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傷跡❖5


 夜の底。私達はオロルと寝具を並べて体を休めていた。

 既に眠りの中にいるセリナとガントールに対して、私とオロルはどうにも眠りが浅い。龍人のセリナを警戒していたわけではなく、こと私に関しては継承者同士一つの部屋で眠ること自体初めてだと気付いた。


「眠れぬか?」オロルの声。


「はい。……枕が違うからですかね」


「どうじゃろうな」


 オロルはもぞもぞと寝返りをうって落ち着く体勢を探り、横向きになると微睡んだ瞳で私を見る。


「余り眠れぬようなら杖の中に戻っても構わんぞ」


「いえ、このままでいればそのうち眠れそうですから。

 オロルさんこそ眠れないんですか?」


「わしはいつものことじゃ。あの日からずっと、うまく眠れないでいる」


 深い塔で龍人を救おうとしていたあの日。

 時計の針が止まったみたいにオロルの心は囚われている。


「救えた命もあると、わかってはおるがの。

 救えなかった命のほうが多過ぎる。元が人なのじゃと知る以前は、何の葛藤も無く殺していた。……戦争をしていたのじゃからそれを蒸し返すのは詮無いことなのじゃが、――何なら禍人そのものさえも容易く殺めたものじゃが――目を閉じると何度も思い出してしまう」


 弱々しい光を湛えた金色の瞳が揺れる。

 思い出す景色とは、深い塔の中のこと。

 魔獣から人へ戻し、しかし命は潰えていく光景。終戦を知ることなく消えた龍人の無念を責め立てるように、刻印は消え去り後には傷が残る。

 魔獣のままでいたならばもっと生きながらえたか? そんなことはない。いずれにしろ憔悴し、先は見えていた。

 或いは記憶を消さなければ……それではオロルの身が危険に晒されてしまう。最善を尽くしたはずなのだ。


「破壊活動じゃと、アキラは言っておった。

 使命を放棄して、選び取った道が今日に続いておる」オロルは掠れそうな声で続ける。「じゃが、戦争が終わっても、この世界は平和とは言えぬよな」


「オロルさん」私は向かい合うように横向きになると、毛布を持ち上げた。「この部屋は、底冷えしちゃいますね」


 それだけ伝えると、オロルは黙って身を寄せてくれた。

 私の腕の中で抱きしめられながら、オロルは片手で器用に自分の毛布を上に重ねる。


「オロルさんは、もっと弱い部分を見せてくれてもいいんですよ?」


 継承者の中でも、オロルは常に精神的支柱として存在していた。窮地であればあるほどに策を練って打開しなければならなかったあの前線で、彼女は人に頼ることに酷く不器用になってしまったように思う。


「……お主に言われるとは、余程よっぽどのことじゃな」


「えぇ、余程よっぽどのことですよ」


 そう微笑みオロルを慰めながらも私は人肌の温もりに安らいでいた。

 覚束ない世界で、そっと平穏というものを確かめるように……





 意識が前後不覚に陥る。いつのまにか眠ってしまったらしい。

 腕に収まるオロルの温もり。賢人種の小さな体が規則正しく寝息を立てて安らかに眠っている。


 磨り硝子の嵌められた戸を見ると、外が秋暁しゅうぎょうに白んでいた。目を覚ますにはまだ早い。もう一度眠ろうとして、ふと気付く。


 セリナの姿が消えている。


 まるで溶けて消えたかのようにセリナが包まっていた毛布だけが残されて、何の痕跡もなくいなくなっていた。


 どこへ行ったのか、まさか本当に消えてしまったわけではないだろう。惚けた思考を無理やり働かせて、私はそっとオロルの体から腕を抜いて立ち上がった。


 衣紋掛けに掛けられた外套を羽織り、底冷えする風に手を擦って廊下に出る。

 吐く息は白く流れて、冷気に澄んだ空が暁を薄く滲ませる。


 私の心配をよそにセリナは探すまでもなくすぐに見つけられた。王宮の中庭から見える向かいの屋根に佇んでいたのだ。

 何をしているのかと目を凝らしてじっと様子を窺う。

 セリナは山の稜線に沈みゆく月を見つめ、静かに息を吸い込むと澄んだ声音で朗々と語り出す。


「歩いて来たこの道を、年月と呼ぶのならば――」


 それは、唄だった。

 セリナは朝焼けに一人、歌い続ける。



  僕のこれまでは きっと 残酷なほど短くて

  震える肩を染めていく ぼた雪は街を消し去る

  全てが白く凍てついて 眠る記憶幼くて


  明日が来ないように祈る その手

  掻き集めた夜に 傷付いてく

  逃避行の果てに 追いつかれた

  朝日が どうしようもなく 綺麗だった


  『叶うなら、生きていたい』んだと 何度も縋り付き泣いたんだよ

  君はその度に抱き寄せて 傷つけるものを許さないでいてくれた――



「――君の笑顔眺めてた

 あの頃の僕に戻れない」


 自然と息を潜め、聴き入ってしまった。


 この世界でも出征や凱旋の鼓笛に合わせて群衆が息を合わせて唄うことはあるが、セリナのそれは形式が大きく異なる。


 独唱と形容するのが正しいのだろうか、あるいは楽器の類があれば印象も変わるだろう。当時では乳飲み児を寝かしつける時でしか聴くことはない子守唄に似た優しい響きと節を持っており、他にはない特有の軽やかさと清廉さが感じられた。とにかくこの世界では珍しいものだ。


「そちらの世界の歌ですか?」


「わあっ」


 私が声をかけるとセリナは大きく仰け反って驚いた。先程までの世を儚んだ横顔は面影をなくして私に向き合う。


「起きてたんだ……」


 セリナは頬を染めて居心地悪そうに肩を竦ませる。唄を聞かれた事が恥ずかしいらしい。


「目が覚めてしまって。それで、その唄は?」


「うん、向こうの世界でよく聴いてた歌だよ。……もしかして全部聴いてた?」


 私は頷く。


「いい唄ですね」


「そうだね。……でも、悲しい歌だよ」セリナは山に消えた月を名残惜しそうに見つめる。「今の私にはちょうどいい」


 腰元にドレスのように垂らした翼膜をぐっと広げて、龍体を確かめる。物憂げな雰囲気を纏って唄に己を重ねているのだろう。


 東雲に射す朝日に私は小さく口ずさむ。

 耳に残る歌詞の言葉について深く味わうように。


「逃避行の果てに、追いつかれた……」


 朝日がどうしようもなく綺麗だった。





 終戦から十七()目。

 今だ覚束ない足取りで平穏な日々を過ごすチクタクの朝に人々の雑多な生活音が聞こえ始める。その中で遠方から帰還する一団の影を認める。


 内地の生存者を捜索して回っていたランダリアン一行が幌車を走らせて荒れた道に轍を作る。セリナは唇を渋く引き結んで身を潜めた。


「幌が重そうだ。何か収穫があったみたいだね」


 災禍の龍の一人として破壊の限りを尽くした彼女からすれば、下から響く歓待の声に相応しい顔を持ち合わせてはいない。足音を殺して屋根から降りると隠れるように部屋へ向かった。


 私はそれと入れ違う形で幌のもとへ向かう。


「少し見てきます」


 王宮の前庭では幌車を迎える人集りができてにわかに沸き立っている。その手には魔鉱石の類が握られており、察するに物資の調達は上々だったというわけだ。

 手柄顔のランダリアンが馭者台から降りると幌の方へ回り、内地で保護した生存者の手を取って降ろす。


 重傷の者、軽傷の者、具合は様々だが長い捜索の甲斐あってやっと見つける事が出来た生存者が数人。その中で知っている顔を見つける。


 獅子のたてがみのような髪に箆鹿へらじかの角。ガルスティケー国王セルレイである。侍女の服を着た女が後ろに続き、最後にスァロ爺とスークレイが降り立った。


「皆さん……!」私は人集りを割って側へ駆け寄る。


「これはこれは、アーミラ様」セルレイが私に気付くと両手を広げて迎えた。が、腹部に痛みを感じたか身を硬ばらせる。


「大丈夫ですか? とにかくご無事でなによりです」


「心配には及びません。こうして生きておりますのも一重に継承者様のお陰でしょう」


 セルレイは笑みを作るが、その顔には眼帯が貼られ、色濃い疲労が見える。

 だらりと下げた左腕には湿った布がきつく縛られて、指先からは血が雫を落とす。側で見れば見る程に傷だらけなのがわかった。


「アーミラ様。申し訳ないが、スークレイを寝かせて欲しいのだ。彼女は肺を煙で焼いてしまっている」


 その言葉に驚いて、スークレイに視線を移す。

 煤に黒く汚れた扇子で口元を隠し気丈に振る舞ってはいるが、釣り上げた目尻には以前のような鋭さが失われている。隣で心配そうに見上げているスァロ爺の方がずっと怪我が浅い。


 肩を貸そうかと近寄るとスークレイは首を横に振って応える。


「それより……」掠れた声。生まれつき肺を患っていた上に煙を吸ったせいで言葉を発するのも辛そうである。「ガントール姉様は?」


「もちろん、生きてますよ。

 今はまだ眠っているかも知れませんが、起こしましょうか」


「いえ、いいわ。私もこれから少し休ませてもらいますもの。……他の方も無事なのかしら?」


「……ええ、オロルさんもアキラさんもとりあえずは生きてます」


 生死を伝えるに留め、怪我の程度については語ろうとしない私の意図を見透かしたか、スークレイは怪訝そうに眉を顰める。しかしそれ以上は声を出すのも辛いようで、渇いた咳を繰り返し、問い詰められることはなかった。


 スァロ爺とスークレイが奥へ連れて行かれると、それを見送っていたセルレイが私に顔を向ける。


「……これは、私の思い違いかも知れないのだがな」穏やかに切り出した言葉に対して、セルレイは真剣な表情で私を見る。「誰も彼もがあの時一度、命を落としたように思うのだ」


 セルレイは言う。


「夜だと言うのに空が不吉に明るく、心臓を掴まれたように鋭い痛みがあった。

 周りでも皆同じように苦しみ、倒れていくのを見た。……その後のことはよくわからないのだが、一体前線で何が起きたのだ?」


 私は曖昧に首を振って、セルレイから視線を反らす。


「私もあの時一度意識を失った一人です。

 何が起きていたのかは……なんとも」


 そう答えて、私は詮索から逃れた。


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