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天球儀は測らない❖3



❖――視点:アキラ



 揺り起こされるような感触を認めて俺は長く閉じていた目を開ける――精神体としてのこの身体にまぶたは備わっていないはずなのに、視覚野は感覚を取り戻し、灰白の空間を一瞥した。


「なんだよ」俺は状況を悟り、ぶっきらぼうに言う。


 目の前に悠然と立つのは唯一神である幼子。無縫の衣は白く、そよぐ髪は黒い。灰色の世界に彼女はその輪郭を静かに浮き上がらせていた。


「目覚めが近いよ」


「なに」俺は突然の吉報に弾む声を抑えた。「……それでわざわざ起こしてくれるほど親切な奴だったか、お前は」


「どうだろうね。

 まぁ、折を見て話したいことは山ほどある。我と少し付き合ってもらうよ」


 俺は推し量るように見つめる。世界を滅茶苦茶にしてその様を笑うような、どうしようもない神だ。腹の奥に一物隠しているだろう。


 神は咳払いをして演技然と切り出した。


「この世界にある二つの宗教、その元となった神話は聞いたことがあるかい?」


「無い」俺は突っぱねるように答える。


「なら詳しく教えてあげよう。まずはヴィオーシュヌの概要からだ。

 ――遥か昔、人種の隔たりがなく、皆が一つであった時代。龍が人々を唆し、神の頂へと誘った。

 人々は一丸となり、世界で一番高い山に塔を建てた。しかし、神はそれを良しとせず、塔を壊し、人々を三つに分けた。

 そして、二度と神の頂へ向かうことがないように、人々を統べる神の使いをその塔に住まわせ、また、一部の者は龍と共に彼の地へ消えた――

 ……君はこの話を最奥寝所で聞いたことがあるはずだ」


 否定しない。

 確かにそれは、最奥寝所に囚われた時にセラエーナから教えられたものだ。

 視線だけを返すと、神は口の端を吊り上げた。


「オルト教については、誰からも話を聞いていないだろう。どうだい? 知りたくはないかね?」


「おちょくるのはやめろ。その友好的な態度もだ」俺は怒気を隠さずに続ける。「例えこの怒りがお前の精になるとしても、許しはしないからな」


「けんもほろろ……か。しかし首だけの君が取れる行動は何もない。まぁ聞きたまえよ」


 神はわざとらしく肩を竦めてやれやれと首を振り、オルト教についての話を始める。


「記憶を奪われた今となっては、この教えを知る龍人はいないけれど、そこに根付いていた神話はこう――」



 遥か昔、人種の隔たりがなく、皆が一つであった時代。神を騙る蚩尤しゆうが人々を唆し、理を司る龍を手にかける。


 高い塔に棲む龍は猛り狂い、人々をまやかす蚩尤しゆうを屠るが、傷を負い、くがねの血を大地に流した。

 そして、人々が神の頂へ向かうことがないよう塔を壊し、龍は姿を消した。



「――と、こんな言い伝えがあったわけだ。

 どうだい? 今の君にはわかるかな」


 俺は業腹の態度を崩すことなく、しかしその裏では思考を働かせていた。


 気になるのはいくつかある。あくまでもこの言い伝えが本当ならばという前提の上でだが。まず、ヴィオーシュヌとオルトの神話は類似している。二つの視点から語られているのはこの世界の有史以前に遡る『龍の存在と神の頂へ登るための塔と、その破壊』。


 破壊された『塔』とはなんだ? ――心当たりならば、ある。


 ヴィオーシュヌの言い伝えのみ知っていた当時は、それが指すものは『神殿』ではないかと考えていた。山の頂に建てられた巨大な建造物。

 しかし、それならばその建物はもっと上へ高く伸びた塔であるべきだ。そして破壊された過去を持つはず。


 ……何より今なら知っている。もう一つ『塔』と呼べる建造物を。


呵々(かか)っ」と、神は笑む。そうだ、こいつは俺の思考を読めるのか。


「いちいち思考を読むのをやめろ」


「そう邪険にするのはやめたまえ。我はこれでも君に誠意を持って接しているのだぞ」


 誠意?

 誠意だと?


 それにしては仁に欠けているとしか言えない態度だ。しかしそんなこと言う詮もない。俺は気にせず推理を続ける。


 禍人領の本城であるあの建造物が塔ならば、神話として言い伝えられている二つの物語は、どちらが真実に近いのか。


 唆したのは『蚩尤』か『龍』か、真実はどちらか?


 今この世界にいる龍は『災禍』くらいしか心当たりがない。人々を唆すような姑息なやり方よりももっと直接的な手段を用いるのではないか。

 となると、蚩尤――つまり翼人種が人々を唆したか。最奥でのやり方を鑑みるにその方が違和感がない。


 己の属していた陣営が信ずるに値しないとは……嫌な憶測だが、贔屓目を抜きにして考えれば、つじつまが合う。神族の娘であるセラエーナ自身の見解もそうだ。


 『元から獣人、魔人、賢人は存在しており、山の頂には私達の祖先である翼人種がいたのではないか。そして、自らを神の使いだと名乗り、神話をでっち上げたのではないだろうか』


 『争いから己の身を守る為についた嘘。それは長い歴史の中で幾度も塗り重ねられ、地位を確立する為に作られた一の教えによって自縛自縄に陥ったのではないだろうか』


 『混血を良しとしない信仰。人々にとっては神の頂を目指さぬ為の戒めと映るだろう。しかしそれは翼人種が恩恵に与る為の嘘によって血の破綻に喘ぐことになったのではないか』


 ……なら、神話の真実はオルト教に寄るだろう。


 翼人種が神の頂へ人々を唆し、そして現禍人領に塔が建てられた。

 神はそれをよしとせず龍が行く手を阻んだが、翼人種を中心とした獣人、魔人、賢人がそれを討伐した。


「いや――」待てよ。俺は眉を顰める。


 龍はなぜ神の味方なのだろうか。オルト教では『理の龍』と呼ばれていたが、それは災禍の龍とは別の存在か。


「別の存在だよ」神は口を挟む。「ヴィオーシュヌとはつまり『真』と言う意味だ。我は詰まる所『真の神』。そして殺されたのは我のつがいこそ『オルトの龍』さ」


 まことを司る神と、

 ことわりを司る龍。


 合わせて世界の真理。


「……そんな……信じないぞ」


「信じたまえ」


「唯一神だってお前が言ったんじゃないか」


「殺されてしまったのだからそうするしかあるまい。

 とはいえ番を失ってこの世界の秩序は壊れた。我一人で真理は維持できないよ」


 ここにきて途端にしおらしくなる神の視線に俺は動揺を隠せない。有り体に言えば、敵意を見せない目の前の幼女に、『お前は敵だ』と叫ぶことが出来なくなった。


 やっと見つけたと思っていたのに、この世界の歪みは誰の悪意が根源であるか、再び見えなくなった。


 ……いや、全部を見たんだ。その上で俺は分かったのかもしれない。


 諸悪の根源なんていないと。

 全て悲劇的な巡り合わせなのだと。


 だが、まだ――


「信用できない」俺は言う。「理の龍を失って世界の均衡が保てないとしても、なぜ人が争い合うように仕向けたんだ?」


「簡単な話さ」神はそう言葉にした割には言い澱み、指を組んで躊躇いがちに目を伏せた。


 しばらくの間。俺は仮説を立てた。


「例えば、人々の信仰心を高めるために宗教を作り出した。そして、争い合うように仕向ければ、そこから効率的に精を取り込むことができる……精を集めて、お前は龍を復活させようとしている……とか?」


「外れてはいない。しかしもっとくだらないことさ」


 神は小さく笑みを作る。そこに嘲笑の色はなく、初めて見せた自嘲的なものだった。


「我は、人間を許すことが出来ないのだ。

 番を手にかけた者共への怒りがこの世界の均衡を一層著しく破壊し、摂理を歪め、真実を隠した。

 『壊れてしまえ』と君もいつかに言っていたね。『破壊活動』だと。……我もまた、とうに気が触れてしまっているのさ」

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