天球儀は測らない❖6
❖――視点:アキラ
「なぁ」と、俺は声をかける。
「なにかな」
「話は変わるけど、俺の世界について聞きたい」
神は揺蕩う髪を後ろへ流してこちらに向き直る。そして演技然とした態度で軽く手を広げ歓迎した。
「いいよ。答えられるものなら、君に誠意を持って答えよう」
なぜ誠意にこだわるのか、俺は気にしながらもそれについて触れない。なによりも今聞きたい事は二つ。
「じゃあ、まず一つ。
俺の世界では数年前――時の進みが同じならば十年程遡るか――に地震があった。津波で両親は死んだし、多くのものが波に飲まれて消えた。
……この世界に流れ着いているコンクリートはその時の瓦礫なんだろ? 地震を起こしたのはお前か?」
俺がずっと小さな頃、おそらく人生が壊れ始めた最初の出来事。この数奇な運命が何者かの仕業だとするなら神あるいはそれに準ずる存在を疑うしかない。
いつかデレシスの涙の盃で見たコンクリートの数々。中には鉄骨の芯が通った瓦礫も見た。
それが俺の元いた世界のものだとするなら、あの津波によって消えたものがここに流れてきているとみたのだ。
「嘘偽りなく、向こう世界の地震は我の仕業ではないよ。
向こうもこちらもおなじ地球……瓦礫が漂着したのは次元が近いのが原因かもしれない」
「次元が近い?」俺は繰り返す。
「君たちの地球は、摂理完成の雛形として上位に位置しているのさ。
我はそれを模倣し、近しいものを創るはずだった」
聞けば聞くほどわからない。
「摂理完成とはなんだ?」
「摂理。……文明の栄枯盛衰の波が安定している体系のことさ。究極まで時代を進めると、星単体での代謝が上がり、管理者としての神や龍は必要がなくなる」
「信じ難いけど、信じるしかないな。
『まだ空に龍がいた頃――』なんて、昔話によく使われる比喩だ」
現代では信仰を失い、神というものを誰も信じない。それはつまり、星を管理する必要がないほどに代謝が安定しているということか。
「あぁ、でも、あれは参考になったよ」
神は思い出したように続ける。
「『あれ』?」
「天球儀に埋め込んだ……なんだったか、あー。失念してしまった」
「……原爆。だな」
俺は言わんとしているものを汲み取り言い当てると、神は納得したように頷く。
「あぁ、それだ。代謝を促進する上では実に愚かで革新的なものだ」
「愚かで革新的、か」俺はザルマカシムが解読した言葉を思い出す。
『こことは違う地球に神を信仰しない文明がある。
それは繰り返される繁栄の果てに、星を喰む光を産む。
――名を『原爆』と言う』
「最初から謎を解くヒントは散りばめられていたってわけか……」俺は力無くため息を吐く。「次の質問だ。改めて、妹をこの世界に喚んだ理由はなんだ」
俺は再び怒りの火勢を取り戻す。
これまでの話はよく分かった。神にもまた都合や理由はあるだろう。
しかし、だとしても、俺の妹がこの世界に喚ばれることが誠意だとは思えない。
「……物事の順序をまず正しておこうか。
我がこの世界に君の妹を喚んだのは、自死を行った後だ。だから、君の妹の死については我の与り知らぬところだね」
「あぁ、それを哀れだと思ったから、再開の機会を与えたと言っていたよな」
「君の功績によって世界は加速した。今後百年続くであろう戦争の歴史を早めたわけだ。
だというのに君の妹は静かに非業の死を遂げた……報われないと思わないかね」
「恩義に報うと言うにはかなり最悪な再開をさせられた。……誠意を見せるっていうならいい加減建前を使うのはやめろ。殺し合うことになったんだぞ」
俺は首だけの体でありながら、物怖じせずに難詰する。神は必ず腹に一物抱えているはず。
「何かを企ててたんだろう」
しばらくの閉口。視線をちらりと斜め下に流してから神は言う。
「……君の妹は、『丁度良かった』のさ」
「丁度良かっただと」
「まず我の描いていた筋書きから話そう。簡単に言えば、龍人種側を勝利に導くつもりだったのだ。
しかし、君の存在によって私の描く筋書きは荒らされ、盤面が乱された。その時にこうも思った――異世界人は有用だ。とね」
「だから、筋書きを変えた……」
「君の力をうまく使えば、戦争終結は早まる。殺すよりも活用した方がいいと判断したのだ。……翼人種が生き残ることについては正直不満だがね」
「つまり、より代謝を上げるために龍人種側にも異世界人を紛れ込ませたのか? その時丁度よく妹が死んだと」
「それが理由の一つ。そして建前を無くせばさらにもう一つ……これは君に対する誠意とも繋がる」
神は真剣な表情を作り続ける。
「理の龍を復活させるための質を探していた」
「むかわり?」
俺はまたも言葉を繰り返す。神の口から発せられる言葉は馴染みがないものが多くその都度意味を把握しなければ何をされるかわからない。馬鹿に見られたとしても保身が一番だ。
そしてその行いは正しかった。
「質……身代わりと言った方がわかりやすいかな。一度失った龍を取り戻すために、君や君の妹はとても価値のある存在だった」
「身代わり? 身代わりだと!?」俺は憤りを迸らせる。「俺たち兄妹を龍の生贄にでもするつもりか!」
「落ち着きたまえよ。あくまでも当初はそう考えていただけに過ぎない、今はもうそのつもりはないよ」
「だが妹がこの世界に来たのは事実だろ。それを詫びるための誠意だと?」
「我がこの世界に招かなければ君たち兄妹が再開することは叶わなかった。死に別れてお終いさ。だからそれについて謝るつもりはないね」
「なら――」
「龍血晶」
俺の言葉を遮り唐突にそう言った。神は言葉を続ける。
「理の龍が人々によって命を落とし、その際に流した血液。それが悠久の時を経て板金鎧となった」
俺は困惑して首を傾げる。一体何が言いたいのだろう。
そんな視線に答えるように神は口角を僅かに吊り上げて指をさす。
「君の中に龍がいる」
断言した神の言葉。俺はしばらく思考が追い付かず表情が固まる。
俺の中に、龍がいる……?
「体の中に流れている龍血晶のことか?」
「そんな話じゃない。君について、ずっと疑問に思っていたのさ。『なぜ戦闘経験もない君がこれほどまでに前線に向かうのか』、『なぜ君だけがこの世界に喚ばれたのか』、『なぜ君は世を正す衝動に突き動かされるのか』」
「それは、……アーミラが要因なんだろ? 前線に向かうのは守りたいからで、この世界に喚ばれたのもアーミラの力だ。衝動なんてものは……」
ない。と、言い切れない俺がいる。
過去幾度となく前線から退いたというのに、最後には必ず戦地へと飛び出した。これを衝動と言うのではないか。
神は何か物言いたげな視線をこちらに向ける。
「……違うのか?」俺は不安になる。
「魂を生成し、それを板金鎧に宿した禁忌の術式。それによって君はこの世界に入ってきた。
だが、なぜそれが成功したのだろう」と、神。
「それは、陣を構成する材料にコンクリートを使ったから、二つの世界の境界が近くなって俺が紛れ込んだから……」
這々の体で答える。そう聞いた。そう思って生きていたのに、自信はない。
「それほどに大層な物だろうか? 君たちの世界から漂着したあんな石ころが。……なぜアーミラだけが魂の生成に成功したのだろう」
「それは、次女継承に選ばれるほどの才能が――」
「なぜ驚異の部屋に《カンマー》に板金鎧があったのだろう」
「そんなこと言われても……」いよいよ俺には返す言葉が無い。
「我以外の何者かが手引きしている。というより、龍は静かに、そして確かに、壊れてしまった世界に『理』を通さんと動いているのさ」
龍が生き絶えてから理を失って壊れた世界。
そこに再び道理を打ち立てようとしている。
神は問う。その問いの答えをすでに確信していながら。
「君は、体の内に潜む龍を感じた事があるはずだ」
体の内に潜む龍……その存在を感じた事があるか、記憶を探れど確信は持てない。持てないが……
「……まさか――」
心当たりは確かにある。
板金鎧が龍血晶でできているというのなら、俺の血肉は勿論、鎧腕もまた龍の力ということだ。
生死の境を彷徨う夢現の中で、俺は板金鎧に出会い、言葉を聞いたのではなかったか。
『ガイワン ハ ネガイノ チカラ』
祈りこそが世界を正す原動力。
神に縋らない意志の具現。
――俺の中に龍がいる……!
確信めいたものを感じ、開いた口が塞がらない。あの時に出会った板金鎧は龍の姿こそしてはいないが、理の龍そのものだったのだ。
神は俺の視線に頷きを返す。
「つじつまが合うだろう?
アーミラが君を召喚できたことは偶然ではない。驚異の部屋に板金鎧があったことも……偶然ではない。
君の強さ、この世界に道理を通さんとする意志は、内に眠る龍によって駆り立てられているというわけさ」
「じゃあ……俺の、魔呪術無効も理の龍の力なのか?」
「いやいや、単に信仰の欠如だろう。……君は我を信仰していない。かといって龍を信仰しているわけもない。信仰無き者に魔呪術は使えない」
「だったら、おかしいんじゃないか? 龍の意志なんてそれこそ魔呪術みたいなものじゃないのか? なんで俺と龍が共存出来てるんだ」
「……龍が君を信仰しているとしたら、どうだろうね」
「龍が、俺を……?」
「『君ならば世界を救ってくれる』――その願いを託して君の中へ宿ったのかも」
「なんでそう思えるんだ? 俺は戦士でも勇者でもないただの人間だったのに」
「真相は龍にしかわからないよ。たまたま近い次元に君がいて、アーミラが喚び、龍が結び付けた。とにかく君の中に龍が生きていることは確実だろうね」
俺は言いようのない感情に襲われる。手足があるならば自らを掻き回して、あるいは抱き竦めていただろう。
あらゆる偶然が運命づけられているようで……まるで、巨大な存在の掌の上で踊らされているような居心地の悪さ。これまでの行動一つとっても、純粋な俺の意志だったのか不確かになっている。
俺の中にいるという龍に対して、支配されているのではないか、あまりにも不確定な要素が多過ぎる。
「……『質』は、俺なのか?」
「そうなるね。しかし安心してくれたまえ。共存しているとなれば君が死ぬこともないだろう。
むしろ、我としては龍血晶を失ってしまったことの方が問題のように思える」
「どうすればいい……」
たとえ『死ぬことはない』と言われても今自分がどうなっているのかさえわからない。妹が放った光に灼かれ、龍血晶の多くを消失した今、理の龍もまた無事かわからない。
そもそも俺は、現状を生存と呼べるのか? 人という定義から外れて、少しずつ化け物になっているのではないか?
「我が願うのは一つ。
慧、君が失われた『理の龍』になってはくれないか?」
「そんな――」
「君の願い……『真に平和な世界』を創るには、我の番がなければ成り立たない」
俺の願い……確かにそうだ。本当の意味で平和な世界を築く。そのために世界を白紙に戻す破壊活動を行った。
でも、本当にそうだろうか?
この願いも、行いも、俺の中にいる龍が仕組んだのではないだろうか。
「あまり、馬鹿にしてはいけない」
神は突然そう言って眉を跳ね上げる。どうやら心を読んでいたらしい。
「君だってわかっているはずさ、彼は人を騙すようなものではないと。
平和を願ったのも、世界を救ったのも、君の意志に間違いない。彼に仕組まれ操られたなどというのは全くもって誤解さ」
神はここ一番の熱い眼差しを向ける。愛する番の名誉を守るために、瀟洒な態度を崩す。
「お前の言いたい事もわかるよ。……でも、俺の迷いだってわかるだろ? 夢か幻か分からない世界で、生きてるのか死んでるかも曖昧な今……鵜呑みにできるわけがない。冷静な判断がつかないんだよ」
せめて許されるなら帰りたい。アーミラのもとへ。
「……なら、約束してくれたまえ」神は言う。
「約束?」
「ここに三女継承の神器柱時計がある。あともう少しすると、娘達は神器の力を放棄することになる。……肉体をこの緋緋色金から調達しようじゃないか」
「力を? みんなは今何をしてるんだ……?」
「それは自分の目で見るといい。そして――君の答えを聞かせてくれたまえ」