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天球儀は測らない❖11


「……じゃが、待て」オロルが前へ歩み出る。「アーミラは魔人種じゃろう? この身体もまた変装の類いか?」


「それに記憶が無いことについてはどうなる?」と、ガントール。


「ユグドの血筋を引く娘を何故連れ出したのでしょうか……マナという人物の目的は一体……」カムロは顳顬こめかみを押さえて呟いた。


 リーリウスはしばらく黙り込むと、じっと私を見つめる。私は心許無く解いた髪を手櫛でかき集め、首元に寄せた。


「アーミラよ、その髪を後ろに束ねてくれないか」


「い、や……です」私は思わず断ってしまう。


 首は、見せたくない。


 私は誰よりも先に分かってしまった。理解してしまった。


「どうした……? 首に何かあるのか?」ガントールは心配そうに私に近付くと手を伸ばす。


「待ってッ! 触らないで、ください……」


 私が髪を前に束ねる理由。

 それは小さな隠しごとでしかなかった。見せるのが恥ずかしいだけの、傷――


「アーミラよ、落ち着くのじゃ。誰もお主を責めているわけではない」と、オロル。


「そうですけど……だって、そんな……」


「見せられないということは……()()のだな?」リーリウスは問う。


 一点に集まる視線。

 私の抵抗も虚しく、ガントールがそっと首に指を這わせると、髪を退けて横一文字になぞる。

 注視しなければ気付かれることはない。細く輪を描く裂傷。


 まさにそれこそが私の隠していた傷跡。

 あんな話を聞かなければ、私だって傷の意味を知りはしなかっただろう。


「これ、傷なのか……」ガントールは小さく囁くが、答えられるはずがない。


「わかりません……記憶がある前からこの傷はありました……」


「切られておるのか? 後ろはどうじゃ?」オロルが見上げる。


「ぐるっと一周してる……」ガントールはその意味に気付いて戦慄する。


「まさか……」カムロは目を見開いてますます色を失った。


「まさか、()()()()()のか……」オロルはリーリウスに向き直った。


 幼い頃から髪を束ねて隠していた。

 人に見られるのが恥ずかしいという理由だけで、物心ついてから自然と隠すようになったのだ。

 この傷についてマナは何も教えてはくれなかった。まるでそんな傷は見えていないとでもいうような態度で、今の今まで気にも留めていなかった。


 だが、リーリウス語られた私の身の上を知り、この傷は意味を持つ。


 全種族の血を流していながら、その姿が魔人種であること、幼少の記憶が無いこと、神殿側に逃亡したマナが私に行ったこと。


 誰にも見つけられることがないように、私は首から下をすげ替えられている。

 この横一文字に走る裂傷は、その時の傷だとわかる。


「真実は……わからない。マナという者は、す、既に死んでいるのだから」


 リーリウスは疲労に顔を顰めて背凭れに身を預ける。集中力の途切れた瞳がやや虚ろに天井を見上げた。


「……ヴィ“オルソ”シュヌ……その意味がわかるか?」リーリウスは問う。


 私達はその問いの意図を推し量ることができず、困惑する。


「遥か昔、神の名はヴィシュヌだった。そしてそのつがいである龍の名がオルソ……」


 リーリウスの言葉にオロルが続く。


「『神話では、龍は民を唆し、神の頂きへと誘い――龍は姿を消した』」


 リーリウスは深く頷き、先へ進める。


「神がつかさどるは『まこと』。

 龍が司るは『ことわり』。

 龍を失った世界で、真理を謳うために、我らは真理ヴィオルソシュヌという言葉を創り出した……」


「見損なったぞ……リーリウス……」ガントールは怒りに震える拳を抑える。「全て紛い物だというのか……」


「同じことが、龍人にも言える……

 我ら翼人の血と、龍人の血を掛け合わせること……それにより産まれる生命は、体術、魔術、呪術、巫術の才を持つ。

 つまるところ、龍人種は人から神を作り出そうとしていたのだ」


 リーリウスの言葉に私は異議を唱える。


「何が言いたいのですか……?」


「逃亡者の目的を私が知るわけもない……だが、人から神を生み出そうとする愚行……その過ちを避けた功績は大きいだろう。

 貴女の師は、きっと……正しい」


 リーリウスは深く息を吸い、鼻笛を鳴らしながら吐き出す。老体に無理をして話しすぎたか、瞼は重く閉じ合わされる。


「リーリウス様!?」カムロは声を荒げた。


「平気だ、……いずれにしろ私は、もう()()()()


 リーリウスは濁った瞳を今一度開き、私を見つめる。


「ア、アーミラよ、……そなたにはみかどの血が流れている。

 血塗られた玉座ではあるが、そなたが……ッ、そなたが王位を継承し、私達が隠してきた罪を民の前に暴き清めたいと言うのなら……わしはそれを止められぬ」


「帝の、血……」


「昔は……ただ威光を誇示していればよかった……我らには力があり、民を導くことができた。

 ……しかし、今では我ら翼人は最も卑しい一族だ。

 維持することばかりに気を取られ、物事の本質を見抜く力も失い、自縛自縄に陥った……! 私は如何様な報いだろうと受ける覚悟だ。先代の愚かな行いの裁きを受けたって構わない!!

 だが、アーミラよ……どうか――」


 リーリウスは激しく咳き込み、言葉は声にならない。しかし唇の動きと文節から推測はできた。


 『どうか子供達は……助けてほしい』


 リーリウスは額から脂汗を噴き出して、胸を掻きもんどりをうつ。カムロはままならない体を引きずり駆け寄ると手を握った。


 緊張が走る中、私は未だリーリウスの言葉を呑み込めずにいた。呆然と立ち尽くして開いた口は塞がらない。


 後ろに振り返り、オロルを見る。ガントールを見る。


 二人は動揺に狼狽え、真っ直ぐに見つめ返すことができないでいた。


「アーミラ様……」


 その声は渦を巻く思考の嵐をすり抜けて頭の中に入りこむ。毅然とした語調にはっとして、前方を見る。


「セラエーナ……?」


 そこに立っているのは、いつか天球儀の宝玉越しに見た片翼の姫。帳の陰に身を潜めてこの謁見に聞き耳を立てていたのか。


「父上が失礼を致しました。どうかお気になさらないでください」


 ふと気付けば帳の中には神人種が輪を作り私達を囲んでいた。中央に座していたリーリウスは神人種に肩を借りながらその席を空けて奥へ消える。


「アーミラ様、貴女はこれからどうなさるおつもりですか?」


 継承者嬰児暗殺について、信ずるべき神族が犯した罪は確かに重い。セラエーナは口を引き結んだまま言葉を発する――念話だ。それが私にも使えればいいのに。


 私は寄る辺なく立ち尽くし、いつのまにかその手は首ではなく口を抑えていた。わけもわからず嗚咽をこらえるのに精一杯で言葉が出ないのだ。


 己の知らぬ歴史の裏の出来事。混血を隠して生きてきた半生と、育ててくれた師の流浪の真実。

 親の顔も知らず、幼い頃の記憶も無い。多くの者に疎まれ死を望まれていた。が、確かなのは一つある。


 今日まで生きてこれたのは、血の繋がりもない師の愛情と恩寵によるものと知った。

 きっと壮絶な道のりだっただろう。

 失うばかりの旅だっただろう。

 それでも、マナだけは私を護ってくれていた。揺るがないでいてくれた。


 セラエーナは続ける。


「たとえ、アーミラ様が我ら翼人を許せないというのなら、父上と同じくわたくしもまた命をなげうつ覚悟でございます」


「それは……俺もだ……」


 消え入りそうな声でセラエーナに続いたのは、現王ユタその人であった。打ちひしがれた表情は記憶の中と比べて少し痩せてしまっている。

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