利する者❖3
俺は直感で理解した――この光を星に当ててはいけない。
「駄目っ、逃げて!!」妹が泣きながら訴える。「もう止められないの!!」
禁忌の術によって生成された巨大な人型。制御は妹から離れ、それが放つ光線はこれまでの比ではない破壊力をもって俺の身体を焦がす。
板金龍の肉体が赤熱して厚い緋緋色金が飴のように柔らかく溶けていく。激しい光の激流に目が焼ける。……それでも、それでも!
――諦めらんねぇよ!! 世界も! お前も!!
金が飛沫をあげて爆ぜる。
あれだけ堅牢であった板金が散り散りになって消失していく。
――誰かの為じゃない! 俺がそうしたいんだ!! 芹那……お前も生きたいって願え!! 生きることを諦めんじゃねぇ!!
どんな生き方だって構わない。
ただ生きているだけでいい。
これだけ辛い道のりを生きてこれたんだ。これからだってなんとかなる。してみせる。
そのために俺の全部を捧げてもいい。
魂以外の、全てを。
――うおおおぉぉぉぉぉぉッ!!!
放射される光線から星を守るために身を晒し、幾重にも緋緋色金を重ねた盾を展開する。
激しく燃える光が夜闇を真っ白に照らし尽くし、地表には俺の影が映る。左右から伸ばした蓋碗が妹の肩を掴み、押し流されないように抱き寄せた。
――もう、離すもんか……!
「離して! このままじゃ死んじゃうよ……!」
光線は星一つを破壊するに充分な時間照射された。
そして、それを受け止め続けた俺の体は……
何もかもを出し切った人型は次第に光線の勢いを弱め、それが埋み火のように揺らめく光子のみとなると、肉体は手足の先から砂のように霧散を始める。
「お兄……!」
最後に残された心臓部から妹が現れ、俺に向かって抱きついた。
抱きとめられた俺の体は襤褸のように溶けた板金が風に冷やされて脆く崩れる。あれだけ熱されていたはずなのに、今は芯から冷たい。
手足の感覚は無く、目を開くのも億劫な睡魔が意識を覆っている。
――無、事……か?
妹は唇をひき結んで頷く。半人半龍の肉体は変わらずだが、禁忌によって受肉した人型からは解き放たれたようだ。
「お兄のほうが重傷だよ……」
そう言って俺の頭を赤子のようにそっと抱き締める妹の腕の感覚。割れ物を扱うような繊細な抱え方から俺の状態を悟る。
板金龍を失い。
蓋碗を失い。
肉体を失った。
首だけ、なのだろう。
――アーミラが、……
治して、くれる、だろうか。
思考を溶かしていく深い睡魔に包まれて、俺は意識を失った。
❖
………………。
「よくここまで辿り着いたね」
灰白の世界。見渡す限りの『無』が際限なく広がる空間。そこに俺は居た。
床は無く、下を見下ろせば高い塔の先端がぽつりと存在している。その塔の下は遥か遠くに霞み、果てが存在するのか確認できない。
声の主は前方にいた。
うねる射干玉の黒髪をゆったりと踊らせて、纏う無縫の白布に身を包んで脚を組み、こちらを眺める。
――なんで、俺を呼び出した。
俺は状況を漠然と理解して、殊更慌てることもなく問う。
俺が女神継承者に破壊活動を唆した事について、腹を立てているのだろうか。
「それはないよ」神は言う。「人に可能な事はつまり、我が許している領域内だと言う事だ」
むしろ――と、幼女は続ける。
「むしろ、拍手を送りたいくらいだね。かかっ」
八重歯を覗かせて呵呵と笑う神に俺は眉を顰める。
――……何故?
「世界を動かしてくれたからさ」
その言葉にどう答えるべきかはかりかねて俺は黙るしかなかった。
「停滞していただろう。翼人と龍人はさ。
とにかく文明の巡りが悪かったんだ。前線を押したり引いたりでね……」
神はそこで言葉を切り、組んだ脚を下ろして椅子――おそらく椅子だろう。俺には見えない高低差がそこにあった――から降り、存在しない床に立つ。
そして呵々大笑、讃えるように手を俺に向ける。
「そこに現れたのが慧。君だよ。まさに彗星のように現れた」
――待て、お前はそもそも俺の存在に頭を抱えていたんじゃないのか?
盤上を乱す外来種。
それが俺だった筈だ。
「いわゆる板金鎧の時点ではそうだね。だから肉体を調達し君に与えた。
大いなる刺激が齎されたんじゃないかな?」
神は片眉を吊り上げて問いかける。
確かにそうだ。
肉体を手に入れて、俺はその世界でもう一度生まれ落ちたように思えた。怠い躰、込み上げる感情、そしてアーミラの温もりに触れ、泣いた。
五感を取り戻し、飯を食い、眠り、人と触れ合った。
生を実感して、命の重さを改めて感じたのだ。
「……それで、この宗教戦争の根幹に疑問を持った。そうだろう?」
神は俺の思考を手に取るように把握しているようだ。心を読み、先を促す。
宗教戦争。それは人が定めた善悪や信仰の対象が民族間で異なる事が発端となって起こるものだ。神族――翼人側にはヴィオーシュヌという神が存在して、禍人――龍人側にはオルトという神が存在した。
だが俺は見ていない。
もう一人いるはずの神、オルトを。
「それも、我である」
神は前傾になって肯うように俺の疑問に答えてみせた。
――……どう、いう……事だ……?
つまり、この世界の在り方はどういう形になるのか。
宗教戦争に揺れる二つの勢力が長い時代を争い続けていた。
しかし、ヴィオーシュヌ教とオルト教、どちらの信仰も同一の神に向けられている。
二つの宗教と唯一の神。
切なる祈りも、戦士の誇りも、全て目の前の神が独占している……?
あれだけの人々が苦しみに喘いで血を流しているのに無為に争っていたというのか?
神はなぜ争いを止めない?
両者の信仰の声に耳も貸さず、神はただ盤上を眺めるだけ。……なら、俺がやってきたことは――
「よくやってくれたよ。我の作り出した盤上で君は見事に物語を紡いでくれた。
この世界はつまり、我の生み出した駒によって紡がれた感情から精を抽出する訳だが、君一人の働きで潤沢な」
――芹那はどうしてここにいたんだ。
神の言葉を遮って、俺は詰め寄る。
ふつふつとこみ上げる怒りに言葉尻が震える。
そんな俺の態度や視線にも臆すことなく神は笑みを崩さない。
「……彼女の痛ましい一生を哀れに思った。だから我が心ばかりのささやかな機会を与えた。
君も、君の妹も、願わくばもう一度逢いたいと思っていたじゃないか。さらに言えば、患っていた病からも解き放たれ、健全な肉体まで手に入れた。
どうだね? 喜び給えよ」
――ッ。
悪怯れるそぶりもなく、神は俺の視線を跳ね返す。
俺の胸に満たされたこの怒りさえ神にとっては精として利を得るのだと知る。
人間が争い、奪い合う利害得失を上から悠然と眺め、この宗教戦争がどちらに転んでも勝者として恵みを総ざらいする。最終的に利する者。
神が、神こそが、この歪みの黒幕だ。
思考は答えを導き出すと同時に、拳を構える……が、その刹那には小気味の良い音が響いた。指を鳴らされたのだ。
「乱暴はよしたまえよ。あくまで君の体は我が作り出した仮のもの、現世での君がどのような状態か、見せてあげよう」
――……!
見る間に俺の手足は輪郭を溶かし残されたのは頭だけ。
「生きているのが不思議なくらいだろう? 実際君は人間性を完全に失った。驚くべきことに、アーミラ・ラルトカンテ・アウロラが行った禁術により体の九割を消失しても尚、君は死へ至らない」
神は俺の周りを歩きながら話を続けた。
「しかし、死へ至らないとはいえ生を継続するための活力がない。今の君はどっちつかずの仮死状態だ。
ここへ呼び出したのはいろいろ都合がいいと思ってね」
――芹那は、アーミラ達はどうなってるんだ……!?
「争いの無くなった世界で、第二の人生を歩んでいる。……とでも言えば満足か? 我がどのように答えたところで、君は果たしてその言葉を信じるかな?」
神は脂下がるような底意地の悪い笑みを浮かべる。
「時が来るまで……眠り給えよ」