傷跡❖6
本当は知っている。
国土に展開された禁忌の陣によって皆が魂を吸い取られた事を。
あの日、アウロラ前線――奇跡的に陣の外側にいた私は全てを見ていた。
月を遮るように浮かぶ巨大なセリナの姿を。
放たれた光の束を己の体で受け止め世界を救ったアキラの姿を。
……しかし、全てを正直に話すのは憚られた。ここから先、禍人種が龍人として手を取り合う世界を作ると言うのならば、セリナの立場を危ぶめる類のことは秘密にした方がいいだろうと考えたのだ。
彼女はただでさえ災禍の龍としての体を持っているのだ。生き残った者達からの視線は冷ややかなものだろう。私は真実を隠すことにした。
「セルレイさん。それよりも内地の状況を教えて頂きたいのですが、話してくれませんか?」
「えぇ、いいですとも……しかし内地の状況であれば私よりも彼の方が」
そう言ってセルレイはランダリアンを示す。私達の視線に気付いたランダリアンが、どうかしたのかと窺うようにこちらへ歩いて来た。
「お二人共、どうかされましたか?」
「ああ、アーミラ様が内地の状況を知りたいと、それならば君の方が詳しいだろうと話していた」
「そうですか。しばらくは王宮から出ることはありませんので、なんでもお聞き下さい」
ランダリアンは快諾すると、振り向きしなに部下達に休憩の指示を伝える。
私はその光景を眺めながら、漠然と心の中で首を傾げる。今更この世界で隠密斥候も国王もないだろうに……と。
失われた地位がまだそこにあるかのようにランダリアンは腰を低くして国王にへつらい従う。そこには戦場で見せた戦士としての面影はなく、あくまで神人種の一人であることを装う。
「アーミラ様のことはよく存じております。私のことはランダリアンとお呼び下さい」ランダリアンは言う。まるで初対面であるかのように。
恐らくセルレイや内地の人々の目があるから身分を隠しているのだろう。私は足並みを揃えることにした。
「……ありがとうございます。帰ってきてすぐで申し訳ありませんが、内地の状況について是非お聞かせください」
「承知致しました。ここでは体を冷やしてしまいますので、どうぞこちらへ」
ランダリアンが先を歩いて王宮の中へ案内する。そこは傷の浅い者や行き場を無くした者のために開放している大広間だった。
本来は拝殿として建てられたチクタク王宮の棟の一つだろう。上がり框を跨いで入り口の門を潜ると、重厚な柱によって支えられた内部が眼に映る。広間は扇状に弧を描いて外へ向かうほどに広く、反対に内側はぐっと絞られて狭くなっている。避難していた人々はそこで身を休めていた。
狭まった内側には人が少ない。というのも格調の高そうな神族の姿が描かれた墨絵が壁面に飾られており一段高くなった台の上には講壇が設えられているため纏う空気は一層重厚なものだったからだ。
加えて外へ向かって登り坂になっているため講壇を中心に自然と人々の視線が集まるように計算された間取りであるのが分かった。居心地は良いとは言えないが、急拵えの避難所として開放しているためこればかりは仕方がない。
当時のオロルは、そこの講壇に立ち幾度となく国や神についての話をしたのだろうか――信心深い賢人として王宮内に教会堂と同等の設備を設けている事に驚き、そして同時にいたたまれない想いがあった。
ヴィオーシュヌを信仰し、三女神継承者である彼女が、神から科せられた使命を放棄した。その凄まじさを改めて痛感する。
「……アーミラ様?」セルレイが覗き込むようにして私に声を掛ける。
「すみません……少し呆けていましたね」
「顔色も優れませんし、疲れがたまっているのでは。
……内地の状況なんて気のいい話ではありませんから、また後にしたほうが」と、ランダリアン。
「お構いなく、体調の万全な者なんて今この場にはいませんよ」
私が気丈に言って笑みを作ると、セルレイは「それもそうだ」と相好を崩した。
ランダリアンも笑みを浮かべて応えたが、私にだけ悟らせるような僅かな刹那に至極真面目な視線を送って見せた。
私達継承者に付与されていた祈祷の加護は既に消えている。だから体調が優れないのなら無理をしてはならないと、その視線は語る。
ランダリアンが隠密斥候隊の隊長であるからこそ密かに身を案じているのだ。
こくりと頷きを返すとランダリアンは乾いた手を打ち鳴らして切り出す。
「では、どこから話しましょうかね」
「各国の内どこまでを回って来たのか、そしてそれぞれの被害状況を教えてください」
「承知致しました。では今回の内地救助活動の経路から。
私達神人種はここチクタクを仮の拠点として地図を反時計回りに北上し、生存者や物資の捜索を行いました」
ランダリアンは言いながら腰元に丸めていた地図を床に広げ、指先で経路を辿るように捜索を行った国々を指でさし示していく。
チクタクから北上してアルクトィス、レクー、メルゼシムと各世代の三女国家を回り、ナルトリポカを挟んで神殿に到着。
「この時点で私達は『生存者と出会うことは非常に厳しい』だろうことを予感しました。
四ヶ国を経由して神殿までで生存者は発見には至らず、紫煙に狂ったまま死を迎えた者達の死体ばかりが視界に飛び込む有様なのです」
ランダリアンの表情は翳る。
「そう、ですか……」私は予想よりもずっと先行きの暗い現状を知って口元を尖らせる。「ナルトリポカはどうでしたか?」
一代目次女国家ナルトリポカ。私とアキラが初めて出会った場所であり、唯一故郷と呼んでもいいほどに長く生活の根を下ろしていた国である。せめて成れの果てを知っておきたいと思い、仔細を求めた。
「ナルトリポカですか。……先にお伝えしました通り、残念ながら生存者は発見できず、麻薬の紫煙により意識混濁の内に半数が殺されてしまったようです。
家屋や物小屋に火を焚いて煙を上に流していた形跡もありましたが、土地柄そこに流れていた戦士や山賤の仕業でしょう。
旧地下壕や河川水路暗礁にも捜索の手を伸ばしましたが、そこに逃げ延びた人々は皆魔獣にやられてしまったようです」
「そう、ですか……」
私はランダリアンの話を聞いて落胆する。
人間という種族を敵味方問わず心中を謀った禍人の最期。終戦間際に残した爪痕は深い。
「その後山を登って神殿に着くと、食料と資材、魔鉱石をあるだけ掻き集めて幌に乗せました。神殿は既に避難が完了していることは知っていたので、捜索時に人影が無いことは確認済みです」
ここまでの経路で八日。
折り返し地点から復路を合わせて十七日。ギルスティケーで生存者を見つけ、今に至る。
事実上生き残った国王は私達五代目継承者と、セルレイのみ。代理国王としてスークレイ、そして神族が挙げられる。
セリナの話していた龍人の心中行為、その作戦から考えて国の中心部ほど被害が出るのは道理であり、つじつまが合う。疑っていたわけではないが、彼女の言葉に私達を騙そうという意図が無いことの裏取りができた。
それとは別に、神殿で多くの魔鉱石を手に入れたことはありがたい。今からでもオロルやスークレイの治療に用いられることだろう。
「そういえば――」
内地の状況についての話が締められた段でふと思考が止まる。頤に添えていた手を離してランダリアンに視線を向けると、言葉を続けた。
「――カムロさんは……」
デレシスで紫煙に倒れ、オロルによって毒を抜かれた彼女はどうなったのか。神族近衛隊隊長の姿を見ていない。
「カムロは今も眠っています。確か地下礼拝堂の間に重傷者が集められているはずですよ」ランダリアンは答える。「スークレイ様もそちらの方に連れられたはずですが、見に行かれますか」
セルレイはその誘いを丁重に断って、壁に背を預ける。スークレイの容態は充分把握しているのだから、無闇矢鱈に側をうろついては返って気分を害すると心得ているのだ。
ランダリアンは次いで私に向き直る。
「まだ朝も早いですから、急ぐ必要もありませんね」
「そうですね。……私は午後にします。オロルさん達も起きているかもしれませんし」
「承知致しました。ではまた午後に」
ランダリアンが拝殿から退室すると、私もそろそろとセルレイに挨拶をして奥へ戻ることにした。
❖
オロル達のいる奥の間では既に皆が起床しており、丁度ガントールがオロルの包帯を取り替えていた。
「む、アーミラか」オロルが部屋に入ってきた私に気付く。
「おはようございます」
「下で何かあったとセリナから聞いた」
「はい。内地を回っていたランダリアン一行が生存者を連れて帰ってきましたよ。
ガントールさん。貴女の妹も無事でした」
かたり。とガントールが包帯を解く手を止めて私を見る。心の奥にひた隠していた心配事に対しての吉報に眉が開く。
「セルレイさんとスァロ爺さまもご無事でした」
「本当か……!?」
「いたたた!」
ガントールは堪らず声を荒げて包帯を掴んだまま立ち上がったものだから、オロルのまだ柔らかい傷痍に痛みが走る。
「痛いのじゃぁ……」オロルは堪らずしょげたように声を漏らす。私達が想像しているよりもずっと痛みに苛まれているようだ。
「うわぁ、ごめんオロル」ガントールは忙しくオロルに向き直り膝立ちになって頭を撫でる。
悪気はないのだろうが子供をあやすような姿に私は口元を押さえて笑みを隠した。
「大丈夫?」部屋の隅に丸くなっていたセリナが窺う。「ガントールさん。やっぱり私がやるよ」
「すまない……たのむ」
「ううん。貴女の知り合いが生きてて私も安心した」
セリナはガントールには目を向けることなく、気まずそうにオロルの包帯を摘んだ。
「お互い様さ。無事でいてくれたのだから私は幸いだった」
ガントールの言葉を背中で受け止めてセリナはオロルの包帯を解いていく。龍体の大きな腕を小さく動かして爪を立てないように慎重に取り払う。禍々しい鉤爪が突き立てられないようにとその指さばきは慎重で細やかだ。
私とガントールは部屋の外へ出て、先の話を続ける。
「スークレイさんは、生まれつきの肺患いに重ねて煙に喉を焼いてしまっていました。
声を出すのも辛そうでしたが、命に別状はないようです」
「……そうか」ガントールは胸を撫で下ろす。「生きているなら妹は大丈夫だろう。強いからな」
「スークレイさんのほうは姉の身を案じていましたよ」
「なはは……私は未だ信頼されていないな」
「そんな、きっと信頼はしていますよ。ただそれを揺るがしてしまう不安があるのは当然です」
私の励ましにガントールは柔らかく微笑んで、隻腕の掌で頭を撫でた。
「そうだな。確かにあれは尋常じゃなかった……
世界はとりあえず人心地ついたって、やっと実感できた気がする」
ガントールの言葉にどこか頼りない揺らぎを感じて私は上目遣いに窺うが、目を合わせると軽い語調で続ける。
「それで? セルレイとスァロ爺は」
「セルレイさんは腕を、スァロ爺さまは見たところ外傷はありませんでした。いずれもこの度入手した魔鉱石で治癒可能だと思います」
「よかった……午後にでも様子を見に行くよ」ガントールは重ねて胸を撫で下ろす。
足取り軽く、幾分饒舌になったガントールは心なしか血色も溌剌としてきた。先程感じ取った弱々しい翳りは杞憂だったか気のせいか。
初冬に入る季節に珍しい暖かな陽が昇り、今日は小春日和だ。
風向きが変わっている。
前に進み始めた私達に応えるように、世界は穏やかであった。