傷跡❖7
昼飯を済ませて一息つくと、私はオロルに朝の出来事を伝える。
「そうだ、オロルさん。今朝帰還したランダリアンと地下礼拝堂へ行くのですが、一緒にどうですか」
「む、カムロは目を覚ましたのか?」
「いえ、依然として眠り続けています」
オロルは払うように手を振ってセリナの体に背を凭れる。腹がくちく気怠そうに目を細めてはガントールの方を向いた。ふてぶてしいというよりはオロルの本調子がここに来て戻ってきているのだ。
「わしは目を覚ましてからでよい。ガントールは行くのじゃろう?」
ガントールは不意に声をかけられたように肩を強張らせた。
「ん? ああそうだな。妹もそこで休んでるらしいから様子を見に行くよ」
「ならばますますわしは遠慮させてもらう。
セリナを一人留守番させるわけにも行かぬからのう」
なるほど。とガントールは納得しているが、私は顔をしかめる。セリナを体良く出不精の言い訳に使ったのは明白であった。
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王宮の踊り場で待機していたランダリアンと落ち合って、私達三人は地下礼拝堂へ向かう。
「寒いな……こんな場所に重傷者を入れて大丈夫なのか?」貫頭衣一丁のガントールは外套を羽織るべきだと悔やみながら、悴む拳に息を吹き込む。
「通路が冷えるのは仕方がない」と、ランダリアン。
口調に諂いの色はなく前線の時に近い。人目がないため身分を隠す必要がないのだろう。
「篝火を焚いているから奥はずっと暖かいはずだ」
彼の言う通り、冷えた空気が流れる地下通路を進んで行くと、しだいに前方が明度を増していくのがわかった。篝火の灯が揺らめいて壁面を赤く照らしているのだ。
足早に入り口へ進むと、つんとした中に甘やかな匂いが充満して鼻を擽る。揮発性の高い蒸留酒の香りである。
「何故酒の匂いが」私が尋ねるとランダリアンが説明してくれる。
「消毒と鎮痛に酒を用いて間に合わせていると聞いた……オロル様が使えと」
身を休めている者達は皆拝殿よりも深手の者ばかり。しかし、傷痍に膿んだ悪臭は感じられない。これも火に暖められた室内の気流と酒の効果だろう。私は地下礼拝堂をぐるりと見渡す。
全体の雰囲気はやはり宗教的な造型が色濃いため禍人領の至聖所に似ていた。異なるとすれば信仰していた神と、中央に設えられた聖火台の篝火に暖められた室温であろうか。
礼拝堂もまた、王宮の法則に従って大きく円を描く構造を取っており国家全体の陣の一部として機能していた。
元は天然の鍾乳洞を利用しているのか天井には溶け出した石灰によって形成された鍾乳石が氷柱のように垂れており、それが天然の格子となって奥の空間との仕切りとなっている。
注意深く格子状の隙間から窺ってみれば、向こうには整然と龍人種が横たえられていた。私は慌てて視線を逸らす。見てはいけないものを見た子供のような心境であった。
「……随分と、立派だな」ガントールは壮観な礼拝堂の姿に思わず言葉を溢す。「オロルの国は建国にかなり時間をかけていたが、ここまで来ると納得できるな」
鍾乳石に彫り込まれた天使像や精緻な紋様を見上げて、しばしここへ来た目的を忘れる。
「そうですね。建国に掛けた時間を考えれば、かなり手の早い職人を招いたのでしょうか。伝手があったのですかね?」
惚けていると、横から声をかけられる。
「チクタク王宮では、建国に際して多くの工匠を集めたのです」
その声の方へ視線を向けると、賢人種の青年が迎えていた。ラソマである。
「ラソマじゃないか、ここに居たのか」と、ガントール。
「はい。少し前までは禍人領の救護活動に追われていましたが、魔鉱石が手に入ったと聞いて今度は傷病者の治癒に回っております」
折り目正しく頭を下げるラソマに対して、ランダリアンは前に出て手を差し出す。
「いろいろあって挨拶が遅れたが、お互いに無事であったな。何よりだ」
「えぇ、本当に」求められた握手に答えながらラソマの表情は慈しむようなものになる。「サハリさんや隊の皆さんも、本当に何よりです」
「覚悟の上だ。終戦の景色を共に見ることは叶わなかったが、彼等の犠牲によって今日が繋ぎとめられたというなら、魂も浮かばれる」
そう言うランダリアンの言葉には何の陰りもなかった。力強い眼差しには、迷いのない決意が窺える。
「……それで、工匠が集められたんだって?」ランダリアンは話を戻す。「続きを聞かせてくれないか」
「ではもう少しだけ。
建国に際してオロル様はチクタクに工匠を集めました。そのそもそもの狙いは内地との交易を行うためです。
この国は鉱山も無く、土地そのものも痩せており作物は育ちません。国として維持するためには金が回らなければなりませんから、オロル様は頭を使ったわけです」
「ふむ、国内で自給自足が出来ないわけか」
ガントールは頤に手を添えて上を向く。土壌の話からどう工匠へ繋がるのか、考えているようだ。
「貿易が成立するような商いがなければそもそも工匠は前線に集まらないだろう?」ランダリアンは早々に降参した。「ここは前線だ。工匠が来たところで仕事にならない」
気付けば問答を競う様相となる。
私は俄然興味をそそられて答えを探ることにした。今更カムロもスークレイも逃げたりはしないのだ、丁度良い気晴らしになるだろう。
五代目国家チクタクが内地と結んだ貿易。それも国としてまだ成り立っていないような時に行える金策とは何だ。
……オロルのことだ、きっと人心を操るような政治手腕を発揮したのは間違いない。であれば、まずはそれぞれの立場から利害を整理して答えを求めるのが早道か。
まずは工匠から。彼らは主に建築を行う。それも並みの大工とは異なり、宗教的建造物を主として、細かな彫り物の加工技術を修めている。完成に時間を要する物を手掛ける職故に、日々損壊と修復を繰り返す前線を嫌う。というよりランダリアンと言う通り食い扶持がないのだ。
次に内地。五代目国家を興すことで先代の三国――ラーンマク、デレシス、アルクトィス――が前線から退き内地となる。それぞれ鍛冶、武具流通等を生業としているが、アルクトィスだけは財政に難を抱えていた。
アルクトィスに点在していた鉱山は採鉱が芳しくなく、『前線の貧民窟』と呼ばれた。
職を失い内地での生活が立ち行かなくなった者達が流れ込んで根を下ろしてからは、有り体に言えば賊に落ちたものが洞穴の中に吹き溜まった。
無闇に関わらない方が吉。治安が悪いの一言に尽きるが、チクタクとは隣国である。オロルならばあるいはこれを逆手に取るのではないだろうか。互いに理を獲得するような策は見つけられるだろうか。
思考を巡らせながら視線は地下礼拝堂の中央、聖火台の篝火をぼんやりと眺める。揺らめく炎を見つめているのは沈思にほどよく、心も一時の温もりを感じられて心地よい。
炎は流れる風によって横に倒れ、その度に立ち上がっては鍾乳洞を赤く照らして影が踊る。
「……そういえばこの礼拝堂、奥に続いているようですが」私はラソマに問う。
「はい。仕切りの向こうでは禍人領で倒れていた禍人を集め、寝かせておりますよ」
「その奥は?」私は一つの考えが浮かぶ。それに気付いたかとラソマは期待するように目を輝かせた。
「四代目国家と地下で繋がっております」
やはり……!
地下で繋がっていた。あの貧民窟で間違いない。
「わかりましたよ。ラソマさん」私はいざって前に立つと手を挙げる。
それに対してガントールとランダリアンは訝しげな視線を向けながらも次の言葉を待っていた。
「三角貿易です。
アルクトィスを挟んで内地とチクタクが強固に結び付いていると見ました」
「むむむ……、ラソマどうなんだ?」ガントールは言う。
「正解です」ラソマはにこやかに笑った。「あくまで図式までですけれど」
「そうだ、まだ貿易の方法までは言ってないな」と、ランダリアンは食い下がる。
私は面持ちを凛々しく保って説明する。
「おそらくは、こうです。
まずチクタクはアルクトィスの貧民窟に目をつけて話を持ちかけたのでしょう。『そこに住む人をこちらで受け入れる』と」
「うん? ……それでチクタクに何の利益が出るんだ?」ガントールは難しい顔をして匙を投げた。ここからは聞き役に徹するつもりらしい。
「労働者を確保したのです。オロルさんは受け入れた貧民窟の民に仕事を与えたのでしょう。
器用な者は工匠に、丈夫な者は討伐隊に入れる。……この時点では見習い程度でしょうが職と寝床が手に入るならば賊をやめる踏ん切りが付けられます。
あとはオロルさん得意の人心掌握で丸め込んだのでしょう。それこそ地上階にある拝殿に人を集め、身心ともに徳の高い説教を与えればいいわけです。
その間にアルクトィスは治安改善に力を注ぐことができます。魔鉱石の採掘ができない貧民窟が人払いに成功したのですから千載一遇の機会。内地の一員となった今、推し進めないはずはありません。
それにより治安は改善。内地にいた工匠は四代目国家に仕事を探すことが出来る……金が動き始めます」
ガントール達はいつの間にか真剣な表情で耳を傾ける。私は続ける。
「領土が二百年動かなかった背景から、内地での仕事が尽きてしまった工匠はここで当然、四代目に仕事を求めます。
金は一度アルクトィスへ集まり、そしてチクタクには恩義の見返りとして食料の流通経路を確保に成功。
ここまで来たらチクタクは次の一手。見習いである貧民窟の出の者のために、工匠の師が必要だと呼びかける。仲介するアルクトィスはさらに金が巡り、内地とチクタクは何もないところから貿易を結ぶ」
これが、オロルの行った三角貿易。
チクタクには人手と食料の流通経路。
アルクトィスには治安改善と経済の活性化。
内地は工匠を四代目に体良く送ることができる。――そして工匠をアルクトィスに招くことこそがオロルの目論み。
国を興しながらより強固に、そして工匠をチクタクに召集することに成功したオロルはこの王宮に巨大な魔法陣を作り上げた。
「どうなんだ? ラソマ」ランダリアンは正誤を問う。語調は至極真面目なものであった。
「アーミラ様の言う通りです……」ラソマは呆けたように驚いている。「まさかそこまで正確に言い当てるとは思いませんでした。流石の観察眼でございます」
「なんで分かったんだ?」と、ガントール。私は得意げに答える。
「賢人のように心を読めなくても、物の道理を読めますので」
「道理なぁ……どんな推理があってその道理を理解したのか、私にはやっぱりわからないな」
「ガントールさんは上階の拝殿を見ていませんもんね。それにここの奥に仕切られている禍人種の姿も」
「それを見ていれば私にも分かるのか?」
「分かっていたかも知れません。推理する足掛かりを多く持ち合わせていたからこそ答えを導き出せたのですから」
「ふぅむ……」ガントールは曖昧な相槌をうった。
「この国の形は宗教的色合いが顕著で、国家そのものが結界を結ぶ陣となっているのは前にも話しましたよね。
どの部屋も弧を描くような特殊な間取りで、拝殿は特に鋭い扇型です。人を一堂に集め説教をするには適しています……誰を集め、何の話をするのかはそれまでわかりませんでしたが、今回の件で理解できました」
「すごいな……」ランダリアンは無意識に感嘆の声を漏らす。
「そして、地下礼拝堂の篝火も手掛かりの一つです」私は聖火台を掌で示して視線を誘導する。
絶えず決まった方向へ横薙ぎに倒される炎。それはこの鍾乳洞に風が流れているということだ。
「奥に繋がる地下礼拝堂。そして鍾乳石に彫り込まれた像……これ、物によって練度が異なっているのに気付きましたか?」
「なに?」と、ガントール近場の岩壁に近寄って、彫り込まれた像を観察する。「確かに、出鱈目に下手なものも混ざってる……アーミラの言う通りだ」
「一つ一つ石の形も違うのですから多少の優劣は当然です。これだけの鍾乳石を飾り立てるのなら大変な作業でしょう。
しかし、工匠が作った物としては明らかに拙いものも混ざっています。それらは見習いの習作なのでしょう」
「おいおいおい……なんだか怖くなってきた。アーミラ様はなんでもお見通しになるんじゃないですか」ランダリアンは自身の肩をさすって身動ぎをする。
「そんなことないですよ。王宮の姿に興味があったからこそ、よく見ていただけです。
とにかく、そういったあれこれを見ていたから導き出すことができただけです」
「なるほど、オロルの人心掌握とは別だな」ガントールは納得したように晴れやかに笑みを浮かべる。「とはいえ、政を執り行う才覚があるんだろう」
「それはガントール様もですよ」ラソマは言う。「終戦の今こそ人は強い力を求めます。継承者様御三方は誰一人欠けてはならないと私は確信しております」
「そ、そうか? 腕っ節しか取り柄がないから、素直に嬉しいよ」
照れたように笑みを作るガントール。和んだ空気の中、その隻腕が貫頭衣の裾を掴み震えているのを私は見た。