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傷跡❖4


 すっかり日は落ちて、私達はセリナを伴い王宮に戻る。

 夜の宮内は己の居場所と僅かばかりの安心を確保するために、皆が少しずつ殺気立っていた。


 いつもならば私もその一人でしかなかったが、今は違う。その胸には焦燥が薄れ、セリナとの一件が背筋を正してくれた。

 そこへ、サハリがこちらに向かって来た。腰よりも長いうねる赤髪を重たく揺らして表情は険しい。


「何故女型を連れているのです……!?」


 踊り場に群がる視線が集まる。ばつが悪そうに縮こまるセリナを庇うようにガントールが遮るように前に立った。


「連れてはならない理由はないだろう」


 ガントールの言葉にサハリはたじろいで、耳打ちをする。


「この場に避難している者の中には、その女に恨みを持つ者だっているのです。終戦とはいえ、これでは気が立って休まりません」


 怯え。怒り。惑い。

 踊り場に群がる者達が向ける視線は様々で、しかし、それぞれがセリナの存在を快くは思っていないという一点において共通していた。

 あの日、血の門を刻んだ彼女はここにいる者の友を、あるいは家族や恋人を奪ったのだ。注意を促す目の前のサハリもまた、部下を多く失っている。


 セリナは何も言わず、責め立てる視線の数々をガントール越しに受け止める。アキラの首を抱きしめる腕にも力がこもる。


「……この争いで彼女もまた、多くのものを失っている」ガントールは毅然と言い放つ。「どうか理性的であってほしい。私達はこの女型を招き入れるが貴方達の安全は必ず保証する。これからの世界、終戦の協定を確固たるものとするためにも必要なことなのだ。腹に据えかねる思いがあることも重々承知しているが、ここは荒立てず、協力を願いたい」


 もっとも、災禍の龍に対して復讐を目論む者はいないだろう。ガントールの言葉に彼らは怯むようにして、視線を彷徨わせた。


「サハリすまない。私達は奥に籠るから、この場を頼む」


「承知……本当に大丈夫なのですか?」


 サハリは眉を顰めて念を押す。女型がアキラの妹である事はまことしやかな噂程度に周知されているが、だからといって信用できるわけもない。

 むしろ異世界人ヴォイニッチへの底知れない不信感が強まっている。


「大丈夫だ。何かあったとしても必ず私達が止める」


 心配ないと繰り返しながら、ガントールはサハリの肩を軽く叩く。隻腕を乗せられて傾いだまま、サハリは拭えぬ不安を隠さずにセリナを一瞥する。


「念押しさせて頂きますが、禍人種を生かしている時点で継承者様への不信感も高まっているのです。行動にはお気を付けください。

 ……お早く奥へ……オロル様もいるはずです」


「オロルが……。わかった」


 ガントールは一礼して、奥へと進む。

 背中に張り付く民衆の視線は猜疑に揺れて、私は逃げるように歩を速めた。


 弧を描く階段を登って奥へ進むと、王宮の中庭を囲んだくるわの廊下に出る。通路外側にはぐるりと十二に仕切られた部屋があり、内側は中庭が望める。そこに壁はなく、空に吹き抜けた風が肌を撫でた。


 私達のいる場所から対角、中庭を挟んで向かい合う十二時方向には、引き戸の閉じ合わされた部屋がどっしりと構えていた。そこにオロルがいるのだろう。


「……だから僕は来ない方がいいって言ったのに」セリナはふて腐れたように呟いた。


 彼らの視線には余程堪えたのか頬を膨らませてガントールの背中を睨む。


「中に入れたんだから問題ない」ガントールはこともなく言う。


 チクタク王宮へ戻る際、セリナを中へ招いたのは私達の総意だった。もちろん歓迎されることはないだろうことも予測していたし、セリナ本人もそれを理由に二の足を踏んでいた。


 それでも、この肌寒い晩秋に外へ放ることは出来ない。彼女はその半人半龍の見た目よりもずっと傷付いた心を携えていたのだから。


「それはともかく、どうしましょう」私は窺う。「オロルさんは話せる状態なのでしょうか」


 ガントールは腰に手を当てて項垂れると、ため息混じりに答える。


「さぁなぁ、……でも、このまま塞ぎ込んでいても心が腐るばかりだし、いずれにしろアキラの生存については耳に入れておきたい。

 それを聞いて元気になるかもしないしな」


「オロルって、三人目の『はかり」ですか?」セリナは私に問う。


「ええ。あの塔の中で禍、……龍人種を治療していた人です」


 それを聞いて眉を開く。関心があることが一目でわかる。


「なら、ここに来てよかった。

 心中覚悟だったとはいえ、仲間の命を救ってくれたことにはお礼が言いたい」


「でも……救護された人達もまだ意識を取り戻した訳ではありませんし、オロル自身も酷く落胆していましたよ」


 ガントールはますます頭を悩ませる。繊細な問題は不得手なのだ。


 隻腕でなければ腕を組みたかっただろう彼女は首の後ろをさすりながら沈思した後に、考えるのをやめる。


「むむむ……いいや、会うだけ会おう」ガントールはそう言って廊下を迷いなく歩き出した。「オロルなら受け取るだけ受け取って、自分で分別してくれるさ」





「オロル。いるんだろう? 開けてもいいか」


 閉じ合わされた引き戸の前に立って、ガントールは声をかける。

 嵌め込まれた磨り硝子ごしに部屋を窺うが、戸の向こうに灯りはなく静かだった。


 眠っているか不在だろうかと思ったとき、声が返ってくる。


「構わん」


 オロルの声。平静を装った風な、それでいて傷心であることが隠しきれていないような気弱な語調に、ガントールと目配せする。本当に大丈夫だろうか……


 そこにオロルが言葉を重ねた。


「まずはガントールから入ってくれ」


「ん、わかった」


 じゃあお先。ガントールは視線で語り、引き戸を開けると中へ消える。

 薄い戸の向こう側で行われる会話が漏れ聞こえてきた。私とセリナは耳を澄ます。


「やあ、思ったより元気そうで」


なぁにが元気か」衣擦れの音。身を起こしたのか。


「なはは……」


「それより、お主こそその身体……祈祷の加護はどうした?」


「腕はもう知ってるだろ? 腹もそうだ。私に与えられていた加護は既に底を尽きていたからな。首と剣は最後にやった傷だ」


「ふむ……嫁入り前の娘に酷いものじゃな……」


「はっ、まったくだ。

 傷といえばオロルこそ、両手が塞がってる」


「これか……なんてことはない。魔獣を人に戻すために負った。

 おそらく使命に背いた咎じゃろう。力を行使する度に刻印が裂ける。お主らも気を付けた方が良い……」


「そう……なのか」


「して、その戸の向こうにいるのは誰じゃ。一人はアーミラじゃろうが、もう一人が分からぬ……長身でドレスとなると、スークレイか?」


「いんや、違うよ。なんて言ったらいいか分からない。私から聞くより見てもらった方が早いんじゃないか。オロルなら尚更だ」


 沈黙。

 おそらく部屋の向こう、磨り硝子ごしに映る私とセリナの影をオロルは見定めているのだろう。


 しばらくして、オロルは言った。


「……わかった。部屋へ通せ」


 足音がして、引き戸が開いた。

 私が先に中へ入る。


「お久しぶりです。オロルさん」


「うむ」


 オロルは昼御座ひのおましに横臥して身体を休めていた。

 両手には幾重にも重ねられた包帯が巻きついて丸められている。魔鉱石が枯渇している今、自然治癒に任せるしかない現状である。


 次いでガントールが部屋に入り、その手に引かれてセリナの腕が戸の影から現れると、オロルは休めていた身体を起こした。


 龍体の鋭い爪。猛禽類の脚のような節のある指と鱗が薄い月明かりを反射する。

 肘まで現れると次第に柔らかな白い皮膚が現れて、女の身体であるとわかる。


 半人半龍。


「……お、お邪魔します……」


 セリナは伏し目がちにオロルをちらちらと見て頭を下げた。

 笑みを作るでも胸を張るでもないこの独特の雰囲気は、私に在りし日のアキラを思い出させる。異世界人(ヴォイニッチ)特有のどこか頼りない趣きがその態度からは感じられた。


 一方でオロルは頬をひくつかせて絶句している。


「な……、な……」


 何が起きているのかと、言いたいのだろうか。目の前の災禍の龍はそこで膝を折って床の上に小さく座ると、凛と背筋を正した。


「同胞の命を救ってもらったこと、心から感謝しています」


 額が床についてしまうほど深々と頭を下げ、セリナは続ける。


「今この場では何の恩返しもできませんが、この恩は決して忘れません――」


「ま、待て待て待て」


 オロルは立ち上がって裸足でぺたぺたとセリナの前に駆け寄ると、慌てた様子で言葉を遮る。私とガントールはといえば、珍しく慌てふためくオロルの姿を見て吹き出すのを抑えていた。


「何なのじゃ一体?」


「思ったより元気そうですね」私は軽口を叩き和ませる。


「阿呆! 休まるか!」


 災禍の龍が継承者と共に王宮に入り、目の前で粛々と頭を下げている。オロルからすれば状況を飲み込めないのは当然だ。


 ガントールは一頻り込み上げる笑いを落ち着かせると、ことのあらましを仔細語った。

 全てを聞いたオロルはそこでやっと得心がいった様で、胡座をかいて「なるほど」と言い、お決まりの咳払いをしてみせるのだった。


「――じゃが、わしは救えたとは言えぬ。

 魔獣から人へは戻したが、憔悴していた彼等は結局、そのほとんどが眼を覚ますことなく息絶えた……」


「それでも。ですよ」セリナは言う。「重要なのは生死ではありません。尊厳なのです。オロルさん……貴女はあの状況において敵である私の同胞の命を救おうとしてくれた。同胞は最期に人として命を終えることができた。

 ほとんどが息絶えたとしても、少なからず命を繋ぎ止めている者もいる……それが、何よりも嬉しい」


「じゃが、彼等は記憶を失っているじゃろう」


「構いません。むしろ、忘れていた方がずっと幸せでしょう」


 オロルは包帯で丸められた手で頭を掻く。


異世界人ヴォイニッチアキラの妹、セリナと言ったな……であるならば、龍人との繋がりも薄かろう。

 じゃというのに彼等を同胞と言わしめる繋がりは、マーロゥだけではないのじゃろう」


 セリナはその問いかけに顔を曇らせる。


「はい……この世界に来てから多くの人に支えられました。血の繋がりのない、身寄りのない僕に手を差し伸べてくれた彼等を大切に思っています。

 今はもう、皆死んでしまったけれど」


 アキラと同じように、セリナもまたこの世界で人と出会い、歩んできた足跡がある。

 共通の敵を持てば、その関係はより強固に結びつくのも道理だ。


「記憶を持つものは今やお主一人というわけじゃ。それも、遡っておよそ三、四年ほどしかない。

 歴史を語るには足りず、抱え続けるには重すぎる」


「……はい」オロルの言葉にセリナはただ眼を伏せて頷いた。


「要らぬ節介ならば断ってくれて構わないが、わしならばその記憶を遠い過去のことのように埋めることが出来る」


 どうするか。

 セリナはオロルの顔を真っ直ぐに見つめて見を震わせる。

 忘れてしまいたいと、セリナの表情は語っている。


 今は亡きハラヴァンとの日々。

 世界を滅ぼすに至る悔恨。

 消えていった同胞。


 龍人の歴史を語る生き証人としては過ごした時間はあまりに短く、その記憶を抱えて生きていくのは辛いものが多すぎる。

 オロルに残された継承者の力を使えば、セリナはその記憶を遠い過去にして仕舞いこむことができる。悩む事もなく、穏やかに過ごせるのだ。


 セリナはその魅力的な選択に確かに揺らいで、首を振る。


「……ありがたいことですが、僕はこのままでいいです。

 オロルさんの言う通り、今は凄く苦しい。

 犯した過ちの重さに眠れないほどです」


 セリナは震えを隠すように指先を組み合わせて弄ぶ。


「だけど……私はもうすこし悩んでいたい。

 忘れてしまいたい記憶ことって、きっと本当は忘れてはいけないんだって思うんです。

 嫌なことは全部無かった事にして都合のいい記憶だけで生きていたら……それは私と呼べないような気がして」


「うむ」オロルは深く頷きを返す。まるで次の言葉を待ち望んでいるかのように目を閉じていた。


「なので、記憶はこのままにします。

 傷は自分の中でゆっくりと塞いでいけますから」


 そう言うセリナの表情に、もう迷いはなかった。

 オロルは噛みしめるように繰り返し頷いて、受け取った答えを呑み込んだ。


「不器用で真っ当。……なるほどアキラの妹というだけのことはある」


 オロルは胡座を解いて立ち上がると、昼御座から裸足で歩み寄り、改めて握手を求めた。


「今も眠り続けているお主の同胞は帰る場所を失い、目が覚めた時には導く者を欲するじゃろう。痛みを知るお主がこの先頼りになる。

 語り継がれることなく風化していくであろうこの戦争の真実を、どうか忘れないでいてくれ」


 それは、いつか来る平和な世界に必要だと、オロルは言った。

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