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天球儀は測らない❖9


「神族って、今はどこにいるんですか?」と、私。


 怒りに鼻を膨らませるオロルの姿。私の問いには答えず眉間に寄せた皺も険しいままに驚異の部屋を出た。その背に着いていけばいいということらしい。


 置いていかれるかと慌てて後を追い中庭に出たが、オロルはすぐそこで立ち止まっていた。

 そこには待ち焦がれた彼女が凛々として待ち構えている。


 脂っ気のない赤髪を左右に結わえ、腰に手を当てて私達を見下ろす悲願の眼差し。


「……ガントールさん……」


 健やかに笑む口元。その瞳には以前の輝きが戻り始めている。その後ろ、扇に首元をあおぐスークレイの姿。私と視線が交わると、それで十分と引き戸の奥へ消える。


「すまん……待たせたな」ガントールは掌を上にして差し出す。「随分と慌ただしいじゃないか」


「ふん、置いて行くところじゃったわ」オロルは差し出された手を叩き、相好を崩して眉を開いた。これは僥倖だ。


「付いて来い。事情は道すがら話す」





 チクタク王宮を出て荒れた道を進むと、目の前には背の低い建造物が現れる。辺りの被害と比べるとその建物は損壊は軽度で、つまりは頑丈な造りであることがわかる。

 閉じ合わされた両開き扉に向かいオロルは足を止めず、私達もそれに続いた。


 オロルはおもむろに自身の飾り髪を手櫛で梳かし、その毛束の中から縒り合わされた端子を取り出すと建造物の柱に挿入した。注意深く見てみればそこには端子の受け穴が設けられており、つまりは鍵として機能しているようだ。

 扉の蝶番が重苦しく軋み、土埃を落としながら開かれる。そこには奥に続く深い下り坂が待ち受けており、一体何処に向かうのかと私達はオロルの背と互いの顔を見やった。


 自分の庭のように臆することなく進むオロル。その背に続いて坂を降りると空気は冷えるどころか暖かい。その先に人の気配を感じ取る。


「なんなのです? ここは」カムロは四方を見回して問う。


戦闘魔道具アルテマ・マギの保管蔵じゃな。この国にはいくつかこのような蔵を設けていたか、戦闘により殆ど倒壊してしまった。……魔道具も今では無用の長物じゃしのう」


 なるほど。私は納得する。

 見慣れないものではあるが、オロルの国ならば必要不可欠なものに違いない。


「つまり、無用となったこの蔵に神族が身を隠していると?」


「うむ。公に出られては民衆の混乱を招くじゃろうし、わしが都合した。

 ……というより、お主は近衛隊長じゃろう? オクタから伝言の一つも聞いておらぬのか」


 オロルの切り返しにカムロは眉を弱気に下げる。


「目覚めたばかりですから……それに私はもう神族近衛どころか神人種としての席も望めません。

 アキラの幇助ほうじょを決めた時、くびは切られたものと考えております」


「ふん、随分あっさり切り捨てられたものじゃな」


 オロルは飄々と返すが、それは話を引き出すための常套手段だ。金色の瞳はカムロから離れず、次の言葉を待つ。


「思えば、ずっと前から黒でしたね。

 威厳を備えた山頂の神殿……その姿に目が眩んでいたのかもしれません。功績に対して過分な程の俸禄ほうろくが手に入るとなれば神人は野心に取り憑かれ、内に隠した焦げ付きは外へ漏れることはありません……」


「ひどい話だ」道すがら事情を把握したガントールは、吐き捨てるように言い、続ける。「ザルマカシムが突き止めた焦げ付きが真実ならな」


「明らかにせねばなるまい」と、オロル。


 一様に頷き、心は一つとなる。


 長い下り坂が終わると大きく広がった蔵内部が待ち受ける。気付けばかなり地下深い所にいるらしく、振り返れば入口から望む空は随分と小さく切り取られ、見上げれば太く背の高い列柱が伸びて地上を支えている。

 蔵内は例にもれず円形であるが王宮と比べてずいぶんと無機質な趣きだ。合理的なオロルの建てた国だ、防衛陣としての機能を果たすならそれでいい。過剰な宗教的要素や彫刻は無駄だということだろう。


 前方には神殿の者たちが白衣を着て楚々と働いていた。その内の二人がこちらに来て、一礼。オロルが謁見の旨を伝えると特段慌てることもなく目を伏せて案内を始める。


 衝立に帳を張って仕切られた空間を横目に、私達は神族のもとへ向かう。粛々と紙面に筆を走らせている神人種の表情はどこか翳りがあった。諦観か、あるいは悟りか、ここにいる者達は此度の謁見が何を意味するのかを察しているような気がした。


 紙をめくる音だけが聞こえる。私達は足音を忍ばせて居心地悪く案内されるままに中央の道を進む。目的の人物には、すぐに会えた。


 どこから調達してきたのか一際大仰な絹地の帳を重ねた色鮮やかな一室。垂れ幕を持ち上げて中へ潜ると、そこには前王リーリウスがどっしりと椅子に腰掛けていた。


「いつか、来るだろうと思っていた」老いを隠せないしわがれた声で出迎える。


「ということは、こちらの行動を監視していたと?」オロルは片眉を跳ね上げ挑発的な口調である。こうも万全に待ち構えられては気にくわない。


 リーリウスは背凭れから身を起こすと前傾になり、両肘を膝につくと指を組んで顎を支える。蓄えた髭が指を隠した。


「監視というほどのことではない、サハリから動向を把握しているだけだ。……しかし、なによりも私の娘が伝えてくれた」


「何をです?」と、カムロは言う。


「ザルマカシム……あの男は近衛の立場を利用して奥之院を調べていたのだと。

 公には隠しているが、娘は生まれつき身体に形態異常が起きているのは知っているな? それ故に一族の中では血統や信仰について懐疑的であった」


「知っていたのか」オロルは言う。「なぜ止めなかった」


「止める必要がないからだ。探求心は抑えられるものでもない……抑え込んでは反発はより強くなる。

 それに、娘やザルマカシムが求めているものは、間違いではないからな……」


 リーリウスはふうふうと呼吸を整えてからまた話しを続ける。


「二人は密かに接触し、共にこの国の裏側を調べていた。ザルマカシムは娘に様々な仮説を立ててはそれを話したそうだ。……しかし、真実を語ることはないままに神殿を去った。

 彼は、そのまま死んだそうだな」


 カムロはこくりと頷く。


 残念だ――と、リーリウスは呟いた。

 意外にも皮肉を言っている様子ではなかった。淡白な口調ではあるが死を惜しんでいる響きを感じて、私はガントールと視線を交わす。


「ですが、彼は一冊の手記を遺してくれていました」カムロは一歩前に出て羊皮紙の束を掲げる。「『継承者嬰児暗殺の天帝令』……これは事実なのですか?」


 リーリウスは含みのある沈黙の後、組み合わせた指を解いて深く長い息を吐く。

 室内を照らす灯盞の揺らめきが微かに強まり、リーリウスの顔を照らす。皺が刻まれた前王の双眸は、言葉に尽くせない思いを湛えて濡れていた。


「……(ヴィオーシュヌ)……」


 一言。

 ただ一言に込められた様々な感情。ガントールは前に出る。


「全てを話せ。隠すことなくだ」


 ザルマカシムは死んだ。ガントールはそのことをずっと悔いていた。


 『己の命を賭けずに理想ばかり掲げる尻の青い正義。そんな絵空事が、俺は大っ嫌いだ』


 あの戦場で言い残した言葉。世界を破壊しようとした男が見た真実を、掴み取る。


「遡れば私の祖父の祖父だろうか……およそ二百年前になる――」


 リーリウスはゆっくりと語り出した。


「――禍人……いや、正しくは龍人だな。

 神殿は過去一度だけ、姿を変えた龍人種の侵入を許した事がある。神殿内では祖母方の娘が人質として捕らわれて、龍人側の要求を呑む必要に迫られた。

 ……それが、約定だ」


「約定……」私は静かに言葉を転がす。


 ザルマカシムの手記にも書かれていた言葉だ。数を減らす神族の血。その娘に凶刃を突き付けられた状況下で、双方に交わされた約束ごと。

 果たしてその内容はどのようなものか。


「神族には当時『ゼレ』と『ユグド』という血統がいた。私達はラヴェル・ゼレ……祖父方の血縁を引く最後の翼人種だ。

 そして、祖母方こそがラヴェル・ユグド。その娘であるエンプレスは、龍人種に攫われてしまったのだ……」


 リーリウスは青褪めた顔を掌で拭う。……先程からどうにも様子がおかしい。


「前王殿……? 無理はなさらず……」カムロは控えめに身を案じるが、リーリウスは平気だと手を振る。


「真実を語る事が恐ろしいのだ。だがそれでも……伝えなければならない。


 や、約定について……当時言葉が交わされたことは確かだ。姫を取り戻すためには従うしかなかった。

 龍人はこちらに『今後継承者の刻印を持つ赤子は内々に処理すること』を取り決めた。引き換えとして『前線に継承者が現れぬ限り、災禍もまた前線に現れることはないこと』を約束した」


「つまり、継承者嬰児暗殺は、神殿側の犠牲を抑える意味があったと?」オロルは確認する。


「百年にたった三人……その犠牲を払えば災禍の龍は現れない。そうなれば多くの民が救われる。……悪い話ではない」


「『たった三人』ではないだろう……! 刻印を持つ子の一族も、口封じの憂目にあったはずだ!」ガントールは糾弾する。


「さらに言えば、戦争を泥沼化させるのは明確です」と、カムロが続いた。


 現に今まで戦争は尾を引いた。慢性的な報復の連鎖にいくつもの命が落とされたのだ。龍人種か持ちかけた約定は神殿が自滅の道を辿る策略であることは誰の目にも明らかであった。


 リーリウスは項垂れながら緩慢な動作で首を振る。


「私とて、こんな真実を知りたくは無かった……父から伝えられたときは酷く落胆し、絶望した。

 だが、どうすれば良かっただろう。祖父はその状況の中で要求を退けることができただろうか? ……人質として捕らえられた娘を前にそれができるか。

 父は五代目となる嬰児暗殺を行った事実を民に打ち明けるべきだっただろうか? その先にあるのは死だ……民もろとも敗戦へ向かうのが英断だと、誰が言える」


 リーリウスは続ける。


「当時まだ若かった私は、父から真の歴史を聞いてから悩み続けた。とはいえ残された時間はない。父は老衰から死期が迫っていることは明白だった。

 そうして私は受け渡された玉座に座り、次代の継承者嬰児が現れる代を任されることになった」


「ですが、私達は生きています……嬰児暗殺は行われなかったのですか?」


 私は問う。リーリウスはまたも首を振る。


「『行われなかった』のではない。失敗したのだ」


 その答えに驚きはしない。失敗の前には実行がある。――やはり、手記に記されていた行方知らずの次女継承者に繋がるわけか。

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