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利する者❖2


 ガントールの激が飛び、固められた拳によって頬を殴られる。その力はおよそ人一人分の質量ではなく、板金龍の体は大きく傾いてたたらを踏んだ。


 ――!!?


「アキラ殿……嘘を吐くな」


 ――嘘なんて――


「『このままでいい』と、アキラ殿の心は思ってない。そうだろう」


 ――心なんてもう要らない! もう、いいよ。


 俺は物語の勇者じゃない。

 気高くもなければ誇りもない。

 世界を救うために、妹は殺せない。


 どうせ人で無くなったのなら、この心さえも無くなってしまえばよかったのに。


「馬鹿を言うな。アキラ殿。

 姿や肩書きを変えようとも、アキラをアキラたらしめるものはその心だ。

 その心に触れて一体どれだけの人が救われたか、アキラ殿は気付いてない」


 ガントールは俺の目の前に立って語りかけるように続ける。


「神様が意地悪だなんて皆知っている。その上で、人は神を信仰して生きてきた。己の無力さを慰めるようにして、日々神へ祈り、生活に折り合いをつけたのだ。

 だが、アキラ殿……貴方は神を信仰してはいない。ずっと自分を信じ、人を信じていた。それは紛れもなく『強さ』だ」


 ――……それが、何だって言うんだよ。この世界は壊れていく。皆死んでいく。それを止める方法があるとするなら、俺は妹を殺さなきゃいけない……俺には……ッ!


 それが、できない。


 壊れていく世界。

 陣は地平を走り、禍々しい光が広がる。

 大地は大きく揺れると断層が隆起して崩れていく。


「本当にそれでもいいと、アキラ殿は思っているのか?

 打ちのめされても立ち上がって来たじゃないか。今諦めてしまったら積み重ねて来た全てが無駄になる。本当にいいのか? アーミラとの生活も、この先にあるであろう幸福もあるはずだ。……本当にそれで――」


 ――いいわけ無いだろッ!!


 泣き出しそうに震える喉を抑えて、俺は叫ぶ。


 ――でもどうしろっていうんだよ!? 世界のために妹を殺すか、全部終わらせるか、どっちにしたって芹那は助からない……!

 天秤で量れないんだよ俺は! 俺は……!!


 発狂とも言っていい。俺は突きつけられた現実に打ちのめされていた。


 終わりに向かう世界で、ガントールは凛々として言った。


「世界は、救わなくていい」


 ――……はあ……?


破壊活動サボタージュだろう? 『壊れるなら壊れてしまえ』……そう言ったのはアキラ殿じゃないか。だから、世界を救わなくたっていい。このまま全てが無茶苦茶になったって恨みはしないさ」


 ガントールは続ける。

 ただ一つ。と前置きして。


「ただ一つ諦めの悪いアキラ殿がやっていないことがある……

 ただ一人の兄妹なら、救ってみせろ。……全部を投げ出す前に、言葉を尽くすべきだ」


 ――妹を……救う……?


 だが、どうやって。


「『どうやって?』……なんて私に聞くなよ。やれるのはアキラ殿だけだ。

 私にできる事は精々、あの陣を破壊する程度」


 ぐるりと囲む禁忌の魔法陣を睨み、ガントールは斬首剣を握る手に力を込める。それを見つめる俺に、ガントールは心配ないと微笑んで見せた。


「その体に流れる血は緋緋色金の鉄血だ。心が折れない限り何だってできる。きっとできる。私は信じてる」


 曇りなく見つめる瞳。

 掛け値無しに信頼を寄せる想い。

 辛くても、苦しくても、駆り立てるものがある。何度も挫けてしまう心を、支えてくれる人がいる。


 ――……俺は、……俺に、できるだろうか……


 ガントールは強く頷いて、魔法陣破壊のために駆け出した。別れ際に俺の肩を叩く。懐かしいやりとりだった。


 一人、空を睨む。


 雷雲渦巻く月夜の空に巨大な人型が浮かんでいる。女型でも、災禍の龍でもない。


 それは一糸纏わぬ妹の姿だった。





 板金龍の体に力を込めて跳躍すると、俺は翼を広げて妹の元へ飛んだ。


 まるで水面に身を浮かせているかのように手足を脱力させている妹。体表面は石膏のようにざらつき、白く硬い。

 魂の生成という禁忌によって作られた成果物に間違いないが、その中にいる本当の妹はどうなっているのか、まるで予想もつかない。


 ――芹那! 頼むから、返事をしてくれ……!!


 人型は動く事なく、薄く閉じられた唇は何も言わない。

 腹の上に降り立つと、何か手掛かりはないかと辺りに目を走らせる。


 宙に浮かぶ石像。精緻な丘陵が妹の肉体を作り上げているだけだ。めぼしいものは見つからない。俺は板金龍の体から抜け出して、掌で妹の皮膚に触れてみた。


 ざらつきのある粒子の荒い砂。それを押し固めたような……そうか、これはコンクリートに似ている。


「ごめんな。芹那」


 俺は語りかけるように一人呟く。どうかこの声が届いていますように。


 何も言わずに一人にしてごめん。

 確かにあの生活に嫌気がさしていたのは事実だ。そこは嘘つかないよ。


 地震や津波で親を失って、兄妹二人で生きてきた。大変な事は芹那だってわかってるだろう。

 ただ生きていくだけで人に迷惑をかけるような肩身の狭い日々。そんな時に、入院しなくちゃいけなくなったお前は、すごく申し訳なさそうにしてたのを俺は今でも覚えてる。


 でも、俺は迷惑だなんて思ってなかった。

 家族なんだから、お前の兄貴なんだから当たり前だろう?


 一つ誤解がある。


 俺は、俺は自殺したわけじゃない。

 どんなに大変でも、あの生活から逃げ出すつもりはなかったし、また明日お前の顔を見に病院へ行くつもりだった。


 信じてもらえるかわからないけど。


 一人ぼっちにさせてごめん。謝って済むなら何度だって謝るよ。

 許して欲しいんだ。俺は本当に、心の底から芹那の事を大切に思っているし、この世界に来てからもずっと無事を祈ってた。


 頼むから、もう二度と死なないでくれ――


 妹の皮膚の上を彷徨い歩いて胸の上。丁度心臓の位置する所で違和感を覚えて足を止めた。


 踏み込んだ足、短靴の底が僅かに沈み、皮膚が柔らかくなっている。


「芹那!」


 俺は膝をつくと蓋碗を使って白い泥をかき分ける。

 重たい半固形のそれを掘り進めて見たが、掻き分けても掻き分けても泥濘が広がるばかりでまるで底がない。


「芹那! 芹那!! そこにいるのか!? 俺の声が聞こえてるなら返事をしてくれ!」


 俺の呼びかけに応じているのか、或いは只の偶然か、泥は一層柔らかくなるのがわかる。


 背後では陣が一際強く輝きを放ち、玻璃が砕けるような鋭い音が鳴り響いた後に沈黙が広がる。ガントールはやり遂げたのだ。


「……剣道のさ……」


 上気した息を整えて語りかける。


「剣道の、大会があっただろ? お前の最後の大会……


 俺ももちろん観戦に行ってた。広い体育館に横断幕が並んでさ、会場からは気合の入った声が聞こえて来てた。

 みんな同じ剣道着姿だけど、どこに芹那がいるかは一目でわかったよ。


 他の人とは纏う空気が違った。握っているのは竹刀のはずなのに、まるで刃の立った真剣を構えているみたいだった。存在そのものが抜き身の刀みたいで、命を燃やしているのが感じられたんだ。


 ……俺もさ、この世界に来てからそれなりに戦えるようになったんだぜ?

 なあ、芹那。


 あの頃のお前みたいに、かかって来いよ」


 ざわ。

 ……と、人型の雰囲気が変わるのを感じた。

 無機質に沈黙を守っていた巨大な体は、ここに来て反応を示す。そうだ。妹は同情や哀れみを嫌う性格だ……ならば、やり方を変えよう。


 俺は続けて語りかける。


「昔のお前はこんなもんじゃあなかったぜ。不貞腐れたりなんかしないで嫌なことがあればはっきり言っていた。身体が弱いってのに散々兄妹喧嘩だってした。そうだろう?」


 俺は奮い立たせるために叫ぶ。


「閉じ篭ってないでかかって来いよ!」


 終わる世界で最後の最後にやる事が兄妹喧嘩とは。……否。


 これで最後とは言わせない。


 妹も、世界も、何もかも、俺が全部救ってやる!


「……う、があああぁぁぁ……ッ!!」


 地割れのような音がけたたましく鳴り響いて、人型は両腕を動かして俺を掴みにかかる。

 俺は再び板金龍へ戻ると迫る手をすり抜けて構える。


 ――さぁ、来い!!


 受け止めてやる。


 明日に希望が持てない妹に、生きる活力なんてない。


 再び立ち上がるために必要な力、それはいつだって『怒り』だった。今もそうだ。


 嘆きや憎しみ。俺に向けられた一握の殺意。負の激情があるのなら、今はその力をぶつけてくれて構わない。それでまた立ち上がってくれるなら構わない。


 後悔がないように。

 全部俺にぶつけてくれ。


「死ね……! クソ兄貴!!」


 呪詛の言葉と共に放たれた指先が爪を立てて迫る。俺はそれをくるりと回って手の甲を尾で弾いた。


 ――これ以上死んでたまるか。


 言い返された妹の顔は怒りに歪み、二撃三撃と繰り返した。

 恐ろしい光景に背筋が冷えるが、同時に妹の感情が現れたことに安堵する。


「あんたなんかいなければよかったのに!」


 壊滅した国土の上に立ち、ただ怒りのみを力に変えて迫る妹。禁忌の術によって受肉された巨大な身体が暴れまわる度に世界は壊れていく。


「あんたなんかいなければ……」


 大気を震わせて妹の声が響く。


 ――俺がいなかったら、どうなってた? 病弱なのは変わらないし、一人で背負うものが増えるだけだ。


「……それでも、こんな結末になるなら最初から一人でいた方がよかった!」


 妹が言っているのは、絶望の『深度』の話だ。


 幸福を失って、不幸を知る。

 光を失った、影を見る。

 俺を失った、孤独を知った。


 温もりを教えられてからそれを奪われるのは、初めから凍え続けているよりも堪え難い。それが、それこそが絶望の深度だ。


「最初から一人だったなら、こんなに傷付かずに済んだんだ!

 どんなに辛くても世界に折り合いがつけられた! 痛みを痛みだと知らずにいれたんだ……」


 繰り返される恨み口。裏を返せばそれだけ俺という存在がかけがえのないものだったということを鮮明に語っていた。


 ――わかるよ。


「あんたになんかわからないよ!

 僕がどれだけ苦しかったか! 辛かったか……!!」


 俺は攻撃を躱しながらも視線は真っ直ぐに妹から離さない。


 ――わかるんだよ。……あの世界で俺が頑張れた理由は間違いなくお前だった。


「……ぅ、……ぐ…っ」


 たじろぐ妹は口を結んで嗚咽を堪えていた。


 ――この狂った世界で、お前は自分を捻じ曲げなければ生きていけなかったんだろ? 俺も同じだ。


 持ち合わせていた何もかもが通用しないこの世界で、溺れるように流されていったのだろう。板金鎧の時の俺と同じように。


 戦いの中で自身の有用性を見出し、人のためと言いながら流れる血と武勲に満たされて、その実、心は失われていく。


 どれだけ言葉を並べても人を殺すには値しないのだ。ずれていくまことことわりに身をやつし、戻れないところまで来てしまった。


 等しく命の尊厳を踏み躙られているこの世界で、龍人は破壊による終焉を願った。その使命を科せられた妹がここにいる。


 ――俺は、この世界を破壊する。でも終わりになんてしない!


 終焉ではなく、白紙から。


 ――もう一度やり直そう。俺と一緒に生きてくれないか。


 妹は俺の言葉に戸惑うように首を振り、体勢を崩して足が縺れる。


「僕だって……」


 声は震えていた。


「僕だって頑張ってた……! 生まれつき身体が弱いことなんて言い訳にしたくなくて、周りの人の目を跳ね返せるような強い人になりたくて……

 おにぃが羨ましかった……!!」


 振り回される腕の間合いから距離をとって、俺はぶつけられる芹那の本音に耳を傾ける。


「……病気しない身体。頼みを断れないような優しい性格。影で苦労してても疲れた顔しない所……叶うなら僕もそんな風に生きたかった……」


 妹は腕を振り回すのをやめる。力無く立ち尽くして、泣きじゃくり始めた。


 ――生きられるさ……今からでも遅くない。


「ううん。遅いよ。……もう遅い。

 本当にこれでさよならなの。ごめんね」


 妹は手首の内側で涙を拭うと、しゃくり声で別れを言って、憑き物が落ちたように晴れやかな顔で笑顔を作って見せた。閉じた瞳から涙が溢れる。


 ふわりと浮遊すると、音もなく遥か上空へ昇り月を隠した。


「……『また来るよ』って言ったきり二度と会えなくなったお兄に、最後に会えて良かった……」


 ――おい……?


 妹の胸が光る。それは妹の意思とは不釣り合いに禍々しい輝きを放ち、細く鋭い熱線を大地に向かって放射した!


 収束された光。

 容易く世界を終焉へと導く浄化の瞬き。


 ――ッ待て!!


 俺は叫び、咄嗟に蓋碗を広げて熱線を受け止める。打ち付ける劫火の衝撃は凄まじく、まるで滝に打たれているかのよう。


 けたたましい轟音が響き、緋緋色金が火花を散らして溶けていく。弾ける光子が地表を穿ち、見る間に星を腐蝕する。

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