傷跡❖10
薬物に人格を破綻した彼と同じとは、どう考えても物騒だ。尋常ではない。
私はガントールの腕をひっしと掴み、座るように促す。
「ガントールさんお願いです、全部……全部話してください」
「話す必要はない!」ガントールは声を荒げる。
「あります!」
「関係ないことだろ!」
「関係ある! ……ガントールさんのこと、心配ですよ……」
押し問答にもつれ、私は掴んだ袖を離さない。ガントールは唇を引きむすんで視線を彷徨わせた。
「……っ……お前はいつも、するいぞ……」
観念したように腰を下ろすと、酒を一息に飲み干してオロルに向ける。
「記憶がなくなるほど飲ませてくれ。……酔えば口も滑るだろうさ」
「……ふむ、わかった」
オロルはそれだけ応えて杯に酒を注ぐと、ガントールはほんの僅か胸元で杯を掲げてから飲み干す。声には出さないが、その所作は献杯のものである。
これまでに命を落とした者達を偲ぶのだとすれば、注ぐ酒の量は一口分に抑えた方がいい。オロルは繰り返される献杯に合わせて注ぐ量を絞った。
「オロル、少ないぞ」ガントールは言う。
「まぁ待て。わしらも付き合う……三人で一杯分じゃ」
オロルがそういうとガントールはそれならばと従った。セリナを除く私達三人、故人に献杯を捧げる。
勇名を持つ戦士達一人一人に、名も知らない兵士達に、それぞれ名を知っている者がいるならばその人のために酒を飲み干す。一抱えの酒瓶はあっという間に空になってしまった。
「まだ、他に……偲ぶ者はおるか……? 代わりの酒でも良いなら、封を開けるぞ」
オロルはふらついた足取りで引き戸をまさぐる。流石に酔いが回っているようだ。
かくいう私も酩酊状態にあるのを自覚する。視界が揺れて身体が熱い。脚を斜めに崩して横座りになると胸元の釦を外した。
「献杯はもう十分だ。だが酒はいる」ガントールは立ち膝に肘をついて、細い首に手を回す。「……ここで話したことは明日には忘れてくれよ」
そう言って、ガントールは独白を始める。酒によって饒舌に、気が大きくなって口を滑らせたという体で。
「実はな、私……私は、アキラ殿のことを、慕っていたのだ……」
「え――」っと声を漏らし、私は慌てて口を塞ぐ。ガントールの濡れた瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。揺らめく灯盞の光を反射して、緋眼はとろりと輝いていた。
「別にアーミラから奪ったりはしない。セリナからも。……ただ全部吐き出せと言われたから吐き出すだけだ。
私は、アキラ殿に特別な思いを抱いていた。そして今もそれは変わらない」
返す言葉もなく私はこくこくと頷く。オロルはそんな私とは対照的に随分と落ち着いている。前から気付いていたようだ。
「初めてあった時は、すごく不思議な気持ちだった。全身を鎧で覆って肌を見せない、素性の分からない次女継承の護衛。握っていた裁きの剣も敵か味方か計りかねたような反応をしていてな」
ガントールはそこで言葉を切ると酒を舐めて唇を湿らせる。
「神殿で組手をして、弱いながらも骨のある奴だと思った――後に骨も無ければ肉体が無いことを知るのだが――その後はアーミラ達と会って、師としてアキラ殿に術を叩き込んだ。……その頃から、少しずつ――」
「好きになっていったの?」セリナが先を言う。
「そうだな、でもまだ特別な感情とは思わなかった。あくまでも愛弟子のようなものだ。
前にも話さなかったか? 私は私よりも強い男が好みだって」
「ん……言ってましたっけ?」私は首を傾げる。記憶力にはそれなりの自信があるが、酔いのせいか心当たりはない。
「いや……あれはアキラ殿に言ったのかな……? うぅむ、酔いが、回ってきた」ガントールは後ろに身を倒して天井を見上げ続ける。「ああ、あれだ。『私もアキラを大切に想っている一人だと知っているだろうに』と、言ったんだ」
「ああ……」
それならば覚えている。
マーロゥに首を切られたアキラを蘇生する時のことだ。
大切に想っている……まさかその言葉が恋慕だなんて思いもしなかった。
「私はてっきり、友人としての意味かと……
ガントールさんがそのような想いを隠していたなんて」
「言えるわけがないだろ。ずっと前から二人は一緒、私だって胸の内にしまっておくつもりだった。
だが、アキラ殿は何度も私を危機から救ってくれる。その度にアキラ殿の背中に目を奪われてしまう……
生来の私は皆が思っているよりもずっと臆病で、手を伸ばすこともできない。だからアーミラのなりふり構わない姿は羨ましかったな」
ガントールは切口上に「以上、私の話はこれで全部だ」と締めて杯を逆さに飲み干した。
しかし私の心は晴れない。ある可能性に捕らわれてしまった。
もしかしたら……
もしかしたらアキラは、私よりもガントールの方が相応しいのではないか。
「アーミラよ」オロルは不意に私を呼ぶ。まるで心の内にある動揺を見透かしたかのように。
「は、い……」
「何か言いたいことがありそうな顔じゃな」
申してみよと促すオロルに対して私はかぶりを振った。だって、この動揺は言葉にできない。
この血に宿す翼と角。その謎を押し込めて生きる不確定な私という存在がアキラに相応しいかどうかなんて――
「アーミラよ」またもオロルが私を呼ぶ。
昼御座から立ち上がってさえいないのに、言葉だけで的確に追い込まれている気さえした。いや、実際に追い込まれているのだ。私は酩酊の意識で理解する。
「セリナもガントールもこれほどまでに心の内を開いてくれたというのに、お主は何も言えぬのか」
オロルの言葉にガントールが続く。
「私も聞きたいことは山ほどあるぞ。それこそあの時見せた翼や、染め直した髪だってそうだ」
「っ……私は」顔が熱い。吐き出す息もむせ返りそうなほど蒸留酒の香りがした。「恐いです……このことについて話すのが、受け入れてもらえるのかが、恐いです……」
車座に囲む三人は真剣な表情で私を見つめる。真摯で真っ直ぐに向けられた瞳孔は酔いに負けず理性的なものだ。
「申してみよ」オロルは促す。
「先に、これだけは言わせてください。……実は前線でマーロゥと戦った時、私はその秘密を明かしたのです。そうしたら彼は何かに絶望したかのようにして自害しました。
ま、まるで呪いです。私が秘密を明かせばそれを知った人は死んでしまう……そう思えてなりません」
「大丈夫だ、私達は死にはしない」ガントールが言う。
「心得ておいて欲しいのです。本当の姿を知ったことで貴女達に何か起きてしまうかもしれないと私が恐れていることを……
この話は、アキラにだってしていないのに」
「大丈夫、大丈夫だ」ガントールは肩に手を乗せて励ます。「全て打ち明けて欲しい」
逡巡の後、躊躇いながらも私は釦を外して上着を取り去ると胸元を隠す。露わになった背中を生温い空気が撫ぜる。
「死者蘇生を行った際……私の身体に異変が起きた時、オロルさんに言いましたね。『これは禁忌のせいではありません』と」
「うむ」オロルは首肯する。
「私が隠している背中の翼は、あの時の禁忌の代償でも、或いは三年前アキラを喚び出した時の代償でもありません。遡って師の身体を用いた研究の日々でも」
「ならば、生まれた時からそれはあったのじゃな?」
私は頷く。
「……いまから、封を解きます……ッ」
ぱり、と皮膚が避ける音が部屋に響く。ついで木板の床に血の飛沫が落ちる水音がぼたぼたと。
小さく押し込められていた翼が押し出されるようにして姿を現わす。血を吸った綿毛を指先で払うと、身の丈を超える真っ白な翼が生えた。私は痛みが治まると脂汗を拭う。
「痛むのか」と、オロル。
「体内に無理矢理押し込めていますから、出す時は痛みます。でも、お酒のおかげでそこまででは」
オロルは昼御座から立ち上がると私の後ろに回る。頤に手を添えてまじまじと観察する。
「神族の血が流れておるのじゃろうか……まさかそのような――」
「オロルさん」私は遮るように名を呼んだ。「まだ、なんです。これで全てじゃありません」
背中の痛みも収まりきらないが、開示するべきものはそれだけではない。
むしろ、これから見せるものの方が重要だ。
私は目を閉じて額に掛けていた封印を解く。
皮膚が盛り上がると、背中と同じように突き破って血が流れ、涙と混ざり合う。
垂らしている前髪をかき分けるようにして左右対の頭角が現れた。
心臓が脈打つ度に頭蓋はじくじくと痛む。額の骨が芯から焼けるように熱い。血混じりの赤い涙が流れ落ちた。
しばらくの沈黙。
三人の言葉は無い。
最初に口を開いたのはセリナだ。
「龍人……の、角。……だよね」
私は控えめに頷きを返す。
頭角そのものは獣人にも現れる特徴だ。しかし、生える位置が異なる。
獣人であれば形状はどうあれ頭角は側頭から生える。私やセリナのように額前面から生えている場合、それは龍人固有の特徴だ。
「マーロゥ……いえ、ハラヴァンは私を見て言いました『再開の仕方を間違えた』と。そして私を育てた師匠、マナの名を知っていた……
オロルさん達は私の秘密を知りたかったみたいですが、私が持っているのはこれだけです。さらに言えば、私の方が知りたい」
この身体に流れる矛盾した血の真相を。
「ここ数日、一人で考えていました。『再開』という意味を……もしかしたら、私は存在してはいけないのでは無いかと」
「確かに、不可解極まりないな」オロルは頭を抱えた。「再開ということは、過去に一度会っているという事じゃ。幼い頃の記憶は思い出せんのか?」
「物心ついた時からずっと師匠と流浪の旅をしていました。この角も翼も人に見せてはいけないと、自分で隠せるようになるまでは師匠が魔呪術でしまってくれて」
「ならば人に見られぬように細心の注意をはらっていたか……親の顔も知らぬと言っていたな」
私は項垂れたように頷くことしかできない。視線を置く場所も定まらず、耐え忍ぶように目を閉じる。
その時、鋭い音が鳴り響いて私は身を硬ばらせる! 大仰な音を立てて剣が床に転がった。ガントールの抜いた裁きの剣を、セリナが弾き落とした形である。
「いきなりどうしたのさ?」セリナが顔をしかめる。「アーミラに斬りかかろうとしたでしょ?」
「い、や……すまない、助かった。……どうもおかしいと思ったんだ」ガントールは胸を押さえて息を整える。「アーミラの角は龍人のそれで間違いない。急に裁きの剣が昂り、押さえが効かなくなった」
「……物騒、ですよ」私は身を縮ませて言う。セリナがいなければ危うく私の首が断ち切られていたかもしれないのだ。
「蘇生の時もそうだ。ずっと自分でも引っかかっていた。なぜあれほどまで押さえが効かなかったか……アーミラに龍人の血が流れているからだったのだな」
ガントールは独り言るように呟いて続ける。
剣呑な一幕に場は乱れ、酒を飲み交わす状況ではなくなった。
オロルは深いため息を吐くとこの場をお開きにする。
「オロル、すまないが裁きの剣を預かってくれ。恐らく私の精神は暗く落ちてしまうが、アーミラを手にかけるよりはマシだ」
「触れることができぬのでこのまま置いておく。
アーミラよ、今晩は杖の中で過ごしてくれ。身体のことについては今しばらく隠した方が良いじゃろう」
半ば部屋から追い払われる形で別れた私に対して、後からセリナが付いてきた。
「僕もそっちに行っていいかな?」後ろ手に組んで尾をくねらせる。
「い、いいですけど……オロルさん達と共にいた方がいいのではないですか?」
「そうかな? 多分オロルさんもこうしたと思うよ」そう言って私の側に立つ。「ガントールさんも二人でしか話せないこともあるだろうし、あんた一人きりにするのもねぇ」
気遣ってくれているのか。
「……ありがとうございます。でも部屋は狭いですよ?」