必要なことなのだと自らの意思でこの姿を見せた。


 しかし、そう簡単には進まない。

 彼らが日頃溜め込んでいた不満は一層勢いを増した。終戦時よりあった疑念は、私の姿によって誤った方向へ確信させてしまったのだ。つまり、龍人種を助けた理由は私にあると。


 『どうして禍人を皆殺しにしない!』

 『戦勝したのではなかったのか!』

 『なぜ禍人が天帝になるのだ!』

 

 ……何も黙っていたわけではない。サハリとオクタが声を張り上げて場を収めようとした。私も必死に訴え続けていたはずなのだが、彼らは拒み、耳を貸さない。


 場は騒然として誰が何を叫んでいるのかわからない状況に陥った。混沌とした拝殿から廓の外へ恐怖だけが伝播し、チクタク王宮は統率を失い混乱を極めた。


 講壇から茫然と立ち尽くす私――不意に手を引かれて舞台袖へ引きずりこまれる。


「しっかりせい! こっちじゃ!!」


 小さな手、その温かさと怒声が気付けとなって、我にかえる。


「オロル……っ」


 私は緊張が解けてしまい、思わず泣きそうになる。が、オロルはそれを許さない。


「それどころではないぞアーミラよ、礼拝堂へ急げ!」





 オロルに手を引かれて走る。

 こうなってしまうことは予想できただろうに、否。事態は遥かに深刻だった。


 聴衆の非難は凄まじく、ユタの再興を願う声が大多数。行き場を失った怒りの矛先は地下礼拝堂に身を寄せる龍人にまで向かっていた!


「やめてよ!」


 投げられたつぶてから龍人を護るため、人波を飛び越えて立ち塞がったのはセリナだ。その疾風に礼拝堂の篝火が大きく横へ薙ぎ倒され、辺りに火の粉が舞い上がった。


 鱗を備えた異形の両腕、両翼を広げて睨む。


「この人達はもう、関係ないでしょ」


 『災禍だ……!』

 『何故』

 『禍人と手を組んだんだ……! もうおしまいだ!!』


 民は災禍の龍に凄まれて慄いた。小石を握り締めた手は震え、行き場のない憤りを彷徨わせ、その内の一人が私を見つける。


「……ッ!」


 私は息を呑む。

 視線が合った刹那が引き伸ばされていくのを感じた。

 手に持った瓦礫を振りかぶる女。その唇が何かを叫んでいた。


 『返してよ……!』


 そう言っているように見えた。

 何を返して欲しいのか、私がその女の何を奪ってしまったのか、僅か一瞬のうちに思考が巡る。


 投げられたつぶてが放物線を描いて私に迫る。痛みを予感して目を閉じて身を固める。


「――『フォールド』」


 凛々とした声がはっきりと聞こえた。

 いくら待てども訪れない痛み……私は恐る恐る目を開く。


 そこにはガントールが立っていた。


 詠唱一つ。裁きの剣を携えた彼女の力は健在だ。民が持つ小石は手の内からこぼれ落ち、土埃と地鳴りを起こして床にめり込んだ。

 隻腕の袖をはためかせ、人波を左右に割るとセリナの隣に立つ。


「目覚めぬ龍人に石を投げれば世界は平和になるのか? 虚しいと思わないのか?」


 ガントールは訴える。

 散々味わったはずだと。

 争うことの虚しさを、悲しさを。


「誰かを傷付けて、心が晴れるならやればいい。だが……一つ、教えてやろう。

 龍人種は既に記憶を失っている。先の戦争で無力化させるために我々が奪ったのだ。起きたところで己の名も思い出せないだろうな」


「もしそれでも――」カムロが言葉を継いだ。「――貴方達が皆殺しを望むなら、どうぞ石を投げてください」


 カムロはガントールと共にセリナの前に立ち、胸を張り詠唱する。


「『センテンツァ・――』」

漆之術アレス・セブン……『天秤座ライブラ』」


 二人の瞳は赤く光りを放ち、磨き抜かれた宝玉のように冴え冴えと輝く。それは奇しくも偶然の一致を見た。どちらも裁きの力に他ならず、互いに戦争を通して片腕を失っている。


 ガントールが右腕を。

 カムロが左腕を。


 並び立つ二人の姿は形容し難い畏怖の念を持って、まさに天秤のように目に映る。これには暴徒だけでなく、背に匿われたセリナも息を呑んで圧倒された。二人を前にして、石を投げられる者などいない。





 一時騒然とした地下礼拝堂の一件から、私達は改めて拝殿に集められた。事態は収束したものの、皆の胸の内にあるしこりは消えず、また同様の騒ぎが起きてしまうことも大いに危ぶまれた。式を進めるには翼人の言葉が必要だ。


 再興を望む声に対して、ユタ自らが講壇に登った。その光景を前に民達の悲喜交々の猥雑な喧騒は静まり、その眼差しは終戦を一つの区切りとした新たな勃興を夢に見ている。


 彼等は知らない。だから翼人にそんな瞳を向けられるのだ――私は唇を噛む。

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