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傷跡❖8


❖――視点:オロル



「セリナ、セリナよ」


「んー?」


 女形の龍、異世界人ヴォイニッチであり災禍の体を持つ少女。彼女は昼下がりの薄暗い部屋に体を丸めてぼんやりと休んでいる。

 わしは彼女の丸められた尾を背凭れのようにして寛いで、摩り硝子に透ける中庭の陽光を眺めながら言うかいがないことを問う。

 

「ガントールのこと、どう思うか」


「ガントール……赤髪のお姉さんだっけ?」セリナは身を起こしてわしの顔を覗く。「昨日今日知り合っただけだからどうとも言えないよ。なにかあるの?」


「なにか……まあ、少し気掛かりでな。

 お主は人心に察しが良いと見て、聞いて見ただけじゃ」


「そう言うことなら」セリナは協力することもやぶさかではないという態度で思考を巡らせてみせた。「あの人の印象を言うなら……隻腕でしょ、それに長身。傷だらけ、笑顔……に無理をしてそう」


 指折り羅列するガントールへ抱く印象。予想通りそれなりに近いものを見ているのもわかった。


「お主から見ても、無理をしているように見えるか」


「まぁねぇ……『はかり』の中でも一番前に立って戦ってたんだろうとは思うし、これまで殺してきた魔獣の数も多い。ここに来て龍人と手を取り合って行くとして、あの人は多分、過去を割り切って考えることが苦手なんじゃないかな」


「天秤なのにか」わしは皮肉混じりに呟く。そこに笑みはない。


 白黒を裁いてこその長女継承。しかし生来の彼女は悩む事が苦手だ。それは天秤としての無機質な善悪勘定とは違い、常に灰色で答えを他者に委ねてしまう優柔不断の性分であるということ。


「考えすぎかもしれないけど、ガントールさんは思っているよりも心を病んでいるんじゃないかな」セリナは言う。


「ほう、何故そう思うか」


「僕も塞ぎ込んで悩みを隠す事があるから、なんとなく似たものを感じてるってだけ。根拠なんてなにもないけど、たまにあの人はすごく悲しい目をしてる。いつも明るく振る舞ってるから、余計にその瞬間が印象的なんだよ」


「……なんじゃ、やはりお主は人の心を感じ取れる側の人間か」


 アーミラはまだ気付いておらんかもしれない。が、ガントールの異変をセリナは感じている。


 終戦後、裁きの剣が衝動を失ってからは顕著である。ガントールはひた隠しているが、心に暗い影が潜んでいるのは明白だった。


 敵を殺すための衝動によって駆り立てられ、裁きの剣に縋るようにして精神を保ってきたガントールが辛うじて明るく振る舞えるのは、もう戦う必要がなくなったという解放感からであろう。その精神の均衡は危ういもので、そう長い猶予もなく崩れると見た方がいい。


「ぎりぎりじゃな……わしもそろそろ重い腰を上げる時が来たみたいじゃ」


「行くの?」セリナが言う。「僕一人にしてもいいの? オロルさんは監視役なんでしょ?」


「戦争は終わった。お主が裏切るとは思わぬよ」


「そんな簡単に信頼して……こう見えても僕は、沢山の人を……」


「そのつもりならばとうにわしは殺されておるじゃろう。すぐに戻るからしばらく留守を頼む」


「……本当にすぐだからね」セリナは昼御座に伏せて上目遣いに甘えてみせる。「この畳みたいなの暖めて待ってるからさ」


「う、む……。お主のそれはアキラとは別じゃのう、異世界の女はそういうものなのか……?」


 甘えているのか、ふざけているのか。

 揶揄からかうような仕草に戸惑いつつ、わしは地下礼拝堂へ向かう。



❖――視点:アーミラ



 スークレイの元へ向かうガントールと別れ、私はランダリアン達と共に先へ進む。


 地下礼拝堂の一角、布の帳で仕切られた部屋の中にカムロが横たわっていた。側で膝をついて目覚めの時を待っている先客が二人、一人は神族近衛のオクタである。もう一人は――


「あの少年は、戦時下でカムロさんに助けられたのだそうです」ラソマはそっと耳元で教えてくれた。「可哀想に、親は見つかっておりません」


「……そうなんですか」


 寄る辺なく一人。

 その少年の小さな背中が幼い頃の私と重なり、言い表せない寂しさを感じさせる。


 オクタはそこで私達に気付いて立ち上がる。天を衝く長身に生来のきつい目つきが疲労にますます険しい面持ちとなってこちらを一瞥。


「アーミラ様に皆さんまで、見舞いに来てくれたのですか?」


「えっ……アーミラさま?」


 少年は慌てた様子でこちらに振り向くとオクタと私を交互に見やった。私は首肯を返す。


「アーミラさまって、あの……?」


「はい……そうですよ」


 少年は一定の距離を保ちながら、興味と畏怖の綯交ぜの瞳で私を見つめる。


「こちらへおいで」私は両手を開いて側へ招く。「名前はなんというのですか?」


 少年は言われるがままに腕の中に収まり、名を『ルーベ』と名乗る。


 ラソマ達の視線が私に集まる。

 自分でもなぜ少年を抱き寄せたのかわからない。この胸にある感情を言葉にするならば、寂しさか、愛しさか。


 襤褸布を重ねて設えた簡易的な寝台では、古い血の染みが広がっている。カムロの左手が胸元から途切れているのが一目でわかった。


「腕を、斬られたのですか……?」


 重傷とはつまり麻薬オピウムだとばかり思っていたのだ。私達と離れてから、カムロはさらに深手を負ったなんて知らなかった。


「噛まれたんだ……魔獣ばけものに……」


 少年は心底申し訳なさそうな、今にも泣き出しそうな瞳で私を見上げた。そうか、この傷は少年を守るために――


「……随分と帰りが遅いと思えば、まだここに居たのか」


 背後から差し込まれた声に振り向く。


「オロルさん」


 来ないと言っていたはずのオロルが腰に手を当てて帳を捲り、こちらを一瞥する。


「カムロはまだ目を覚まさぬか」


「時折肩の痛みに呻きますから、いつ目が覚めてもおかしくありません」


 オクタの言葉にラソマが続いた。


「むしろ、ここからが大変です。覚醒に近づくにつれて左肩の痛みがより明瞭になります。しばらくは舌を噛まないように布を噛ませる必要がありますね」


「そうか……布の蓄えはあるか?」


「あまり――」ラソマは曖昧に答えると、今度はランダリアンから朗報が告げられる。


「布なら内地から調達した。これから寒さも厳しいだろうと思ってな。幌車に積んであるから好きに使ってくれ」


「それは助かる。このまま冷え込めばいよいよ王宮の帳を剥がさなければならぬかと悩んでいた」オロルは眉を開いて中に入ると、覗き込むようにしてカムロを見る。「ほう……これは、痛いな」


 左腕を丸々失ったのだから痛むだろう。深い意識の淵でカムロは静かに眠っている。これから先の彼女に待ち受ける数々の事実――それは例えば世界の様相から己の立場、そしてザルマカシムについて――に直面しなければならない。


「ラソマさん、あの時カムロさんはどのような状態でしたか?」と、私はラソマに目を移した。


「あの時、麻薬から意識を取り戻した時ですか? 残念ながら詳しくは……ランダリアンさんなら」


「ああ、カムロはアウロラで目が覚めた。最初は記憶が曖昧なこと以外大きな障害は残ってなさそうにみえたが……状況が状況だったからはっきりとは」


鴉片アヘンの量が想定よりもずっと少なかったようじゃな」オロルはわずかに安堵の息を漏らす。「毒抜きも上手くいった。腕だけじゃ。腕だけ」


 そこでオクタが何か思い出したといった態度でこちらを見る。


「腕で思い出した。鎧腕の余りがデレシスにありますよ」


 なんと!


「それは本当ですか!?」私は突然の果報に声音が弾む。怪我人の手前、慌てて口元を押さえた。「アキラさんも未だに目を覚まさないんです。板金鎧はあるだけ欲しいと思っていたんですよ」


「目を覚まさないって……その、首だけではありませんでしたか? 女型が抱えているのを私も見たのですが……」


 オクタは戸惑いに顔を顰める。ランダリアンもラソマも同じ疑問を抱えていた。今まで言葉にすることは避けていたようだが、生きているとは思えないと瞳が語る。


「じつは……先日その女型と話をしました」


「女型と……!?」ランダリアンは驚く。「命がいくつあっても足りない」


 私は頷く。


「敵意があれば……です。まだ詳しくは言えませんが、女型はもう争うつもりはありません。

 アキラの首にも触らせてもらいました」


「どうでしたか?」と、オクタ。


「確かにまだ息がありました。あくまで可能性ですが、肉体を集めればまた目を覚ますかもしれません」


 私の言葉にオクタ達は安堵する。暗い話ばかりだったが、少なからず運も向いてきていると喜ばしげである。


「なら、デレシスの鎧は結構な収穫ですね。そこに胴と両足丸ごと置いてありますよ」


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